今度の土曜日に久しぶりに・・・・と
思ったのですが、別に時間をつぶす
予定ができてしまったので、コートを
覗くことができません。
少し寒さが和らいだかと感じていますが、
年末風景がちらほらと言ったところでしょうか。
コートのまわりの木立の落ち葉加減はいかがでしょうか。
オフのトレーニングが始まっているのでしょうか。
「金融再生
危機の本質」
日本型システムに何が欠けているのか
大村敬一さんと水上慎士さんの共著です。
日本経済新聞出版社 9月25日 発行
経済の基礎知識、金融知識のないわたしが
読むのに適しているとは思わないのですが、
統計学を使って説明していることもあり、
バブル崩壊以後の日本の経済事情について
少しは興味が持てるだろうと読んでみました。
読むうちに、ずいぶんと感情が揺れ動きました。
感情だけでなく、判断、思いが揺れました。
楽しく面白いものでした。
著者は、内閣府の官吏として任官され
金融システムと金融行政について
統計的分析を通して、施策の策定に際しての
事前の検討、実施後の評価に手引きとなる
結果をディスカッション・ペーパーに
発表されてきた。政策判断の資料となることも
意識していた。しかも単なる統計処理ではなく、
ファイナンスの考え方・技法を応用したのである。
その後、内閣府を退かれ早稲田大学に
職を得られて、再吟味して、過去の金融行政の
転換期を振り返ってみるようにと
まとめ直したものと、その後の金融情勢について
改めて分析を行ったものとをまとめたのが
本書である。
森内閣の終わりの頃から、小泉内閣の
前半のころの内閣府での分析と、その後政府の
外にあっての分析とになる。01年から
03年までが前半部になる。
経済財政部門担当大臣は、額賀福志郎、
麻生太郎、竹中平蔵の3氏であった。
金融庁ができ、初代大臣が柳沢伯夫氏であった。
森内閣での緊急経済対策の策定、
小泉内閣の「骨太の方針」、「改革先行
プログラム」
小泉改造内閣の「改革加速プログラム」
など、わたしも少しは記憶にある。
納会からもう1週間が過ぎようとしています。
天気は寒い日が続きます。
シーズンオフが、印象付けられますね。
わたしの家から見える湖西(比良山系)、
湖北(伊吹山地と鈴鹿山地の霊仙岳)に雪が
光っています。
山頂付近は雪の白、その下は麓まで紅葉の錦、
なかなか見事な彩り、というか取り合わせの妙、
のごとき趣があります。
紅葉も赤色はなく、黄色と橙色です。
鮮やかな赤色があればもっと華やかなのか
も知れませんが。
紅葉の色は、明るい日の光りを透かして見る時や
反射しているのを見るとき、とくに鮮やかです。
雲が日光をさえぎると、灰色がかって鮮やかさが失われます。
がその時、空気の冷たさを感じると、
晩秋より冬を感じます。寒いなあ、と
気持ちの沈むのに合わせて、なにか
寂しさを感じます・・・・・・。
寂しさにも、いろいろあって、
灰色の吹雪きの中の寂しさもあれば、
鮮やかな緋毛氈の広がりの中にぽつんと
取り残された寂しさもあり、喧騒の中に
沈み行く気持ちに気付く寂しさもあり、・・・・。
やがて、物悲しさに襲われて、
何を見たら良いのか、どこをさまよえば良いのか、
声を出すのか、歌うのか、静止するのか、
ゆっくり歩むのか、・・・・・・。
偶然が何かを与えてくれるとも考えられる。
それを必然だと理解する心があるかもしれない。
人に差があるともいえるし、人には差がないのだとも
考えられる。
論を声高に喋る人が、うるさく感じるのも
秋なのかもしれない、などと・・・・・・
日曜日、園田さんが覗いて下さったようです。
試合を見るだけではなく、
テニスもやって見せていただいたようです。
山元さんが、会えるだろうと
期待をいだいて出ていかれたときには
ちょうどコートを去られた後のようでした。
二宮さんも午後からでしたから
すれ違いとなったようですね。
