たいへん良いお天気で気持ちが良かったですね。
このところ、朝に家の周辺で鶯の声が聞こえます。
「聞こえるか?鶯が鳴いている。」
「いえ、聞こえない。本当?」
「えっ。あれが聞こえないの。
ほら、今も鳴いたよ。」
「ああ、聞こえた。本当ね。」
時にこんな会話を寝床で交わします。
先月から、東コートでは吉田寮の樹木の中から
鶯の声が聞こえていました。鶯の声を聞きながら
女子が練習するのを眺めたことが2度か3度あります。
山元さんと顔を見合わせて、風流ですねと
嬉しく感じたこともありました。
先日は西コートでも鶯が鳴いていました。鶯も
男女を問わずテニスが好きなんだと楽しかったです。
5月や10、11月であれば、今日の(昨日の)ような
練習であれば90点以上の出来です。
今日は園田さんが前衛のヴォレーを指導してくれました。
1時間ほどですが、見る見る内に上達が見られました。
最近の上田、矢守の上達は顕著でしたが、もう一つ
これというところまではいたらなかったのですが、
園田さんがポイントを一つきちんと指摘して矯正すると
見事に本物のヴォレーになりました。小山田も
一段上達しました。江口ももう一息のところです。
このように標準として良い練習が出来たのですが、
私は欲張りですから、また監督ですから(まあ、
形ばかりのですが、実際は名さえもないものです)、
もう一つの評価も下しておきました。
67点です。
ダブルスのマッチの内容がまだまだということなのです。
当然といえば当然なんですが、それだけであれば、80点以上を
つけます。
なぜ点数が低いか?
勝つための練習、負けない為の練習、団体戦の為の練習
になっていないからです。その意識が足りません。
その各人ごとの課題設定と課題への取り組みがありません。
見えません。あまりに低いテニス理解、あまりに不足する
テニス知識です。それは教える方が悪い!のや。
その通りかも知れません。
いえ断固違います。理解への意欲、知識への渇望が
弱いのです。(昼飯を食いながら、山元さんと園田さん
を相手に回して言い合いをしていました・・・・・)
女子は折角の練習会でしたが、
残念でした。滋賀大学と奈良教育大学の
部員の皆さんには京都まで足を運んでいただいたのに
十分な練習時間が取れませんでした。
午後からは本格的に雨が降りましたから
仕方がありませんね。無理してコートに立てば
風邪を引いて取り返しがつかないでしょう。
男子は11時前からコートへ出て練習を見ました。
バスから降りて東山通りをコートへと歩いていると
バンス!バンス!と今までより少しだけ鋭い
音が聞こえてきました。やっぱり大学対抗で
ちょっと悔しかったのだろうなと、学生達の
気迫を感じました。気持ちだけでなく、テニスの
上達によるものだとたいへん望ましいのですが、
残念ながら気持ちの高ぶりかテニスの上達か
を確かめるだけの練習時間をとることができ
ませんでした。この確認は明日以降になりますが、
天気予報では明日は晴れだそうですから、
明日に確認できるでしょう。明日の練習が楽しみですね。
明日は園田さんが午前中からコートへ出て来てくれる
予定ですので、たとえ雨が降っても楽しみです。
私としては、先日にも書いたように、対決型の
ペア練習がもっとも望ましいのですが、さて
どの程度の内容になるでしょうか。
むろん、必ずこの練習をしなくてはならない
とは決めつけているわけではありません。
自分たちがもっとも必要だと考える練習をすれば
良いのです。たとえどのような練習をしようとも、
批評だけは加えますので、その批評がどのよう
なものになるかは、実際の練習を見てからでないと
なんとも言えないのです。ただ言えることは
適度に辛く適度に甘くという味付けはしません。
これは今までもやったことが無いことは、
経験者はみな知っていることですね。事前に
このように言ってやろうとは考えません。あくまで
実際のテニスぶりを見て思い付くことを
正直に報告することが批評になると考えているのです。
もう少し正確に言えば、正直に報告したことから
次のステップを考えてもらうことができれば、
(あくまでできればの話しです)やっと批評として
意味を持つ、批評となるという考え方をしています。
ただ言葉使いや音声の具合が話しのプロ並には
できかねますので、要らぬ憶測や誤った印象を
与えかねない点が懸念材料ですね。いまさら言っても
どうしようもないのですが・・・・・・・・。
多くのOB、OGの皆さんの御厚意と御熱意によって、
そしてなにより学生諸君の寛容によって、
少しでも意味のある援助ができればと願っているのです。
それでは明日・・・・
蟠桃の考えもすばらしいと感じる部分があります。多くを忠雄の考え方
に
よるとはいえ、もし地球が本当に地動説のいうように公転し自転してい
るのなら
風が吹きものが振り落とされるような事が起こるはずだがと、懸念を
しています。したがって地球が動くのか太陽が動くのか、運動の相対性
を考えれば、結論を出すのはもっと先になるかもしれないなどの
考えももらします。しかし、動いていてもそれと察知できないこともあ
るから、
いろいろと研究しなくてはならない事が多いのだと考えます。
もっとも大事なのは、重力と引力が物体には伴なうのであり、大きく
重い太陽や惑星は引力が強く、地球上の物体は地球の大きな引力
に引かれて落下する重力が存在している。太陽と惑星では、太陽の方が
大きいから引力が大きく惑星を引っ張る、惑星は小さいから太陽を引っ
張る
引力は小さいが(だから太陽は動かない)その代わり運動が大きく
公転するのだと考えるのです。
また、地球も含め惑星6個、月と木星の衛星4個と土星の衛星5個の1
0個の
衛星計16個が太陽の光を受けて輝く。太陽と16個の惑星(惑星を
