蒼穹掲示板

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考えるとはいうものの

2007/04/04 01:12:57 麻田佳明

考えたら何か明確になるのかいな?
だいたいあれこれ経験して感じて考えて、
ずいぶん生きたなあ、なんてしみじみしていて
大丈夫かいなあ?
いままでは夢でした、幻でしたよ、なんて
どこからアナウンスされたらどうしようか。

どこかの脳科学者が、うまいこと本人の
気付かないうちに、脳だけを取り出して
培養器の中で生かして、いろいろの感覚を
センサーを通して脳に伝達しておけば
はたして、この人は(脳だけやが)何も気がつかない
だろうなんてことを考えていたらしい・・・・・。

バーチャル・リアリティーが話題になる(もう
流行らなくなっているのかな。アポロ宇宙船は
壮大な騙しであったという話しもあるな。
早稲田大学の大槻さんが、ごもごもTVで
言っておったような・・・)時代だもの。

デカルトは、だからわざと意図的に、全部嘘だ、間違いだ
と考えることにして、進んでみたと書いている。いや、
悪い霊(要するに悪魔)が存在して、罠にはめようとしている
と考えもしようと書く。だませ騙せ、やるだけやれ!
それでも考えるぞというのだ。

浦島太郎の話しや、河合隼雄さんの解説する昔話、
あるいは杜子春の話しもある。

岡田(部長をやっていただき有り難うございました。
こんなところで、ご挨拶も無いもんですが。
申し訳ございません。)さんの得意の明恵上人(高弁
1173−1232)の夢の話しもある。
こちらは、夢判断につながる話しでちょっと違うのだが。
でも、彼は、修行して意思を統一して、毘盧舎那仏を
見るようにして、見たらしい、という話しもある。

自分を信じられなくなる、いや信じていた自分に裏切られる
なんて事まで考慮して考えるちゅうのは、ちょっと
たいへんやね。でも、考えるしかないわな・・・・。

相手と戦うときに、こんなこと考えていたら、
どうなんやろ・・・。「負けるに決まってる」
やろうか?

宗矩や十兵衛の言うように、「騙しや。騙すのや。」
であれば、どこかつなっがているのやないか・・・・。

嘘もひゃっぺん言えば本当になる。
全員を騙せば真実だ。

広告世界でのヤンキーの台詞ではないか。

ちまちまして納まり返っておったら、
いい様にあしらわれるだけやで。
(○○会議が多いなあ。いよいよ日本も高度
なだましのテクニック社会になって来たなあ)

天動説のどこが間違いなんや。
地球が回っているなんてあほなこと言うな、と
言うひとはもう居ないかな。
自己責任(事故責任ではない)だ、というのは
こっちの方に近い様に私は思うのだが。

思考、思想、哲学、科学、学問

2007/04/03 00:43:28 麻田佳明

何もなくて何かを考える、これはできるのか。
ほとんど何か手本がなくてはできない、と思う。
いろいろ考えたことは、すべて人の真似である。
どこかで聞きかじってきたこと、
本を読んで理解したこと、
誰かの話しとして聞き及んだこと、
これらが種であった。
教科書は、その中でも、しっかりとした
筋道を教えてくれたし、理論を教えてくれた。
ただ、横へ広げるには、ヒントさえ感じられなかった。
際限のないかのごとくに、横へ広げるには
上記のような良く分からないながらも、
何とはなしに惹き込まれる問題が必要であった。

私は、宗教否定者ではない。
といって、宗教者ではない。信仰は持っていない。
幼い時から、キリスト教(新旧ともに)の環境にあって
なじんできた。しかし信仰者にはなっていない。

仏教には縁がなかった。神道や古代文化の方に
まだ関心がある。神社に参るのは好きである。
最近拍手を打ち祈りの所作をすることにも違和感を
感じなくなった。
仏教は、父と義理の父をともになくして
付き合うようになっている。しかし
仏教の知識はまったく無いに等しい。
寺院建築や仏像に関しての知識も皆無である。

「華厳の思想」鎌田茂雄著 講談社学術文庫827
昭和63年5月発行
を(やっと)読んだ。
ずいぶん以前に買い込んだが読んでいなかったのを
やっと読んだのだ。(でも、あちこちに書き込みがあり
線が引いてある。何一つ記憶が無いのだが、途中までは
読んでいたことになる。したがって、なおさら「やっと」
ということになる)

仏教に知識が無ければ、概念を表す言葉の多くが
仏教から出ていることを考えれば、教養として
ある程度の仏教知識は常識のはずだが、私は
まるで勉強していないのだ。いかに勉強不足かが
判る。

華厳宗は、東大寺を中心に宗派を成すが、外に
多くの宗派が存在する。しかし華厳の思想は
日本の文化に深く浸透し生きているという。
大乗仏教の経典として、妙法蓮華経(法華経)と
大方広仏華厳経(華厳経)は代表的なものらしい。
法華経は法を説き、華厳経は仏を説くという。

宗教が盛んになる理由を考え合わせると、
華厳経は流行らなくなったらしい。泥臭さが
無いのだそうだ。
中国で、老荘思想と融合し、さらに密教や禅の
影響を受けて、結局日本人にはなじみやすいものと
なったらしい。
法華経などは岩波文庫に入っているが、華厳経がない。