前衛陣への強力なイメージ作りに
印象を残しておいてもらったのではないか
と予想しているのですが、まだ現役には
確かめておりません。
これからいろいろ聞いてみることにしましょう。
後衛のシュートが少し様になってきています。
もっとトップ打ちで安定したストロークが
できるようにしたいと考えています。
フォームで打つ段階に到っていないのです。
2部から1部を目指す水準ではありませんね。
前衛のヴォレーが基本に到達していません。
よほど場面を決めないとヴォレーになりません。
もっと動いてヴォレーできるようにしなくてはなりません。
「動いて」の理解がまるでだめです。
スマッシュもまだ基本がマスターできていません。
でも短いのはなんとか叩きます。
そのため、ある程度スマッシュができると
誤解しています。
守れと要求されて、守りの態勢に入って
どの程度守れるか、まあ15%程度でしょうね。
壁になれ、と言うべき候補が出て来ました。
前途を考えると、まあこの道の長いこと。
でも、やる気と好きだと言う思いが
十分にあります。そしてもっともっと
好きになるだろうという糊代も期待できます。
目覚めてくれれば、十分な前衛になれるでしょう。
うまくなったり、強くなったりするにも、
まず好きだ、なりたいの溢れる気持ちが
前提ですね。初心が大事ですね。
園田さんの気迫こそ(納会コンパでの
内藤さんの話しこそこの気迫ですが)
現役のよい手本と思っているのです。
宮田、佐々田
中村、中瀬
納会には居なかったが、佐藤も
前衛の気迫、前衛とは?に答える姿。
オフにも機会を見つけて見せてやってもらいたい。
オフになったからといって、
部が活動しなくなるわけではない、
だろうと思うが・・・・・。
山小屋のように、小屋を閉めたら
つぎの小屋開きまでお休みにする
というわけではないだろう。
部活動は年中存在しているのではないかな。
試合がなくなるオフだからこそ
部としての活動をしっかりやろうという
時期であるとも理解されるはずと思う。
コート整備もあるかもしれない。
誰かが言わないと活動が行われないという
のでは、その誰かが何かを言わねばならない。
でなければ、それこそ誰彼なく、
気がついたものから発声があれば良いのではないか。
どのような部として、サーヴィスを享受する
消費者ではなく、部員として呼び掛け働き掛けて
作って行くのが自然なあり方と思う。
滞っていることはないか、
そのように見えることはないか、
内部からの目だけではなく、
外目からの判断も持つように余裕が持てるはず。
自立、自律が前提であろう。
互いに信頼しているかどうかも
活動の質を決めるはずだ。
若手OBの協力もある。
(うるさい年寄りも
数は少ないが居ないわけではない)
納会の盛り上がりを見れば、
しっかりした運営が確信できる。
社会的にどのような機会が生まれるかもしれない。
その為というわけではなくとも、
覚悟を固めて自己点検を怠らないという
気迫を失うわけにはいかない。
楽しんだら、後片付けを人任せにする
ばかりということはないはずだ。
シーズンオフが始まった。
多いに楽しんで、オフの部生活を
充実させて欲しい。
杉山部長が良かった。楽しかった。
「それでは、つぎ部長の話し」
なんて言って終わるのだから。
今年卒業のM1OB諸君の話しは
特に良かった。
宮田、石川、岩崎、佐々田、中瀬、中村、林、藤田。
みんなそれぞれ自分の経験をもとに
現役に向けてこんなことあんなことと
実に無駄の無い実のある話しを
直截にしてくれた。5年目ともなると
時間は無駄に過ごしてないということが良く分かった。
伊藤君と小林君の話しも
腑に落ちるね。ストーンと落ちる。
あまりに若手が良い話しをするものだから、
二宮さんが、ちょっと待てー!と
だめを押し出す場面も。
「君達女の子?いええー・・・・」
じゃあなかった、「本当に分かっているのか?
