ヒュームといえば、同じスコットランドの
アダム・スミスがいますよね。「国富論」を
スミスが書いて出版した際には、ヒュームは
良く書いたと我がことのように喜んだと
されています。ヒュームはルソーやホッブス
の社会契約説は嫌ったとされています。
しかしスミスはルソーとヴォルテールを
二大思想家として尊敬していたそうです。
スミスがグラスゴー大学を1742年に卒業して、
オックスフォードのベリオル・カレッジに留学し、
しかしそこを去ってしまう。国教会牧師養成の
奨学金をもらっての留学であったにもかかわらず
約束を破ったのである。何か嫌う理由が発生した
らしい。「国富論」には、大学の頽廃と教授の怠慢
が書かれている。帰郷したスミスはグラスゴー大学で
連続講演を行う。これが評判を呼び、グラスゴー大学
の論理学教授に1751年招かれる。こうしてスコット
ランドのナショナリズムに支えられた文化運動に
参加する。具体的には、1755、56年の「エディン
バラ評論」への寄稿があるが、ここに「同人たちへ
の手紙」で広くヨーロッパの学会動向に注目する
ことを求めて、業績紹介をしている。この中に、
ディドロとダランベールの「百科全書」、ビュフォン
とレオミュールのそれぞれの自然史の著作、ルソー
の「人間不平等起源論」が含まれているのである。
したがって、ヒューム(1711生まれ)、スミス
(1723年生まれ)、ルソー(1712年生まれ)は
かなり深く結びついていると感じる。そして、
時代はなかなか複雑であった。イギリスを見れば、
1642年に清教徒革命が始まり1649年には
チャールズ一世が処刑されてスチュアート朝が
絶え共和制になった。1660年王政復古がなり
スチュアート朝が復活するが1688年の名誉
革命でオランダと同君連合になる。以後産業
革命が進行しながら、ヨーロッパ政治が植民地
を巻き込みながら、各国の勢力争いが総力を
かけたものへ移行して行くいわゆる「大国の
興亡」の時代へと進んで行く。フランスは、
ブルボン王朝でルイ14、15、16世の統治の
時代だが、1789年の大革命に向かって
進み、さらにはナポレオンの帝政になるが、
反ナポレオンを通じてのヨーロッパの勢力
争いに突入して行く。
このように述べてきた所で、思うことは、
気力が萎えるのかどうか知らないのですが、
対抗する気が失せてくると、「道理」などという
言葉が情感に合って来るのが近年の思いですね。
ある種の諦観なのか、とも思います。
北畠親房の「正統」のこだわりが分かり易いの
ですが、相当しんどいですね。慈円の
「道理」の方が楽です。しかし、ちょっと
分かり易さに欠ける気がします。
戦争を逃げないという精神は、商業や産業を
盛んにして生活を豊かにして生き生きと生きる
という意欲に比べて庶民的では無い。「市民」
はどちらに片寄るのか、が私には明確でない。
したがって「都市」の構成を理想的に考えることも
私には難しい。まして「国家」を考えるとなると
根拠さえ見失っている。しかし、最近の風潮は
ある種の流行現象として、「集団自衛権」を
危うく論ずる者が大きな顔をしていると見える。
啓蒙の時代の論議は、論者の狙いがどのよう
なものかを見抜くという興味があるように思う。
この狙いは、相当に複雑で、あるいは、狙いが
複雑というより、論じ方が複雑というべきかも
知れません。本来の狙いとは違う方面に
論議を広げておいて、実際に起こるべき事態を
避けようとする「狙い」があるようにも思うからです。
これではまるで、テニスではないか・・・・・?
なんていうことを言うと、流石に顰蹙を買い
そうですがね・・・・・・・・・
情況がうまくいっているからといって、
調子に乗って(乗せられて)プレーしていると
(といっても、何本かのボールカウントを
稼いだだけ、1、2ゲームとっただけ、が
多いのですがね)完全にテニスをとられてしまって
まるで自由が利かなくなる、で終わりという
マッチが経験されます。中級、上級の
テニスとはそのようなものです。技術が
何かが明確でないと、上級い、中級にさえ
到達できません。しかし、だからと言って
初めからそのようなことを知ってその域に
達しようとしても、確かな足取りで、階段を
登らねば達し得ないのですね。
上達への意思を強く持ち、意欲を燃やし、
失敗を恐れず、いや失敗をどんどん重ね
てなお怖れず怯まず、自信を大きく膨らま
して行く態度が、上達する者のあるべき姿
だと思います。ルソーの言うところを、私は
そのように理解するのですが。
さて、
少しここらで休みがてら、われわれの考え方を振り
返ってみようか・・・・・と思いますが・・・・・
あまりに個人的な思いが過ぎるかもしれませんが。
言霊は狙いであろうか。狙いを隠すのではないか。
したがって、狙いは怨霊と入れ替わる。言葉を
より適切にする激しい熱意、言葉を思考の道具とする
強い意思、人を鍛える発想ではなく、人は初めから完全
であるとする自然観、この自然を十全に生かそうとする
社会観をわれわれは育ててきたのかもしれない。
(この思いは、しっかりした調査研究に基づいた
裏づけをまったく持ちません。ただただいままで
生きて来て、何度も気付かされてきた思いの中で
もっとも頻度の多く、ある種やるせない思いが
付きまとって印象付けられたものです。)
しかし、あまりに経験的に過ぎるため、よほど都合が
悪くならないと、自然を見直そうとはしない。一度自然と
判定すると、つまり自然ではないとはずしたものには
目もくれないという怠惰な態度、思考に強靭さを求めない
独り善がりな態度があるように感じる。(ここでは
独り善がりは、非難の言葉では無い。特徴を指摘
する言葉として使っているつもりですが・・・・)
自分の都合を優先する。これはやむを得ないであろう。
