苦しむと表現するとどうも暗くてよい感じがしない
でもないが、暗い感じはそれほどよくないわけではない
と思う。明るいのは感じはよいが、明るければよいと
言うばかりでは、無理に明るくするべきだろうかと
暗い発想を呼び起すのでは言葉にとらわれすぎになて
いるだろう。暗く見えても暗くないという様子もあり得る。
暗いのに暗いと感じていないときもある。自分の
暗さとそれを見る他人の感じる暗さにある違いをどの
ように意味付けるかに関心を持ってはどうか。
苦労するというと、困難を乗り越えるのに簡単な方法がなく
根気よく時間をかけて少しずつ状態を改善して行くことが
できるように頑張るときの表現だろうか。あるいは、
先の見通しがまるでつかないため精神的な不安が大きく
ずいぶん辛く感じるという表現だろうか。解決が簡単には
つかないというのか、手を離すわけにはいかないというのか、
予想がつかないというのか。気持と実情のどちらにも
原因があるのだろう。求めてそのような状態になってしまう
ことは驚くことではない。想定内のことだ。
暗中模索。青年があるべき状態である。誰でも問題が
起ればそのようになるが、求めて向えば暗中行軍。
考えている。唸ってもいる。(午後練は雷雨から始った。
いや始められなかった。でも止んだ。陽射もあった。
コートの徐水作業。しんどい仕事だ。う−ん。)
練習マッチ。苦労している。苦しんでいる。暗い。
激しい所まで進んでいないと見た。激情が出てしまう
こともある(過去にはあった)。今週は気持はしんどい
だろう。精神的に鍛えるときとして余裕を持つ。
暗さは、決断することで真剣さに変り、激しさになり
強さになる。苦労は嫌だが買うことで荷物となり
逞しさをもたらす。間違った選択もたくさん出会うが
荷物が増えるだけだ。余計なものは棄てればよいが、
磨けば光る宝石の原石も見つかる。気持を強くし
大きく持てばテニスも大きくなり強さも生まれる。
青年は苦しむべし。テニスで苦しむべし。
苦しみで撚り合さるべし。強靭な大綱となるべし。
自分のテニスをするべし、できるべし。
身体の調子はどうだろうか。疲れが溜まって来ている
ようなら少し休ませることも考えれば良いが、全員が
同じように疲れていることはないだろう。今日の練習を
見る限りでは疲れはあまりないように見える。これは
頭で練習しているためだろうか。であるなら今週の
中頃に疲れの山があるかもしれない。となると週末の
シングルスに意欲を燃やすものが少なくなるか。でも
思い切ってぶつかって見れば良いと思う。スタミナや
気持に不安があるだろうが、不安を感じて思い切り
テニスができないという体験をするより、本気でぶつかって
くたくたになる方が気持の整理ができるだろうし
身体の切れを一段と向上させる機会を得ることにもなる
に違いないと思う。湯船に首まで浸かって身体を休ませ、
その後しっかり寝てきちんと朝起きると身体はいくらか筋肉に
張りや疲れを感じても動かしてみると不思議に良く動く
ことを経験すると思う。もう一段激しい運動と大きな運動量
を覚悟してテニスをして欲しい。
丁寧にプレーするのは良いが、止ったり力を抜いたりして
しまうようでは「丁寧に」という言葉にも反してしまう結果を
招くことを理解して欲しい。「丁寧に」とは「思い切り」であり
「勇気を持って」であり「正確に」であると考えて、
「最後の最後まで気を抜かない」プレーをどこまでも貫き通す
決意を持って欲しいし続けて欲しい。
朝、近衛通りに入って声より打球音の方が大きく聞えた。
身体を鋼に、心を鞠に、頭を朝露に 根性だ
美しい、とひとは言う。言う人はどんな人なのだろう?
誰でも一緒や、別にそんなこといちいち気にせんでも
いいやないか。こういう意見もよく分る。
そうやな、誰やろな?なんでそんなこと言ったのやろか?
どういう時にそう言ったのか。状況が分るともっと
考えることができるのやが・・・・・こういう反応は
ないものだろうか。
まあ誰が何を言おうと気にすることはないが、桜の花
については気になるなあ。桜の花の満開はどこか
酔うてしまう所を感じるなあ。その点梅の花は
気持がよい。まだ寒い時分の花やからかもしれないが、
きりりとしまって酔う感じがない。それに桜より
匂いがあるのでこの匂いによる印象も気持をよくする
ように感じるな。
花については、季節と風景による気持があるので
良いも悪いもいろいろ人それぞれでなかなか
多くの人が気持を同じにすることはないのかもしれない。
私も家内と花談義をする。歳のせいか甘いものが欲しくなり
ついつい花より団子になってしまって家内に怒られるのだが、
つまり話は脱線し脱線して続く。そうなると私は
桜は集団の満開がよい。酔うのが良い。花そのものなら
桔梗が好き、竜胆が好き、藤が好き、菖蒲、杜若が好きと
言う。家内は桜の花が好きと言う。趣味の油絵で桜の花を
画いている。確かに良い感じを掴んで表現している。
話しかわって
テニスはどうか。いやその前に運動は、スポーツはどうか。
身体を動かすのが好きという言い方もある。つまり
競技は何だって構わないと言うのだが。
特に気持をひらきたいときにどういうスポーツをする
のかという問い方をされるとどうかな?
古い道具で良いから集めて送ろうという気持も出て来る。
テニスをやっているときか?
