スポーツの論理性は、感情的な面との
競合を引き込むと興味深いのだが・・・。
経済企画事務次官を経験した塩谷さんの
塩谷英著 岩波書店発行 (2007.6.20)
「経済再生の条件
失敗から何を学ぶか」
を読みました。
1991年からの日本経済の停滞(との認識が
先ず問題になりますが)について、橋本内閣
の経済政策の否定的評価(これは高校生の
政治・経済、センターテスト対策受験参考書
にも記載があります)を、当事者としての
反省や経験を交え、過去のものとするのではなく、
将来への建設的研究対象と変えるべく情熱を
傾けた著書である。責任感と橋本龍太郎さんへの
義理、さらには経済企画庁と「経済白書」への
思い入れが、小泉内閣以後の経済政策への
批判も含まれて、ある種の使命感を持たれた
原因であろう。
序章で、停滞と失敗との評価の総括を述べるが、
結論として戦略の欠如を引きだそうとする
強引な印象が残る。
第1章から第6章まで、だいたい良く語られている
高度成長ー試練ー世界第二の経済大国ーバブル経済
ーバブル崩壊ー失われた10年 の解説である。
ただ、大平内閣時は調整課長、橋本内閣時は調整局長
として政策現場を経験しているとしての
証言は著者ならではの興味深いものである。
第7章バブル発生につながる価値観の形成
第8章経済的失敗の本質とその教訓
第9章日本経済のルネッサンス
この後半はわたしには不満が大きく賛同できない。
「系統的な経済学の素養がないわたしが」と
断りを書くが、一方で「実際の経済は、
必ずしも経済学の通説通りには動いていないこと
を痛感させられた」とも書く。
経済学や科学(学問)の受け取り方に
政治や行政の現場に深い理解は無いように感じる
ので、どうも納得し難い議論と読んだ。
戦略という前に、まずいなあと現場が感じたとき
現場がなぜ修正に動かないのか、動かすべきだ、
動かせるはずだ、との文化を持たない点にすべてが
集中されるべきではないか。
それができないから問題なのだ、と将来のための
提言をしているとの言にわたしは賛同できないのです。
戦略云々ではなく、権力批判、不都合な真実暴露
への対決の問題なのではないかと思うのですが。
赤木のストローク:グリップがスタンダードより
少しウェスタンになっている。コースコントロールを
腕の押しを主体にしているので、ラケットの面が
気になっている。精度が悪い。
スウィングをもっときちんとして、振りの鋭さと
フラットに当てることで精度を上げる工夫を
してみて欲しい。そのためにはフットワークも
工夫する。
細かく、緻密に詰めて考えないと正確さは
実現しない。
千々和のストローク:スウィング、フットワーク、
コントロール、面操作、いずれも合格である。
でも不満だね。わたしも不満だ。
不満の原因はどこにあるのか。
理想像の違いか、勝ち方の好みか、なにか
そのようなことでの考え方に原因があるように思う。
同じ球を100球も続けて打つだけの
技術ではない点に研究の余地はあろう。
技術は考え方の現れとも考えられるが、どうだろう。
八木のストローク:このところの上達ぶりは
すばらしい。強くなって欲しい、なるべきだ。
腕の振りで強く打てる能力は高い。腰腹胸から
腕への力の伝達が自然である。
もっと工夫するところは、豪球を打つと見せて
しなやかな柔らかい深い球を打てるようにすること
だろう。どどーと走らないで、すすーと動くこと。
方向変化を音を立てずに行うこと。
歩幅をいくら広げても打てること。
正確に打つことを本気で追究して欲しい。
テニスらしくなる本道だから。
フォーム全体を抜かりなく作ること。
ラケットの面だけでコントロールするのは
最終到達像である。つまりけっしてやらないもの。
走ること。スウィングを完結すること。
スウィングでコントロールすること。
これが出発点だ。
特にストローク。
まずは基本から。
井上:つなぎにうまくすくっているが、
腕だけになると、すくい切れない。
そんな経験をしているのではないか。
身体を前に移動しているとすくい切れるが、
止まっていると、すくい切れない時がある。
胸をひねる、または回す、あるいは声を出して
腕を(前腕を)思い切り持ち上げる感じが
必要となる。手首をこねるようにすると
結果は良くない。あくまでフォームで打つ
つもり。
安藤:うまくロビングできるようになっている。
縦面でポンと打てる。これも井上と同じで、
腕だけ、手首だけになると弱い。胸のひねり