問題は如何に優先させるか、また優先させる理由
をいかに説得するかである。いや説得の前に、
主張する意欲の強さ大きさを披露しなくてはならない
だろう。当然衝突する、主張の対抗戦となる。
が一通り対抗戦を戦えば、次の段階に進むしかない。
こうなってからが説得力の強弱が問題となって来る。
(むかし高杉晋作がとったという作戦が面白い。
「そもそも我が国は・・・・」と古事記だったか
日本書紀だったか、とにかく日本の歴史として
天皇の話しを次々とつなげて話し続ける
という作戦である)まあ一種のフェアプレーの精神
に似せて発想している。相手も自分と同じ手を
使ってくることは、当然とする発想ですね。
しかし、学芸の歴史をあげて偶然に委ねることを
私に思い止まらせる理由があります。後世の
讃歌を一身に集めるような驚くべき成功を納めつつ
学問の発展に献身する人々は、いかなる国民、
いかなる時代にあっても、常に小数であるとはいえ、
この小数の人々の持つ気質および才能と同質の
気質と才能とが、当の学問の生成する国民の間に、
あらかじめ広く分有され、この事態が、学問の
発達過程のごく最初の時期から、それらのすぐれた
著作家たちの審美力と判断力とを生成させ、
形成し、そして、伸長させる下地となるということが
必ずなければなりません。・・・・芸術および学問
の生成と発達とにかんするわれわれの問題は、
小数の人間の審美力と天与の才と気質とに関する
問題に完全に始終する問題ではなく、一国民
全体の審美力と才幹と気質とに関する問題であり、
したがって、一般的な原因および原動力によって
説明することが、ある程度まで、可能です。
これこれの国民が、ある特定の時期に、近隣
諸国のいかなる国民よりも、文雅に勝り学芸に
優れているのは何故であるかということであれば、
それに対して適切な理由をあげることが可能で
あろうと、私は信じます。
この主題に関し、私が到達した一般的な法則は
4つあります。
第一法則:学芸が始めて生成する場合、いか
なる国民においてであれ、その国民が自由な
政体をのもたらす恵みを享受するのでなければ、
それは不可能である。
第二法則:多数の国家が互いに近接し合いながら
相互に独立を保ち、商業活動と政策とによって
結ばれ合う、という事態ほど、芸術と学問との
生成にとり、好都合なことはない。
第三法則:それらの高貴な植物が生成し成長する
のに適した唯一の場は自由な国家であるとはいえ、
芸術という植物も学問という植物も、移植という
ことになると、それはいかなる政体にも移植する
ことができます。そして、共和制の国家は学問の
発達に最も適しており、文明的な一人支配制
(君主制)の国家は芸術の発達に最も適しています。
第四法則:芸術と学問とは、いかなる国において
であれ、その国において完成に到達すると、
その瞬間から自然に、いやむしろ必然的に、
衰退へと向かい、しかも、かつて、芸術と学問と
が栄えた国においてそれが復活し再び栄えると
いうことはほとんどありません。」
以上です。これら4つの法則を解説する論は
ヒュームらしい特徴が良く現れているように私は
思いました。
実は、ヒュームの「市民国家について」には
1742年出版の「道徳および政治に関する
エッセイ集」第ニ巻にある「芸術および学問の生成と
進展について」が含まれている。この論文に、懸賞論文
のテーマが選ばれたヒントがあるし、ルソーの
論点探究の努力と工夫の理由があるように私には思え
ますので、少し紹介します。
(ヒュームらしく、前もって問題の制約などを点検します)
人間の営為によって成り立つ事象をわれわれが研究
する場合、偶然に帰し得る事象と原因に由来する
事象とを正確に区別すること以上に細心の注意を
必要とする事柄はありません。偶然と原因を区別
することは、必然的に、個々それぞれの出来事を
考察する際の個々それぞれの人間の弁別力の
如何に依存します。しかし、そのような区別を実際
に行うに当たり助けとなる一般原則は、その生起を
小数の人間に左右される事象は、大体において、
偶然、あるいは、隠れた未知の原因に帰すべきだが、
極めて多数の人間が関わっているのでなければ生起
せぬ事象は、一定の既知の原因によって説明できる
場合が少なくない、というものである。
この原則に基づいて判断するならば、一国における
重大な変化を理論的考察と経験的観察との主題として
取り上げる場合、国内的な原因による、しかも徐々に
進行して行く大変化の方が、国外的な原因による、
しかも、急激に進行する大変化よりも、主題として
より適切であるということになる。
学芸の歴史を辿るという主題ほど慎重に考察を
進めねばならぬ主題は無い。いかなる国家に
おいてであれ、学問の発展に献身する人々は
常にわずかであり、この人々を支配する情念は
さまざまの制約下に置かれます。また、その
審美力と判断力とはその本来の軌道を狂わさ
れやすく、その集中力は本の些細な出来事により
乱されます。ですから、偶然ないし隠れた未知
の原因は、あらゆる学芸の生成と発展に対し、
大きな力を必ずふるいます。(ここまでが前置
きでしょうね)
とはいえ、つぎのことは、私も認めます。
つまり悪が達しうべきほどの大きさにまで、
まだ大きくなっていないということです。永遠
の予見者(神)は、いろいろ有毒な植物と
並んで有益な薬草を置いたり、多くの有害な
動物の食物に、その動物の傷に対する
治療剤をいれておくことによって、自分の
代理人である主権者達に神の英知を真似る
ことを教えました。偉大な君主が学会を
作ったのはこの神の模範にならったからです。
これらの学会は、人間の知識という危険な
預かりものと、習俗という神聖な預かりものと
をあわせ委ねられており、学会内において、