こういう問い方もあるのだ。
社会における問い方、答え方、誘い方は
心にどのような波紋を広げるのだろうか、
そしてまたまた何かあとを残して行くのだろうか。
時代を、世を生きるのに必要を考えるだけでなく、
与えられる影響を味わい考えることも心のうちだろう。
テニスには何か現れて来るだろうなあ・・・・・・
はじめまして、株式会社 ア・ミダス の久保武嗣と申します。
突然メールにてのご連絡、大変失礼致します。
なんとかご案内させて頂きたく、こちら宛てにメールさせていただ
きます。何卒、御容赦ください。
私たちは「日本を元気にする!!」をテーマに、スポーツを通じ
て、青少年の育成や地域の活性化に尽力されているクラブ(団体)
の支援事業(スポンサー)を行っている会社です。
既に約90件ほどのパートナー契約を結び全国の少年チームから社会
人チームまでジャンルを問わず、幅広く展開しています。
( フットサルチームでは、関西リーグ所属のフエルテさん
や神戸大学フットサル部さん、府リーグ所属BGM(大阪)さん、関
東では、湘南フットサルさんなど、数多くのチーム様にご協力いた
だいております。)
現在、日本が未曾有の災害に見舞われてますが、幸い弊社は九州を
拠点に活動している会社でほとんど影響なく過ごせています。
こんな時期だからこそ、九州からスポーツを通じて、元気を日本全
国に発信していきたいと心から願っています。
そこで!今回、新たに、4月末日までに、新たに、九州、関東、関
西の大学等のサークルでご活躍されている皆様向けで
活動費の支援をさせていただけるチームやサークルを募集すること
に致しました。
まず、弊社としましてはサークル・チーム様へ毎月最低1万円の支
援をさせて頂きます。 (皆様のご協力で、支援金UPも可能です。
)
※「神戸大学体育会フットサル部FORCA×Guerreilla様」にご協力
いただいていることから、大学のチームさんへお声をかけさせてい
ただいております。
少しでもご興味持って頂けましたら、ぜひお気軽にお問い合わせく
ださい。
お電話でも、メールでもどちらでも結構です。
微力ではございますが、未来に向かって頑張っていらっしゃる皆様
が今以上に活躍される為のサポートが出来れば嬉しい限りです。
ご連絡、お待ちしております。
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■
株式会社 ア・ミダス 担当者: 久保 武嗣
■〒840-0801 佐賀県佐賀市駅前中央1-9-38 カーニープレイス8F
■TEL:0952-27-7455
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■
本当によいお天気で春気分を満喫しました。
山科疎水沿いの遊歩道、岡崎疎水端あるいは
鴨川河畔の桜は満開です。桜見物に多くの人が
集って明るい春のきらめきに酔っていました。
私は、午前は審判講習会で練習がないので、
ぶらりぶらりと鴨川堤へ出ました。鴨大橋から
眺める北側の上流に並ぶ桜並木の満開の様は
見事な風情でした。川の流れの中には大きな鯉
が幾匹もゆったり泳いでいるのが見られます。
鴨があちこちに散ばって餌を採るためしきりに
頭を水中に突っ込んでいます。白鷲が緩やかな
春風の中に静止しています。青鷺が獲物を狙って
滝の落ち口をゆっくりと移動しながら時々立ち止って
目だけを動かしたり首をへびのように縮めたり伸ばしたり
しています。群る鳩にわざわざ多量の餌を自転車で
持参して巻き与えている老女がいます。烏と鳶が
鳩の群れの中へ飛び込んで騒がしい様子です。
山元さんからの携帯の呼出にも気づかないほどでした。
午後の練習は新入生も交え人数が久しぶりであふれるようで
コートに活気が出ていました。女子の新入生が見られると
嬉しかったのですが残念でした。荒井さんが久しぶりで
テニスをしていました。肌がまったく焼けていなくて
真白で山元さんは新入生と間違えてしまったほどでした。
テニスはいよいよ本格練習に入りました。これからですね。
まだ思い切り走るところまで達していません。コートが
張り返られ滑らなくなったためか足を引っかけるのです。
怪我をしないように走るにはもう少し慣れる時間が必要です。
試合会場のコートコンディションに合わせる配慮も必要です。
基本に忠実なテニスを言うと、丁寧にプレーすればよい
と考えるようですが、基本とは基礎から順に積上げるということで
気持を丁寧にとか気分を盛上げるより冷静にとかに
理解することとは違います。順番に積上げるとは原理的に
正しくテニスをやろうという意味です。つまり
いくら全力を出しても負けないテニスができる、強いテニスが
できるから要請しているのです。なんの心配もなく
思い切ってプレーすれば負けないのです。原理に忠実、
ミスをしないプレー、緊張したり不安を感じても大丈夫
なプレーに精神を集中することができるのです。そのための
練習をしましょう。根性だ。
今日は新入生に精一杯対応してたいへんだろう。
自分達がおのおの対応してもらったときの
暖かさ・気配り・優しさ・意外さ・鈍感さ
・新鮮味・驚き・可笑しさ・寂しさ・微かな悲しさ
・・・・・を思い出すこともあるのではないか。
新入生の膨らんだ心と部員の迎える心には
親しい気持が通じるところばかりではなく、
小さな驚きがあるはず。そしてどこかちぐはぐ
を感じるぎこちなさも存在するのではないか。
私も毎年新入生と話すと微かなずれ、気持の硬さを
感じて新鮮な驚きを経験している。清々しさに
うたれて気持を引締めることが多いのです。