や膝の持ち上げをほんの少しで良いから入れること。
つまりフォームで打つことを忘れない。
野木:だいぶうまく腰を回すことができるように
なって来たが、まだ不十分。特にバックが腕だけになりやすい。
踏み込む足をしっかり作り、腰の備えをきちんとして
胸をひねり腕を振る。当てるのではなく振り切る。
振り切って飛ばすことを練習する。顔は前に向けておく。
ボールを押し出すときに顔を少し傾けても良いから、
胸をひねること。ラケットをしっかり振り切ること。
細川:腰が浮かないようにしっかり身体を沈める。
ラケットを振り上げるように振り抜く。体は下へ、
腕は上へ。胸がひねられる。内側と外側に
ひねりによるたわみが出るはず。背骨が一直線に
固定されないようにする。顎の下あたりの胸が
少したわむような感じを持って良い。胃のあたりから
力が外に向かって出て行くようにする。からだの表面が
こわばるような力の入れ方をしないようにする。
胸のひねりという感じが、まだまだできていない。
井上でも胸が平板に見えないか。
梅原のバックなどは、胸が硬すぎてラケットが
どこを走れば良いかと困っているように見えないか。
野木は胸より腕が困っている。
中祖のラケット操作もまとまりが悪い。胸のひねりを
うまく活かすようにして、ラケットが困らないように
してやらねば的確にはプレーできない。あまりに足と
腰・胸を威張らせすぎている。もっと調和ある動きを
するように頼むべきである。軸足をボールの処理に
適切な位置に正確に置けるように練習することだ。
北谷の胸はしぼんでいる。もっと堂々とさせてやらねば。
矢守は胸がまだうまくコントロールされていない。
腰の据え方が不十分。つまりはフットワークが
正しくないのだ。フォーム全体をもっと意識して
軸足の設定から正確にできるように練習する。
結果のボールだけを何とかしようとするだけでは
前進はできない。フォーム全体をイメージし
フットワークを正確にするように練習する。ラケット
をしっかり最後まで振って、結果がどのようなボールか
根気良く確かめる練習が必要だ。振りが決まらない
練習では練習にならない。
日曜日の練習には、花尾が出ていた。
ずいぶんしっかりストロークができているので、
「うまくなったな」とおもわず
声をかけた。テニスらしくなっている。
本人は、一年前に打てるようになっていれば
と言っていましたが、4年目となると
力がつくのだということが現実のものとなった
ことに今さらに驚くのです。
わたし自身も、4年目で少しは恰好がついてきただけで、
それまでの3年間はまるで無駄としか言い様がありませんでした。
やはり4年経験しないとましにはならないと
思い知ったものでした。
4年かかるところを、なんとか3年と短縮できないかと
学生当時から考えつづけていますが、
答えは見つかりませんね。
前にも何度か、書いていますが、最近は
新入生にも、春のリーグが終わった頃から
気がついたことを伝えるようにしてきています。
このことがどれほど事情を変えたのかは
分かりません。1年間特別なことは
伝えないからといって、成長が遅れるようにも
思えません。
(まあ、わたしの助言が役に立つものではないので、
こんな言い方はそもそも意味がないのですが・・・・)
花尾のストロークの成長を見て、
わずか二人の4回生の卒業が近いことを
少し寂しく感じました。
まだシーズンは終わってはいません。
できる限りは時間を都合して4回生が
正規練習に参加してくれることを
願いたいですね。
若い力を喜ぶことと共に、
最上級生の存在のもたらす
安定感をいつも不思議に思っています。
ほんま、人間と言うのは不思議です。
前衛のプレーは、後衛より修得するのに
時間がかかります。
後衛はその事をよく理解している必要があります。
そして、前が必要なのだと
説得する必要があります。
お前が居ないと俺はテニスができないのだ!と
かきくどき、情を訴えなくてはなりません。
人生意気に感じて
動いてくれないとも限らないのです。
スマッシュも、前へ!です。
下がるけれども、前へ!です。
いや、下がって、前へ!なのです。
止まらざるを得ないときも、
下がりつつあるときも、
時にはあるでしょうね。
これはたいへんですよ。前へ!ができません。
では練習しましょう。前へ出られないときの
ボールの確実な処理を考えましょう。
自分で考えてください。教えてもらおうなんて
考えないで下さい。自分で考えてください。
横へ取ることはないのか?