大惑星、衛星を小惑星と西洋では呼んでいるとします)の世界が
明界(太陽系にあたる)を形成している。その外は暗界で夜空に
輝く恒星は、暗界に存在する別の太陽だというのです。
これは1600年ローマで火あぶりにあったジョルダーノ・ブルーノ
の無限宇宙と同じ発想ですね(ただブルーノはどの恒星にも
地球があるだろうと想像していますが)。
蟠桃が歴象新書からとって書いている忠雄の発想の考えとは;
「およそ人は、自分の知らないことを不測とし、知っていることを
不測ではないとする。しかも、そのまだ知らないことも不測では
ない。そのすでに知っていることもまた、ますます不測である。
不測の不測でないのと、ますます不測なのと合わせていよいよ
不測である。
恒星天のほかに何ものがあるのか。
天の川なぜこのように周環しているのか。
宇宙は何処に始まりいつ終わるのか。
これらはみな不測ではないのか。
およそ天上天下すべて不測でないものはない。
誰が宇宙を建立し、誰が元気を造ったのか。
誰が天地を生じたのか。
誰がもろもろの星を生じ、常動常静の規則を定め、引力強弱の
規矩を定めて、大小さまざまの星の配置状態をさだめ、
そしてそれらを推し動かしているのか。
誰が引力を作って、元気をして屈伸変化せしめて、織り合わせて
水火金木となし、またその五行を織り合わせて、物を生じ
人を生じたのか、人に天地の道理をわきまえさせるのか。
それもまた不測である。
天地の道理をわきまえるゆえんのものも、また不測である。
不測を不測に合わせて、またいよいよ不測である。」
科学や認識について考えるとき、多くの人が問うことになる
問題でしょう。
教育を受けると直ちに真理を会得することができるなど単純に
考える段階をいつどのように通り抜けて行くのか、行くべきか、
この場では論じませんが、大学改革が流行りの現在、学生の皆さん
には、怠惰に過ごしている時間はないのではないでしょう
か・・・・・・・・・
せめてテニスに打ち興じてもらいたいと思っていますが。
またまた間違えました。
チコ・ブラーエの宇宙論を採ったのは三浦梅園です。
混線しました。山片蟠桃は地動説です。
そもそも蟠桃は大阪の懐徳堂に学び中井竹山、履軒を師としました。
竹山の心友として 豊後の国杵築藩士綾部(ケイサイ)の長男
妥胤(やすたね 富阪)がいますが、その弟(ケイサイの4男)妥彰
(やすあきら)が麻田剛立です。この剛立が脱藩して竹山を頼り
大阪に出ます。蟠桃は剛立について天文学を学びました。
梅園はケイサイを師とし、やはり剛立に天文の知識を求めています。
ところで、蟠桃は志筑忠雄が訳した「暦象新書」によって
地動説を理解しています。この本の元はニュートンの弟子である
オックスフォード大学教授ジョン・ケイルの著書(1700年発刊)
で、
これの英語版(1702年刊)を1741年ライデン大学教授ヨハン・
ルロフスがオランダ語訳したものを忠雄が和訳したものです。
といっても単純な訳本ではありません。20年もかけて完成したもので
す。
自分自身の考えもしっかり入れて書いたものですから、
蟠桃も信を置けたのではないでしょうか。説得力があるものとなってい
た
ように思います。事実蟠桃は暦象新書から多くの主張(つまり
忠雄の思想)を自著「夢の代」に採用しています。
梅園は1723年生まれで、蟠桃は1748年生まれです。剛立は二人
の
中間に生まれています(1734年)。ニュートンが「自然哲学の数学
的
諸原理」(いわゆる“プリンキピア”と呼ばれている本)を出版したの
は
1687年です。梅園がなぜ地動説でなくチコの説を自信を持って
取り入れたのかは分かりません。分かりませんが、学問とはどのような
ものか
についての考え方、というより実践のあり方が各人各様のものであった
と考えると、時代的なものも含めてたいへん興味深いように
感じます。
サイエンスといってしまうと明確な態度が存在していたかのように
思えますが、古代ギリシャの哲学の誕生から、近代科学の誕生、
そして現代の自然科学の流れを追いますと、単純な思想の発展
などという理解は安直過ぎると考えざるをえないでしょう。
アジアにおいてのインド哲学とインドの宗教の誕生、中国哲学
もしくは宗教としての儒教・儒学と道教・道学の誕生、それらを
受けての日本の哲学と仏教さらには政治が、いかに近代化してきたか
という問いにどの程度多くの共感と未来への態度を連続させているか。
いかにも日本らしく危険な要素を抜き取り矮小化して混ぜ合わせ
なんでも入れてあるから上等もんだと独り善がりに盆栽していると
自嘲することも考えてみるべきではないでしょうか。
WBCの連覇は、もう少し自信を持っても良さそうと鼻を高くする
御仁も多くなるきっかけになるやも知れませんが、私は
もう少し疑い深いみかたをしています。
いう話しがあるようです・・・・・・。
ずいぶん昔に買った本ですが、「日本の名著」
の23に、「山片蟠桃,海保青陵」責任編集:
源了圓を持っています。これを読んでの怪しげな
にわか知識です。山片蟠桃はご存知の方が多い
はずです。江戸時代の啓蒙家です。「夢の代」
の著者ですね。チコ・ブラーエの宇宙論を
信じた人です。もう一人の海保青陵は、山片
より少し若く1755年に生まれました。
お父さんは、丹後宮津藩青山氏の家老の
角田市左衛門です。このお父さんは青渓と
号して、荻生徂徠の弟子宇佐見(シンスイ=
大塩平右衛門)の門人です。宮津藩を出なくて
はならなくなり江戸へ出て、10才の時から
お父さんと同じくシンスイの門人になります。
また16、17才のときは将軍奥医師の
桂川甫三の家に生活し、甫三の息子甫周と
兄弟同様に暮らします。この甫三という人は
