この夏は錦織圭選手の活躍が話題になりました。
とくにジャンプして鋭く打ちこむ彼の
ストロークが注目されました。これにならって、
わたしも名前をつけたのです。
えあーmasashi・・・・小柳のストロークです
これとの対比で言うと
あーすshouta・・・・・逢見のストロークです
この二人がどれくらい頑張るかがこの秋の
焦点です。
この二人に続いて何人か若いのが出て来ているのですが
まだ実績をあげるには時間が必要です。
それでも関心を持っていただくには
色づけも必要です。上の二人に並べて
色分けをして見ます。
えあー派・・・・・
千々和、八木、吉永(井上)
赤木、梅原、上田、野木、矢守、羽泉
あーす派・・・・・
田部井、榊山、江口、松村(安藤)
貴田、中祖、北谷、小山田(辻田)
ちょっと無理かなと思える学生も
いますが、将来の姿を想像して
分類してみました。
エアーであれアースであれ、地面から
力をもらうのには違いがありません。
先ずこの点に誤解が生じやすいのですが、
各人がどのように自己評価を下しているか、
本人の思いと食い違いがあるでしょうね。
もうちょっと知識が増えると、
ほんの僅かな認識の違いで
プレーぶりが変わることも理解できるでしょうし、
プレーの原理はほとんど違わないことも
理解できると思います。
頭の働きとは面白いものです。
同じことのはずが、一人一人の
感覚ではできるできないになるほど
大きな差を生むことが多いものですから。
結局それほど大きなさはないのですが
プレー振りは違っています。
プレーの違いは考え方の違い、
価値観の違いという現れ方です。
どこまでものを考えるか。良い悪いというよりも
知識の違い、感性の違い、経験の差、
成長の仕方、育ち方・育てられ方、
納得の仕方、満足の持ち方、・・・・・
羨ましく思うか、卑下するか、見下すか、
憧れるか、諦めるか、拘るか、・・・・
いくらでも違いが出てきます。
自由というべきか、教育というべきか、
自然なのか、もえいずると言うか植え付けると言うか、
これも一つの文化でしょうね。
歴史と文化。民族と国家。風土。
遺伝や進化で片付けられるのか。
つまり科学的説明が可能なのか。
(科学的文化といわれればもう言うべき言葉を
失いますが)
自分のテニスをしっかりやってくれるよう
祈るだけですね。
やはり台風にはかないませんが、
予想より南の方を通過したようです。
なんとか球が打てたようです。
もっとも私は雨男になってしまったようでしたが。
天気予報と実際の空模様から
合理的に判断したのではないかと
少し不安に思いながら吉田に
出てみました。途中のJRの車内案内では
台風が接近しているので
お帰りはなるべく早くして下さいと
アナウンスが不安をかきたてました。
湖西線は風に弱いのです。
トラブルを回避するためでしょう。
親切というか、責任回避というか、
とにかく少しばかりお節介が過ぎようと
いうものですが・・・・・。
コートに着く頃には
少し雨が降り出しました。
聞いたところでは、練習開始は
コート整備から始めたとのことで
1時間ばかり打てたでしょうか。
とにかく天候に左右されず練習を
行ったということはうれしいことでした。
練習内容と試合の予想内容が
いま少しきちんとしたものと
なるべきではないか、これが気がかりでした。
この点を念押ししたのがコートに出た
価値になるでしょうかね。
意味があるかどうかは結果次第ですが。
片岡と松田がしっかり昼飯をとっていましたから
女子はやる気まんまんというところでしょうか。
男子もなかなかのやる気と見ましたが
気持ちが空回りすることもありますから
油断はできませんね。
勝ちに不思議はあっても、負けに不思議はありません。
となると、どんなに面倒でも、
敗因となりそうなものは
一つ一つ消して行くべきですね。
凝集力に疑問があれば、なんとか
凝集力を高めるべきです。団結力でも
よいのですが、各人の自然な協力への
意欲が全体をまとめるのだとする
理解の方が、接着剤を外からべたべた塗りたくる
印象よりは気持ちが入ると思います。
プレーでも同じで、ボールを捌きたいと
ラケットをボールに急いで差し出すよりは
しっかり走り寄ってラケットをどう動かして
飛来するボールともっともよい衝突をさせる
ように努める方がテニスですね。
ラケットの運動をどこまで考えることができるか。
手を出し腕を伸ばすだけの
ボールすくいでは、盆踊りにしても
面白くはないでしょう。
どこまでテニスをやってくるか。
もしできれば、テニスができれば、
きっと楽しいでしょうね。楽しいテニス
を経験してきてもらいたいですね。
○○だから。いえスウィングのことです。
女子のグラウンドストロークです。
片岡がずいぶんとテニスらしくなって来たのですが、
応用編のストロークになると