わからんかったら質問せなあかんぞ。
詰問したらええねん。分からんままに
放置しておいたらあかん。
だいたいOBの話しは、一方的やないか。
わからんでも、そのままや。
これはもったいないのや。
黙って聞き流したらあかん!」
こんだけ丁寧な解説をする二宮さんにも
びっくり仰天しますが、親切ですね。
で、山元さんと3人で、平和へ行って
呑みなおしました。
で結局どうも山元さんは
回ってしまいました。
最後の土壇場で今年のテニスを実現してくれた
現役の執念に感激しています。
というようなことを全部コンパの前に
内藤さんに報告しておきました。
内藤さんも、今年の現役のテニスに
良くやったからこそいておかねばならんことがあると、
乾杯と音頭をとる筈のところで、
やおらコップをテーブルにおいて
、先ずは後衛への精神棒を1発「速いロブを打て」と、
つぎには前衛に向けていままでの間違いを
一掃せよと、身振り手振りを交えて
前衛とは何か、何をなすべきか、そのための
日ごろの練習のあるべき姿を講義していただきました。
「間違ったままで過ごしてはいけない。
正しい知識をもって欲しい」と。
山元さんも同趣旨の話しを重ねていただきました。
若手OBがみんな、この年寄りの話しを
否定もせずに、もっと現役に分かるようにと
自分の経験も交えて解説してくれたことに
感謝しています。
対抗戦はOBの勝ちだったようです(11:10)
来年のことを言うと鬼が笑うので
来年の目標は年が明けてからにします。
(コンパの席では、発表済みですが)
考えないのは、勝ちたいからでしょう。
つまり、相手が引き下がってくれることを
期待するのでしょう。
こちらが精一杯頑張ると、まさか相手が
なにくそと倍にして返してくるとは
思っていない、のではないか、と見えてしまいます。
相手が怖いのか、逃げたいのに勝ちたいと、
矛盾した心を見たく無いのか。
相手を見ないで、勝手な予想、勝手読み。
打った後、何が起こるか、予想をしていない。
球に触った後、相手がどう反応してくるか、
まるで無頓着。
人対人という理解がまるでない。
とも言えるし、怖がっているとも、逃げているとも、
言えるでしょう。
怖いのなら、もと本気で怖がって、対策を、
意味のある対策を、確かな対策をしっかり
取って見せれば良いのです。へっぴり腰で
構わない。対策することが肝心ですから。
後は慣れです。だんだん上手になります。
見られるようになりますから。
ずいぶんと力がついてきています。
秋のリーグ前にこれだけ力がついていれば
前進は大きかったはずです。
確実な芽吹き、新芽が出ているのです。
まだ、土の中ですが。外からは見えません。
これから寒い冬です。
土の中でも構わないでしょう。
しっかり力強い成長を続ければ良いのです。
わたしは、今のうちに、踏みつけて
ごりごり鍛えてやることにしましょうか。
力強い成長が、確認できた試合ぶりでした。
(もうちょっと声出して、明るく元気で
燃えたっても良いと思います。
そして、頭をもっともっと使って見せて
良いと思います。
馬鹿になってテニスをする、のは
頭を使わない、封印する、のとはちゃうのです)
良し、ゆっくり行け。その調子だ。もう一本上げろ。
ななんや?なんでそんなとこへ持っていくのや?
相手の後衛が、抜きに来る、ぶつけてくる、のは
そのタイミング、流れ、リズム、まあ自然だ。
こちらは、不自然。
結果は、ミス、か相手の前衛に止められる(これが
本来のミスです)、か。これが証明ではないか。
遠い所から、コースを大きく変えて、長い距離を。
なんでやねん?