パトロン的な器量を持つ人で、世間的付き合いよりも
学問的な集まりを好む朗らかな性格の人だったようです。
平賀源内もその中にいます。「解体新書」の訳業を
支えた人でもあります。息子の甫三は杉田玄白らに
協力するよう指図されてもいます。
この甫三に「お前ら儒家は馬鹿だ。頭が硬い。」と
あるとき(刀の目貫の評価について)ののしられるのですが、
その後、茶杓の評価について茶道具屋と問答していて、
千利休作の茶杓といっても、できが悪ければ評価は低く
(つまり売値が低い)、小堀遠州作であっても出来が良ければ
評価が高い。結局は名前ではなく、作品の出来・不出来で
評価が決まる、ということを理解して、たとえ作者が偽りと
分かっているものでも(普通なら、贋作となるので
商品としてはまがい物となるはずだが)出来の良い目貫に
名人が作ったものと説明がつく場合があることを納得した
際に、甫三から「歳を重ねて学問したら、馬鹿が直るだろう」
と言われるのです。「天王談」に書いていることです。
普通は何でもなく気にとめない事や、物分かりが遅く
なんでも人が理解を示す事に、納得が行くまで
追究してやまない性格の持ち主です。
青陵は、その後宮津藩に使えますが、そのうちそれも
辞して、35才からは全国を旅して回り、今で言う
コンサルタント業をやりました。
あるとき、日蓮宗のお寺に泊まったとき、本堂に
日蓮上人を中心に、一番下に外道の魔卒、それを踏みつけに
する武器を持った四天王、上人の蓮座の下に菩薩がニ体。
文殊菩薩が獅子に乗り、普賢菩薩が象に乗っている
という像で、共に表情はにこやかである。左右の肩
の高さには、如来様がそれぞれ雲に乗って上人を護っ
ているように見える、という須弥壇に気をとられる。
やがて、これは修行の段階を説き戒める意味を持つと
理解する。これも「天王談」に載っている話しです。
女子部副将の荒井です。
3月28日に行われました大学対抗の結果をお知らせします。
予選リーグ
京都大学A 1−② 滋賀短期大学A
京都大学A 1−② 立命館大学C
京都大学A 0−③ 同志社女子大学B
以上のような結果となり、リーグ4位で29日の決勝トーナメン
トにコマを進めることはできませんでした。チームとして1勝も
挙げることができず残念な結果となってしまいましたが、向かっ
ていく気持ちを持って試合に臨むことができました。しかし大事
な場面で簡単なミスが出てしまうなど課題もたくさん見つかりま
した。春リーグまでに各自が課題を克服し、さらにレベルアップ
していけるように頑張っていきたいと思います。
4月の練習日程は以下の通りです。
1フリー2紅萌祭(午前新歓、午後練習)3紅萌祭(午前新歓、午後
練習)4練習試合5フリー6紅萌祭(午前新歓、午後練習)7入学式
(午前新歓、午後練習)8〜新学期11午後新歓練習会、バーベキ
ュー12午前18、19関西ダブルス
(9日〜22日の火水木は午前7時より強練)
4日の練習試合は京大にて、滋賀大学と奈良教育大学と対戦しま
す。8日以降の平日は4,5限に正規練を行います。
リーグの日程、会場につきましては正式に決まり次第お知らせし
ます。
4月は授業もあり、なかなか全員がそろって練習することが厳し
くなってくることと思いますが、各自短い練習時間を有意義に過
ごし、春リーグに向けて頑張っていきたいと思います。
失礼します。
あまりおかしなことではないのですが、
それでも寒いことは寒いですね。
じっとしていると寒さがこたえました。
4時を過ぎると立ち上がって動いていないと
寒くて膝が痛くてちょっと辛抱できない程でした。
学成達もやはり寒いと感じていたようで
なんとか動いていようとしていました。
とともに少し疲れが溜まって来ているのか、
もう一つ元気が出ていないように感じましたね。
若さの爆発と、年寄りが無責任に囃すのもどうか
とは思いますが、それでももうちょっと元気が出ていると
よかった。でも明日の試合を控えて少し
調整しているのかもしれませんね。
さて、明日は試合ですが、大いに楽しんできて欲しい
と思っています。戦う気を十分発揮した上で
勝負を挑んで、その事を楽しんできてもらいたいと
思っています。もっとも今望みたい事は、試合で
このプレーをしたいから、つまりこの守りを
完全にしたい、この攻めを得意のプレーに数えたいとか
の意欲によって、1分でも1秒でも基本の練習の時間を
とりたいという練習の仕方ですね。後衛練習にしろ
前衛練習にしろ、どちらにしても前衛後衛のペアで
取り組む練習の事です。どちらかのための練習ではなく
どちらの為にでもなる練習です。後衛が攻める、ならば
前衛は守る。前衛が攻めるならば、後衛が守る。
対決型の練習です。真剣な対決になればなるほど
練習の水準が上がります。春リーグだけでなく、夏の大会
にむけて、いえいえもっと先のでっかい目標に向かって、
つまり自分のテニスの飛躍に向けての真剣な練習です。
単に上手くなる、上手になる、ということではなく、
もっとすばらしいテニスを、もっと楽しめるテニスを、
もっと創造的なテニスをと、大きく広い気持ちをによって
突き動される練習です。そうです。勝つためのテニスです。
勝つ事がどれだけ楽しい事か、うれしい事か。簡単には
味わえないからこそ、しかし決して夢ではなく、やれば可能な
目的になるのですから。1本をいかに守り切るか、
いかに奪い取ってしまうか。意地を張り、根性を持ち、
執念にとらわれる、ということを実際に表して見せないと
可能性はなくなるのです。そのような言葉をいくら口にしても
行為として実現してしまわないと勝つ事はできないのです。
実現するとどれくらい爽快か。それが勝つという事です。
相手の問題かのようですが、自分の問題である部分が