うまく打てないのはスウィングがまだ
十分理解できていないからですね。
基本のストロークをもっと正しく
スウィングを理解して打てるようにしないと
思う存分打てないのです。ラケット面を
どのように飛んでくるボールに当てるかを
考えないと理解が完成しません。
こするような考えでは不十分です。
手邊はスウィングができない結果を
招いてしまいますね。打点にボールを
呼び込めない。その前に当ててしまう。
ネットに掛ける。遅れるとバックアウト。
スウィングがまるでできなくなります。
つまりパニック。きっと頭の中は真っ白でしょう。
15cmから25cmでしょうか。
腕を使って運ぶ長さを確保してスウィングできれば
完成なんですがね。
馬場は押すことはできているのですが、
押すだけなんです。スウィングではないのです。
押すと押し返されます。だからもっと
押し出して押し切らねばなりません。
となると腕がちぎれてしまいます。
腕はちぎれないで、押し切る方法が
スウィングです。ちょっと微妙な技術なんです。
腕を伸ばす必要はないのです。縮めたままで十分
できることなんです。体の回転と手首の
返し、なにより腕のひねり方がコツです。
体重の移動が関係するので、全体的なバランスが
重要です。予想が必要です。気迫が大事です。
強い意思が必要です。試合の中でラリーを続けるというのは
相当な精神力の必要な行為なんです。
簡単なことではありません。
でも困難なことでもないのです。十分できること
ですし楽しいことなのです。
速い球を打てばすむというわけではないことを
理解すればよいのです。
男子も女子も、もう少し進めば見晴らしのよい
ところへ出て来るのですが・・・・・・。
台風の進路がもう少し南に下がってくれると
練習ができるかも知れませんが・・・・・。
今誰がもっとも苦しい思いをしているか・・・・。
いろいろな苦しさがあるでしょうが。
ずいぶんみんな上達して来ましたが、
一定の結果を出さないと達成感が
満たされませんからね。苦しく感じます。
うまくボールを処理することができれば、
なんとか満足できるのでしょうが。
もうちょっと満足できるところまで
時間のかかるもどかしい、したがって
苦しい思いをしている・・・・・
結構たくさん対象者がいるかもしれませんね。
後衛は・・・・田部井かな。
よく打っているのだが、打ち切れない。
ちょっと安全に打とうとすると
とたんにうまく打てなくなる。よほどの
決心をして必死で打てばなんとかなる。
それでは試合が持たない。途中で崩れてしまう。
一球一球声を出し必死に打つのはしんどい。
なにより先に希望が見えない(ように感じる)。
しんどいし苦しい。
前衛は・・・・梅原だろう。次いで中祖か。
中祖はそれでも重症では無いだろう。違うかな。
田部井は、腕が伸びてしまっている。
強く打とうとすると肩を回さなくてはならない。
打点は体から遠くにある。腕を伸ばして遠の
打点を叩いてみてもそれほど強くは飛ばない。
手首を無理に捏ねようとしてうまく捏ねられないから
余計に弱いボールになる。コントロールが効かない。
腹をたてて体を前に突っ込むより早く腕を
回してボールを引っ叩くときには予想外に
強いボールが飛ぶ。それでもこんなボールで
試合を戦うのは余程の条件が揃ったときだろう。
普通の精神状態では苦しさだけが
実感されるはずだ。
梅原は、腹をたてるとボールはどこへ飛ぶか
全く不明になる。この点が田部井と異なるが
その他はよく似た状態である。バックストロークは
丁寧な腕の振りで、これは完成している。
腰をしっかり据えた振りになっていないので
ボールのスピードに合わせた振りができない。
つまり構えができないでいる。打点へボールを
呼び込む構えができれば、しっかり振り切れば
完全なストロークになるのだが。
フォアは押すだけなのでコントロールができない。
田部井が体の横でラケットをボールにぶつけるだけなので
強く打てないしコントロールできないのと
症状は似ているのだ。
前足に体重をかけてラケットを引っ張るように
振り切ることができれば二人とも
ストロークの原理を修得できるのだが。
もう少し時間がかかるのだろう・・・・・。
苦しいけれども、頑張るのがよい。
昨日今日とよいお天気で、すっかり日焼けが
進みました。台風が接近しているので
明日と明後日は練習はできないでしょうね。
試合の方は、男子はできるでしょうから、
練習を絶やすことはできませんね。
頑張らなくっちゃね。
女子の方は予定外のことが起こるやも知れません。
精神的に緊張感を絶やさないことが
必要になります。やぱっり頑張らなくっちゃね。
頑張るのですが、頑張りすぎると
萎縮してしまわないかと心配をしなくては
ならなくなりますから、頑張ろう、おおっー、
という辺で打ち止めにしておきましょう。