習俗のまったき純潔性を維持し、学会の受け
入れる会員に習俗の純潔性を要求する
ことに、注意を払っていますから。
この学会制度は少なくとも文人達を統御
するに役立つでしょう。でも、学者の利益
のために設けられた施設が多ければ多い
ほど、学問の目的を誤らせ、才能ある人々
を学問研修に向けることが、よくできるだけ
です。ただつぎのことを問いたいと思います。
哲学とは何か。最も著名な哲学者達の
著作に含まれているものは何か。これらの
叡智の友達の与える教訓は何か、と。
自然が弟子にしようと定めた人達には、
教師は必要でなかったのです。ヴェルラム
(フランシス・ベーコン)、デカルト、ニュートン
のような人達、これらの人類の教師達は、
自らは師を持ちませんでした。彼らの広汎な
天賦の才によって到達したところまで、どん
な導き手が導いたのでしょうか。もし、若干の
人達に学問芸術の研究に従うことを認めな
ければならないとすると、これらの巨匠のあとを
独力でたどり進み、彼らを追い越す力を自覚
している人々に対してだけです。
天からそれほど偉大な才能を分かち与えら
れてもいず、多くの栄誉を受ける運命も与え
られていないわれわれ凡人は、世に埋もれたまま
にとどまっていましょう。人民達に、義務を教える
労は他人に任せて、われわれはわれわれの義務を
立派に果たすだけにとどめましょう。それ以上の
ことを、われわれは知る必要がないのです。
おお 徳よ!素朴な魂の崇高な学問よ!
お前を知るには多くの苦労と道具とが必要な
のだろうか。お前の原則はすべての人の心の
中に刻み込まれていはしないのか。お前の
掟を学には、自分自身の中に帰り、情念を
静めて自己の良心の声に耳を傾けるだけで
は十分ではないのか。ここにこそ真の哲学
がある。われわれはこれに満足することを知ろう。」
1749年の激しく暑い夏の午後、ルソーは
ヴァンセンヌ城にとらわれていた友人ディドロを
訪う(二日目ごとに行っていたらしい)ために
パリを徒歩で出発する。ある日雑誌を持って
歩いていて、懸賞論文の事を知って霊感に
うたれたかの感を持つ。ディドロの助言を受けて、
つまり普通の人の立場では凡庸のものしか
書けないだろうと、ひねった論文を書く決意を
固めたらしい、というのが、立場の表明を書
かせた理由らしい。
文章は何のために書かれるのか。当然狙いがあり
目的がある。目的のための論もあるが、文が
目的にもなる。言葉の持つ働きが目的にもなる。
文が手段で、目的は別になることもある。
ルソーは、果たして何が目的だったのか。
論説第1部では、ソクラテスを例に引いて
精神の健全さを失うようでは、学問・芸術に
高い評価はできないと論じる。この論点は
ヒュームも当然良く承知をしていて、矛盾する
ことは無いと判断している。ルソーの方も
それは良く承知の上で、論を一捻りしている
(ように私は感じます)。
第2部では、学問や芸術の盛況が矛盾に
満ちていることを強調する。たとえば彫像や
絵画の傑作といえども、祖国の救国者や
国を富ました偉大な人をではなく、神話から
とられた心と理性の錯乱の像である。人間
に要求されるものは、もはや、誠実であるか
ないかではなくして、才能があるかないかです。
才人の受ける報酬は莫大なものですが、
徳のある人は依然として尊敬されません。
上手な論文には、多くの賞がありますが、
立派な行いにはなにもありません。ところで、
このアカデミーで賞を受ける、最も優れた
論文についている栄誉が、その賞を設けた
功績に匹敵するものかどうかを、誰か私に
言って欲しいものです。(ここらあたりは、
ルソーらしいのか、フランス文化らしいのか、
と興味を引かれます)賢者は決して幸運を
追い求めません。しかし、栄誉には無関心
ではありません。栄誉の配分が不公平で
あれば、ごくわずかの競争心によって励ま
され社会にとって有益なものとなるべき賢者の
徳は緩み、悲惨と忘却の中に消滅してしまう
でしょう。これこそ、いたるところで、有用な
才能よりも、気持ちの良い才能の方が尊重
されることから長い間に生まれるに違いない
効果であり、学問と芸術の再興以来の経験が
十分に確証していることに他なりません。
男子部主務の矢守と申します。
お気付きになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、先日お送り
いたしましたOB会報に誤りがございます。深くお詫びを申し上げます。
4ページ目(2枚目の裏面)において、女子部の春季リーグ戦の
戦績の表を訂正させていただきます。
上部に記されている大学名が左から、大阪教育大学、京都大学、
京都教育大学、兵庫教育大学、甲南大学、京都女子大学となって
おりますが、次のように訂正いたします。
左から、神戸親和女子大学、佛教大学、京都女子大学、京都大
学、京都教育大学、和歌山大学です。
申し訳ございませんでした。これからもご援助をよろしくお願い
いたします。
失礼いたします。
それで思ったのだが、哲学者でスポーツパーソン、
というかスポーツパーソンで哲学愛好家は
どの程度存在するのか・・・と。ソクラテスは
ギリシャの内戦では兵士として頑張ったようだし、
美少年の愛好者(?)でもあったらしいが・・・・。
カントがテニスをしたとか、ニーチェがラグビー
選手だったとは聞かないし、・・・・。まあ、
私だけがなにも知らないのかもとも・・・・・
知らないことには口を出さないことが慎みで
あるから・・・・・・
それから、興味がつながってしまったのですが、
ルソーが書いたエッセーがあります。これが
ヒュームのエッセーとぶつかってくるのです。
で興味を感じるのですが・・・・
ジャン=ジャック・ルソーが有名になったのは
40才を前にする頃である。わずか30頁の