ちょっと仏教づいて来るかもしれませんが・・・・・

能や禅の言葉が使われて

2007/04/02 01:34:28 麻田佳明

こうなると、五輪の書も読んで見るがよかろうと
思い始めています。
能の金春家との付き合い、禅師 沢庵宗彭(1573−
1645)の教導を得ている。

十兵衛三厳は、数多くの兵法書を残しているらしい。
主著は「月之抄」、その他「○(月出)聞集(はいもんしゅう)」や
「武蔵野」があるらしい。月之抄に「表裏は、
隠し、たばかる心なり」とあるのだそうだ。

一 二目遣いの事
待なる敵に、様々に表裏をしかけて、敵のはたらきを
見るに、みる様にして見ず、見ぬようにして見て、
間々に油断なく、一所に目ををかず、目をうつして
ちゃく〜と見るなり。・・・・(トンボがもずを警戒して
ちらちらと見て飛んで逃げる例をあげる)
敵のはたらきをちゃく〜とぬすみ見て、油断なく
はたらくべきなり。猿楽の能に、二目つかいと云う
事あり。見て、やがて目をわきへうつすなり。見止めぬなり。

一 章歌(唱歌)の心付の事
舞いも謡いも、しょうが知らずしては、囃されまい
事なり。兵法にも、章歌の心もちあるべき事なり。
敵の太刀のはたらき如何様にあるぞ、何としたる
さばきぞと、とくと見据えて、底を知るが、
舞うたいの章歌よく覚えたる心なるべし。敵の
はたらき振舞よく知りたらば、こちらのしかけ
自由なるべし。

桜の花は、狂おしいのだが

2007/04/02 00:49:05 麻田佳明

事故を無くすのは願いである。しかし事故は起こる。
では仕方がないか。ここで問題を打ち切る人は
多くはないはずであろう。ただ、諦める人は、多い
と考えることはできる。
そして、費用対効果 という問題を突きつけられると、
孤立した人々は視線をそらすしかなくなるのではないか。

何か提案をするにも、時間が掛かる。対案がないのなら
批判はすべきでない、と押してくるのが目に見える。
配慮を求めれば、しっかり配慮しておりますと答えられて
次ぎが押せない。
費用を掛けすぎることは、社会的なロスが大きすぎます。
これに反論せよと求められると、社会が変わらねば
どうしようもないと意欲は萎えよう。

ここはJRの方から、いかがでしょうかと辞を低くする
態度がないとものは云えないとなる。
集団の力か、社会からの孤立と引き換えに威力を持って
叩きに行くしか方法がない、と思わせてしまう。

問題を、公開して、よく理解できるようにする
(つまり、解決とは何か=どのような状態かを
明らかにする)方法があればと思う。非公開の
なかで、いくら考えられても、解決は「解決」とは
ならないという思いが広まることはないのだろうか。

桜はもう少し。空は雲って、白い花は輝かない。

酒だ、団子だ、弁当だと、花見気分を煽って
買った。値段が3段階ある事に後で気付いた。
たとえば、ビール小缶。500円で買った。別に
330円、と300円があるではないか。場所代の取り方
取られ方に差があるのやら、その他しきたりがあるのやら、
同じ商品でも、値段が違う。太閤さんもやりますな。

売り子をしている若いのに、やるねえと声をかけたら、
僕はアルバイトですから知りません、といいよった。

春は桜だ。花見だ。とは・・・・

2007/04/02 00:24:29 麻田佳明

たまたま機会を得て大阪に出た。
中之島にジュリエット・グレコのシャンソン公演が
あったので聞くのが目的である。で、ついでに
大阪城の桜見物をしようと正午を回ってJR
大阪城公園駅に着いた。なかなかの人出である。

ふと改札口に立て看板を見つけた。4月の日付けの入った
西日本旅客鉄道株式会社代表取締役社長「山崎正夫」
の名前(これだけがひときわ黒々と目立つ毛筆署名
であった)が最後にある何やら書いてあるものである。
文字はそれほど大きく無く、かつ太くはないから、もう一つ
目立たない。なんだろうと読んで見た。そうか一昨年の事故
の立て看板で、昨年もずーっと立ててあったやつだろう。??
しかし日付けが、平成19年4月 だ。今日ではないか?!
「極めて重大な事故を惹き起こしました。」「社員一人一人が
重く受け止め、過去の・・・・安全対策を体系的に理解させるため
の安全教育施設として、『鉄道安全考動館』を開設する
ことといたしました。」「安全憲章に掲げたことを
具現化するために、社員一人ひとりが具体的にどう
行動すべきかを考え、実践していくとともに・・・」という
文言がある。どうも文章が判り難い、と感じた。で、改札の
職員、じゃあなかった、社員に乗客に配布するコピーの用意は
ないのかとたずねた。すると社員は、帽子をとり、少し
姿勢を正して、用意はない旨を答えてくれた。??私は
頭も悪く、あれだけの文章を記憶できないので、コピーが欲しい
旨を伝えたが、乗客用に渡すようには伝えられていないと
答えた。HPにはあるのかときくと、ありますという。
乗客用に用意があってもよいのではないかと強く思った。
はとんどの利用客は見ていなかったが、私と同じように
読み見入っていた人がいた。何かを感じたようであった。