長い距離を力いっぱい打っては・・・・あかん
やないか。
短い距離を、高い打点で、力を抜いて、鋭く
リズミカルに、ぶつけて、抜いて、圧倒して、作戦にのって、
前衛を攻めるのがテニスやないか。
その練習をして来たやないか。
練習が役に立っておらん!練習の意味がない。
頭が働いていない。つける薬がない。
遜色なんて、どこにあるのか。
どこに引くところが在るのか。
不得手はあるが、得手もあるやないか。
後衛は十分テニスができる技術が備わった。
前衛は、まだ3割方を超えたところ。
足らんけれども、ないわけやない。
テニスは十分できる。
ころころ負ける言い訳はできない。
2勝や3勝は十分できる。
4勝目、5勝目をもっと本気で考えな。
でも、そんなんではあかんのや。
関六とは、相手のエースを倒す絶好の機会
と何をさておいても乗りださんとあかん。
こんな機会はなかなかない。
てぐすねひいて、全力、全能を振り絞るのだ。
つまり、頭がまるで使えてない。
気持ちをまるで利用できていない。
時の運、地の利、人の力(部員の力)が
まるで使えていない。
せめて1週間、2週間、できれば1月、
用意する時間をかければ、どれだけのことができるか。
自分を使え、人を使え。頭を使え。
スポーツをする 人間になれ。
テニスをする人間になる。
機械になりたければ、テニスで相手に勝つための
機械として、考えて、練習して、機械になれば良い。
考えないで、機械になれはしない。
逆になっている?
考えんとテニスではない。
自分の都合、いや目をつぶるか?
自分なりのテニス(観)を持たんとテニスにならん。
あまりに遠くにテニスを置していないか?
今年最後の公式戦。
関六、立命戦と関大戦の幾試合かを見ました。
二宮さんと山元さんも一緒でした。
京大がシュートを打って、
相手がロブを上げるという
場面を何度も見ました。
これでは逆ではないか。
ちょっと流れを判断する感覚が必要です。
相手がなぜ上げたのか?
こちらが打ち勝った、ではないでしょう。
考えてテニスをする、にはなっていない。
相手が考えている。
場面場面で打って来る、上げてくる、つないでくる、
ぶつけてくる、抜いてくる。
こちらはどうするのか?
・・・・・・・・・・・
相手は、大胆になる、慎重になる、揺さぶってくる、
我慢している、落ち着こうとしている、
きっかけを探している、ミスして欲しいと縮んでいる。
こちらは、・・・・・、何を思っているのか?
特に前衛の、相手を見る、予想する、対策する、
その結果がプレーに現れない。
来るか、との身構えもない。
来る筈との予想もない。
来るな!と言わんばかりの消極性が見えてしまう。
にもかかわらず、取りに出ようとする。???
透明人間になったつもりか?
動いたら相手に見えているがな。
隙を突いて動いている(つもり?)のではない。
逃げている(結果として)。
伝えようとしたことが抜けてしまった。
わたしから求めることは、すべきでは無いし、
できはしないのだが、資格が無いのだが、
・・・・・・・・・
真摯に戦うということは
意外に要領が分からないものだと
感じている。
(もともと真摯に振る舞うことができない
人間には、無理なんだと指摘を受ければ
それまでなんだが)
結局、勝つために必死になる、
なって良いのだと表現するしか無い
なあ・・・・・・、と思う。
結果を求める、結果としての勝ちを手に入れる、
というのではない。それを目的にする
のではない。(いや目的にしているのだが)
だから、真摯に戦う、結果=勝利、と。
が、難しいことだ、と。
いや、その前に、真摯ができないのだと。
自信が無いときに、自信を持つこと。
資格があると確信する。
平等、対等、平和、人間、・・・・
という言葉を知っているのなら。
やはり真摯・・・・では無いか?