懸賞論文が一躍彼を有名人にしたのだった。
「学問芸術論」である。私は前川貞次郎訳の
岩波文庫本を読んでいる。
序文には「わたしがあえてとった立場が許され
がたいものであることは、前もって知っています。
どんな時代にも、その世紀、国土、社会の
見解にしたがうようにできているひとがいるも
のです。自分の世紀をこえて生きようと望む
ときには、そのような読者のために、決して
書いてはならないのです。」と書きます。
なにやら穏やかではありません。
ついで論説の前書きに「学問や芸術の復興は、
習俗を純化するのに役だったのでしょうか、
それとも習俗を腐敗させるのに役だったの
でしょうか。これがこれから検討しようとす
ることです。この問題で、私はどんな立場を
とるべきでしょうか。何も知らないが、それでも
自らに頼むところがある誠実な人間にふさわしい
立場です。・・・ヨーロッパのもっとも学識ある
団体の前で、学問をけなしたり、有名なアカデミー
において、無知をほめたり、学問研究への蔑視と
真の学者に対する尊敬とを和解させたりすることが、
どうしたらいったいできるのでしょうか。わたしは、
このような矛盾を知ってはいましたが、そのために
失望することはありませんでした。」と続けます。
どうも一筋縄では行かない予感をあたえますね。
1750年度のディジョン・アカデミー懸賞課題
「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したか」
にルソーが応募して当選した論文のことである。
悪しき奢侈の方は一掃しながら怠惰や他人に対する
無頓着に関してはそのままに放置しておくという
ことをすれば、その国における生産活動を減退させ
るということになるだけでして、人々の次善心や
気前の良い態度を深め広げて行くということには、
いささかもなりません。ですから、互いに相殺の
関係にある悪徳の存在している場合の方がどちらか
一つだけしか存在せぬ場合よりもその国家にとっては
より有益である、というところで主張の牙を収めるべき
でありまして、悪徳それ自体が国家にとって有益で
あるなどとは間違っても断言すべきではありません。
為政者に可能なのは十中の八、九まで、ある悪徳
を除くために別の悪徳を以ってするということに
限られています。そしてそのような場合に彼のなす
べき事柄はその社会にとって害悪の最も少ないような
悪徳を選択するということです。生活洗練はもし
それが度を過ごすようになると、多くの害悪の
源泉となります。ですが、一般的にいうと、怠惰や
無為よりはまさります。というのは、生活洗練と入れ
替わりに通例やってくるのが怠惰と無為ですが、
この二つは私人と国家との双方にとってより
いっそう有害であるからです。」
と論じます。どうも私には、ちょっと論理的というよりは、
感情的な思いが強いように感じますが、江戸時代の
鋭い感覚と思えば十分心を打たれるように私には
思えるのです。狙いどころが良く分かるように
感じるのですが・・・・・・・
実は、岩波文庫「市民の国について」の序文は
安倍能成が書いている。1952年五月三十日
奈良京都の旅から帰った夜 と記して
「小松茂夫君が・・・・・私が第一高等学校の
校長をした時の生徒で・・・・」と書いているのです。
そして面白く感じたのは
「高等学校時代には身体が長大なのに級中でも
年少であり、陸上競技部の選手で、しかも
成績は大てい首席だったので、・・・・・・一高の
陸上競技部はある時にはだらけたこともある
ようだが、小松君らの時分には青年らしい一種の
理想主義が支配していて、小松君ほか・・・・
小松君は殊にむきで努力家であり、軍隊に入って
後も、いつも幹部のだらしなさと不真面目とを
慷慨していた。・・・」と紹介している。
生産への熱意、知識に対する欲求、人間らし感情、
この三者は私人の生活においてだけ有益であるの
ではありません。それら三者はその有益な影響を
公生活にも及ぼし、私人の生活を幸福で富裕に
するだけでなく同時に、その国の政府をも強大で
隆盛にします。いいかえると、人生を装飾し喜び
あるものとするのに役立つ一切の財貨が増大し
広く消費されるようになるならばそれは社会に
とっても有益です。
政治技術の分野における知識の探究は、人間
の性状に即した原則に基づく支配が、苛酷で
峻厳な支配に勝ることを人々に教え、そのこと
を通じて政治的支配における寛容と穏健とを
自然に生ぜしめます。人々の知識が進むと
同時にその気質が和らぐようになると、党争は
宿怨の深さを和らげ、革命もそれほど悲劇を生まず、
権力もそれほど苛烈ではなく、反乱ないし暴動も
それほど頻繁でなくなります。(さすがにここらあたりは
願いであったようですが・・・・・)
時代の非を鳴らし、遠い祖先たちの美徳を
讃えるというのは人間的自然に先天的にそな
わっているといってもよい一つの傾向です。
それに、後代に伝わるのは文明の時代に
形作られた意見や見解だけです。そこで、
生活の洗練に、それどころか、学問にさえ
反対を唱えるひどくてきびしい批判に、しかも、
欠くも多数出くわすということになるのですし、
また、今日われわれがそうした批判をいとも
やすやすと受け入れるということにもなるのです。」
第2の論点については・・・・
「悪しき奢侈(生活洗練)とは・・・
その満足がいかに感覚的なものであろうとも、ある喜びに
その人が満足を覚えるということそれ自体を目して
悪徳であるとすることはできません。そのような喜び
ないし満足が悪徳となるのは、その満足を得るために
その人が自分の財布のすべてをはたいてしまい、彼の
地位や財産からして当然なすべき義務や気前の良さ
を行ったり示したりすることがまったく不可能となるという