取らないでよろしい。
前へとって下さい。
私は、前へとることしか助言しません。
野球のピッチャーが、前へ身体を出さずに
バッターにボールを投げることはありません。
サッカーのゴールキーパーは、ボールを後ろに
下がって止めることはないでしょう。
剣士が、竹刀を打ち込むとき、相手から
飛び下がることはないはずです。
ラグビーの選手がタックルをかけるとき、
相手と正面衝突する気で足元に飛び込まない限り
相手に触れることさえできないのではないでしょうか。
プレーは、前へ出て行うのです。
前へ出る瞬間のないプレーは、プレーではない
と考えて、プレーを分析して下さい。
一瞬ですよ。力や運動量は方向を持っているのです。
エネルギーには方向はありません。
後衛は、すこし前に出ることができている。
一歩踏み込むことができているのだ。
前衛は、それができていない。
前衛は難しいのだ。
下がって処理するプレーが多いからね。
ついつい横に触ろうとする。
結局ラケットを横に出すだけ。
それも形だけ、となりやすい。
触れば、それでプレーは完成と言う訳だが、
実際はそうなっていない。
触ればミスばかり、となる。
触っているから、相当なものだ、と自己評価は高い。
ところが、私は触るなと言う。
こんなけったいなおっさんの(じゃあない、
おじーーーさんの)言うこと、聞いていられるか
(なんて、実際に思ってはいないだろうが・・・
じゃあ、ないかな?)と、どうも
しっくり感情がまとまらないのではないかな。
面白くないなーーー。
いや、実際はずいぶんと上達しています。
学内でやっていると、目立ちませんが
外へ出て、本気で試合をして御覧なさい。
なかなか緊迫した試合ができます。
楽々勝てるようになりたい!、という
の望みには、まだまだこたえられませんよ。
相手も必死で勝とうとしているのですから。
勝つには、相手をしのぐだけの
苦労をしなくてはなりませんから。
この苦労が、どんなものか?を
知らなくては、苦労は言葉だけになります。
勝てるようになると、苦労のほどが
分かります。と苦労は、大した苦労ではない
なあ、と分かってきます。しかし、大した
苦労なのです。「大した」「大したことない」
苦労を知ることが、大したことなのです。
この知識は、毎日の練習の積み重ねからしか
獲得できない、大した、しかし大したことない
常識なのです。
スポーツとは、なかなかしんどいものです。
でも、言葉を使わなければ、簡単です。
好きだから・・・・、で済んでしまいます。
そうそう深いわけがあるわけでは無いだろう。
なぜテニスをするか、と問われての話しだが。
あとは誘い合う仲間ができるかどうか。
全国には、きっと仲間が思うように集まらなくて
無念残念の思いに浸っている同好の氏が
多いのではないかな。
集まれば、あとは気のむくままどんどんと
進むことができれば良いなあ。
なにか共通の(しかも長続きする)目標を持って
毎日を送ることができるようになると
すばらしいだろう。といって、焦ると
仲間作りは失敗する。しんどくなったり
他に関心が向いたりする仲間が出て来ても
ほどよい誘い会いである程度の期間を
おいて眺めてみれば、いろいろなことが
あったけれどもなんとかここまで来れたなあ、
とお互いに称え合えればすばらしい。
すばらしき人生に乾杯だろうね。
このところ部員達は明るくてずいぶんと
高い声でわいわい言い合っているように
見えるが、実際楽しいのではないかな。
テニスの試合でももっとわいわい楽しげに
練習できるともっと明るさが増し、集まり
やすくなるのではないか、と想像しているが。
後衛陣が、かなりテニスらしく打てるようになってきている。
つなぐときにはきちんとつないでいる。
打つときにもそうとうしっかり狙って打てるようになっている。
練習の成果が出ているね。
ここからが山道に入る。前が見えにくくなり、
自分のいる場所さえ怪しくなる。この道で良いのか
心配になる。こんなところで日が暮れてくれば
心細さも募るものだ。仲間の支えがありがたい。
お互いに声を掛け合い励まし合って見通しの効くところまで
がんばることが必要だ。それが安全を保つことにも
つながるのだね。
テニスが好きだと互いに打ち明けた仲だ。
反発を感じるときも正直あるだろうが、
山を登り切った時の充実感には、仲間の存在は
何にも換えられない宝物となるものなのだ。
後衛の成長をいま少し高めるためにも、また
自分自身の大いなる成長のためにも、こんな
好機はのがすべきではない。前衛陣の成長が
望まれるね。前が居るから後ろがある。
後ろが居るから前がある。ペアが居るから
チームがある。競い合うからうまくなる。