あとは、全力を出し切ることに専念します。
楽しいとさえ思うことにしましょう。
(楽しみたいと思います、はちょっと
きざかもしれませんね。)
理論を頼りに、おもいっきり戦うので
よいでしょう、そうしておきましょう。
女子に説明する時間がとれませんでした。
申し訳ありません、少しだけでも
感じ取ってください。
①ハート、②ペアワーク、③リズム、
④ペース、⑤攻・守、⑥ラケット、
⑦イメージトレーニング、㉀近攻・遠守、
あとは、気迫です。結局 心・技・体の
調和統一がないとうまく行きません。
となると、無の境地でしょう。
必然に対する完全なる反応を可能とする
あり方を実現すると怖れを克服し、
試合に没頭できます。
没頭して、そのつもりでいると、実にいろいろのことに
気づきますよ。少しでも気を緩めると
そこで没頭からさめてしまいます。
こうなっては敗因を探すしか無いでしょう。
没頭のままで続けるには、気を緩めないことです。
声を出す、ボールから目を離さない、
集中心を切らさないよう熱と理性を維持させる、
などは初歩的なことですが、有効です。
天候が練習を妨げても、頭のテニスはできるのです。
具体的なラリーと集中心の維持を練習します。
風呂に入ると、皮膚がひりひりと痛みました。
(二宮さんが覗きに来られました)
特別なことではない。悔しく思ったら
今度こそと勇気を倍に奮って
立ち向かうだけだろう。てらいや
恥ずかしさを感じることもあるかもしれないが、
それは慣れていないための戸惑いに
分類されるものではないか。ヒュームを
読んだことがないから、ロックを読んだことがないから、
カント、ヘーゲルを研究したことがないから
哲学の知識は無い。慣れないことに
戸惑いを感じることぐらい、哲学の入口に
書いてあるであろう。
結構悔しく思うことは何度もあるはずだから、
それにどのように対処すればよいか、
特段考え込まなくとも、それほど
先哲の教えにすがらなくとも、正面から
ドーンと立ち向かえばよいと簡単に
決心できるだろう。
昨年今年とどれほど悔しく思ったか。
できることも十分やりきらず、できないことも
ほんの少しもできず、負けてしまう事ほど
悔しい事があるだろうか。当たり前の事ができない
悔しさは当たり前だ。でもわたしの悔しさは
人ができないと非難したことをほんの少しでも
やって見せる事ができないほどの悔しさはない
というものなんだ。もうここらへんは、非論理
もよいところ、そして感情的だ。冷静ではない。
なんやなんや、結局そんなものか。まあ
そういうように非難を受けるしかない。
悔しさというものは、切歯扼腕し、地団太を踏む、
当たり散らして、物を壊す破壊する、吼える叫ぶ
唸る鳴く泣く、・・・・・で、静かになる。
静かになる、静かになる、暗闇に潜む、
暗闇に目が光る。これが怖い。
始めから声を出さない、静かである、何も無かったかのよう。
立ち居振る舞いが実に静か。風のよう、いや、岩のよう。
これが怖い、いや魅力的か。
悲しみとよく似ているか。
悲しみと悔しさ。人生の起伏。
いやいや、道が逸れた。いまはスポーツの話し、
ソフトテニスの話し。人生ではない。
増してや、苦しみや悲しみの話しでは無い。
スポーツにおける悔しさに過ぎないのだ。
ソフトテニスでの悔しさでしかない。
もっと鷹揚、清清しくありたい。もっと
スマートでありたいではないか。
私はそうは行かないが、君達はできるはずだ。
格好よくきりりとしてさっぱりとしていてもらいたい。
でも、ちょっとぐずぐず濁り掛けたら
こぼしてくれたらよい。そっと愚痴を聞き流して
あげようほどに。
さてさて、悔しさを晴らす絶好の舞台が目の前だ。
鍛えて耐えて積み重ねてきたものを、自分を信じて
全部出し切ろう。無いものまでも出してしまうほどに
出し切ろう。鍛えてきた日々は確かなものだ。
この確信は揺らがないだろう。絶えず進んで行く
自分を信じることだ。変わらない自分は、この
絶え間ない前進の果てに見つけるものでは無いだろうか。
始めから抱え込んで離さない自分とは、
発見したい自分では無いだろうと、この年寄りは
思うのだけれどもどうだろうか。
「覚悟」というと、だいぶ難しいことであるように
響くだろうか。覚る、悟る、というのも
やはり固いし思い感じがします。
今年はさとる年にしようと考えましたが、
このさとるとは、そんなに重く大きく
堅苦しく考えてのことではなかったのです。
ただ厳しくとだけは意識をしていました。
厳しくとは、鞭で引っ叩くとか
少しの余裕も持たせないとか
の意味ではありません。論理的に
飛躍やすり替えを許さないとの
意味です。余裕を持たないという
意味ではありませんから、誤りを犯しやすい
存在としての日々のあり方としては
ゆったりとして誤ればすぐさま引き返し
直せばよいではないかと緩やかに