練習は基本を徹底して行うだけですが、練習マッチ
は自然と緊張感の漂うものとなります。気持が
入るだけよけいに心が動きます。また激しく動かなくては
練習の意味がないのです。怖れては強くはなれません。
そこで本当に目的にするのは精神の面の成長を前提にした
技術の修得と戦法の確立でした。テニスをする、上達する、
強くなるというのはコートで技術的に考えて練習する
ことですが、技術を狭く考えては理解が浅いのでした。
本当の技術とは相手との激しいぶつかり合いですから、
心理の面をしっかり考えてプレーに確実性の厚みを
持たせるべきでした。恰好に走ったり見栄を張ったりしては
軽薄さが現れてしまうのでした。脅しやすかしに騙される
のでは求めるテニスから遠ざかるばかりになるのでした。
見えない所で努力を惜しまない、苦労を惜しまない、
面倒を嫌がらない、手抜をしないなどが求めるテニスに
近づく道なのでした。そして忘れてはならないことが、
自分の心と身体がいかに理性から離れて反応してしまう
ものか、つまり本能的な自分の運動(悪い癖という見方
をすることが多いのですが)がミスを生んでいるか、
このことにしっかり照準を合せ練習で理性と整合する
運動を自分に教えプレーとして修得すべしと考えてきました。
自分発見の楽しさ、スポーツの面白さへの興味を
見据えていれば苦しさは暗さではなく明るさへ通じている
ことをみてとれると思います。
原始力の利用は、精神面の成長が不可欠だ。
そして市民社会の成立が条件であろう。
おとなしさだけを鋳型で固められた存在では
愛憎力や伝統力・集団力・服従力による意欲は
持てても個人に秘められた(その実すべての個人に
等しく与えらている)力に目覚めることはない
のではないかと思える。それでも原始力を使う
ことのできる社会は想定できないか。趣味に
意気込む存在なら、相当程度の抑えこみは
必要だけれども、少しでも豊な心を持って生活するためには
いや希望をもって人生を送るためには、そのような
社会に近づけて社会関係を築こうとしないだろうか。
スポーツパーソンの意欲の源にどんな力が働いていようと、
諸力の統一される理想の社会における意識への理解は
期待できるのではないか。科学や文学もそのような
期待を抱かせるように思う。
さて、テニスのマッチはゲームが基本だ。ボール(カウント
の対象の方)が単位だが、マッチとしてはゲームである。
1ゲームを行う中でどの程度の心の崩壊が起るだろうか。
0はないだろう。マッチに勝つ時の崩壊数をバックレルを
単位にして表すことにしよう。1マッチで1〜2回の乱れ
がありそうだから1.5回と推算して、標準の崩壊度を
1.5バックレル(バックレ度の意)としよう。こういう意気消沈
汚染を引起す活発な存在が生まれると閉じ込め冷す必要がある。
自己管理ができないと他に影響を与える。部員1人に与える
消沈度当量の単位がシーズメルトである。影響は汚染源の
言動にある。言葉が荒くなる、ラケット投げる、ボールを蹴る、
奇声を発する、目つきが悪くなる、睨みつける、威嚇する、
まあいろいろとあるものだ。同じ崩壊数でもその影響度は
異なっている。だから当量を計算する時には重みを変える。
軽度のものを1とすると重度のものは5、もっと重いと10
であろうか。マッチ数が1や2であれば、よほど激しい
荒れ方であってもあまり影響はないであろう。したがって
ほとんど影響のない最低の当量を1μシーズメルトとしておこうか。
1日の練習でマッチ数が20ほどあれば、20μシーズメルト
程度は被曝しているのだろう。
1ゲーム中に1、2回崩壊すると1マッチでは10を超える。
こんなマッチを毎日2、3も見つづけると当量は1000μシーズメルト
つまり1mシーズメルトを超えるだろう。心への影響は
想像を超えて大きいものだ。数値的な状態の把握は冷静さを
取戻す上で結構役に立つのではないか。
原始力についてである。
ここ炉の中で何が起るか。燃えるものがなければ
そもそも炉は必要ない。本来の燃えるものはなにか。
教育は投資にもなる。学校教育は競争になる。しかし
競争を嫌う教育関係者も多い。平等を掲げる教育者
に追随するからだ。
人が何に意欲を燃やし努力を重ね成果を手にするのか。
親の期待、一家の期待、一族の期待、
所属する集団の利益のため欲望のため。
個人的には、期待に応える存在への欲、能力の誇示、
統率力の証明、並への安心、などだろうか。
集団の伝統の力、血統の力、家の力、地域の力、
宗教的な力、などが意欲を生むとされるようだ。
ああそうそう愛の力というのもある。家族愛や
同胞愛、郷土愛、恋愛など。この逆が憎しみ、
憎悪である。これらをまとめて愛憎力としようか。
社会ではもっと広く薄く働く力もある。博愛とか人類愛とか
である。まあ物理力にたとえればどこまでも働く重力に
相当するもんだ。愛憎力は電磁力か。まったく個人的な
意欲を湧かせる力がないだろうか。原始の力とでも言うような、
そう強い力である。個人主義、民主主義では個人の
意欲が大切だろう。飼いならされた個人では活動が
おとなしすぎるだろう。こんな強い力が剥き出しになれば
社会はどんな迷惑災害を蒙るかもしれない。よほど
しっかりした余裕のあるふところの深さを社会が、つまり
市民が能力を持っていなくてはならない。そうであれば
個人の原始力が上手く発揮できるのであれば、豊な
活き活きした社会が生まれるであろう。しかし活発な
意欲に溢れた個人は、崩壊しやすいという特徴を持つことになる。
精神の面で強い自己管理ができないと困る。自己管理の過程では