一番心に引っかかったのは「極めて重大な事故」の言葉である。
とり返しのつかない事故というような言葉が当然ではないか
と感じたのである。これだけはやってはならぬと常々細心の
注意を払っていたのにもかかわらずやってしまいました、という
気持ちが伝わらなかったのだ。会社の経営としては問題は
ないのだが、社員が誰一人問題を起こさぬようにとは現実には
できない以上、対策は見直したり練り直すが、なかなか
上手くはできないのですと読んでしまうのだ。このような読み方は
社会通念では、間違ったものと拒否すべきものというのが、
政府の考え方であろうが、配慮はされるのが自然というもの
と考えているのだ。「安全考動館」という命名も、私には
深い考えというよりも、軽いふざけと感じる。社員に考えさせる
と云うときの語勢はもっと違った形で現れるのではないか。
社員とともに考えるという言葉は、さすがに無責任と
感じるのだろうが、まさか「派遣運転手」を雇う方が
やり易いと考えているのだろうか。

まあまあの出発か。明日のできしだいと・・・・

2007/04/01 00:07:11 麻田佳明

FJKならぬKJFでなんとか勝った。
金本選手のホームランのあとはもう一つ。
シーツ選手にまだヒットが出ない。
船出はまだまだあやしいとするしかない。

最初からどんどん攻めて行く:縣(けん)
じっくり相手を見て、相手から攻めてくるのを待つ:待(たい)
「縣待二字子細の事」

一 身と太刀とに縣待の道理あること
身をば敵に近くふりかけて縣になし、太刀をば
待になして、身足手にて敵の先をおびき出して、
敵に先をさせて勝つなり。ここをもって、身足は
縣に、太刀は待なり。身足を縣にするは、敵に
先をさせむためなり。

一 心と身とに縣待ある事
心をば待に、身をば縣にすべし。
なぜになれば、心が縣なれば、はしり過ぎて悪しきほどに、
心をばひかへて待に持ちて、身を縣にして、敵に
先をさせて勝つべきなり。
心が縣に、身を待にとも心得るなり。
なぜになれば、心は油断無く働かして、心を
縣にして、太刀をば待にして、人に先をさするの
心なり。身というは、即ち太刀を持つ手と心得れば
すむなり。然れば、心は縣に、身は待と云うなり。
両意なれども、極まるところは同じ心なり。
とかく敵に先をさせて勝つなり。

一 三ヶ(さんか)心持の事
三ヶは即ち三見なり。つけ、かけ、習いのかかり様、
以上三なり。(敵の出方。掛かってくるか、引くか、
あるいは待つかを見極める必要がある)
敵の何と働くべきとも計り難き時、この三ヶをもって
さわって見るべきなり。敵の心を探り見るなり。
待にかたまりたる敵をば、三見三ヶ色をつけ、
表裏をしかけて、敵に手を出させて勝つべきなり。

一 色につき色にしたがふ
右の心は、待なる敵に、こちらからさまざまに仕掛けて
見れば、また敵の色があらはるるなり。その色にしたがいて
勝つなり。

ヒナたちに声援を

2007/03/31 01:13:10 麻田佳明

13名のヒナたちが巣を出たのです。
どこまで逞しく育ってくれるか、たいへん楽しみに
なって来ました。
天変地異に逞しく立ち向かうだけでなく、
同じテニスパーソンとテニス関係の
コミュニケーションの世界にあって
逞しく渡り合うのです。何があっても
それを乗り越えるのです。それが目的であり
目標だったからです。苦しむのは覚悟の上です。
楽しみも大きいのです。山あり谷ありだからこその
世界です。本物の世界だからこそという期待です。

三学 一 身構  一 手足  一 太刀
右の三学をもって、初学の門として、これより学びいるべし。

三学の初手 是は構えなり
初手を車輪と云う。是は太刀の構えなり。
まわるをもって車と名付けたり。脇構えなり。
左の肩を切らせて、切るにしたがって、まわりて勝つなり。
ひきくかまゆべし。
惣別構えは敵に切られぬ用心なり。敵を切るにはあらず
そつじ(軽率には)仕掛けずして、手前を構えて
(自分の構えを十分にして)敵に切られぬようにすべし。

兵法は、二人で闘う立合も、大軍を動かす戦争も、
勝つことにおいて同じと考えようという。

また

老子に「兵は不祥の器なり。やむなく是を用いるは
天道なり。」とあるを肯定する。そして兵法は
政治でもあると説く。つまり
治まれる時、乱を忘れざる。是兵法なり。
いまだ乱れざるに、治る。是また兵法なり。
国の機を見て(国政を見て)、乱れむことを知り、
いまだ乱れざるに治る、是また兵法なり。

知識はすべて知り尽くす意欲を持つ。そうすれば
不安がなくなるから。物事もすべてを知り尽くすように
努める。なんでも知り尽くすと心に不安もなくなり、
何も恐れなくなる。まあ一種の覚りの境地だろうか。
こうなると物事万事素直に対応できるようになるとして、