場合だけです。もし悪しき奢侈が存在しなかったならば、
それに充てられていた労働はまったく使用されなかった
であろう、と主張するのは、人間的自然には、怠惰、
利己、他人に対する無頓着、という奢侈以外の悪徳が
存在しており、奢侈はそれらの悪徳を矯正する役割を
ある程度まで果たしている、いいかえると、ある毒は
別の毒の解毒剤たり得る、ということを主張している
に過ぎません。しかし、善徳は健全な食品と同様です。
どのように他の毒により解毒の処置が施されていようとも、
有毒の悪徳より善徳がまさります。
これらの立証については・・・・・・
第1の論点については
「人間の幸福は三つの要素、すなわち、活動、心身の快、
および、無為(怠惰)の混合したものものであるようです。
むろん、それら三要素の混合比率は人それぞれの
気質に応じて当然さまざまです。しかし、それら三要素の
どれか一つでももしそれが完全に欠けるということになれば
それは必ずこの混合物の味を多少とも損なうことになります。
なるほど、無為とか休息ということそれ自体は幸福の享受に
とりさほどの役割は果たさぬかに見うけられます。ですが、
それらが果たす役割は睡眠に似ています。つまり、人間
的自然の弱さに対する一種のお目こぼしとして無為や
休息は必要不可欠です。活動に専念する場合でも心身の
快を求める場合でも、もし活動や快が中断なく続くならば、
人間的自然はそれに耐えられません。しかし、この時折の
休息も、しばしの間は快くとも、長く続きすぎると、幸福
の享受を完全に不可能にしてしまう無気力と無感動とを
人の心に生ぜしめます。幸福のそれら三要素のどれに
人々が心が向かう場合にも、教育と慣習と先人の手本
とが大きな影響力を持っています。ですから、教育や
慣習や範例が活動と心身の快とに向かう好尚を助長
する場合、それらの持つ影響力はその限り人間の
幸福にとり好都合であるということは承認されて
然るべきです。時代精神は技芸の全分野に対して
影響力を持ちます。また、人々の心は、ひとたび
怠惰の眠りから呼び覚まされ、活発に活動する
ようになると、あらゆる方面にその目を向け、
あらゆる技術、あらゆる学問に進歩と発達を
もたらします。それらの洗練された技芸がさらに
洗練の度を増すようになればなるほど、人々は
それだけいっそう社交性を持つようになります。
学問によってその心を豊かにされ社交談論の
ための素材も豊富に持ち合わせるようになるとき、
なおかつ人々が孤立の生活に満足し、無知蒙昧
な国民に特有のあのよそよそしい態度を守りながら
同朋市民との暮らしを続けるなどということはあり
得べくもありません。生産への熱意と知識に対する
欲求と人間らしい感情とは互いに断ちがたい鎖で
つなぎ合わされており、理論と経験とのいずれの
面からしても、それら三者は洗練の度のより高い時代、
普通の表現を用いるならば、luxuryの度のより
高い時代に固有の特質に他なりません。
話しはふらついている。が、いつものことだが、
ふらついたままで、どこかへ進んで行く。
「市民の国について」の中に、つぎのようなものもある。
「技芸の洗練と進歩についてOn Refinement in the
Arts」です。
luxuryは確定した意味を持たぬ言葉であり、それは
悪い意味にも良い意味にも解することができます。
・・・・luxuryにかんしてはその他の道徳上の問題の
場合と同じく是非善悪の境界をはっきりと定めることは
不可能です。五感に関する満足はいかなる感官の
満足であれ、また、食事、飲み物、あるいは、衣服に
関する喜びはいかなる喜びの享受であれ、それ自体
悪徳であると想像することは、宗教的熱狂のもたらす
例の乱心で逆上しているのでない限り、まともな
人間の頭には、到底受け付けようもない考えです。
luxuryに対してはわれわれはそれを罪のない
ものと見なし得るか、それとも、非難さるべきものと
見なし得るかのいずれかです。ですから、luxuryに
かんしこれまで執拗に主張されてきている法外な
見解に接するとき人は一驚させられます。というのは、
自由思想家的な立場に立つ人々は悪徳に属する
luxuryをさえ誉めそやし、それを社会にとりこの上なく
有益であるとしているのに引き換え、厳格主義の
道徳に立つ人々はいささかも罪でないようなluxury
をさえ非難し、市民本位の政府にありがちの
腐敗や無秩序や党争は挙げてluxuryに起因する
としているからです。われわれはこのエッセイにおいて
つぎの2点を証明することにより、それらの両極端の
見解の誤りを正したいと思います。すなわち、
先ず第一に、生活洗練(refinement つまりluxur
y)
の存する時代はもっとも幸福な時代であるとともに
最も有徳な時代であることを証明し、ついでluxury
が罪のないものではなくなる場合にはつねに、それは
有益なものでもなくなること、そして、度を過ごすとき
それは国家にとり、最も有害なものでは多分ないとは
言え、有害であるということを証明することにより。
いや、そういう話しの前に、通常でも競い合い対立する
勢力は存在する。これをまったく否定するようでは世の中は
成立しないのではないか。行儀作法をいくら躾ても、湧きあがる欲望
に
直進する者をまったく否定するのでは、通常ではないとすべき
でないか。若者はやはり焦るものだ。調和のとれた態度は
なかなかとり難いものだ。そのかわり、潔さと再度の挑戦を
待つ余裕がある。爽やかさを魅力として持つことができる。
年寄りは、失敗と挫折を乗り越えてきた経験の豊かさと
危険を察知する賢さを誇ることができる。わずかの成功を
誇大に表現し、過失のない万能ぶりを公言する恥知らず
なゴーマンぶりは、その裏面の真実ではあろうが。