一人で耐えるしかないことも多いはず。すべてが透明で
顕になっていることは迷惑であろう。気の発現を制御する
ここ炉は強靭でなくてはならない。
個人の原始力を自在に利用するここ炉をしっかり作ることが
肝要になる。そしてきちんと管理運転することである。
事故はどうしても起り得る。世の中で何が起るか分らない
からだ。刺激もある。欲も湧く。騙されもし狙われもするからだ。
急激な環境変化は当然ある。予測できない事故にみまわれても
冷静沈着に炉を管理し原始力の利用を有効にしたい。
まだまだペアーとして一体感に裏打された
テニスが実現できていない。求めてはいる、
考えてはいる。のだが現象するのは、そして
学生自身が実感するのはちぐはぐさと失敗プレー
である。良かれと思い、悪かったと現象する。
こうなればと焦り、ああ逆になったと落胆する。
思うだけでは、焦るようでは、そらあかん。
思うのではなく、思わないで動く。焦るのではなく
相手に焦らせて打たせてそれを採る。自然、当然、
必然と楽楽なのだ。でも強い肉体、旺盛な意欲、
新鮮な頭脳、スタミナに余裕の持続能力の結果であることを
理解しなくては。手抜やずぼらでは、まして思いつきや
ええ恰好しいのその場しのぎの態度では決して実現す
ることのない水準である。
テニス炉内は短気むら気怒気で高温状態。まずは
気の発現を止め、次に閉じ込め、そして冷さねばならぬ。
どうやって止めるか。感情ばかりが先走るのを
止めるのだ。感情が暴走し出すとそのことに酔うのが
子供だ。こんなに怒っているぞ、もう誰にも止められないぞ。
こういう通信手段もある。こまごま説明するのは面倒だ。
なかなか止められるものではない。だから時間をかける。
その間荒れた気持を外へは出さぬ。閉じ込める。これがまた
たいへんだ。人間を長く続けると意外や次第に可能となる。
閉じ込めて何をするか。そう理性が感情に勝ることを
証明する。結果を目的に合うようにするには理性が必要
だから、感情を冷すのだ。精神力がしっかりしておれば
真の精神力で冷すことができるが、未熟であれば仕方がない
海水であれ風呂水であれはては鴨川や疎水の水でも選ぶ所ではない。
後先考えずに冷すに限る。
気持が荒れるとバックレ度が増す。だから閉じ込めに
失敗すると、その気持が伝染し部員がこうむる気持の
消沈度シーズメルトが増加する。消沈汚染部員のやる気を
どんどん消失させてしまう。
冷却も難しい。闇雲に冷せば、冷静になるとは形ばかり
意欲も何も元気そのものを失うことになる。学問をする
どころでなく学生の条件にさえ抵触することとなろう。
確かに趣味としてはじめたものの、好きだとの
思いが裏目に出た恰好にもなって、かえって
自分で自分をもてあましてしまい、収拾させることさえ
できなくなって爆発させてしまうという
考えただけでばかばかしくなるような結果を
迎えるのである。
懸命になることはすばらしいことで、夢中になれる
対象を持つことは本来は求めて得るべきことなのだ。
テニスとはそこまで深く深く求めることの豊な
対象だと思う。だからこそ全力を出すべきだと思うのです。
桜の花が満開に近いところもある。東山通り
疎水を渡る橋の両側の岸辺の桜が満開に近い。
山科にも満開の桜の樹を何本も見た。天気が
良いのに(良いからだろうが)空気が冷たく
手袋をすることもある。歩き始めには手袋をはめ
暖まってくるとはずす。今日の午後練は1時50分
から始った。新入生が4名加わっていた。みんな
上手くて希望の星だ。女子にも希望の星が輝きそうと
みんなうれしそうだった。二宮さんが期待を胸に
練習を見に来られて、熱心なアドバイスをもらう部員
もいた。
練習は苦しそうに見えた。予定より進んでいるから
なのか、遅れているからなのかよく分からない。ただ
胸突き八丁にさしかかっているというのではない。
もしそうなら、さしかかっているのならその苦しさは
たいへんなもので毎日が耐えられないと感じるはずだ。
まだまだ練習はやっと始ったところ。あと1週間は
かかるはずと私は予想している。
もっともっと基本に忠実な技術をもってプレーしな
くてはならない。念には念を入れて、つまり実戦での
プレーを考えて基本に忠実にプレーするよう自分を
制御しなくてはならない。そしてそのときの心理を
しっかり把握してプレーに奥行を与えなくてはならない。
ミスをしそうになるところをしないで済ますには
どう感覚し、どう意志を持ち、どう身体を動かすのか、
その結果プレーはどうなるのか、何が選択されるのか、
そして結局ボールはいかに飛んだのか、それは
試合の中でどのような意味を持ったのかまでを
明確に記憶にとどめるのである。大脳だけでなく
小脳にも記憶させ、さらには(イメージでは)
筋肉にも記憶させるのである。
心理面を細かく説くと、だる(ビッシュ的なではない)い
話しになってしまいやすい。つまり友達関係、団体内部の
人間関係、そして男女の関係あるいは夫婦間や嫁姑間の
もつれにも通じてしまいかねないからである。これらも
確かに心理の面の問題であるが、テニスの心理を
こちらの方に広げては的外れである。ペアの人間関係
がこちらに流れやすいのは確かにそうなのだが。
ペア間とクラブ内の人間関係がすっきり解決しない
時は戦う部としては状態がよくないですね。
明るく朗らかで、意志は強固、競争は激しい、
そして気性はさっぱりとして前向きである、凝集力が
しっかり見える、個性の撚り合せで強靭さが
溢れ出ている、・・・・・こういう状態が戦う
部のよい姿です。
ということになると、技術の面での
解決だけを考えるのでは解決がつくのでしょうか?