うまくなるから楽しい。テニスは楽しい。
こんな好循環を経験して欲しい。
シーズンオフの一こまだったのだが、
赤木が林君に送りボールをしてもらって
基本練習を繰り返し行っていたシーンが
記憶に残っている。
実に単純な練習なのだが、
くり返しばかりなのだが、
根気が一番という練習なのだが、
どこが問題なのかと疑問が出るかもしれないのだが、
・・・・・・・・
単純な繰り返しを
続けることが
実に良い練習なのです。
ボールを送り続ける林君の力量の
高さがすごいのです。
いわゆる身体が憶えるまで
練習するという方法です。
私はストローク練習をしている時に
ああこれかと悟る時がありました。
いろいろ多種類を練習しているときではなく
最も単純な同じことの繰り返しを
飽きもしないで続けている時に
身体が了解してくれたという自覚でした。
トップ打ちやバックのストローク、
ロビングの上げ方などで自覚した憶えがあります。
高度な練習も是非とも必要ですが、
最も単純で基本的なプレーの練習も
欠かせないのです。
この練習をしっかり練習の中に入れておくことが
できることが大切です。
練習とはそのように考えるべきなのです。
だって練習なのですから。(なかなかえーでしょ)
オフまであと3週間です。
今年のスローガンであった基本の徹底を
練習の中でみごとに実現して下さい。
本格テニスが、本格的に始まっているのです。
土曜日は練習ができないかもしれませんね。
なら日曜日に覗くことにします。
いまはどんどんうまくなるときですから、
寸暇を惜しんで練習に精を出して欲しいと
思っています。
球をたくさん打つこと。
球にたくさん触ること。
正確に根気良くいくらでも続けることです。
卓球の選手の練習や体操の選手の練習の
感じでしょうか。
ストロークでもヴォレーでもスマッシュでも
ファーストサーヴィスでも。
同じフォームで寸分の狂いもなく
おなじ球を打つことができるように
練習するところヘ到達しつつありますから。
やっとラケットを振ることが可能になってきたということです。
素振りの段階を少し過ぎたということですかね。
臨機応変に、一球一球すべて異なるが、
すべて同じにするべしの応変だね。
只管打打
ちょっと本格的になって来たかな・・・・・。
空高く 空気も澄んで 球を打つ
細かいコントロールがまだできないが、
続ける気合いは感じられるようになってきた。
授業のある普段の練習が
どんなものかと時間の都合がついたので
覗いて見ました。
相手を攻めようとすると
どうしてもコントロールを失いやすい。
コントロールを優先すると
力を抜きすぎる。
ラケットの振りの速さを
加減しすぎている。
またロビングとなると
ただ当てるだけ、もしくは
擦りすぎになる。飛ばない。
緩いロブ、低いロブ、速いロブ、
長いロブ、滝のように落ちるロブ、
中央で頂上になるロブ、跳ねるロブ、
ずれるロブ、・・・・・。
ロビングの技術は奥が深い。
ラケットが軽いので
打ちにくい要素もあるだろうが、
研究する価値はある。手だけでは
ほとんど無理であろう。スタンスの広さ、
腰と膝の使い方,胸の開き方が可能性を開くだろう。
千々和は、タイミングのずらし方だけではなく、
深くロビングを上げて相手の位置を
移動させながら、幾何学的に相手の動きを
振り切るような配球を工夫できないか。
決め球を鋭いシュートでコースを選べば良いのだから。
赤木も後数本ラリーで相手を動かしてから、
ラケットを縦に使って決まるコースに
正確に打つ感覚が欲しい。速い球=強く打つ球
と思いこみが過ぎるように感じた。
安藤はもっとストロークに自信を持てば良い。
相手の呼吸を計ってしっかり打てば
ずいぶんと効果的である。つまり勝てる。
相手の倍だけ打つと決めておけば良い。
つなぐときは、コーナーへきちんとコントロールする。
シュートでなくて良いのだ。腰に引きつけて
正確に打つことを練習すると良い。
細川、野木、矢守はまだフォームが
決まらない。しっかり踏み込んで
ラケットを最後まで振り切ることを
第一に練習することだろう。
貴田のストロークは、ずいぶんとまとまってきたのだが、
飛ばす方向にラケットを持って行こうとするあまり、
かえってうまく操作できない!と自覚するはめに
陥るような振りになっている。しっかり振り切って
どこへ飛ぶのか調べて、飛ばす方向に狙って打てるように
もうひとふんばり練習すると良い。
咄嗟に当てるのはうまいのだから、しっかり振って
狙い通りに打つ技術を修得しなくては
テニスにはならん。
初めまして。滋賀大学ソフトテニス部で主務をしております、徳
留一樹と申します。