胸に何も無くなりたれば、よろずの事がしよくなるものなり。
このゆえに、よろずの道を学ぶは、胸にあるものを
はらいつくさむためなり。はじめは胸に不審もなかなかに
なきものなり。学にいりてより、胸にものがありて、
そのものに妨げられて、何事もしにくくなるなり。
その学びたること、我が心を去りきれば、習いもなにも
なくなりて、その道のわざをするに、習いに関わらずして
わざはやすらかにしなりて、習いにもたがわず、
我もその事をしながら、我も知らずして習いに
かなうものなり。兵法の道、是にて心得べし。

上(和)泉伊勢守秀綱(武蔵守信綱)が祖となる
柳生新陰流は柳生石舟斉但馬守宗厳(むねよし)、
その子柳生但馬守宗矩(1571−1646)と続き、
剣豪柳生十兵衛三厳(みつよし)が後を継ぐ。
宗矩が幕府の重臣となり書いたのが「兵法家伝書」
である。3部(進履矯、殺人刀(せつにんとう)、
活人剣(無刀之巻))からなっている。岩波文庫に
「新陰流兵法目録事」を付録につけて入れられている。

生兵法は怪我のもと。 ではある。
いろいろな日本人が居ると云うこと・・・・

ヒナどりはみな巣を出て行きました

2007/03/31 00:14:48 麻田佳明

巣立ちと見ても良いのですが、少しだけ
違った感じがあります・・・・・。この余韻は
何でしょうね。
これからもなんべんか巣に戻って来ても構わない
という(一種の余裕)気分があるからです。
危険な目に会うかもしれない、驚くような
場面に出くわすかもしれない。怖くなったり、
びっくりしたりして、ちょっと帰りたくなったら
帰ってきたら良いよという気分です。だから巣立ち
という表現には違和感を感じたのです。

梅原が立派になりました。
中祖は、もう少しという部分もありますが、
逞しさがありますからOKです。巣を出て良いでしょう。
スマッシュの最も肝心な部分は理解できていますから。
ストロークがまだ未消化です。巣を出てから消化しても
可です。貴田、赤木も未消化です。でも逞しさがあります。
スマッシュができます。
辻田のスマッシュ能力の進歩には驚きました。

花尾のバックストロークに不能の表現は当てはまらなく
なりました。フォアストロークに確率7%程度の
理解された技術があります。

0からの出発は不安なものです。たとえ1%でも
確かな一歩が獲得されると、確信が持てるものです。

21名が吉田コートに揃って練習しました。
練習マッチの水準もばらつきが少なく確かな
船出を感じさせるものでした。今年の卒業生が
5名(宮田さんも含めてです)揃ってくれたのです。
そして伊東君も来てくれました。3コートが
常に空くことなく使われていました。

雨が降りそうで、私は傘を持って出ました。出掛けには
実際細かな雨が降っていました。午後の練習が始まって
しばらくするといかにも降りそうになりました。気温は
ずいぶん下がって見るだけの私には寒かったです。しかし
3時を過ぎると明るい陽射しが戻りました。疲れた感じがして
4時前にコートを去ろうかとしたのですが、顔を出した
陽射しと部員の練習に引き戻されて5時まで付き合いました。
ミーティングで話す機会も得ました。
でも帰りのバスの中ではこっくりこっくりと
舟を漕いでしまいましたね。

どうかと迷ったのですが

2007/03/30 02:01:03 麻田佳明

(話しがぶっ飛びすぎると・・・・)

「なぜ日本の政治経済は
混迷するのか」小島祥一著 岩波書店
(1月31日発行)
を読みました。
ここ5年ほど探していた議論にめぐり合えた
気持ちです。いや、7年ほどでしょうか。
官僚として渦中に居た人であり、また外から眺めた人でもあり、
いまは学者として考えている人でもあるから、問題が
曖昧でなく、しかも整理が行き届いていて、論点も
明確だから、やっと何を考えたら良いかを探り
当てるのに準備ができた感じを持つことができた。
といっても、責任者や責任追究の内容が明瞭に書いて
あるわけではない。かろうじて、宮沢さんが理解できていない
ことが読み取れる程度である。中曽根さんの無理解
も感じ取れる。その程度である。でも、私としては
まともな議論と感じられたのだ。

政治家、官僚、銀行、財界による政治経済ゲームとして
80年代からの日本の政治経済を考える。
まずは、4幕劇として、いつも同じ経過をたどり
本当に何か問題を解決したことになったのかと問う。
幾つも具体的に説明するので、楽しい。
後半は、自民党が政権を取りつづける理由(争点ずらし)と
問題先送り体質=総論賛成・各論反対の常識の
分析(民主主義の矛盾)である。
争点ずらしでは、ケネス・アローの不可能性定理を
民主主義の矛盾では、ゲーデルの不完全性定理の
証明の仕方を参考に論じている。パレート均衡や
ナッシュ均衡も出て来る。数学者を目指し
その後経済学に転じた経歴を持ち、知識と論理に明るい
のは明晰さを保証している。
最後は、処方箋ということになるが、公益と私益の
対決となると公益が弱すぎると判定し、民主主義を
成熟させるとともに公益を強くしよう。そのために
個人を確立させようと説く。