勝って良いのです。
勝つために本気になってみてください。
特に、前衛陣だ。
前衛とはなんだ?に本心から答えるべきだ。
真摯に答えるべきだ。
ここが、園田さんの関心の的になるのだろうと
わたしは勝手に推量しているのです。
内藤さんの言葉に常にこもっているこころは
前衛とは何なんだ!と聞くこころだろうと
わたしは当て推量しているのです。
をとりたいとは思うが、およそ正反対の態度
をとってしまうことが多い、なあと
ずっと思ってきた。なんと情けないものだ
と思う。
謙虚に振る舞うというのが難しい。
押さえることだと思うと、もういけない。
尊大になり、夜郎自大になってしまう。
無理をしないことだと思うと、
気合いが入らない。気を抜いてしまう。
失敗を恐れ、その場をなんとか逃れようとする。
責任をとろうとしない。
分担を引き受けようとしない。
自信が無いだけなのに、条件が
合わないかのように振る舞ってしまう。
お調子者の面もある。
日和見である。
なんとも情けない。
それでも、自分をかわいがり、人を貶そうとする。
つくづく、自己を鍛えることへの
挑戦をしなかった人生を思い知らされる・・・・・。
反省をしようという健気さが無い自分に
気付かされる毎日である・・・・・。
真摯な態度を可能にする教育を
自己に施すべし・・・・・・・。
人対人 は人を磨くだろう。
人に出会うべきである。いや出会った人を
しっかり見るべきであろう。
すれ違った人ばかりでは出会いは訪れない。
土曜日は、昼ごろコートを覗いてみようと思っています。
3時頃には失礼しますが。
日曜日は、夜の部にしか参加できません。
午後、園田さんからOB対抗戦を覗くかもしれないと
連絡をもらいました。わたしは読書会で欠席だと
通知しましたが、ぜひ現役のテニスを見たいからと
言ってもらいました。
でも天候が崩れそうです。お天気しだいでしょうかね。
OBも若手が元気です。
それ以上の元気さをテニスで発揮してもらいたい
現役です。辻田も出てきて呉れないかな。
仕事の帰り道、少し寄り道して
コートを覗きました。授業などで
揃わない中をごく普通に練習していました。
関六の様子を聞くつもりでしたが、
聞き出すほどのこともないと思い直しました。
井上が都合が悪くて参加できなかったと
聞きました。
安藤がまずまずのストローク力を
保っていると見ました。
赤木のストローク力は進歩していない。
ラケットを横に使い過ぎている点と
打点が身体から少し遠い点が問題だ。
踏み込んで振り切るように修正すべきだろうね。
ラケットの面の角度、擦りによる絞り、
押すことによるコントロールでは狙ったときほど
ミスが出る。横面で擦るより、縦面ですくいあげる
方が良い結果をもたらすことを知らなくては。
安藤は少しこの理解はできていると見たが、
ラケットの振りを途中で押さえてしまうためのミスが
出ているところを見ると完全な理解ではないようだ。
矢守は上体を寝かせすぎて横面ですくいあげ
ようと身体が流れている。胸のひねりを利用することと
上体を寝かせてすくいあげるのとはまるで違う。
この点を、井上は少し理解できるはず。
井上は押すだけになっている、いや押し過ぎになっている。
貴田は、特にバックは、ラケットを当てているだけ。
自分でも承知の上でやっているだろうが、
スウィングで打つことに挑戦することだ。
そのための練習をして欲しい。
オフに入ってからかな・・・・・・・・。
相当勝てます。
2勝や3勝は当然です。
勝とうと本気で向かっていけば良いのです。
試合をしている中で考えれば良いのです。
遠慮することはない。
相手は本気です。でも荒っぽい。
途中を省略しようとするから
予想もしやすい。だから1本でも
多くつなげば勝つ要素が見えるのです。
これがテニスです。
今シーズン最後の公式戦です。
持てる力を倍出してやってみて下さい。
さすがに晩秋かと今一度確認しなおして。
NFになると、朝夕はずいぶんと冷えます。
地球温暖化、暖冬、などに慣れているので、
急に冷えてきたと感じます。
歳を取ったなあと思いつつ、暖房器具を取り出して
使用を始めています。
学生の頃は、秋のリーグ戦を迎えて、必死になっている
頃ですが、今の学生達は、もう納会寸前です。
NFには出店の計画があるのだろう。
一度覗きたいと思っていはいるが、どうなるのだろうか。
昨年東山通りを通ったときには、ものすごい人出に
圧倒されて、結局構内には入らなかった。
なんとか天候は持つのだろうか。
関六に今年のテニスを完成させて、
納会を盛り上げて欲しいと
願っているが・・・・・・。
テニスの方は、ここで終わりになるのではない。
気分は変わるだろうが、どんどん上昇