現在、第46回近畿地区国立大学体育大会の日程調整を行ってお
ります。8月下旬〜9月上旬(8月20日〜9月10日)の間
で、他の試合日程等と重なっておらず、近国体に参加可能な日を
連絡していただきたいと思います。なお、今回の近国体の会場は
長浜ドームを予定しており、団体戦1日目、個人戦2、3日目の
3日間で行いたいと考えております。
つきましては、お手数ですが滋賀大学ソフトテニス部掲示板まで返事をお聞かせ願います。
突然のお願いで申し訳ありませんが、よろしくお願いいたしま
す。
滋賀大学ソフトテニス部 主務・徳留 一樹
天気予報通りに天気が良くなり、
気持ち良く練習できました。
今年卒業の最も若いOB諸君が集まってくれ
ずいぶんと水準の高い練習ができました。
今年最高の練習ではなかったかな。
佐々田、中瀬、中村、林、宮田のみなさん。
そして沢田さん。これだけ揃うと
吉田コートも水準がたいへん高くなります。
現役もおおいに意気が高まったように感じました。
後衛が良く打ち、前衛がしっかり守る。
決めるためにしっかり身体を使う。
ラリーは、続けるところは続け、攻めるところは
攻め、守るところは守る、という練習が意味のあるもの
となっていました。下手なところは下手ですが、
練習すべき課題をしかり練習していました。このような
練習を、週に2回でもできればずいぶんと強くなるのですが、
そうはなかなかうまくはいきませんが。
しかしこのような練習ができるようになっていることが
確認できたことはすばらしいことです。これを2度、3度
と続けて、常時できるようになればすばらしい。
自信を持って進んで欲しい。
力任せ、成行任せ、その時の調子しだい。
これも面白いし、先ずは出発点なら、出発しましょう。
でも、いつまでも同じことのくり返しでは
あまりにもつまらないことです。
今日より明日、明日より明後日です。
テニスらしいことを求めて進んで欲しい。
二宮さんが覗かれましたが、充実したコート
の使用状況を見て、これでは自分の練習が
できないと別の場所を求めて移られました。すごいですね。
山元さんがその後覗きに来られました。
面白いなあ、と久方ぶりにテニスに満ちた
吉田コートを楽しんでおられました。
ちょっと遅れたのかもしれませんが、
今年の締めくくりまで後僅かですが、この
盛り上がりをどんどん進めて見事な締めくくりを
やり遂げてくださいね。
お天気はかなりの雨でしたから、そう気分は
爽快というものではないかもしれません。
気温もずいぶんと低かったようです。
でも、こんなに天気予報通りに
天気が変化するのもめずらしい(専門家には
こんなこと当たり前。いつも当たっているやないか!
と怒られるかもしれませんが・・・・)
と言う気持ちになっています。
先ほどは雨もあがりましたので、夜の散歩を
楽しんできました。
コレステロール:増えています
尿酸値:増えています。理由は?
悪玉コレステロール:ちょい多い
食事を全般的に見直さなければ
なりませんねーーー。
でも、思い当たるふしがないのですよ。
摂生に努めていますから・・(ちょい自信なし)。
で、散歩するしかないか、というわけです。
天気から話題が変わってしまいました。
この分なら、明日はテニスができそうですね。
早く寝なくっちゃ・・・・・。
私は大学論に批判的ではない。
石渡さんは バカ学生の化学反応 と
いって、大学生はその在学中に化けるのだと
言う。つまり社会的には大学の存在意義は
はっきりしていると言う。なんだじゃあ十分ではないか
と言いたくなるが、それでは社会的な批判に
答えていないと言う。社会現象をルポしているのですね。
金子さんは、いろいろ論じるが、結論として(決して
これを強調したいという振りは見せていませんが)、
大学教育改善のメニューから、教育力の強化には
多大の資源が必要になることが導かれる。戦後の
大衆化を背景に日本の大学は、低コスト文化を
持つようになった。この中でなんとか国立大学
は教育水準を保つことができたが、私立は
水準を下げざるを得なかった。しかし国立も
独立法人化を機に水準の低下の危機に立っている。
(でも:社会的には、高等教育に対する政府支出の減少は
やむを得ないと是認して、配分を選択的・集中的に
することで大学間の競争を助長し、資源利用の
効率化をもたらすべしとされている。
こんな認識が支持されるのも、日本の社会人が、
自らの体験から、大学教育の有効な影響を受けた
との実感がない反映だろう。大学は過去の在り方に対する
強烈な批判を、いま受けていると
真摯に受けとめるべきだろう。と書きますが・・・)