どうも論理がおかしいというか飛躍があるというか。
問題によるとも言えるし、人間とはどのようなものか
に正解があると前提してもよいものやら悪いものやら。
心理の面を技術の面とは別の面と考えて、一つのものの
別の面と考えて100%を目指して考えぬくことが
可能ではないかと話を進めているところであった。
心技体だが、心理物理生理(眺めていると、目が回りそう、
頭がくらくらしてくる・・・・・・・)の各面を深く
考え追求し一つのプレーとして戦いでの武器としてもらいたい
と話しを進めている。
技術の面で、戦いは完全に規定できる。分っている。
用意すべきは、準備すべきは把握できている。要は
相手に勝てばよい。準備においてもそうなのだ。戦いの
相手のすべてを知れば、それを上回る準備と戦い方を
完成してしまえばよいのだ。こういう戦法は確かに
考えれよう。百戦といえども勝つべしである。
完璧はしかしなぜ「璧」なのか。
完全神話は人間のものではない。
技術を過信してはいけない。
科学は完全ではない。
神話は人間のものである。人間は「考える」。
一体何を考えるのか。
生理学はいつごろから科学になったのか。
精神論は、神話につながるのだろうか。
人間の熱意が、まごころが、天に通じ神に届く
のだろうか。信仰こそが人間の正しい態度で
あるべきなのか。
心理学は何を目指しているのか、私は叫びを
聞いた経験はない。動物と人間を分けるものが
心理学の中で研究されているのかどうか。こんな
ことを書くようではまるで無知の証明である。
心理の面を深く見ておかないとどこか方向を
誤るのではないかと考えているのだが・・・・・
(科学ではなく、科学者の問題でしかない、
との考え方もあることにはあるのだが・・・・)
心理の面を考えることのできる精神面の成長を
遂げることは、私は学生のときできなかったから、
とても学生諸君に大きなことは言えないことは
告白しておくべきです。でも、機会を逃さないで
下さいと言ってしまいますが。
どんどん気を配る面が多くなると実行が不可能になる
べきであろうか。人間とはおかしなもので、どうも
そう一筋繩ではいかない。できる人はできてしまう。
できない人は数がたとえ少なくともできない。このような
理解できないことが起っている。理屈では数が増えれば
困難さが増すはずなのだが、そうとはならないのだから
理解できない。名人達人となると、またまるで逆のことを
言う時もある。一つのことでさえまともにはできないと。
一つでさえ不可能で、幾つでも可能でもある。こうなると
もうめちゃくちゃである。人間のなすこと、言うことを
平たく並べて理解しようとするとどうにもこうにも
理解できそうにないことがあるのである。
心理の面とはこのようなことではないのかと考えてみると
少し糸口が見つからないか。
話が飛んでしまう。
小惑星「イトカワ(糸川)」はたかが500mしかない
石である。この石ころに一触りして表面の土を持って帰ろうと
したのが、そして実際持って帰ってきたのが「はやぶさ」である。
一度着陸に失敗し、再度挑戦したり、どこにいるのやら
見失われたり、エンジンが壊れて地球への帰還が絶望されたりと
幾つもの絶体絶命の危機にみまわれた。地上に、いや地球に
いて時間の壁に遮られながら操作をする技術者たちの
思いを考えるのである。彼らは誰と戦っていたのだろうと。
誰とも戦っていない、自然と戦っていたと言うべきだが、
私は思う。心理の面で彼らは誰かと戦っていたと。
そう考えると、あります。スポーツでも、いや古くは
武術でも、いや戦いでは常にありますね。話しの主題は
主題は戦いであり、人間同士の戦いですから、戦う
相手は「敵」であるのです。でもそうではないという
言い方がありますね。
すべてが明らかであり、分っているとの前提で考える
のであれば、慣れて技術を修得すれば成功間違いなしと
判定することも可能でしょう。でもそのような条件で
戦うことはあるのでしょうか。
科学は、物理学から始った。数学こそという
考えもある。数学は科学かどうか、意見は分れる
ように思うがいまは問わない。
心・技・体 というべきかもしれないが、どうも
それでは少し論点がずれるように感じて・・・・
技術に関して意見は一致するだろう。上手いプレーヤー
が技術力が高いとみなされるのは理解しやすい。少し
内輪的な話しになるとそうでもない。あいつは本当は
そんなに上手くない、という評し方はないというほど
のものではない。上手いというより強いという評し方が
当っているという感じはある。その逆も当然ある。上手い
のだが、弱さがある。弱さが出てしまう。このような表現
が当てはまる選手が存在する。
精神的に強くなれ、という表現は、「根性論」になるので
云々かんぬん、については少し前に述べた。もう一度言いたい。
心理面において知識を高め水準を高めるべきだ。機械が
製品を産出しているのではない。人間が人間を相手に
戦っているのだ。相手の予想をはずし、相手の判断を
混乱させ、統一された戦いをさせないようにする。これは
戦いにおいて大きな成果を期待する根拠になる。相手に