する時期にある。
自由になって、自分のテニスの追究に
真正面から取り組むことになるときだ。
オフの過ごし方、オフこそ上達の時期と
思い定める思考、どんどん進む上達への道。
OB戦が楽しみなのだが、
わたしは読書会で覗けない。
なんとかコンパには遅れないようにしたいが、
少し遅れるかもしれない。
その節は、容赦して欲しい。
身体をうまく使うこと。
このテーマを中心に
研究を進めて欲しい。
コートを広く使うこと。
ボールの特性を活かすこと。
これらも立派なテーマである。
自分らしい、テニスらしい、テニスを
どこまでも求めて進みましょう。
この所のTV報道で見る(限りの話しだが、
だから実に無責任な話しになるが)人が
何を考えているか、その考えに、人がどのように
反応し、その反応した考えを披露する人が
幾人もいて、それぞれの人が何を考えているのか、
と見ているこちらが考えなくてはならない、
と考えてしまう・・・・・。
形式論理にのせて、その道筋だけをたどれば、
話しは簡単だが、その簡単な話しが実際的なのか、
となると疑問符がつく。
人の決断がいかにあるかに関する情報は
なかなか得られない。ましてや、なぜそのような決断に
到ったかとなると、まるで当て推量でしかない。
人を知るには、猫や犬では間に合わない。
小鳥や虫でも無理だろう。
動物や植物になにか感覚するところがあるものだろうか。
緊張の程度は、人間より敏感に
反応するかもしれないが・・・・・・。
人を知るには、その人と肩を並べる人でなければ
知ることはないだろう。
子供や無関係の人が何かを感じると言う
ことはあるかもしれないが、知るというのとは
違っている。
人を知るのに、持ち物や日常よく使う場所や
家具調度が参考になる場合もある。
ずいぶんな費用がかかるものが
目立つほどたくさん集められていると
ちょっとその趣味には影がさすものだが。
ツキジデスの「戦史」には
一人で多数に訴える行動をする
ものがえがかれる。
親分に親分が話しを持ちかける
「実力者談合」は、謀略としても
高度なものとは言えない。
白日のもとでは、消え去るものが
ほとんどだからである。
スパイ同士が話しするのとわけが違う。
責任者同士がどのように話し合おうと
意味はあろう。
団体であれば、さて自分の団体のなかの
意思疎通はいかに、が問題だろう。
ここから先の論議が、どうも論理的には見えない
のがなんとも奇妙なのだが・・・・・。
秀吉が権力を握るまではうまく解説できても、
権力者になってから、いままで利用してきた
人や機構・組織・集団をいかに整理もしくは
発展させたのだろうか、に答えないのでは、
あまりよくできた考えとは言えない。
緒方竹虎亡き後の朝日新聞社の作る新聞の言論、
世界有数の大部数発行の新聞社が発する言論、
具体と抽象が、国内と国外で入れ替わり
立ち代わり、どうも正体がはっきりしない。
論が理と情と義に深く根を張って
聞くに耐えるものであって欲しい。
なるほど理、そうだね情、やっぱり義。
人が決心し行動するには、知ることが一番。
人でなくてはならん。
人が見えるか・・・・・・。
11日、17日の関六で今年のテニスを
完成させて欲しい。その勢いをそのままで
18日の対抗戦を戦って欲しい。
OBの力も最近になく充実している。
テニスらしい水準が実現できるだろうと
期待しています。
でも、わたしは見られないのが残念ですが。
試合は相手があります。
相手がどのようにテニスをするか、
それに対抗して、自分はいかにテニスをするか、
テニスをするというのは、
しっかりボールを交換して、
隙を見つければ無理をする事なく
相手の劣勢を拡大することです。
隙ができなければ、隙を作るまで
正確にボールを交換するのです。
人間のやることですから、
必ずどちらかが隙を作ります。
つまりいつかは対等でなくなるのです。
優劣があらわになって来るのです。
正確に根気よく続けることが肝心です。
気合いを込めて、全身の力を使って
プレーするのでなくてはできないでしょう。
手先のプレーでは役には立ちません。
全身の力を使うためには、確信を持って
プレーするのでなくてはならないでしょう。
これが気合いを込めるということですね。
確信を持つとは、頭の働きですが、
コートをすべて把握する、つまりは
コートのすべてを使う考えを持っていなくてはなりません。
上手なプレーヤーは、相手のプレーヤーより
コートの使い方がうまいのです。
苦しいボールと楽なボールをよく理解しています。
苦しいボールを耐えるのです。
耐えるとは、動くことです。
本気で動くのです。これができなくては
テニスにはなりません。
本気で動けますか?