イギリス=英国はケルトに始まりローマ帝国を誇る気持ちがある
のではないか。ならば我が方にも、縄文時代に始まり
邪馬台国を誇る気持ちがある。ゲルマンの進出があると
言うのなら、騎馬民族の進出を言うだろう。ノルマンや
デーン人の征服には、白村江や元寇をあてるかもしれない。
英仏戦争には幾度かの朝鮮出兵があるだろう。
アイルランド、スコットランドとの対立は
えぞや、えみしの征服をあてようか。いやもっと前だが
大国主=大物主の征服があげられるかもしれない。
さすがに植民地の独立は対応するものがないが。
東の日本、西の英国。地球は丸いから、東の英国、西の日本とも
言うべきかもしれない。煬帝のよりは、問題は簡単なのだ。
イングランドには革命がある。日本には、天皇殺害や権力者殺害は
あるが・・・・。信長の天下統一、光秀謀反は革命なのか・・・・。
関ケ原や大阪冬の陣・夏の陣は・・・。
特にイングランドと比較することに意味を見つけようというのではな
い。
英国の哲学が、自国の歴史をどのように踏まえて論じるのか、
を見ながらその主張を眺めて見たいと思ったわけだ。この観点から
見ていると、われわれの方の歴史の見方が、もう一つ
明確でないと見えてくると私は思う。明確でないとは、主張が
明確でないという意味だ。明確な主張とは、狙いがはっきりして
いる主張のことだ。
このように言い表わすと、「狙い」は明確で燦燦と輝いてい
るではないかと主張する声が大きく騒がしく聞こえてくる
だろうなあと想像したくなる。
(まだまだ夏のテニスには道はるか
ではあるが、陸奥に遠征するために
大いに心を磨いて欲しい)
与えられるものが学問である。学問でなくてはならない。
むろんそうだ。与えられたもののどこが学問なのか、もう一歩
踏みこんで聞く。知識である。ならば、人は必ずしも必要なかろう。
本でも良かろう、放送でも良かろう、インターネツトでも良い。
確かに良い。が何故なのか。知識だから。問題を解く事ができれば
良いのだ。じゃあ、問題集を集めるか、解答集を探すか。
知識とは、文字なのか、文章なのか。法は知識か。
そう言えば、鳩山さん(弟さん)は死刑を自動化するような
話をわざわざ公言したことがあった。機械でも良いのか。
コモンローはおかしいのではないか?
融通無碍なんてのは、知識のない時代のことか。学問がないから
ありえたことなのか。そう言えば、漢字を知らないと非難されること
が
あるが、知識がない、学問がないと言うことなら理屈は通っている。
哲学が難解と敬遠されることが不思議ではない。しかし
哲学は不思議を感じることから始まることを思えば、どうも
不思議なことだ。不思議だから、不思議を感じるから
考えるのであって、考える内容が難解なはずがない。
不思議を考えるという行為が通常生活ではなかなか
実行できないだけであろう。それを難解と揶揄するのであろう。
そこを理解しないで、追従するから難解が内容だと勘違いした
のだ。通常では、判断は的確に早く決定しなくてはならない。
迷うようなら、とにかくどちらかに決断すべきだ。行くか戻るか、
まずいと分かったらその時点で転回するしか無い。拙速でもよい、
となるのであろう。
これが前提なら、つまりお互い様なら、譲り合うなら、明るく
愉快に暮らそうではないか。でも、そうせずに、機会到来とばかりに
つけ込む者が出てきたらどうするのだ。譲り合うことをせず、
両立することを認めず、蹴落とすことを狙っている者の存在を
どうするのだ。
社会的な利害、権力に対する権利、および財産に対する権利、
これら3つに関する輿論が、あらゆる政府と、そして、少数者
の多数者に対する権威そのものとの基礎です。
なるほど、たとえば、利己、恐怖、思慕といった原理は、これら
の輿論の持つ力を増したり、その働きを規定、限定、変更し
たりします。しかしそれにしても、それだけでは、何の作用力
も持てないどころか、輿論の作用力が先ず初めにあることが
前提になっているといえます。したがって、それらは、政府
の二次的原理であって、一次的原理であるとは考えられて
はなりません。
ブリテンの政体を論じた著作家はいままでのところ大抵、
大ブリテンの全平民を代表するのは下院であるから、上下
両院をはかりにかければ、下院の持つ重みは、それが
代表するすべての平民の財産と権力とに比例すると
考えてきています。しかし、このような原理の正しさが
絶対的であるなどとは考えてはなりません。なるほど国王は、
議員選挙の際に、国民全体に対して大きな作用力を
持っています。この作用力に変化が起きれば、共和政体
への移行も可能になるだろうと考えないわけにはいきません。
なぜなら、平民階級というものは、ローマの諸部族のように、
集まって一団となるときには、政治に不向きなものですが、
しかし、分散させられて小さな集団となるときには、道理と秩序
とをいっそう受け入れやすくなり、人民の動向が持つ力は
大半阻止され、したがって、社会的な利益が、ある程度の秩序と
一貫性を持って、追求されることになりますから。
しかし、大ブリテンにおいて起こりそうにもない、そしてまた、
トーリーもウィッグもその目的として立てないような政体について、
これ以上推論するのは無益です。わたくしたちは、前々から
続いている政体を、できるだけ大事にし、そして、改良して
行くことにしましょう。
と書いて論を終えています。・・・・・
どういう狙いを持っているのか、私は明確に掴めませんが、
新聞や電波にのって流れてくる論説に比べて、
時代背景は別にして、耳を傾けて見たくなる内容だと
感じます。
さて、学問をするために大学にいる、いろいろな理由
もあるでしょうが、学問をする、学問を身につける、
学歴を持つ、このような目的が大学にいる理由の
はずだ。では学問とはなにか?