こんな根拠を与えては勝てないとすべきである。このような
内容のことがらは技術的なものであって、根性という言葉で
くくってしまうには勿体無い。つまり脅しやすかしの
一環にしてしまうべきではないと云うのだ。
手品やマジックは「ごまかしのテクニック」と表現される
ことが普通のように思うが、心理学の知識を駆使した
プレーと考えるべきだろう。つまり心理の面では自然と
感じることを物理の面で可能とし、物理の面で可能のことを
心理の面であり得ないと感じさせるような出来事を
意図的に作り出せると楽しいに違いない。不思議や
神秘を感じさせるなら面白いと感じるだろう。
身体能力の面からは相当困難さを求められても、
鍛錬や慣れを武器にすれば、可能なことである限り
やって見せることができる。ただそのためには知識が
ないとだめだ。水準の高い知識があれば、まずは
できそうもないと感じてしまうはずである。
技術だ技術だとうるさく言っても、上手く行くための条件が
マッチでのプレーには当てはまらないのであれば
プレーとしては実現しない。つまり技術ではない。
技術を心理の面からよくよく分析してみて、マッチの
勝敗を分ける分岐点となるような要のプレーとして
成功することができるなら、強力な技術を持つことになる。
当然ペアとしての技術であり、それを実現できる
名プレーヤーとしての評価が、プレーヤー個人に
与えられるはずである。
結局、テニスとしての特徴なりコツなりが理解され
ていることが名プレーヤーの十分条件である。
心理面だけでも十分上手くなれると考えて、
自信の持てる考え方を求めて欲しい。苦しんで
苦労して、また苦しんで・・・・・根性やな
自分にできることを一生懸命やるだけです。
実にしっかりした懸命な態度をとるという
宣言です。焦らず、思いやりの心に満ち、
軽挙妄動を慎みつつ、いざやるべきことを求められれば
何はさておいても責任感を持って事にあたるという
本当にきっぱりとした頼もしい態度です。一人前とは
このような態度をとれる人物をいうのです。
これと対照的な態度はどこか卑怯未練なものです。
己の損得を計算している。他との比較を要領に
抜けめのないことが見て取れるというものです。
きれいにさっぱりとした態度が取れると
よいのですが、考えるとなるとそのような
態度がとれるような解答が見つからないことが
多いものです。悩ましいと言う場合には、どこか
計算が忍び込んでいるものですが、何をどう考えて
よいもの化皆目見当もつかないというような場合には
苦しさだけが感じられるものです。あるいは考えつい
たはよいが、さて実行するとなるとその苦しさ
困難さを予想するととてもやる気が起きないという
ときにもっと他の道を探すのは苦労です。成功者の
話しにでてくる苦労に苦労を重ねて・・・という部分
は話す分にはよいのでしょうが。聞くだけなら
そうだろうなと同感しておればよいのですが。
苦労して苦しんで考え続けてというときの
心のあり方は精神面の成長を表しているのでは
ないでしょうか。自分の心の“弱さ”を納得する
機会を得ることは成長には必要です。弱さを
計ることができると“強さ”が理解できます。
つまりは“成長”が見て取れるのです。こんな話しが
素直にできるようになればよいですね。そんな認め合う
仲が持てるとよいですね。そういう時期が若いときに
経験できるとよいですね。苦労を共にして、泣き・笑い
して、同じ釜の飯を食い、一つの杯で酒を飲む・・・・
ではあまりに時代外れのおじーさん話ですがね。
私なんかまるで経験のない漫画かなんかで読んだだけの
話しでしかない・・・・・・・(まあ、勝手に転んでばたばた
もがいていただけです)
そうそう簡単な答えが見つかるような問題に直面して
いるわけではない。苦しむという言葉の適格性が
どこか引っかかるのであって、そこにあまりこだわら
ないなら、つまりそれが精神面の成長にあたると
理解して、時間をかけ面倒がらずに、根気よく
一つ一つ真剣に試して行けば決心がつき、実際にも
解決がつくのではないか。それだけの準備を終えて
実行した結果なら、たとえ成功と評価を受けなくても
後悔はない、次の機会にはもっと努力して必ず
目的を達してやろうと強い気持を持つのではないか。
宿命なら仕方がないが、運命にも自分をぶつけて行く
態度を誇ることはできるだろう・・・・
大袈裟な話しではない、静かな強い激しさの話しだ。
スポーツの戦いとは競い合って勝つことを求める
もので、ライバルこそが認め合う友である。簡単には
できるものではない。がまた見つからないものでもない。
たとえ大きな力の差があろうとも。学問も
そういう仲間とやりたいと思う。青春こそ味わうべき
人生ではないか(年寄りのひがみ・・・・・・・・)
久しぶりの吉田コートです。
OBの関心も高かったようです。午前中は
杉山さん、午後からは内藤さん、山元さん、
二宮さん、また若手では梅原君、田部井君
(かれは女子コーチです)、逢見君、さらには
小島さんも、などなど多士済済でした。
現役諸君も全員揃いました。これも大変うれしいこと
でした。
井上(陽);急性胃腸炎で休んでいた。