考えていました。それでは厳しさが
足らない、誤りなんぞはほんの些細な
ものであっても犯してはならないぞ、と
するのが厳しさだというのもありますね。
この意味では、全然厳しくはありませんね。
厳しさを追究するからと、誤りをなかったことにする
のでしょうか。そもそもこのような考え方は
厳しさに反対することになります。
でも数学がこのような厳しさを持つならば、
結局一人一人の「厳しい」数学となるより
ほかに道はなくなるでしょう。たった一人の
批判があるだけで、その誤りが指摘されるなら
残り全員の擁護があっても犯された誤りを
正さずにはおかないとするのは厳しさとは
言わないのでしょうか。こちらの方の
厳しさを意識していたのです。
そんなにちまちまとしていたら大きなことは
できはしない、と非難することもよくある事かも
知れませんね。そいう評価には関心を持ちません。
論理の上で誤りがあれば、発見された時点で
正しい方に改めましょうとするだけなのです。
その結果、大変なことになろうと、いえ、たいへんというのは
それまでに積み重ねられてきたことが
がらがらと崩れ去って、すべて始めからやりなおさなくては
ならない、とてもそんな事はできはしないではないか、
という判断のことですが、間違いをそのままに
どんなに積み上げても正しくなることはないという
ことから考えると、ほかに道があるとも思えません。
時間がない!となるのが問題でしょうか。
これは問題にするかどうかの問題で、
問題にしない態度をとるなら気にもなりません。
ということで、今年は正しいテニスを
悟ることに決心しようと言ってきたのです。
間違いの上に、結果だけを積み重ね様と
呼び掛けたのではありません。
幸い、学生達は、正しくクラブテニスを
進めているようです。豊かな結果が実るように
願うばかりです。あとは、正しいテニスを
もっと進めるよう声援を送るつもりです。
頑張れよ、焦るなよ、よく考えたら良いんだよ。
考えたら思い切ってやってみよう、間違ったら
直ちに正そうね。
まあ、しっかり勉強することです。
課題とした ①ハート、②ペア・ワーク
③リズム、④ペース、⑤攻守 いずれも
うまく行かなかったということですから、
もう一度挑戦ということですね。勉強を
より深く徹底するということです。
身体の疲れは仕方がないことです。
諦めるということでなく、きちんと
折り込んで乗り越えて行こうと覚悟することです。
したがって、テニスのやり方を工夫するという
ことになります。頭を使うのです。
つまり今までやって来たことをすべて
出し切ってうまくコントロールして
有効に機能させ最大限の効果をあげよう
とするのです。めんどくさいから、じゃまくさいから、
どうせ同じようなものだろうから、
勝てばいいのだろう、結果がすべてでしょう、
とどこか投げやりでは狙うべき結果は
得られません。そんなやり方はしないのです。
できないのです。やってみないで分かるものか、
とは言えません。
となると、精神的にタフでないとこの先を
乗り切れないと予想がつきますね。さあ
開き直ってください。いえ、やけっぱちになっては
だめです。腹を据え、腰を据えて取り組みます。
やるしかないと覚悟を決めて、やれるだけをやろうと
静かに燃えるのです。やるだけをやれば
結果には雑念が残りません。未来への
挑戦が待っているだけですから。
どこかで手を抜けば、それが消えます、念が
残ります。手を抜いてしまいそうなギリギリの
気が何度も出て来るでしょう。これを
耐えるのです、堪えるのです。一方で
残せるような気も感じるからです。二つの
道が何度も現れるのです。なんども耐えます。
そうやって強くなるのです。この強さをもって
戦いに出るのです。
タフネスが要求されます。全員でタフネスを
養成して下さい。みんなやることがあります。
できることがあります。この一年そのように
やってきたのです。いま最後の追い込みに
入ったのです。もっとも燃えあがってやるときなのです。
女子部主将の山口です。
秋リーグの詳細をお知らせします。
日程は、9月21〜22日、場所は滋賀県立彦根総合運動場で
す。
21日は13時試合開始、22日は9:00試合開始です。
この夏の成果がしっかり出せるように、強い気持ちをもって戦い
たいと思います。
応援よろしくお願いします。
失礼します。
男子部主将の逢見です。
七帝戦の結果を報告いたします。
対東京大学
③−2勝ち
対東北大学
③−2勝ち
対九州大学
2−③負け
対名古屋大学
1−④負け
対大阪大学
1−④負け
対北海道大学
③−2勝ち
以上3勝3敗で4位となりました。
入賞することはできませんでしたが、秋リーグまでの残り1週間を
部員一丸となって臨みたいと思うので、応援のほどよろしくお願
いします。
努力がいつどのように報われるか、は