私としては、本当にやっとめぐり合えた
分かる議論である。こちらの知識と
教養が不足しているので、深い論議はできないが、
相手の力がしっかりしていると、こちらの要求も
引き上げられてしまう。となると、いろいろ
疑問というか議論したいことが湧き出して来る。
いわゆる日本の政治家は、無能力なのだろうか。
西欧であれアジアであれ、他国の政治家と比べて
能力が劣るのだろうか。表現能力、演技能力に
引くところがあるとしても、これはちょっと
人気に関する問題としての要素が多いと考える。
問題の把握、理解、解決策の探求と実行、組織造り、
人材活用法などにおける能力を問題にする。

歴史性と時代性はあるだろうが、どこの国・民族も
それほど能力には差がないのではないかと訝しく思う。
政治学が、あまりにも進んでいない(教科書が作られている
とは思えない)から、あまりにも偏った
考え方しかできないのではないかと疑う。

長くなった。実際の政治家の能力は
評価に値する。公益に対する信頼が、私益を上回る
ところまで政治学が成熟する必要があるのではないか。

閑話休題

2007/03/30 01:05:24 麻田佳明

元気さや闘志を秘めた(前提にしているという
ことですね。やる気もなく戦う気もなく
テニスをするなというか、テニスを楽しもうというか、
言葉にとらわれすぎていると思います。
勝たねばならぬと考えろと言わねばならぬ
時もあるかもしれませんね。これも言葉に
とらわれ過ぎでしょう。やる気が失せたと
相手に感じさせるという時は、仲間なら
気が働きます。)正確なプレーを実行することが
テニスをする、いえテニスを楽しむ、つまり
相手と一緒に楽しむことだと吉田コートで
表現してもらいたいのです。このことを求めて
素直に進もうと言うのです。

面白いもので、実際に進むと、いろいろ
感情が湧きあがってくるのです。生まれてくるのです。
苦しくもなります。この体験を大切にして欲しいのです。
楽しいはずだし、実際楽しいのだけれども、苦しくなるし
しんどくなるし嫌になるのです。不思議と感じて良い
のではないでしょうか。当たり前ではないと思います。
不思議です。そうして欲しいですね。

それだけです。
そう考えて、基礎と基本を踏まえようと言うのです。

林君がコーチングしてくれていました。
良い感じでした。部員の様子が真剣でしたが、
これは彼の影響でしょう。
で、私は、林君のストロークに注文をつけて
「監督面」をしておきました。

あれっ? 雨が降ってきましたよ。
基本 に関心を持つ気持ちをもっと書こうか・・・・

長話

2007/03/30 00:40:27 麻田佳明

こういった意味でのよい雰囲気が生まれつつあります。
うれしいことです。楽しいことです。
ただ当事者である学生には結構しんどい感じが
溜まるかもしれません。こんなとき、楽しくやるようにと
声を掛けると、ちょっと場違いな声をかけたことに
なる点があります。この点への配慮が必要です。

基本と基礎を重視して(前にも書いたように、
本格的に言葉に出して表明したのは今年が始めてです)
テニスらしいテニスをしっかり造ろうと
(まあ、私が勝手に言っている面が強いかもしれませんが)
言っていますので、私の態度は、感情的ではなくなっています。
冷静で技術的になっています。

闘志や強い心は、プレーには現れますが、
顔つきや顔色、声には表れないように(決して求める
分けではないのですが・・・。要求するのは
もっと強くなってからです。横綱には、品位も必要ですから)
結果として求めることになってしまうのかも
知れません。プレーにあらゆることを込める。
いえ、プレーから、すべてを読み解くことができるだけです。
プレーに込められない段階では、プレー以外のことからも
いろいろ見抜くことが必要となるだけでしょう。本当は
なかなか見抜けないのですが。プレーからの方が
正しく見抜けるのです。名プレーヤーは、心を表さない
と言われています。これはちょっと意味が違うでしょうね。
正しいプレーから読み解くことが、テニスの
上達にとって肝心なことだと思います。この段階に
進んでもらいたいと考えているのです。

この一月間で、どこまでテニスを正しく
考えることに習熟するでしょうか。

この時代では、哲学するなんていうと
ちょっと白い目で見られるとか、違った目で見られるなんて
いうのが流行りとか言う人が多いそうです。

植木等さんが亡くなりましたが、人を楽しませる
ことの為に、やらねばならぬことを、やりたいと思った
わけではないが、懸命にやった人だったと、哲学的に
感想を述べる人があるようです。

楽しく という言葉に、どこまで心が反応するか、
いろいろの反応があるのでしょう。

仕事として世に見せる顔と、自分の顔として
内心に持っている顔は違っているのが常識という
ことでしょうか。

不安定な天気と思うので

2007/03/30 00:39:25 麻田佳明

コートを少しでも覗いてみようと。

傘を持って(ちょっと不埒な考えですね)、
出掛けました。

午前練と思い込み、なんとか11時前に
コートに着きました。
東山通りから音を聞き分けます。
これはもう習慣になっています。
まずだいたいのところ、この音で様子が分かりますから。

うーーっ?ほとんど音が聞こえない!??
少し待ってみるか?休憩中かもしれんから。
一つ二つ聞こえました。ポーン、ポーン。
しっかりした音です。
なにか、組織的な練習をしているらしい。
ちょうど切れ目に当たってしまったのだろう。
そうか良かった。声も元気だ。よしよし。
(いえ、音だけで分かる というのは、
それほど私がはらはらしているということです。
学生達は、落ち着いていますし、
しっかりしているのです。私が、安心する
しっかりした観察眼を持っていないために、
わずかな事にもびくついてしまうと言うことなのです。
枯れススキに驚き、水鳥の飛び立つ音に
大軍勢を予想してしまうという小心者なのです)