低コスト構造とそれがもたらした固有の文化を
反映したものだから、これをそのままに、さらに
競争的な資源配分を導入することが、教育の
質の向上をもたらすかは疑わしい。
と書いています。
観点はずいぶんと異なるのですが、
指摘するところは、意外に
似ているような感じを持ちました。
今の大学が、社会にどのように関わっているか、
人材の面、知識の面、資源の面、から
分析し、他の国々とも未来を建設する
役割分担を実現する能力を開発する
具体的な議論を深める仕事を進めて欲しいものです。
勉強をすれば知識が増え思考が深まり
問題解決能力が増して社会の中の個人の
成長となるので、そのような成長した個人が
増えれば社会を豊かにすることができるのだろう。
この話しの出発点は「個人が勉強する」である。
となると勉強しない人が多い時代は
社会は悪くなり、勉強するようになると社会は
良くなる、と続くのだろう。
そして勉強するとは、大学に入学することで
果たされるべしだろう。
このような論と、大学問題を論じる
関心とがどれほど密接な関連を持っているかと
問うならば、どうも答えは明確にはならない
のではないかと、私などは疑ってしまう。
政治家の皆さんや政治家たらんと意欲を燃やす
人々の教育論は、このような文脈にはおよそ
触れるとこらが無いのではないかと私は感じている。
ある具体的な知識を取り上げれば、時代により
人により、知っているか知らないかの統計調査の結果は
一定しないであろうと予想されるが、
知識の総体を対象にして考えれば、何かが
不足すれば何かが増えるとなってあまり
量的な変化はないのではないか。こんなことを
裏付けるような統計調査は考えつかないが。
学生の能力と言っても、関心が散漫になり、
マスプロ教育に適しない学生集団であったり、
逆に制御しやすい学生集団であったりと
時代により変化するので、能力云々の前に
取り組むべき対策をいかに素早く取るかどうか
を社会が考えるので十分なことのように思う。
人間の能力に大きな差が存在しているのなら、
豊かな社会を構築するのは困難ではないか。
差がないから、文句を言わず命令に従う人間を
うまく利用する仕組みを作ることに権力が
向かうのではないか、と想像するのだが。
別に権力と言ったからといって、緊張は走らない
はずだ。人を利用するとは、人の能力を
個人的に自由にすることだと、人はよく知っている
のだから。平等を要求する声は、哀しいかな
いつも真摯なものとは限らないのではないか。
自立か、他立か、はもっと深い宗教観に
立つものの発想だろう。
学生の実力に正面からぶつかって、
地域の文化や伝統がいかに己を磨いてくれたか
経験を明らかにしながら、
学問の力の明示と学問の発展に寄与する
専門家の集団が大学と認められるのではないか、
学生と地域と集団と自分、これらの一つ一つの
あり方がその大学の存在意義であろう。
役割を終えれば、消えてしまうことも
またあり得るとしなくてはならない。
互いに求めあわなくては、意義は小さくなるのではないか。
いつだったか国会議員の生活を調べるのだと言って
外国の学生だかが、自民党の国会議員の
毎日に密着して体験したという話しが
話題になったことがあった。ルポ作家が
国会議員に取材するのかどうかは、
書いたものが売れれば商売にするものが出て来るのだろうか。
人の好奇心に訴える商売とは
商売の基本なのかもしれないが、
商売がなければ人の生活がないという
言い方は成り立つのであろう。
もっとも宗教や思想によっては
商売を蔑視し差別し、無くても良いもの
と断ずる社会も可能であろうか。
社会のなかの制限、タブー、秩序、伝統、
習癖、などは、考えてみれば興味深いものである。
簡単に 民主主義 だからと、無いものとすることが
できない。
社会における2重規範は避けられるのだろうか。
福田さんも、結局 見解の相違 でしょう。
貴方の党は、賛成するのですか?始めから
反対と決めているのでしょう?と答えています。
このような議論の仕方は、TVで流れるように
なってから、しばしば見られるようになった
と私は経験しています。橋本首相のころより
目立つようになったと私は思っていますが。
(もとより単なる私の印象ですから、
何の意味も無いのですが。)まあ、森首相の
だんまり対応と言うのは、国会議員の特有の
態度だろうと面白かったですが。
大学の実態と課題について、石渡さんも
金子さんも、日本の全大学を対象に論じているので、
この観点から大学を発想する人の存在がどの程度からか
が気になります。
教育問題というと、一般論をなすよりは、
個別具体的な自分の経験を踏まえて、拡大したり