いよいよ梅雨の鬱陶しさが盛んです。
・・・・・・
話しは横へ逸れる。狙いについて考えているとそうなってしまった。
デイヴィッド・ヒュームは「人性論」を書いたが、不評のため
無視することにしたらしい。1752年Political Dis
courseとして
いくつかの政治論を発表する。岩波文庫に小松茂夫訳で
収録されている。「市民の国について」である。これには1742年
から
1777年までのエセーも含まれている。ピューリタン革命、
王政復古、名誉革命を経て、英仏植民地戦争が始まり、
スコットランドの合同で大ブリテン王国が生まれ、アメリカ13州
が独立を宣言するのが1776年である。この年にはまた
アダム・スミスが「国富論」を出版した。ワットが蒸気機関を
改良したのは1769年である。産業革命が一方で進行していた。
たとえば「政府の第一原理について」には、
哲学的な眼で社会現象を考察する人にとり、多数者が少数者に
よりやすやすと支配されているあのたやすさと、人々が、彼らの
意見や情念を素直に彼らの支配者のそれに従わせているあの
一も二もない盲目的な素直さほど驚異的に思われるものは
ありません。このような驚異的な現象を生み出している原因を
たずねてみるとき、実力はいつも被支配者の側にあるのですから、
支配者側が支柱と頼むものが輿論以外にはないということが
分かるでしょう。
輿論には二種類、すなわち利害に関する輿論と権利に
関する輿論とがあります。権利には、二種、すなわち権力に
対する権利と財産に対する権利があります。前者の権利は、
前々からある政府に対して愛着を持つという国民感情のことで、
これが権利に対する輿論を生み出し、公的な正義を守る
場合には、人類はいつも、生命と富を、平気で、湯水の
ように使っているのです。党争の渦中にあるとき、ほとびとは、
各自の党派につくそうとして恥もためらいもなしに、名誉と
徳性に関する一切の絆を、ともすれば、無視してしまうものです。
ところが、党争の争点が権利や原理に関連してくると、正義と
衡平について、これ以上激しい執念深さとこれ以上決然
とした分別とを人々が示すことは、まず、ありません。
二人に限りません。みんな狙いをしっかり持ちます。
最終目標と言う意味ではありません。ほんの出発点
でも良いのです。大切なのは、本当の出発点でなくては
ならないと言うことです。出発点に限りません。要は
本当に役に立つ、勝つテニスに直結した狙いでないと
狙いとはならないと言うことなのです。
決して難しいことを言っているのではありません。でも
たいへん難しいことです。監督やコーチがいくら言っても
分かってくれないとこぼすことのある要点ですね。
一般的には。でも名監督や名コーチは決して
そのようなことはこぼさないように思いますけれどもね。
いえ私はそのような名○○ではありませんから、実際のところは
まるで不案内と白状するしかありませんが・・・・・・・・・・。
狙いとは、憧れと言っても良いかもしれませんね。
こうやって勝つ!というイメージが明瞭に持てれば
よいのです。どうやってこのイメージを持ったかと
振りかえれば、かつて見たある選手のテニスが
原因である、つまりはテニスをやりたく思った
原因ですね。つまりは憧れです。こうやって勝つのか?
あんな風に勝って誇らしげにしたいものだ!という
望みと、できるのではないかという可能性の実感、
あるいはもっと上を行く夢をも感じるかもしれませんね。
なにができるか、どこまでできるか、できた時の快感、
がふつふつとわき上がって来る。顔が紅潮してくる
思い。これが原動力です。これがあるから、よそ目には
どれほど不思議に見えても人は没頭する。
子供の意欲とはそうして開発されるのではないかと
私は思っているのです。この意欲の開発のされ方
は青年のものでもあります。そして成人のもの、年寄りの
ものでもあると思いたいのです・・・・・。
勇気を持たねばなりません。いえ、そんなに恐ろしいことを
試みるわけではないのですが、どこか他の目を怖れる・恥じる
意識が出るようでは、そんなことにかかずらわるのでは
とても狙いは手に入らない、率直に真っ直ぐ手を出さなければ、
そしてどんな困難にも打ち勝つには、自分の強い欲に
直接的に答える意欲を持たなければとても無理だろう、
このような気持ちは、勇気ではないか、こんな説明
なんですが・・・・・・・・。
7月です。夏のテニスへまっしぐらです。
後衛では吉永、前衛では矢守。この二人が象徴となります。
つまり力強くなれば進歩です。ひ弱さが感じられる間は
まだ前進が確定していないのです。二人にはどうしても
頑張ってもらわねばなりません。
テニスは技術です。この技術をどうやって修得するか。
良いコーチに恵まれて、豊富な練習量に裏づけされて、
上達するのです。恵まれた環境とあたたい声援に
本人の強い意欲、粘り強い性格、があればかならずや
周囲の期待に見事に応えるでしょう。
というような成功物語は、しかしここでは現実性を
持たないでしょう。いえ、本当はそれほど不可能と
言うわけではないのかもしれませんが、あえて不可能
と言っておく方が却って現実味があるのではないかと
私は思います・・・・・・(ふうっ)
意欲を持つことは、簡単なはずですが、実際には
なかなか難しいです。それが証拠に、声がでませんから。
声が出れば意欲的か?と聞かれると困りますが、
声を聞けば意欲の程は分かります。
違いますか。意欲を聞き取られまいとして、声を出すことを
ためらっているのではないでしょうか?