中野;小学校以来の耳の病気の治療で入院していた。
吉永;宇治分校のコートで転んで捻挫して休んでいた。
まだ全員が十全な体調でテニスができるわけではないが
コートに出て来て練習に参加する意欲を持つことでは
運動部として普段の姿をとり戻したことになる。
部の活動目的を実現すべく普段の練習を行える
というのはうれしいことだし喜ばしいことである。
さて、それでは今年の目標に向って本格的に
ゴーと言う態勢ととれたかと言うとノーと言わざるを得ない。
で、私の話しは、形だけの元気さはあまりに初歩的だ。
本来の勝利へ向っての練習をすべし。正しいテニスの
上達へ真剣に取組むべし。云々となった次第です。
負けないテニス、耐えるテニス、縦があってこその横の
テニス、心理面でも水準のある技術的に高い水準の
テニス、したがって精神面の成長を大きく伸ばす覚悟
をもって練習すべしと話は続きました。
みんなそれぞれなんとか考えて、あまり気分に任せる
ようなこともなく意欲を持って取組む気持は感じられるように
なりました。さてこの気持がいつまで続くか?これは
少々意地悪な言い方ですね。部分的な見方では、
全体を見渡すことを欠いたままでは、1週間も持たない
でしょうと言うべきですね。各人が自分にできる事に
集中すると言う意味ではよくやっているのですが、
ペアとして、チームとしてよくやっているのかと
見る目が必要だと言いたいのです。ダブルスは二人で
戦います。長所を活かし弱点を補うところからペアのテニスが
作られるはずです。孤立して頑張るだけでは欠点が
あらわになるだけです。互いの弱点を補うと言っても
弱点を相手に見せるようでは、補うどころか拡大する
ことになります。強さを際立たせることで弱点を
なくすことが補うことになると考えることができるでしょう。
ばらばらだと弱さしか出て来ないが、協同すると
強さが出せる、と考えて欲しいのです。
たくさんのOBに見守られています。たくさんのことを吸収して
たくましく成長してもらいたいと願っています。
OBのみなさん、ありがとうございます。
具体的に各人のテニスの技術課題を見てみましょう。
まず後衛陣から・・・・・
ラケットを振らなくては;
黒木・・・振ろうとすればするほど振れない。意欲が
振れなくしている。理性が消えている。名古もそうだ。
山崎も怪しい。小笠原はそろそろ病気に罹りそう。
これらは見る者誰もが同意できるはず。
振ろうとして構え過ぎになる。もしくは
構えられない。ラケットはしっかり固定して
置けば自然とボールは跳ね返る。そのための力は
それほど必要ではない。でも衝撃にぴくりとも動か
なくすることはできない。なまじ動かすから
上手く跳ねかえらないと考えて、少し動かしている方が
しっかり跳ね返すことができると考える。
野球の打撃でも、ダウンスィングや
レベルスィングなんてものが流行ったことがある。
大根切り打法を勧める論はない。
ぱちんと弾くことから叩く打法へと進んで、しっかり
バックスィングを実現する打法に完成させるようにする。
力を入れるだけでなく、コースを自在にとってしっかり
相手前衛を制しながら振り切る打法を実現させる。道祖、
宮下、江口は道半ば、大恵も面操作に頼り過ぎだ。
前衛のGストロークも同じである。まだまだ本物ではない。
ぱちんと弾くと表現するとロビングが当てるだけ
の打法になりそうだが、シュートボールと同じフォームで
打つようにする。擦ると言うより打上げると言うべき
であろう。ぱちんと擦る???手打では無理だろうね。
角度のある鋭い球を;
短い球でないと大きな角度の変化は作れない。
真横=180°に打てるのはネットの上だ。
ネットの側でいくら角度をつけても、相手前衛を
目の前にすると腕が届く範囲に打つことになる。
どうすればよいか?この問題は小学生レベルで
解ける。
長い球を打つと相手前衛の範囲に入ってしまう。
怖がるとよけい簡単に取られてしまう。慌てて
いい加減に打ってしまう。これが初心者の水準です。
テニスと言う限りは、このレベルは超えなくてはなりません。
この解答も小学生の水準です。それが分っているのに
なぜ正解できないのか。精神の面の未熟さです。
普通は自尊心のせいと言いますが。
では前衛です。
高橋・・・・ずいぶん要領を得てきました。マッチでの
プレーではまだその要領はほとんど発揮できていません。
Gストロークとスマッシュのフォームができていない
のです。ヴォレーも待球姿勢が一定していない。リズムがない。
したがってペアとして後衛を引張れない。テニス観が
ないからです。マッチの流れを把握していないのです。
難しく考えず、いろいろ試せばよいのです。
以上の点では、小山田がもっとも先行しています。
しかし小山田は守りの姿勢が弱すぎです。相手が
狭い隙間を狙って来るのが確実視されるとき大きさと
強さのある待球姿勢=堂々としたしかも軽やかな静止
=動きを秘めた大きな静止が欲しいのです。
他の者はまだ前衛ではないですね。ヴォレーやスマッシュ
をやりますが・・・・・
何をどうする?
結局こうなりますね。具体的に何なのか?