確かに気がかりなことやな。というだけでも、
なんや茶化しているように聞こえるかもしれん。
それほど敏感にならざるを得ないと
言うべきですね。
で、こういうときに、さて年寄りは
うまいこと気を落ち着かせてくれる
役割を果たすことになるか、かえって
気の回らん邪魔な存在になって気を
散らし集中を妨げる役割を果たして
しまうか、難しい局面になったということ
もいえんことはない・・・・・。
バブルに対処する金融政策。グリーンスパン
神話が名高い。バブルが加熱してくると
じわじわ金利を上げる。バブルが崩壊すると
何度か小刻みに金利を下げる。資産価値を
失わないようにするためだ。景気の制御とは
関係なくなる。結局金余りがひどくなるだけ。
景気を常によくしておきたい。経済成長を
大きく維持しておきたい。金の回りをよくして
少しでも必要とする人にどんどん貸し付けて
成長を促そう。金が足りなければ、規制を
緩め借金してでも投資資金を作らせればよい。
危険は分散しみんなで分担すれば怖くないだろう。
どうせ金は余っているのだから、有効活用を
図るべきではないか。
儲かるぞと釣れば引っかかるのが普通だ。
ネズミ講の原理を見破るのはかなりの冷静・理性
が必要だ。儲けたいとの欲で熱くなっていると
なかなか難しい。さらには、通貨とは別の仲間内だけの
金の世界を作れば仲介者への余分な費用が要らないだけ
うまい金回りができるに違いない、是非仲間に入りなさい。
こんな誘いにのるかのらないか、一寸した
きっかけ流れで入ってしまわないか。
熱がなければ動けない。理性がなければ
長い期間を安定して暮らせない。ましてや
浮き沈みの激しい世の中だ。よほどの
冷静・理性が必要だろう。がそんなものを
どうやって手に入れるのか。結局仲間だ、組織だと
なる。そこでは熱だ気合だ、ときには勇気だと
あおられる。
経済事象もクラブスポーツも、なんや似て来る。
おかしなこと考えたらあかん。
落ち着いてよく考えなあかん。
あかんとあかんがぶつかるとあかん。
やれ!やれ!とけしかけに、ほな乗るのか、や。
どういうこっちゃ?
いや、そういうこっちゃ。
しっかりせんかい、千回、万回、・・・・
テニスとは、まあ、そういうもんや(ないか?)
女子部主将の山口です。
9月7日〜11日に行われました七帝の結果を報告いたします。
対九州大学
3−0勝ち
対大阪大学
1−2負け
対名古屋大学
0−3負け
対北海道大学
1−2負け
以上1勝3敗で4位となりました。
優勝は北海道大学です。
リーグまで2週間をきりました。リーグでは今まで練習してき
た成果をしっかり出しきり、結果的に勝ちをもぎとれるように、
残りの練習に取り組んでいきたいと思います。
リーグまでの女子部の練習日程です。
14日午前練
15日練習試合対神戸大学@神戸大学
16日フリー
17日一日練
18日フリー
19日午前
20日午前、移動
21日〜22日リーグ
では、失礼します。
ちくま新書 金子勝さんの
「閉塞経済
ーーーー金融資本主義のゆくえ」
素人には分かり難い、というのが
正直な感想かもしれませんが、
敢えて言えば、経済学の問題を
論じたことになるのか、と疑問が
残りました。
序 戦後最大の米国不況をどうとらえるか
ーーー金融資本主義の経済学
資本主義経済が、「商業資本主義」の時代、
「産業資本主義」の時代、これらを経て、
いまや「金融資本主義」の時代に進んでいる、
といきなり論じます。金融が経済を主導する
時代であるというのです。金が金を生む時代で、
金の動きを邪魔するものはすべて悪になったとする。
そしてバブル病にとりつかれたといいます。
日本もバブル崩壊以後経済が低迷し深刻な
格差社会になっている。時代の転換期にあたり
すべての学問と同じように経済学も金融資本主義を
分析できる能力を持たなければならないという。
これぐらい話しがとんでいると理解ができない。
第1章 バブル経済学
経済学(主流の経済学)の教科書にはバブルに対処する知識が
書かれていない。したがって処方箋は
その場しのぎの後手後手のものしか出て来ない。
結局無策でしかない。さらには、バブルがなぜ
繰り返し起こるのかにもきちんとした説明がない
という。結局バブル崩壊に対する処方箋は経済学に
存在しないのです。需要と供給しか考えないから
需要面からは景気対策、供給面からは効率化のための
構造改革と対立的に考えるだけである。
面白いのは、主流であるサミュエルソンやクラインの
「新古典派総合」に対する異端のミンスキーの
「金融不安定性の経済学」の解説でした。
第2構造改革の経済学
いわゆる「小泉改革」の失敗、いい加減さの批判でしょう。
供給サイドの構造改革と需要サイドの金融緩和
の組み合わせでなにか将来的に成長する
産業を生み出したのかと問います。まあ、構造改革派