小柳が少し大きく見えました。
まさかウエイトが増えたのではないでしょう。
少し踏ん切りがついてきたのかもしれませんね。
髪の毛が伸びただけかもしれませんが。

田部井がさっぱりした頭になっていました。
見事に散髪をしたという感じです。

花尾がずいぶん良くなっています。
良くなったね、と声を掛けました。
「ほんとは、走らないといけないのですが、
もう(足がもたないので)走るのを止めました」
と答えてきました。一寸した決心でしょうか。

元気を出すこと = 声を出す
しっかり打つこと = とにかく思いきり打つ
粘ること = 諦めず走ること
気迫を持つこと = だめと思わず、無理でも攻める

これは良い励ましですね。
なにか部活動をしているという気を高めますから。
集団心理の作用も働くでしょう。
団結心の涵養に励めば、方向もしっかりして
いわゆる迷いもなくなり勝敗を争うのには
ふさわしいということになるでしょう。

桜も咲くか

2007/03/29 02:23:45 麻田佳明

週末は天気が崩れるようだが・・・・。
金曜日に覗こうか。
木曜日は午前だけでは、ちょっと早起きしなくてはならないので
年寄りには(世間一般とは違って)苦しいなあ。

「構え良し!」とならなくては。

女子は頑張ったようですね。
頑張ると、くやしさも倍増するやろね。
唇がふるえているのを感じるよ。
軽く抜かれる。軽く決められる。
まだ、息を呑む場面が幾つもあったのではないかな。
構え過ぎてはいかんが、構えができていないのでは
試合にならない。息を呑んでしまうだろう。

息を静かに吐きながら、心を穏やかにして、
素直にボールに反応するように練習して欲しい。
前衛は、咄嗟に反応できるよう
姿勢を正す事と素直に反応できるように
中距離からの、早い球出しを連続して
押さえる練習を繰り返すと良いだろうね。

男女とも、もう少し人数が揃っていれば
気合いも違っただろうにと、心が残る。
早く新入生を迎えたい。
コートを覗く新入生も日に日に増すだろう。
ぜひ、楽しく愉快にコートに立って
テニスの魅力を感じさせる練習を実現して欲しい。

それには、基本である。基礎である。
どれだけボールに忠実なプレーをするかである。
正しく正確な判断とその結果のプレー(からだとラケット
操作)の巧みさが魅力のはずだから。
この魅力に楽しさが味わえるのだから。

見事な満開の桜の下で新入生歓迎のお楽しみ会が
行われるよう願っている。

まだまだ

2007/03/28 00:59:39 麻田佳明

小柳は、相手に読み勝つ為に打つ。
タイミングを変えても読み勝つことを優先する。
執念が必要となるが、執念を燃やすことだ。
顔色には出さなくても良い。しかし心には
執念の火を赤々と燃やしておく。

千々和。まだまだ壁にはぶつかってはいない。
もっともっと先へどんどん進まねばなるまい。
勇気を振るって先へ進むことだ。そのうち恐怖を
感じるときがやがて訪れる。テニス怪談が存在する。

花尾は、折角の折だ。膝が苦しいのは困ったことやが、
歩幅を広げ、膝の負担を軽くして、試合に使える
ラリーを実現するストロークを工夫することだ。
起死回生の一打を実現するストローク力を工夫するのだ。
決闘を前にした剣豪の心境とでも言うしかないが、
すごい球とか、見ほれる球ではなく、試合に使える
ラリー=球つなぎを実現するための工夫をする機会と
考えて見て欲しい。

田部井。いつも言うことだが、焦る必要はない。
確実に進歩している。まだまだ構えから発想していない。
きれいに打ちたい、いや結果としてすごい球が打てていたい
という欲にとらわれすぎている。
どんな球も確実に拾ってゲームを成り立たせる
ことを第一にする意思が働いていない。コートの
広さと形をしっかり飲み込んでネットとラインを利用して
打つことを考える。名人となれば良いのである。
どんなボールが来ようと良しと考える。
嫌なボールを、逆に利用する条件が発見しやすい
ものと研究するのだ。そのかわり、足だの腰だの、
ひょっとしたら頭、左手、歯、耳、髪の毛の
利用法が必要になるかもしれないが、それは
当然と、むしろ歓迎するように発想する。

赤木、富岡、貴田のレシーヴにも
集中した練習が必要だろう。

梅原、中祖はラケットの固さが頼りになっている。
棍棒ではない。
ガットが張ってあり、ボールは柔らかい。
どうやって正確な制球力を修得するのか。
前衛陣全員に言えることだが。
腰をしっかり据えなければ、この柔らかいボールの
制球力は本物にはならない。このことの理解が
前衛陣は後衛陣に劣っている。

もう一歩

2007/03/28 00:59:04 麻田佳明

前衛陣は、ストローク力だ。
短い球に対する安定したストローク力が欲しい。
シングルスでの処理をイメージする水準を考えて。
次ぎに、ヴォレーの確実性だ。
遠いポーチは対象外である。
サービスボックスのすぐ外から相手後衛が打つ球に対する
対応としてのヴォレーである。
技術より、考え方である。試合における
その意味をどのように理解するかが主題である。

後衛陣は、ストローク力である。
(なんや、前衛への助言と同じやないか。
まあ、言葉としては同じやが。)
昨年のストローク力は合格ものである。
負けたやないか? と疑問に思うのは
当然である。あれではあかんのである。
では、不合格では? むろん不合格や。
それやったら、なんで合格と言うのか?