何か?と問われる。何かと問うことになってしまう。
ようでは何にもならないのです。
結局何にも理解されていない、伝わっていない、
のですから。
こういうことって、日常ではごく普通にあります。
必要な会話なんですが、理解が上手くいっていない、
そういう時に起ることです。
うわべだけ同じだが、中身では違っていることが
明確になってしまったとき、言う方と言われる方が
自分の理解・意欲・目的を他に先行させようとする
と相手を否定することになってしまう。どっちもどっち
なんです。ともに主張があるからぶつかるだけなんです。
こういう時、別に原因があればまったく展開は
違ってしまいますが、そうでなければ一種の遊び
として勝敗を楽しむことができます。愉快な
衝突です。でも世の中そのようなことは少ない
でしょうね。それまでの蓄積、経過による遺恨(これでは
ちと大袈裟過ぎますが)があるもので、こうなると
衝突の機会はやり返す機会へと変貌します。ちくりと
一刺ししたいという欲望に支配されます。暗い遊びですね。
話しが振れてしまいました。
精神の話しというと、技術の話しと大きく違う
と思いこみやすいものです。それで躊躇しているのです。
技術面は心理面と一体になる部分が多いと思いませんか。
心理面をまったく別扱いにして技術面を考えることが
できますか。当然だと考えているのなら、マッチの最中に
犯したミスは単純な下手でしかないとなりますね。
基本練習をどのぐらいつめば上手になるのでしょうか。
1時間ですか、2時間ですか。いくら練習しても
上手になれない。どうせ下手は下手のままですか。
これは考え方がおかしくはありませんか。
心理面をきちんと考えるには精神的な負荷を覚悟していないと
上手く行きません。精神面の成長の途路で感じる
ものは怒りや不信、拒否や敗北感、焦りや絶望、
まあ簡単に言ってなかなか飲める話ではないのです。
自尊心を大きく傷つけられるのです。しかもあまり丁寧に
鍛えてもらうことはないのです。できるだけ
丁寧に鍛えるべきなんですがね。
競い合う者同士、認め合う間柄、いいですね。
あまり恰好をつけず虚心につきあっても大丈夫です
としか言えませんが、ぜひ見つけてください。
欠点より長所です。心の持ち方に余裕を持たせて
なんとか認め合う仲間をみつけてもらいたい。
精神的な成長を課題として下さい。
わずかに4人です。
男子17人に交じって、いや19人に
(田部井コーチと梅原君が練習に加わっています)
交じって、実にしっかりと練習しています。
外から見ている人には、何らの違和感も
感じさせることはないでしょう。
実際私は男女の区別はまったく意図しないで
声をあげ、叱責していますからね。
叱ってやりたくなってしまうのです。
何をしているのだ、折角の時間を無駄に費やすな、
だらだら時間を無為に過すな、休息・休憩・団欒
のために練習しているのではない、上手くなることが
楽しいから練習しているのだ、テニスをすることが
うれしいから、もっと喜びたいから、激しくなる。
こん心の流れを積極的にあいじわうべきだと
後押をしたいのです。怒鳴りつけて躊躇する心を
追い立てたいのです。でもあまり露骨にやると
ちょっとそのあのもんだいですよねやっぱり。
で男子も悪いわけではないのです。だってそれが
証拠に女子の存在を邪魔に感じるそぶりは
誰からも感じられません。私は学生のとき
そこまでは思いませんでした。異性を意識する
という問題もないではないでしょうが、テニス観
スポーツ観が違うと違和感を持ちます。それは当然ですが
この違和感を上手く納める心の余裕をどのように
持つことができるかが課題になるのです。いまの
学生達はその場所をしっかり持っているように見えます。
それだけ私の学生のときよりしっかりしている、
精神面の充実が見られるように思います。
だからこそテニスのマッチにおける精神面の
成長が望まれるのですね。精神面の成長が学問の
理解にも現れるはずです。文化の理解そして
人間の理解で水準を少しでも高めることができる
ことが大学の運動部の存在意義であると静かにですが
明確に言ってみたいですね。
精神論、根性論でしかないことが
多いですね。どうしても応援する立場、
助言する立場になると、甘いと厳しいの
区別を言いたてます。甘いからだめ、
厳しいからよい。そらそうです。でも
言葉だけなら誰でも言えるじゃありませんか。
じゃあ、機械でくり返し繰り返し大音響で
練習時に環境一杯に響かせればよいでしょう。
こんなとは誰も考えません。
赤色は心を刺激する。闘争心を増す。
青色は精神を落着かせ理性をよみがえらせる。
黄色は注意力を高める。緑色は気持に穏かさを
与える。黄色の帯をネットに掛けようか。
青い布地でコートを取り囲もうか。
コートの回りに緑色の金網をめぐらすテニス
コートがよく見掛ける。過去何度も考えてみたことがある。
そうそう音楽を練習課題ごとにいろいろ曲を変えて
流すことも考えたこともある。やはりちょっと
やりすぎの感があって実行することはない。
どんなに小さなことであっても、真剣に、本気で
実行する。成果のないことを怖れて、何もしない
のは常識的だが、意味はない。言葉だけでは
何もしないのと変るところはない。厳しさを
いかに具体化するか。抽象論では何も始らない。
一期一会がきっかけとなることはある。満願成就
の後で語られるなかにそのような話しがある。
切なる思いをいかに実現するのか。誰しもが思う
ことだが、どうやればよいのかを考えると
なかなか実行できない。あれこれ考えるとは言うが
このときの考えるも言うだけのものと考えてみるか。
考えるとはどのように実行するのかという行動の
問題なのかもしれない・・・・・・・・・
さっそくその証といえるような現象が
現れています。マッチ激しさです。
心理面の水準が上がるにつれて要求される
技術面の水準が上がります。走る距離が伸び
動と静の切替のあわただしさ(あわただしさ
と感じてはできないことですが)が増します。
予測を適格に行う必要があります。予測が遅れると
無理をすることになります。同時に複数の
目的地に走るかのような動作もしかねません。
孫悟空でも苦労しますね。
怪我を防止するにはどうしますか。
なぜ基本練習をするのか、ウオームアップ
はなぜ必要なのか、整理体操ストレッチはなぜ
やらねばならないのか、アイシング、入浴、
リラクゼーション、精神コントロール、
睡眠、・・・・・大袈裟な話しと感じるようでは
所詮たかが知れている。陰の努力をどこまでやるのか。
コートの大切さ、ラケットやボールへの心配り。
練習仲間への気配り、対戦相手への敬意。
いわゆるテニスパーソンスピリッツを
市民感覚でとらえているのかとまで言える、と私は
思っているのだが。
楽しむとは、そのように先へ進めば進むほど
求められる水準が上がって行きます。一つ一つ
階段を上って行くと肉体も精神も強靭さを
求められるのです。大変です。風邪をひくだけでも
対応が厳しいです。怪我をするのも、覚悟が要りますが、
してはなりませんし、するときちんと直さねばなりません。
精神面がしっかりしていないと直せません。上達を期待された
有望選手が怪我を期に消えてしまうのも現実です。
切磋琢磨は言葉道理に実行するのはとても大変なことです。
たいへんなことに挑戦するのも知能のなせるところ
と覚悟すべきではないのかなあ・・・・・