のご都合主義的主張は小泉さんの個性と相補的に
作用して熱狂を日本中に人気を博したことは
最近のマスコミの論調で主流となっています。
あまり経済学的な内容は理解されなかったと
思いますね。
東北遠征の京大チーム:
まとまったチームになりました。
実際のところは、私は知りませんが、
勝手な解釈で、期待に胸膨らませるのも
一興でしょうから、ちょっと
その雰囲気をスケッチしてみます。
男子チーム
先陣・・・・
八木・野木組、副:江口・小山田組
本隊・・・・
安藤・矢守組、千々和・羽泉組、田部井・中祖組、
榊山・北谷組、副:吉永・梅原組、松村・上田組、
将・・・・
逢見・貴田組、小柳・赤木組
女子チーム
先鋒:馬場・松田組
副将:手邊・荒井組
大将:片岡・山口組
控え:布瀬・名古組
もう一度断りますが、決して学生の
思いではありません。学生はまったく
独立して考えています。これは私の
遊びですから、そのつもりでご覧下さい。
私はうれしいのです。なかなかまとまった
チームを作る事ができたとよろこんでいるのです。
このよろこびをお伝えしたかったのです。
男子先陣は、よほど腰を下ろして前へ前へ打ち込んで
行かないと本格化しないでしょう。
本隊の戦力は、どこまで粘れるかにかかっています。
粘り方をこの戦いの中で会得して来て欲しいのです。
相手の弱点を探し、相手の長所を押さえ込み、執拗に
ラリーを続けるのです。後衛の気迫もさることながら、
前衛の緊張感の維持が何より大切です。ミスを恐れること、
さらにはミスを恐れないこと、最後にミスをしないこと、
これが実現できるかどうかです。どうやればこんな
おかしな表現のプレーが実現するのか。ユークリッド
幾何だけでは無理かもしれませんよ。
各人の努力だけでなく、チーム全体のまとまり
助け合い一体感から生み出すことです。
将の戦いが勝敗を決めます。負けには必ず原因があります。
なんの不思議もないのです。であれば、理屈を
しっかりすれば、理性を十分働かせば、後は
落ち着いて冷静にプレーして計算通りの結果を
手に入れるだけです。根気が持つか、気が持つかです。
女子の方も同じです。
重心を前足に乗せてプレーするのです。
プレーして1歩前に出る勇気を持つことです。
女子部主将の山口です。
七帝戦の詳細についてお知らせします。
日程は9月8〜11日(予備日12日)、会場は青葉山公園テニ
スコートです。
開始時間は初日は9時、二日目以降は8時45分です。
明日七帝戦に東北へ出発します。
優勝カップを再び持ち帰れるように、戦ってきます。
失礼します。
テニスをしっかりやることに
すべての関心を集中するのやで。
すべての関心を集中する、つまり
こころの集中や、こいつに惚れてくれ。
これに憧れて欲しい。
只管打打やな。
こころをテニスに集中する、
求めているテニスに集中する、
ただしいテニスをすることに
三昧する、のやな。
どう打とうかな、うまく打とう、
強く打とう、格好よく打とう、
うまく見えるように打とう、
・・・・・こんなんええなあ、ものすごうええ。
でもなあ、素直にできるか、
素直にできんかったら、あかんなあ。
できないことをやろうとしたら
あかん、こんなことわざわざ云う方が
おかしい。ほんま、おかしいな。
このおかしなことが、なんでいつも
いつも起こるかな、不思議やないかな。
不思議と違うか。
これを自分が下手なせいにしたらあかんで。
そりゃ間違いやで。めっちゃまちごうとるで。
こういうのは、論理的間違いやで。
うまくやろうとして、全然うまくできなくなった
のや。まるで論理がなったあらへんやないか。
うまくやろうとして変えた事が、原因だ。
慣れないためとか、時間的な経過が計算通りに
行かないため、とかいう練習すれば
すぐに修得できることはたくさんあるが、
できないが、できれば目的が達せられるからと
できないことに取り組むか。それはちょっと
問題設定がおかしい。
いろいろ複雑に考えなあかん。でも考えたらよい
のやからと、なんでも考えた結果や言うのも
そうそう簡単やない。それに道は一つでは無いのや。
われわれの進むべき道は、結構決まっているや。
自由やとは言え、道は一本道とも言えるのや。
真剣に集中して進むべきや。
勝敗の結果だけに意義を認めているのではない。
集中した結果として勝利を証拠としたいのだ。
集中と勝利に論理的なつながりをつけたいのだ。
そして、これが非論理的とも思えるほど
つながらないという不思議を経験するのだ。
なんちゅうことや、と思うのだが、やればやるほど
そう言うことになる。分散と敗北は簡単に
しっかりとつながるな。これもおかしいな。
集中と分散で、なんでこないにつながり方が
違うのか。
まあ、いまは、時間がない。(今日土曜は私は
家内と大阪へ出掛けるので、コートは覗かない)