そうなんや。そこなんや。
だから、不立文字なんや。
いや、そうは言っておれんわい。
言えないことを、言うしかない。
でも言っても、言ったことにはならない。

まあ、まともには聞けんわな。
では、酒でも飲んで、となるか。
ならんな。そのかわり、酒でも飲んで
考えてみても良いなあ。

安藤はもうじき打てるようになる。
引かずに押して押して打つ。力んだらだめ。
でも力はしっかり入れて打つ。力の入れ具合が
練習の要点。加減というより順序、伝達、流れ
を整備して、無駄なくきちんとエネルギーを
流す。仕事を伝える。むろん発熱の散逸は当然ある。
なければ永久機関の誕生となる。

井上は、勝つ として打つ。

逢見は、力一杯打つ。気合いは、相手を圧倒する
球を打つことだけにしぼる。どこまで気を持ちつづけることが
できるかと考える。

それでは一歩一歩進もう

2007/03/28 00:57:55 麻田佳明

テニスをするには、上らねばならない
階段が幾段かある。この場合の「ねばならぬ」
は罰を食らうとか悪であるという意味ではない。
自然であるという意味である。
この自然という意味をまず良く理解してもらわねばならない。
この場合の「ねばならぬ」は、前提となるという
いみである。論理的に自然であるという意味である。
しかし目的は階段をあがることにあるので、
結果として階段を上れたというのなら
途中の経過は問われないことにもなる。したがって
不自然でも階段を上れないという論理的な
結論は生まれない。

いつもにもまして、くどく、細かく、口がうるさい。
????

どういう球を交換してゲームとするか。

「兵法家伝書」が岩波文庫におさめられている。
「五輪書」と2冊が岩波文庫にある。

まずは隙を作らず、相手への構えを作ることを
述べている。
およそ兵法なんてものに関心も才能も持たないが、
まずは穏当理解しやすい。(ただそれだけ)

勝ちたいと気持ちは勝手に走るものだが、
負けることも当然覚悟しなくてはならない。
でも、覚悟をすると、負けることを容認したかの
ように思えて、これまた勝手に拒否してしまう
自分に気付く。

なにか、すーっと勝つ気が走って、勝つために
集中できる(できたことに勝ってから気付く)
と感じることがある。途中でいくらかもめるが
不安は生じない。

ややこしいことを考えているかのように感じるのは、
集中できないときのことを経験しているからだ。

さて、この経験をそのままにしておくのでは
前に進めないだろう。

目の前の課題を一つづつつぶして行こう。

アル中勝利

2007/03/27 17:21:30 あだち


    失礼します
      「こころを強くするメッセージ」のご案内です

   ■□■□■□■  「悪い習慣を断ち切る」  ■□■□
■□■
    
     「善」をしようとする意志はあるのだが、それをする
「力」がない—
   つまり悪いと分かっていることがやめられない、してはい
けないことを、
   ついやってしまうことです。

     悪口を言ってはいけない、と自戒しっつも舌が自然に
「悪口」に
   ほころんでいく。
     また、今日こそ「深酒」にとらわれまいと決心して
も、三杯目以後
   のことは覚えていない——人間とは何と悲しい「動物」で
しょう。

     人間である以上、あなたが悪い習慣・してはならない
悪癖に悩む
   のも当然です。その時絶望の淵にたたずまないこと。人の
習慣はそん
   なに急に改まるものではありません。

     しかし、即・「抜け出す決意と行動」をとるべきで
す。 まず、その
   「悪い」思いが入り込まないように「善い」思いをとり込
む——

     善い思いとは自分の事を考えないこと、相手のために
良い思い・
   行為をなすことです。 あなたの時・力・財を使い用いる
ことです。
 
           「悪癖」は跡形もなく消えうせます。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・

    ※ アル中細胞・ニコチン細胞・色欲細胞にとらえられ
ている「あなた」
      「新約聖書」(ローマ人への手紙7章)をお読みく
ださい。 

      ========  安達三郎  =======
= 

     私はクリスチャンでも教会員でもありません。ただ
「聖書」によって
    アル中を癒され・脳梗塞より生還し・サラ金地獄よりす
くわれた者の
  「証」です。
        

よいお天気でしたね

2007/03/26 00:46:14 麻田佳明

午前中はまだ雨が降っていましたが、
まあ止むはずだからと出掛けました。
途中の喫茶店で時間つぶしをしすぎたせいで
午後1時前にいつもの食堂につき
いつもの定食を摂ってからコートへ出ました。
ちょうど練習が始まるところでした。
全員(13名)が揃っていました。
合宿で風邪を引いたりと揃わなかった
のが揃ったようです。後から、中瀬君と
林君が参加してくれて計16名です。
(計算を間違ったわけではありません。
伊藤君の所属するクラブのメンバーが一人
加わってくれたのです。名前は田中さん
ではないかな。済みません。確認していないので。
何度かお会いしているので顔は見知っています。
力強いストロークの不動明王かな)