いつ、どのような条件が充たされれば、声を出す、つまり
意欲を見せることができるのでしょう。どこか
踏ん切りがつかない、で声を出せないのではないでしょうか。
みんな同じではないのです。一人一人違います。
そして、誰かが象徴となりますね。
吉永。どこか秘めたものを感じさせているのですが、
実際のストロークは弱さを感じさせています。
豪球を打つとか、腕力を振るうとか、恐ろしいスピードを
見せるとかがないから弱さを感じるのだという意味では
ありません。テニスの狙いが未だ見えない、把握していない、
あるいは誤解をしている。狙いがしっかりしておれば
かならずそれが見る者に感じられるはずです。それが
ない、これが弱さを感じさせるのです。
矢守もそうです。昨年の秋までは、単に下手と言うだけで、
弱さを感じさせるところはなかったのです。それが
先ごろまでは弱さを感じさせました。ラケットでボールを
操作する技術にどこか負けてしまった、という印象が
強いですね。腕先、手先、指でしかラケットを操作していない、
いやしようとしない、ように見えましたから。技術より先に
ボールをどうしたいのかという狙いを明確に持たなくては
ならないのですが。でも強く抗議するに違いありません。
いえ、しっかり狙いがありますと。ここに誤解が明瞭にな
るのですが、この誤解を説明するのが厄介なのです。
とにかく、難しい問題でした。が、どうやら前進が可能に
なったように感じました。二人がスピードを利用して
非常に鋭いプレーを可能にする見通しが立ったのです。
止まってはだめなのです。動きを利用するのです。
誰よりも速く動けることを最大限利用するテニスをする
のです。柔らかく、ゆったりと、のびやかに、スピード豊かに
鋭く、切れ味鋭く、・・・・なんと言う魅力でしょうか。
逢見が元気に現れました。早速新旧主将対決で
マッチをしていました。また大恵と乱打をしている様子を
私は嬉しく眺めました。ちょっと大恵のストロークが
乱れているので良い刺激になるでしょう。
吉永がやっと力を集中するGストロークを見せてくれました。
短い球や長い球になると、つまり前後に5歩以上走るべき
球になるとまだ力抜けてしまいますが、可能性を見せて
くれたことはうれしいことです。このシュート打ちから
足の長いロビングをいくらでも打てるようになれば後衛になるでしょ
う。
矢守もなんとかスピードを生かしたボールコントロールを
ものにする可能性を見せてくれました。力の弱さ、プレーの
拙さが目立っていましたが、スピードを活かせば、
この弱点は急速に消えうせるでしょう。スマッシュをもう少し
研究する必要がありますが、可能性は見えました。
吉永、矢守はいまやキーパーソンに位置付けられて
しまいます。苦しいでしょうが、期待に応えてもらうしか
打開策はないのです。今日はなんとか可能性が見えた
と私はたいへん嬉しく思いました。
昼を摂って午後練をコートで待っていると
とことこと見なれたご夫人が入って来るではありませんか。
うん?広瀬さん?なんで?
女子の練習があるものと練習に参加するつもりで
出て来てくれたのです。そうか、予報を変えてでも
天気を夏にするわなあ・・・、と日本の気象庁に感謝しました。
折角出て来て、一本も打たずに帰るのでは申し訳ない。
女子の先輩にもテニスをしているOGが存在している
ことを現役にも、男子現役にもしっかり認識していて
もらいたい。乱打の相手をしてもらいました。沢田さんにも
ひと汗かいてもらいました。女子OGがテニスで男子現役
の練習に参加してもらうことができた。嬉しい限りです。
愉快です。楽しいです。
広瀬さんとは、ずいぶん話しをさせてもらいました。
テニスの話しをいろいろ。普段山元さんと
話すようなことをです。流石に現役で続けているだけあって、
私の拙い知識程度では、すべて経験済みで話しが弾みました。
私にはとっても楽しいテニス談義でした。
歳をとったせいか、話し相手になってもらうと、
それだけで嬉しいのでしょうね。
そしてみんなこの2週間、少しずつではありますが、
確実に前進していることが嬉しかったですね。
ただ、もっと求め、もっと表現しないと。
訴える力が弱いです。この夏の暑さに負けてしまいます。
この暑さを跳ね除ける熱いテニス心をコートに
輝かさないと訴えることはできません。
訴えることが、テニスをすることなのです。
夏のテニスは、訴えるテニスです。全日本は
ぎらぎらした熱の塊で戦うのです。
そしてわれわれは、正しいテニスを力を込めて
訴えるのです。印象付けるのです。