試合に没頭する、テニスに集中する、
テニスらしいテニスをする事に熱中する。
集中する事に集中する、これが目的だ。
勝つ事にこだわるのは、集中した証しだから。
チームでこころを合わせ、ペアでこころを合わせ、
ボールに注意を集中し、相手プレーヤを完全に理解し、
ただしいテニスをする事に没頭する。
心技体の調和した集中を実現する、これが目的だ。
勉強というとまあ相場は堅苦しいね。
でも、勉強という言葉が一番くだけた
分かりやすい力の抜けた自然な言葉
ともとれる場合も多いのやが、どうだろうか。
「勉強しといて」、「もっと勉強せえいや」・・・
ものの売り買いに、昔はよく耳にしました。
「私は、この際、初心にかえって、
勉強したいと思います。」
「今度はな、こういうことをちょっと
勉強しようと思っているのやが」
「ほんとはな、あれを勉強したかったのや」
「うわーっ、勉強したいな」
なんか、手垢がつかない清清しい態度を
感じますね、私は・・・・。
「もうちょっと、お前は、勉強せなあかんの
とちやうか」
これは親の意見としては、なかなか厳しいもの
でしたね。
まじめに努力する、と言うことでしょうか。
なんであれね、そうそう調子に乗って、軽はずみに
物事をやるものではないぞ、という戒めが
含まれているように思います。
親、先生、先輩、年寄り、そして専門家、
達人、名人。才能に恵まれ、才能を活かし、
機会を得、環境に恵まれ、さらには善悪に
頓着せず、どこか選ばれし人、選ばれるべき人と
得意になって、とうとう人でなしになるような
人でない、何かをひたすらに求めて進んで来た人。
人としてはずべきでない、にもかかわらず、
恥じるべしと戒めを忘れない人。そのような人に
勉強が足らんのと違うかと疑問を投げかけられると
無視してその場を逃げてしまう。でなければ、
素直に勉強するしか道が無い。その意欲が湧くしかない。
田中角栄さんのご母堂が記憶にある。いつでも帰ってこう、
と戒める母を持つ幸せが存在する、だろうと・・・・。
自分が信じた道なら俺は認めるよ、という父親も
多く存在しただろう・・・・・・。
家や血筋の連綿と絶えぬことが必須の条件と
なることから来る教育と強制もまた歴史上有名である。
自己の存在を、それらが守るべき対象より下位に
位置付ける価値観の下では人間の利想像は
修得するのが容易ではなかろう。しかし、とにかく
勉強せよとの強制は過酷になるはず。この勉強は
論題に含めないでおく。
いまはただ、ただしいテニスを、豊かに
上達させようと進んできている道にある
からこそ声を掛けたいと思っているのだ。
七大学戦の試合の1つ1つを勉強の場と
真剣に戦って欲しいのだ。聞くところによると
この10年、15年の試合の様子は、あまりに
応援が試合を妨げている疑いが濃いように思うからだ。
試合を深めるために応援をもっと洗練したものと
することも考えるべきだろう。ムードを壊す
のではなく、試合を高める心配りを率先して
示してもらいたい。これも鍛錬のうち、テニスの
勉強と考えてはどうかと思う。
予想を積極的にしよう。むろん外れることも在るが、
よく当たるのだ。たとえはずれても、そうとはなかなか
分からないほど、見事につながっている、そんな
プレーができるのだ。予想が外れても当たっているように
見える。そんな偽装は??ではない。それがダブルス
の面白さでも在る。だってペアで判断している。
予想しているのだから、二人ともはずすことは
それほど多くは無い。それに前後で時間差が在る。
この時間差を利用すれば相当に隙間は埋まるのだ。
地震予報にも似ているか。P波とS波の伝播速度の
違いを利用する、そんなものは役に立たない、と
無視するのも常識なら、利用できるというのも
合理的だろう。可能性を無視するのも、まったく
認めないのもともに不合理だ。合理とは、全く
普通なのだ。科学とは不可能を可能にするマジックと
理解するならば迷信なのだ。
当たり前、できることをしっかり積み重ねる、
根気を失わない、怖がらない、感性が間違っても
理性で意思を貫くのだ。冷静と落ち着きと
やり抜く意思の強さを養成するのだ。泥臭くて
見栄えが悪いのは承知の上だ。その上に誇りの花を咲かせる
のが清清しさの正体としたい。
今日はこうして 「秋季5策」として
話してきました。
①ハート ②気を合わせる ③リズム
④ペース ⑤打ち込みと受け(投げと受け)
③と④は近国で不足していたことです。
⑤をこの遠征で修得してきて欲しいのです。
①は女子にもっとも求められる所ですね。
むろん男子もですよ。まだまだ他校に負けていますから。
大阪、東京、九州、北海道、東北、名古屋
どこともすばらしいですね。
せめて負けないところまで鍛えましょう。
さて遠征へ声援をおくろうか。フレーフレー京大!