たいへん大きいのです。しかし自分だけの問題ではありませんね。
偶然、自然、時・場所の利、の要素が絡んできます。
この不特定な要素とコラボレートする楽しさを味わう事の
どんなに愉快で面白い事か。競う相手の活躍がどれほど
甘美な味付けとなるか。相手が存在する事がもっとも大切な事
だと実感する事がスポーツの楽しさですね。
そういうテニスの世界へ今年も出発です。
春用仕様でなく冬用仕様で臨みましたから。
風が強くて寒かったです。防寒対策は抜かりはありませんが、
風にさらされた顔や手足の部分はかなり冷えました。
熱い飲み物までは用意してなかったので、鼻水
をたらしながら練習を見ました。
風が舞い複雑に球を揺さぶるので、少しでも気持ちが
逃げると上手くコントロールできません。ですから
みんなよく頑張って練習したと評価することができます。
意欲だけでなく技術的にも上達していることが分かります。
だから、テニス観が欠けているところがよく見えます。
ラリーの中でプレーを考えていないところが
あらわになります。予測ができていないところが
目立ちます。そこを見守っている周囲が鋭く指摘できる
段階にまだ達していないので練習の水準が低いままです。
意欲はありますから、感情の方が刺激されてあらぬ方向に
流れやすくなっています。感情が荒れては練習が
練習でなくなりますが、技術的精神的課題の方に注意が
向かない場面がよく現れるようになっています。
今後はサッカーやラグビーのように笛を吹こうかとも
考えますが、交通整理でもあるまいにと、ちょっと
躊躇しています。「ピー、ピッ」とやれば、練習課題だな
と分かって感情を押さえて技術的もしくは精神的な
問題を解決する冷静な練習をすることができるのではないか。
楽しさが生まれるのではないか。何年も前から考えて
いるのですが、大学の校内という環境では、ちょっと
理解を超えているかと控えているのです。
岩崎、沢田、中瀬、林の4名が胸を貸してくれていました。
マッチではいま少し追い付けなかったようでしたが、
現役が見落としていることに、技術的な水準以外の
差の問題があります。特に前衛なら気がついているはずですが、
意識的に差を見つけようとしていないと私は思います。
何か現役同士でマッチをする場合と違う点があるはずです。
マッチのやりやすさ、やり難さを感じるはずです。この原因を
探って欲しい。林君の方がマッチがやりやすい、少しは
対決した実感を得やすいのではないか。負けっぷりが激しい
かもしれないから、強さを感じやすいかもしれないが。
岩崎君にはやり難さを感じるのではないか。でも
意外とポイントは取れるときがあると感じて、もう少し
ミスを無くせばもっと競ることができるのではないかと
思うかもしれない。このような差をよく考えて欲しい。
ヒントはテンポにあります。3拍子か4拍子か。
6ビートか8ビートか。変調するかしないか。
自分の拍子はなんだろうと考えてみることも。お調子に乗るのは
どうもいただけないのだが。お調子者が天下をとることも
ないわけではないのだが。
楽しんでいるのか、嬉しく感じているのか。
もう一つはっきりとは見えないのだが、
瞳は輝いている。曇っているようには見えない。
面構えがもう一つ迫力がない。躊躇している
はずはないが、思い切って挑戦しているところまでは
見えない。大胆に挑戦するとは、目標を定めたら
その実現をなんとしても達成するまでがんばることだ。
目的に達するまではひたすら進む。途中で怯まない。
怯まずに進む。これが大胆さだ。
ストロークミスをなぜやってしまうのか。
絶対ミスしないように注意しているのに、
ミスを犯す。注意が注意でなくなっている。
ここを直す。苦しくなってミスをしたのか。
苦しくなったとは感じてないはず。感じたのは
注意を守ったから、ミスを避けようと意識して打った
記憶があるはず。これがミスの原因となる。このように
一度考えてみればよい。思い切りが欠けた。大胆さが
消えた。勝負を賭けていることを忘れた。
つなぐのにも勝負勘が必要になる。必死でつなぐ、
夢中でつなぐ。こういう時はミスは無い。
前衛のレシーブ。安全に返すだけ、のはずが単純なミス。
夢中になっているとミスはないが、ミスを避けようと
意識するとミスが出る。ミスを犯すのだ。
ミスを犯すのは、ミスを犯す可能性を意識するから。
自信がないことが原因だ。自信がないなら、自信が
持てるまで練習する。この練習に取り組まない。
自信が持てると確信できないからだろう。結局結論は
単純なものだ。自信を持てるようにする練習をする
意思が持てないのだ。
ここまで来ると、頭の中は爆発寸前になる。明確な
不可能を突きつけられたと理解するからだろう。
なんだ単純なことだな。それならこうしよう、ああしよう、
と練習すればよいだけと割り切ることに思いが及ばない。
不思議なことだが、大体そうなるものだ。私もそうなった。
不可能という理解は、頭を爆発させるらしい。
動物は不可能と考えると、別の道を行く。人間は
爆発する。なんとも不思議なこととしか言いようがない。
数学が嫌いだと言う人が多いらしいが、不可能を感じるから
かもしれない・・・・・。可能な道を探すだけとは
思わないのだろう。
前衛、後衛。まもることが主たる任務。
守衛とか防衛。守るけれども攻める。攻めるけれども守る。
戦うことになる。勝敗を競うことになる。
正確に受け、正確に受けられつつ押す。
正確かどうかは練習で会得する。脅しやすかしに
欺かれることがないにする。身体が反応することも
よく理解し利用する。躾ることも要領となる。
特に前衛はよくよく練習する必要がある。基本中の
基本ヴォレーでも、この点に注意して練習する。
その成果がマッチに見えない。練習していないからだ。