予想したり当てずっぽうしたりして、あるいは
目の前の関わりだけから損得を勘定して論を張る
ことが多いのでは無いかと思います。
物を買う商行為として考えれば、
商品の種類の多さは一般的には望ましいはずですが、
教育という商品は、ブランド指向と
お買い得に向かうようです。
どちらも教育は商品で無いという建て前に
矛盾するように感じますから、議論が
良く分からないこだわりを持つのでは無いかと
私は思うのです・・・・・。
なんどか時代の変わり目なる言葉を
使うようになったが、他に使いたい
言葉が見つからないからだ。別に
深い意味は無いのだが・・・・・
中央集権国家を目指す指導者が出た時代、
荘園経営がどんどん変化した時代、
武士が台頭し、権力を持とうとした時代、
天皇親政の巻き返しを試みた時代、
戦国乱世を生き抜き統一を夢見た時代、
国論統一や国政拡大を試みた時代、
・・・・・・
世界史的な流れもあったろうし、
日本らしい細かな流れもあったろう。
視野に入っていた問題、まったく入っていなかった問題、
これらについてそうそうまとまった
知識が手に入るわけにも行くまい。
何やら良くわからぬままに、
それでも良質の知識を求めるしか手は無いだろう。
せめてもの、関心高く良く研究する
人々が存在してくれる望みは棄てられない。
数の問題ではなく、文化の問題として。
ルポ記事だけで、すべての問題が
理解できると考える人々は居まい。
時代の空気を感じることは、しなやかに
生きるには必要な知恵である。
石渡さんの一方で、大学教育問題の専門家の
議論もある。
ちくま新書 679 金子元久さんの
「大学の教育力
ーーー何を教え、学ぶか」
を読みました。
こちらはルポ記事ではありません。
アンケート調査の資料解析結果も交えた
日本の大学の現状としての教育問題を
論じています。
問題点がみごとに解説され、解決策が
幾つも紹介されているか、となると
取り違えてしまうでしょう。本当のところは
読めませんが、国策としての大学制度の
構築の水準をもっと上げるようにせよと
提言しているように私は感じます。
婉曲的な問題点の指摘、責任者の追及がないこと、
時代背景や歴史的流れに埋没する問題点、
など、簡単には内容が読み取れない書き方です。
読むのがしんどいです。
あまり簡単に結論を出すのでは、問題解決に
到れないのは良く理解できますが、それならそれで、
高度の問題と正面から指摘して、まずその理解を
図るべきと私は考えます。
9.11がアメリカ自身が仕掛けた事?、とか
自衛隊は絶対安全な任務しか行わない
軍事能力の高い平和活動の専門的訓練を
高度に受けた懸命奉仕活動集団を国外に出す
専守防衛軍事組織で、国内のテロ活動には
表に出ないが国外のテロ対策には国際的
協力の実績を作るよう政治家に要請されている、とか
郵便事業は民間に任せる方が仕事がはかどるので
抱き合わせの銀行業務や保険業務も当然
民営化する、とか
年金事業は、税金では不平の止まない国民性
でも国の福祉政策とすれば不平が納まり
金が集まるとして都合の良い増税策としたため
腐臭を嗅ぎつけた金食い虫につけこまれた、とか
・・・・・
時代に清新の気風が消え爛熟と腐敗の匂いが満ちて来ると
見たくもない光景がいくらでも現れる。
あまりに騒げば精神が疲れ社会は萎えてしまう。
と言って、いちいちうるさいことをてんでに
怒鳴り散らすのもしんどいことだ。
八百万の神々のお治めになっているうるわしの国としては
神々様にお頼み申し上げるのが上策かもしれないな・・・と。
大学に関する「問題」もいまようの問題ではある。
光文社新書318 石渡嶺司さんの
「最高学府はバカだらけ
全入時代の大学『崖っぷち』事情」
を読みました。
全入時代で学生は勉強せず、バカ学生が増え、
定員割れを怖れた大学では、どこか
アホっぽいことをつぎつぎやっている、という
内容です。
reportageという手法の書き物が
たいへん多くなっています。
インターネット情報と言うのも
噂話の無制限拡張が特徴です。むろん
状況しだいでは、たいへん貴重な情報源になりますが、
必ず正しい情報源か、ある程度信用できる
情報が得られるか、輪郭でも正しく捉えられるか、
となると宝石を探すような確率だろうという
ことをわきまえているべきですね。
書き手の力量にもよるとは言え、
時代背景が第一でしょう。
大学事情を知るルポ記事がなぜいま売れるのか、
に迫ることがなければ、なかなか
面白い読み物となるのではないでしょうか。
しかし当の大学生が、自分の意義をどう考えるか
は、統計的にでもどの程度把握できるのか、