春先には、若手OBのみなさんの
厳しいお叱りと佐藤さんの有効な
助言「戦闘モード」に代表されるように
例年とは違った豊かなテニス論が
盛んでした。私の方は、全く無能力で
これといった方向性を示し得ないままで
ここまできました。学生達はいろいろ
指向錯誤を繰り返し、なんとか少しでも
前進を果たそうと努力を重ねてきたと思います。
最近の練習ぶりを見て今年の目標が明確になったように
思います。「正しいテニス」の内容が
はっきりしてきたように思います。
先ほどの近国での、混乱した試合ぶりは
この目標を掲げることできっと整理され
基本に戻って上達の道をたどるよう
促してくれるのではないでしょうか。
七大学戦への準備は土曜日だけとなりました。
時間はまるで足らないのですが、目標を
掲げたことで練習と遠征の目的は明確になりました。
目的をどの程度達成することができるか、
覚悟を固めてしっかり進むだけですね。
やるッきゃないのです。
今日は時間がとれませんでしたから、
じっくりと練習の様子を見ることができませんでした。
いい加減なことをいって学生の
折角の意欲をそぐことになっては
まずいのですが、いつものことです、
無責任さはそう簡単には回避できませんね。
回避にも能力が必要だろうと見るしかないと
諦めてください。というわけで・・・・
仕事の分担はまずまず理解されている。が、しかし
分業、分担で後は責任論では民主社会では無い。
まあ自由民主党ほど民主的にかばい合い責任を
外へ放り出してしまえとは言わないが、カヴァーと
フォロウでダブルスの本来の面白さを味わうよう
練習しないとテニスにはならん、という不満が
大きい。単にかばい合うというより、もっと進んで
逆襲とか時間差攻撃とか二段攻撃、あるいは
鉄壁の守りなどというダブルス本来のプレーを
実現するところまで発想を進めておくべきだ。
これが京大式軟庭理論と考えるべきなのだ。
これは非難では無い。いよいよこの水準まで
到達するところヘ進んで来たとよろこんでいるのだ。
報じているのだ。
声を出しているか、気を合わせているか、
交叉し入れ替わって有機的に連動して
テニスをする。これはすばらしいことなんだ。
みていて引き込まれる夢の世界ともなるのだ。
午前練は降雨のため中止です。
私がコートに着いた11時頃は
雨は止んでいたのですが、
東西どちらのコートも水浸しでした。
ちょうど岡崎市の水没を(なんせ
全市38万市民への退避勧告が
出されたというのですから、
事情を知らないと、TV映像だけで
想像しては水深2mの水没を
考えていました。山元さんに
状況をお聞きすると、私の想像は
ちらとでも正しいことはなかった
ようなのですが)思い出させるような。
二宮さんが出てこられましたので、
二人で喫茶店に入って小一時間ばかり
話しこみました。近国の試合の様子を
聞いたのですが、今日は二宮さんが
当日気づいた諸点について学生達に
批評を伝えるべくわざわざおいでいただいたとの
ことでした。私は特段注意することも
思いつきませんが、二宮さんは念押しを必要とする
点がいくつかあったのです。
山元さんは大津がひどい降りようで
出られないとのことでした。携帯を掛けて
出て来ないのですかと聞いたのです。
二宮さんが来ておられますよとお伝えしたところ
それじゃあと12時40分にいつもの食堂
へお出でになりました。私と二宮さんは
少し乱打でもしようかと食堂を出たところでした。
まあこうして午後の練習を三人三様の
見方で見守ったわけです。
女子は、午後は自由練習とのことでしたが、
午前練が雨で流れたからでしょう
4人が出てきて練習をしたようです。伝聞情報ですから
正確なことは分かりません。
私は昼飯をとった後ボックスでスタイルする
際に東コートの水取に一人精出す松田に会った
だけです。松田がせっせと水取する姿に
感動しました。やるねえ、テニス心やねえ、
近国なんで負けたんやろうね。むろん滋賀大が
強かったのだけれども、力を精一杯出した上での
敗戦ではなかったと口惜しかったのではないかと
心配したのです。上手か下手か、こればかりを
気にするようではちょっと心が狭いですからね。
下手でもね、いくらでも試合はできるのですから。
感動的な試合は力だけではないのですから。
とにかく蒸し暑くちょっとやり切れない
一日でしたね。でも練習はしっかりやらないとね。