どのようなラリーを歓迎するか。テニス観やな。
表通りに急に飛び出して、走る車の窓から手を入れて
何か金目の物を盗み盗るようなプレーではない。
こんなことできないだろう。危険過ぎる。
ヴォレーがだめなら空を行く。これがテニスやな。
そうなると空を行く球を決めてやろうか。
よし、やってやろう。ネッと近くに落ちてくる球は
、こんなもんは対象外や。相手の打ち損じだ。
相手のミスや。これは確実に決めるべきやな。その理由は
○○○○。その練習をしているか。しているよな。
まあ大体しているな。ちょとはっきりせんけど。
狙いは相当速く飛んで行く空の球や。なんでもかんでも
というわけには行かない。当然的を絞る。ラリーの
なかでどういう球を狙うか。狙いをしっかりしぼらな。
練習は絞り切って、少しずつ1本1本修得しよう。
上げボールが重要や。ペアを組む後衛が一番頼りになる。
ラリーの中で、こういう球をシュマッシュするのやと
ペアで了解する。前衛を育てるとはこういうことや。
相手はそんなに簡単に注文にはまらない。狙いから
どこか少し外してくる。その時どうするか。決めら
れないときやな。最善なら決めるが、次善にはどうするか。
むろん優位を確保するようにする。これも練習しておかんと
あかんわな。やってるか。見たことないな。ほな
何してるんや。・・・知らん。われわれはやったな。
この程度のことはまあ、誰でもやるやろ。
緊迫すると、できることもできん。
WBC。誰もが身につまされたやろうな。
まあ、ようがんばったという人が多いけれど・・・・。
だから練習を、日頃からの練習が、そしてスポーツ観
が問われてしまうのやろうな・・・・・。
なんて聞くようじゃあピンぼけだろう。
だって、そのように練習すれば良いからだ。
そのようって?・・・・・
だから、・・・・そのようにではないか。
つまり、ラリーのイメージがあるから、それを可能にする
ストロークを修得練習をするのだ。
でも、どう打てば良いのか、どう走れば良いのか、
どうラケットを振れば良いのか、・・・・
いっぱいあって困るやないですか、ちゃんと教えて
もらわんと・・・・。。。
意思があれば練習できるのか、意思だけあっても
練習ができないのか。
結構哲学的やな。悩める青年や。
(年取ると、青年が悩むのや、となるけど・・・・)
前衛は、スマッシュか、ヴォレーか、・・・・
ラリーやろな。自分がいて、どうラリーが続くのかから
始めるといろいろ発想が膨らむのやないか。
そら、ヴォレーミスがあると、相手はそのミス
を狙うかもしれんな。まさかミスはないと前提してくれる
ことはない。いろいろ打つよりミスが当てにできるなら
ミスを狙いに来るやろ。邪道やけど。邪道やけど、
本来のやり方や。その理由は○○○○。なぜ邪道か、
その理由は○○○○。だから基本のヴォレー練習となる。
基本が修得できると、邪道は邪道であることが明白となる。
ネット際の落ちる球、あるいは打ち下ろして来る球。
これをヴォレーするのはミスしやすい。決め難い。
だから狙ってくる。これは作戦の内だ。必要があって
やってくるのだから、対抗できるかどうかが勝負となる。
勝とうと思えば、練習するしかない。苦手なら
後衛に深い球を打たせることになる。必ずバックライン付近に
球を落とせと要求する。無理な時は、短く低い緩い球を
打たせる。ペアの戦略やな。
高い球をヴォレーするのが得意なら、どんどんシュート
を打たせたら良い。立つ位置を中央に近づけて、サイド
パッシングとラリーの維持の選択を相手に強要する。
それだけの練習を積んで、サイド攻撃を歓迎しながら
センターも押さえるヴォレーの技量を高めることだ。
そのように練習をしているか。見たことないな。われわれは
やっていた。
新しい自分を求めて自分自身に挑戦する
創造する時期、作り出す時だ。
後衛は、特にダブルスの後衛として、
どのようなラリーを実現するか、その為の
グラウンド・ストロークをいかに修得するか。
そのラリーとストロークの前提となるテニス観は
如何なるものか。対して前衛の技術はどうか。
後衛からでなく、前衛から発想すれば、
前衛は、特にダブルスの前衛として・・・、
前衛はシングルスのものではないから、ダブルスしか
考えられないではないか。いやいや、その意味では
後衛の場合の議論がそもそもおかしかったのだ。
後衛はダブルスのものでシングルスには後衛がない。
でもなんとなく後衛はシングルスにもあるような
錯覚があった。シングルスのストロークは、
グラウンド・ストロークが多いのだが、ダブルスのストロークと
同じだと判断してしまうのがちょっと理屈に合わない。
実際に同じなら、後衛がシングルスに強いはずだ。
しかし本当にそうだろうか。大いに疑問ではないか。
一人でコートを(狭められているとは言え)全部カヴァーする
ことを前提にラリーを交換する、維持すること
で成り立つマッチがシングルスである。どう動かすかと
どう粘るか。動と静の組み合わせが面白い。が二人だけの
対決だから、どうしても単純になり粘る方が勝つことになる
道理であろう。ただ粘り方が問題で、プレーヤーの
テニス観が面白いところだ。ストロークに対する考え方が
必ずプレーに現れるものだ。しかし基本技術としては、
決める球とつなぐ球、押す球と引く球、相手の手を見る球、
相手に打たせる球の区別はストロークとして必要だろう。
ダブルスのストロークはどうだろうか。
ネットに付く前衛、ネットから離れて立つ前衛、
動く前衛、動かず待つ前衛、サイドに強い前衛、
高い球に強い前衛、縦に良く動ける前衛、スマッシュを追える
前衛、これは相手の前衛のことでもあるし、ペアを組む
味方の前衛のことでもある。ずいぶんと組み合わせが複雑で
あるが、とにかくその中からいくつかの代表となる