とちゅうから天気が良くなり、陽射しも強くて
少々疲れました。私はどうも肘と膝が痛くて
このところテニスができません。見るだけです。
でも疲れましたね。最後まで見ずに4時前に
引き上げました。途中のバスの中では、眠たくて
堪りませんでした。

今年のテニスが始まったという感じを持ちました。
このような言い方は、現役には無責任でしょうね。
今年は去年と違い、前年の秋から準備するという
構想も必要としなかったので、私の方だけ、
あくまで私の方だけのことで言えば、のんびりしているのです。
学生達は、各人自分のテニスを考え、課題を設定し、
プログラムを組んで、スケジュールに則って準備してきている
と思います。それを、学生の方から訪ねてくれば
批評する程度にして付き合っているのです。(こういうことさえ
実は彼らに伝えてはいませんが)
まあ、こうして合宿も終え、リーグを控え、
練習が始まっているのです。
私は、必要な確認を少しずつ行い、それぞれの
調整を手助けすればよいわけです。

先日のOB対抗戦に参加していただいたOBの
皆さんがどのように感じられたか、もしも
お気付きの点、注意点がございましたら
どんどん学生達にお伝え下さい。

試合における駆け引き、丁寧な気持ちとプレー、
粘りとその裏づけとなる技術、一般的な
精神力、心掛け(先日は河原さんにご指摘いただきました)
など、どんどんお伝え下さい。相当な
吸収力を示すと思います。時には、反発する(反抗では
ありませんので、念のため)こともあるでしょうが、
一言ではなく、たくさん言葉を使って伝えてやってください。
(私は、反抗されても、無視されても、構わず
言いたいことは言っています。だから余計あかん!
というご指摘もあるでしょうが。それでもです)

丁寧なプレー、時間を掛けたプレー(瞬間と時間の
両立)、力をしっかり入れた正確なプレー(力みと
脱力の両立、矛盾の成立と解消)、バランスのとれた
からだ使い(だけでなく、心も言葉も頭も)に
意識が向かうようになれると良いなあ、という
空気が漂うようになっています。
ちょっと見られますよ。
ぜひコートでお確かめ下さい。

対応感謝

2007/03/25 23:10:33 河原  宏

中瀬君。BOXの件でさっそく対応いただきありがとう。
整頓された基地から、いいプレーが生まれることを期待していま
す。                    河原 宏
 

で、どうするのかや

2007/03/25 01:08:08 麻田佳明

ラケットが主役。ボールが第一。
そのためには、君達一人一人が主人になること。
自己満足、独善、結局何も考えず、何も感じない
主人ではだめということなのだ。

コートとボール。プレーヤーの配置、動き、狙い・
思惑、そしてボール、ボールの動き、動くボール。
それに対するラケット、その動き、動くラケット。
ボールとラケット、ラケットとボール。
主人との関係。手、腕、肩、腰、脚、足。
頭、脳、心。これらは動く、変化する、時間が
入っている。

調和、と言ってしまうと、ちょっと高級、難しい。
実際にできること、たくさんあるはず、可能のはず。
なぜなら、実際生きているから。
テニスを意識すると、上手くできない、と意識しているから。
それはそうなのだが、だから上手くなろうとしている、
だからといって、下手と引いてはだめだ。上手と
押してもだめ。ここは現実を直視する。何がどうなれば
よいのか。可能性を探す。可能性のみの世界とする。
つかれたら休む。にっこり笑って休む。

テニスは技術。でも、止まってはだめだ。動いている。
ただ動いているというだけでない。
思考が連続している。エネルギーを上手く流してやる。
だって、エネルギーは不生不滅のはず。潜在化したものを
顕在化し、ふたたび潜在化する。つまりポテンシャルを
上手く使う。散逸させると下手になる。
エントロピー。エネルギーの流し方を考える。
テニスは、リズム、テンポ、タイミングが大切。
動いているからだ。

人による特徴がある。(やっと目的のところへ出て来た)

リズムとは・・・・
千々和が例となる。
井上や小柳はこっちの方に入る。

構えて狙ってフォームが大事・・・
安藤が例だろうか。
逢見、田部井もフォームだ。
リズム、タイミングに最後はきちんと配慮した
技術を作り上げることだ。といっても
焦ることはない。あくまで完成は、その検査は
リズム・タイミングで行うということを心得ておくことだ。
なぜ安藤が、逢見がロブにミスを重ねるか。
田部井はよく上達している。まだまだ
焦ってはいけない、いや必要ない。もっと形フォームに
こだわることだ。フットワーク、一歩一歩の足の運びに
研究工夫を重ねることだ。この努力が面白い楽しいと
感じるはず。テニスの喜びのはず。違うだろうか。

花尾はどっちだろうか?
両方を睨んで、いいとこどり、あるいは
悪い方外し、という考え方で進めるというのはどうかな。

最後に(なに、この話しとしての最後)、
スケールを落としてはなんにもならんという
ことは忘れないで欲しい。

前衛には触れなかったが、感じは分かろう。
基本、基礎をきちんとして、明るく楽しく
喜びを表して吉田コートに立ってもらいたい。

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