私は疑問に思います。
せいぜい売れるルポ記事か告白ものを
ものにする動機を与えるだけかとも思います。
入社面接や家族の談話として
取り上げるにはいろいろ話題提供が
できるのではないですか。
中祖のストローク:打点をもっと身体に近くできると
良いのだが、どうだろうか。手首を身体に近くして、
ラケットの面を腕に垂直に使えるとだいぶ様になるのだが。
腕とラケットのハンドルを一直線に使ってしまうので、
体の方が邪魔になることが多い。スマッシュも
同じような欠点がある。
今の状態を長所として生かすには、
「壁」になりきることだね。コートの1/3を完全
にとめることのできる壁になる。
梅原のストローク:ラケットを短く感じさせるように
スウィングする。引きを大きくして、
フォロースルーを小さくする。打点を
前にするか、横なら身体に近いところにする。
ゆっくり押すだけで終わるスウィング
になっている。体の方へ帰って来る
振り切りを鋭くする。手首を返すだけでなく、
ラケットを引き帰させる。
ヴォレーもラケットを下に落とそうとするので、
長く使っているように見える。弾いたところで
固定する(固まる)一瞬が欲しいのだが。
バックは必ず踏み込んでストロークする。
上田のストローク:ずいぶんとうまくなった。
力強くなった。常に踏み込むようにする。
シングルスを戦う気持ちを持って欲しい。
テニスの基本だ。ボールを打ちまわす感覚を
憶えて欲しい。打点を上げたり下げたり、
シュートにしたりロビングにしたり、
フラットに当てたり、回転を与えたりする
ことにも意欲を持って欲しい。流したり
巻き込んだりすることにも挑戦する。
うまさや強さに貪欲になることだ。
それがテニスだから。
野木、北谷、矢守のストローク:
ずいぶんと上達している。コートいっぱいを
カバーするだけの自在なストロークを
身につけて欲しい。シングルスに強くなれ。
後衛のシングルスは頭が悪い!と
挑戦して欲しい。ラリーを続けることと、
ラリーを切断して意表を突くことに長けた
シングルスは前衛の発想である。FSは
一人でもいくらでも練習して上達する。
ラリーを始めるFSとして確実性と
作戦的に高度な技術を工夫する。
3人とも、力に頼らず理性的に
ラリーするストローク力を身につける。
短い球足から順番に伸ばして、
正確なコントロール力を身につけるのだ。
ヴォレーを狙うのと同じ感覚が必要となる。
つまり予想を当てる方法だね。
後衛のストロークだけでなく、前衛の方も
気になるだろう。
いやその前に、土曜日は、二宮さんが夕方近く
コートに来ていただきました。
ずいぶんと丁寧な説明をしていただきました。
試合に勝つにはどうするか、よく理解
できたのではないでしょうか。ちょっと難しかったかな。
午前中には山元さんが来ておられました。
例によって昼飯を一緒に食って
少し話しました。久しぶりに二人で
顔を出したので、いつもの食堂の
ご主人も腕によりをかけて食事を用意してくれました。
美味しかったです。
午前は女子を、午後は、男子と再び女子を
見ていただきました。男子にはストロークの
基礎を注意していただきました。
私から見た女子のストロークは、もう少しで
基本が理解できるところまで来ています。
後衛がコートの2/3を自信を持ってカバーできる
のもそう遠くではないでしょう。前衛が
それにバランスした守りを修得することができるかどうか
に課題が移るでしょう。来春までの
練習目標が明確になったように思います。
さて、男子の前衛のストローク力ですね。
赤木のストローク:踏み込む足とラケットの
振りが課題だろう。押すだけでもなく、擦るだけでもない
のだが、ストローク力としては合格点ではない。
スマッシュの要領がもっとも優れているかな。
その関連で言えば、ロビングをこすらないで
ボールの下からはじき上げる要領で打てるようにするのが
まず修得するべき技術になるだろうか。
つぎが縦にラケットを振って
しっかり打つことかな。特にバックの安定化は
きちんと修得すべき課題だろうね。
貴田のストローク:ずいぶんと工夫したと思う。
なんとか形にしてきている。赤木と同じで
ボールの下からラケットを縦に当てて、ぽーんと
ロビングを正確に上げること。正逆共に。
逆の方は、当てるだけではうまく行かない
だろう。スウィングが必要だろうね。腰や
胸のひねりの使い方を工夫しなくては。
ヴォレーでは、腰を折り畳みすぎている。
どうも腰をぽきぽき折るのが癖になっている
ようだね。安定した腰の上に
上体をしっかり乗せて、倒さないでプレーする
癖をつけないと折角の才能が生かされない。
これではもったいないね。