組み合わせについて主要なラリーを選び出してそれを維持する
ストロークを修得することになる。要領はシングルスと
似たことになるものもあれば、そうではないものもある。
が、現在の後衛陣のストロークに意識的な分類は
見て取れない。最近ペアの位置取りが明確になるまで
同じコースにラリーを固定する意思が芽生え出している
ことは評価できる。がまだまだテニスになる段階ではない。
駆け引きが実現するまでには至っていない。もっと
ロビングを有効に活用しないと実現できないだろう。
といって、無闇にただ上げれば良いだろうというのでは
ラリーにならない。校内では通用しても対外試合では
通用しない。シュートとロビングが同じようなしっかりした
技術で打たれないのであれば通用しない。シュートを打つなら
どこにどのように打つし、ロビングならどこにどのように打つかが
両立していることが前提となる。両立しないのであれば
劣勢であろう。よほどしっかり打てなければ負けるであろう。
その為の練習が必要となる。つまり両立する場合のストローク
と両立しないときのストロークを心して練習するしか無い。
やっているか? 見たことがないな。われわれはやったな。
コートに出るためにいつものバスに乗っていると、
木村敦子さんが同じバスに乗り合わせてきました。
が、乗車した停留所が一駅ずれていたので、あれれ
よく似た女性だなあとしか思いませんでした。
幸い彼女の方が気が付いてくれたので、やれやれ
良かったと、胸をなでおろす思いでした。
歳をとって老眼が進むと自信が無いのです。
若い頃ならまず間違えることはないのですがね。
私は杖を持った老人。彼女は颯爽とした若い女性です。
私は座っています。と、なんと前の席に座っている
ご婦人が、木村さんに席を譲ろうと申し出てくれる
ではありませんか。木村さんは当然びっくりします。
ほとんど意味が分からないからです。でも私は
分かりました。きっとご婦人は木村さんを私の孫娘と
見たのでしょう。木村さんの若さと私の老けぶりが
ご婦人に与えた印象だったのです。私はなんとなく
嬉しくなりました。
赤木が風邪を引いてまだ治りきらないようです。
風邪を引いても、責任感の為か、コートへ出続けて
いるようですが、ちょっとプレーに冴えが無い。
こういうのはなかなか難しいのですが、きちんと直す
こともテニスのうちとする考え方が大切です。朝起きて
鏡を見て、大丈夫な面構えをしているかどうかを
点検してみてはどうかな。目に光りが足らなければ
休んでも良いのではないか。
力を一点に集中させる技術。技術とは何だ?と
考えるならば、力の適切な使用を可能にする
身体と道具の使い方だとするべきではないか。
力の使い方が本物になれば、面構えが変わって来る。
WBCの対アメリカ戦に見た日米プレーヤーの
フォームは良いお手本に見えた。ジータの打撃。
小笠原の打撃。馬原やダルビッシュの投球。
上手く投げた、上手く打った選手のプレーは
全部該当する。しっかりしたプレーを前提にして
勝敗を争う戦いをする。勝って奢らず、負けて悔やまず。
闘い方の良し悪しと偶然の織り成す勝負のあや。
スポーツの戦いの面白さを見る。
本当に、寒さを感じました。
4月に雪が降ることもありますから、
これぐらいの寒さ、「桜冷え」?とか
言うらしいのですが、どうと言うことは
ないのですが、私もずぼらを決め込んで、
そうですね、地球温暖化を口実にして、
寒さ対策をすべて止めてしまったのです。
防寒をしないで、春用仕様でコートへ出たのです。
陽射しは時々射すのですが、風は冷たく止むことが
ほとんどなく、午後3時頃よりじっと座ってい
られなくなりました。これくらい冷えてくると
膝も神経痛の痛みを間断無くもたらします。
どのように体勢を変えても痛むのです。
寒さと痛さで、とうとう最後まで練習を見て
いられなくなりました。
「あかん。凍えてしもうた。帰ります。」
時間は午後5時少し前でしょうか。
乗ったバスの窓越しに見た風景ではミーティング
をしていましたから、5時過ぎに練習は終わったのでしょう。
中瀬君がコートを覗いてくれました。そう言えば、
昼飯に百万遍に出たとき、体育館で大学院の卒業式
(修士、博士の授与式)が行われていましたから、
思い出しました。中瀬君おめでとう。これで本当の
卒業生やね。社会人になってもテニスを是非続けて
欲しい。そして時々コートへ戻って来て欲しい。
現役達に胸を貸してやって欲しい。岩崎君や石川君、
佐々田君、林君らも卒業ですね。みんな本当に
おめでとう。
練習は、それなりに集中して来ています。
悪くはありません。田部井が少し打てるように
なって来ています。榊山が時々力強いストロークを見せます。
八木がちょっとパスを通します。吉永が1試合に
1本か2本だけしっかりした球を打ちますから。
逢見が5本程度ラリーを持ちますから。小柳が
結構複雑なショットを試みていますから。
前衛陣も、意欲的ですよ。
上田、矢守、中祖、梅原、北谷らは
それぞれ1段上昇する課題が明確に意識されています。
ぼーと無為に時間を過ごすような姿が
消えています。互いに誘い合って、試合の合間合間に
いろいろと研究し練習に励んでいますから。
短い球をバンバン打つだけではテニスではない。
バンバン打って勝つ自信が持てないとテニスではない。
後衛はダブルスを想定すれば、相手前衛の機能を
考慮に入れてのバンバンであるはず、それが
練習相手の後衛のことしか考えて、いや見ていない
のではないだろうか。バンバンは練習になっていない。
と言って、それでは軽くつなげば良いか。それで
勝つことになるか、まだバンバン打つほうが
勝てるのではないか。
ボールを見てからちょうど追い付いてボールを殴るだけ
では勝てないのではないか。もっと先を読んで
どう勝つのか算段をしてバンと打つと良いのではないか、
勝つとはそのように自分の打ちかたをすることではないか。
当然相手はそうはさせじとストロークを工夫する。それを読む。
その先を考える。肉を切らせて骨を断つのでも良い。
無理をするとミスを犯す蓋然性がます。気分が続かない。
根気が続かない。だから無理は控える。ギャンブルは
仕掛け時を間違うと一挙に形勢を悪くするので危険である。
が勝負時を持て無いようでは勝負根性は養いえない。
機の熟すのを待つ、この根気が大切だ。これを練習で
養いたい。
長い球を有効に使う。つなぎのボレー、スマッシュも
憶えよう。決める球か、つなぐ球か。姿勢が悪いと
そんな選択は不可能でしかない。常に腰を安定させ
ラケットを正確に操作する。最善手から次善、三善、
とにかく相手コートに返すだけまで、選択に
躊躇は禁物。選択したらミスなく実行あるのみ。
まだまだラケットの操作が鈍い。ほとんどテニス
になっていない。沢田さんが楽々と操作して
鋭いのといかに違うか。見てよくわかるはず。
まだまだ見方が甘いのではないか。甘くないというなら、
なぜ聞かない、もっと鋭くするにはどうすれば良いかと。
軽いゴムマリ、小さなゴムマリと、軽く見るから
誤解する。試合で勝ち負けを争っているボール。
決めるにはどうするか。適時性、順序性、幾何学・力学、
頭脳力、などが必要だ。が力も必要なんだ。
必要なだけの力を、最小限度をちょっと超えればよい。
でもちょっとの力ではない。ラケットの振りに必要な力は
相当なものだ。でも腕が折れたり肩がつぶれるほどではない。
骨どころか筋肉さえ痛まない程度だ。がちょっとではない。
腰、あるいは胸か腹から直接ラケットに伝わるような
力の伝達が欲しい。肩や上腕と前腕、そして手首、最後に
ハンドルを握る手のひらと指。みんなが今やっているのは
肩から先の腕の振りだけだ。力を伝えるのは、これらの
曲がりくねった経路だが、上手く組み合せ、上手く
運動させると、体の重心から直接ラケットの面、ボールへ
力が伝達されているようにプレーできる。
これが今もっとも課題になる練習目標なのだ。
昨日の好天気とは打って変わって
雨が降る天気でした。午前8時前に
起きてみると、あまり降っているような気配が
ないので、よし!出掛けるかと朝食も簡単に済ます気で
用意を始めました。が朝刊を取りに外へ出てみると
少し降っています。朝刊の天気予報を見ると
微妙です。午前中は5mm未満の降雨。
午後からは5mm以上の降雨との事です。
いまどきは少々の雨ではテニスができる。
試合ならなおさらだ。この時期だ、ちょっとでも
練習したい。じゃあ出掛けようと出て来ました。
少しでも早くコートへ着きたいので地下鉄を利用します。
今日は都合良く行って約30分の短縮となりました。
午前10時過ぎにはコートへ着きました。気迫が
勝ったのか雨はあがっています。
学生達は午前7時段階で結構降っていたそうで
午前練習は中止と決めて電話連絡したそうです。
なるほど、手早い合理的な処理です。少々の雨でも
雨中の練習は格好は良くとも今後のことを考えると
焦りは禁物。もしそんなことになっていたら、どうやって
風邪をひかない注意を徹底しようかと気をもんでいました。
堅実に進むことが何よりです。
午後は1時から習合して練習が始まりました。
全員漏れなく集まっています。気迫もこもって
テニスらしくなっています。貴田君も参加して
全員が練習できます(奇数のメンバーでは誰か
ひとりペアが欠けますから)。ストロークの
失敗はかなりコントロールできています。声も良く出て
足もよく動きなかなかのテニスぶりです。
空はどんより曇ってちょっと暗いのが残念でした。
前衛練習。姿勢を正して良くボールを引きつけ
迫力も感じます。もっと上手くなれ!と念じて。
しかし午後3時を過ぎると急激に空模様が悪化
して、3時半になる前に本格的に降ってきました。
で私はコートを離れました。雨具を着け傘を持って
いましたから雨に濡れることはありませんでしたが、
気温の低下と降雨にひたすら帰宅への思いが強く
なっていました。
もう少し明るく朗らかな態度が欲しい。
そして自分のことに集中するだけでなく、
仲間を良く見る目を光らせて欲しい。そんな
簡単なミスをするな!もっと正確にプレーせい!
後衛は前衛を、前衛は後衛を、相手の目を、まなこを
しっかり見て欲しい。何をしようとするか見抜いて欲しい。
スポーツの闘う姿勢をまず面構えに表してもらいたい。
実によいお天気でした。昨日の
春分の日は風が少し冷たく、
午後からは雨模様になりました。
父の墓参りに寺へ参って
早々と帰宅の徐についてしまいました。
しかし今日は朝からお天気が良く、
ぽかぽかと暖かく風もない。
こんな春の日は、自然と足が
コートに向かってしまったものです。
こころはテニスに奪われてしまったものです。
それに桜が咲いている所もあるかもしれない。
どこか知られていない、いえ私が知らない
だけの、早咲きの桜の木が見つかるかもしれない。
ふらふらと足は京都へ、左京区へ、吉田へ
と向かってしまいました。
コートは、学生がちらほら。
西コートは、6名ほど。
1コートは空いています。
東コートは3名。2コートは空いています。
新入生の為の催しでもあったのか、
どうか知りませんが。
明日の天気がすこしでももってくれる
ことを願うばかりです。
折角だからとあちこちへ出て見ようかと
迷ったのですが、膝の調子が良くなくて
少し痛みも続くようなので、あっさりと
家路についてしまいました。
それでもやっぱり疲れてしまいました。
家に帰って夕飯の前に1時間ばかり
眠ってしまいました。
私のは 超、駄、冗、長文になってしまうのか???
合宿ご苦労さん。疲れたでしょう。
まだ始まったばかりやから、
ここで疲れてしまってはこれから先が
心配になって来る。まあ、今日一日は
ゆっくり休んで、気合いを入れて練習に
取り組んでください。
男子の練習を午前11時から見ました。
午後の練習は、さすがにくたびれて
最後まで見ることができませんでした。
今日のような暖かさになると、日中に
外へ出ているだけで疲れますね。
さて男子の様子ですが、昨秋の実力を
回復しました。85%から90%には
回復しました。いつでも公式戦に入れます。
後は、どこまで臨戦体制に入れるか。
入ったら維持できるか。臨戦体制のままで
試合のいろいろな場面のシュミレーションをして
慣れることと、より上手くプレーすることに
どれだけ時間を掛けて根気よく練習するかで
結果が違ってきます。団結心とチームワークも
養って行くべきです。それに新入生の受け入れ体制も
万全にしなくてはなりませんから、部としての
仕事も分担して上手くこなす必要があります。
テニスのプレーだけに没頭すればよいというわけには
行かないでしょう。結構気配りも必要ですから、
心ない一言でやる気を無くすようなシーンを作らないだけの
注意も必要です。
こういうことをしっかりやれば、いややらねばならない
という段階に達しました。
これで一区切りです。
そして、これ以上のことをやるかどうかを
決意してもよいのではないかともいえますね。
若手OB・OGの皆さんにもいろいろと
感想やご意見を伺って、どうするかを
考えて見てください。
卒業生の皆さんも、ぜひコートを覗いて
現役たちのテニスを見てやってください。
後はどんどん詰めて行くだけか、もっともっと
なすべきことが抜けているか、判断してやってください。
私は、この水準である程度のまとまりをつけても
やっていけると考えているのですが。ご批判を
歓迎いたします。
梅原が意欲を燃やしている。上田も意欲的だ。
今日は沢田さんに的確な指導を二人が与えて
いただきました。私には思いつかなかった
方法で修正を加えていただき今後の向上を
期待できます。ありがとうございました。
3月10日に行われました、佛大杯の結果をお知らせします。
連絡が遅くなり申し訳ありません。
佛教大学、京都女子大学、京都府立大学、京都大学の
4校、計12ペアが参加しました。
予選リーグ3位以上で決勝トーナメント進出となっています。
予選リーグ
手邊・山口 3勝0敗 1位通過
馬場・荒井 3勝0敗 1位通過
布瀬・松田 0勝3敗 4位敗退
片岡・名古 0勝3敗 4位敗退
決勝トーナメント
1回戦
手邊・山口 ④−3 増田・伊勢(佛大)
馬場・荒井 ④−3 入江・本田(京府)
準決勝
手邊・山口 ④−0 松田・北浦(佛大)
馬場・荒井 ④−0 田中・林(京府)
決勝
手邊・山口 2−④ 馬場・荒井
以上の結果で、優勝は馬場・荒井、準優勝は手邊・山口となりま
した。
この試合で結果を残すことはできましたが、
シーズンインして初めての試合で課題も多く残りました。
今日までの合宿は、神戸大学と名古屋大学と合同で行いました。
これまで京大にはなかった練習や選手と
触れ合う貴重な機会となり、とても勉強になりました。
この合宿で学んだことを今後の練習に活かして、
春リーグに向けて頑張っていこうと思いますので、
応援よろしくお願いします。
長文失礼しました。
11月17日には中宮は宮中に帰るわけだが、それまでに
「源氏物語」用にと紙、硯や筆を紫式部に与えるが、
御仕えの女房達は「惜しみののしりて、「もののくまにて
むかひさぶらひて、かかるわざしいづ」とさいなむ」と書く。
宮中に戻って、11月下旬の様子を記事にし、その後里下
がりして年末に再び参内する。大晦日と正月の様子を書き、
人物批評を連ねている。まずは容姿から着る物である。
次には人となりに及び、中宮の人柄を誉める。そして、
もの書きについて批評を加える。和泉式部、大江匡衡の
妻赤染衛門、清少納言についてである。そして「かく、かた
がたにつけて、一ふしの、思ひいでらるべきことなくて、
過ぐし侍りぬる人(つまり作者自身)の、ことに行くすゑの
たのみもなきこそ、なぐさめ思ふかただに侍らねど、心す
ごうもてなす身(荒んだ心で過ごしている身)ぞとだに思
ひ侍らじ。その心なほ失せぬにや、もの思ひまさる秋の
夜も、はしに出でゐてながめば、いとど、月やいにしへ
ほめてけむと、見えたる有様もよほすやうに侍るべし、
世の人の忌むといひ侍る咎をも、かならずわたり侍り
なむと、はばかれて、すこし奥にひき入りてぞ、さすがに
心のうちにはつきせず思ひつづけられ侍る。」など
心情をポロリと書き付けるかのようになる。信心にも
筆は及び友達に手紙で思う事を書きつけるようなこと
も書いている。そして中宮が道長の邸に滞在する
夏から秋の、きっと秋の或る月の11日の記事となる。
「源氏の物語、御前(中宮の前)にあるを、殿(道真)
の御覧じて、例のすずろごと(冗談)ども出できたる
ついでに、梅のしたに敷かれたる紙にかかせ給へる、
すきものと 名にし立てれば 見る人の
折らで過るは あらじとぞ思ふ
たまわせたれば、
人にまだ 折られぬものを 誰かこの
すきものぞとは 口ならしけむ
めずらしう」と聞こゆ。
渡殿に寝たる夜、戸をたたく人ありと聞けど、
おそろしさに、音もせで何かしたるつとめて、
夜もすがら 水鶏(くひな)よりけに なくなくぞ
まきの戸ぐちに たたきわびつる
返し、
ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ
あけてはいかに くやしからまし」
いやいや、かなり緊張しますね。
この後、1010年の1月の様子が記されて終わります。
つごう約1年半ばかりの間の日記でした。