動けない理由なら直ぐに思いつくでしょうが。
特に前衛陣は、本気に動いて
耐えなくてはなりませんね。
横へではなく、前へ動くのでしたね。
後ろも横もありますが、前でした。
この矛盾を解消するのが前衛の理解なのです。
理解してない前衛をつけて、カバーして
平気でテニスをするのが後衛です。
この無理難題を解決するのが後衛の理解ですね。
人間は、無理と矛盾に立ち向かうのです。
神には、存在しない問題なのです。
女子部主将の山口典子です。
OG戦を11月18日日曜に行いたいと思います。
13時半試合開始予定です。午前10時から練習をしています。
連絡が大変遅くなり、手際が悪く申し訳ございませんが、
よろしくお願いします。
夜は天寅にて、納会が行われます。
質問等がございましたら、トップページの連絡先より主務の方ま
でご連絡ください。
失礼致しました。
藤田さんの論は、
序章「秀吉神話」の系譜
第1章 戦国時代の「悪党」
第2章 本能寺の変
第3章 関白の「平和」
終章 軍国神話の現在
と分かれています。
第3章の最後と終章の論が「帝国」の
論なのです。
最近学会では、秀吉の平和主義なのでしょうか、
「豊臣平和令」なる語があるのだそうです。
惣無事令:大名・領主の交戦権の否定
喧嘩停止令:百姓の合戦・喧嘩の禁圧
刀狩令:百姓・町人の身分令
海賊停止令:海賊行為の厳禁
によって規定されるのだそうです。
第3章の終わりと終章から帝国論です。
賤ヶ岳の戦い(1583 天正11)以来全国規模の遠征を
なぜ7年もかけて行ったのか?「京勢」と呼ばれた
豊臣軍による軍事行動の一部始終を、現地民衆の脳裏に
刻み込ませ、有無を言わせず地域社会の変革を
強制することを最大の目的としたためではないか、という。
そして、ここで現在の構造改革が出て来る。
一見「地域おこし」のための取り組みとも
みられる改革の本質は、国の財政再建のための
抜本的な「税制改革」にある事は明白だ。
これでびっくりしたのです。うはあ、こんなところで
こう来るか?と本当にびっくりしました。
歴史学とはこういうものか、と知りました。
荘園制的な狭隘な市場構造を破壊し、
首都の巨大な市場構造を統制するために、
全国規模で検地を行い石高制を導入した。
これで武家領主が年貢を収奪できた。
この構造改革を秀吉の軍隊による遠征が
もたらしたというのです。
信長改革と秀吉改革の違いとして、
軍事国家、中央集権国家、絶対主義の可能性を
信長に見て、秀吉は似てはいるが個人的な富の
独占を図ったという。家康は農本主義に基づく
分権国家を作ったのだそうだ。明治時代帝国主義が
必要になったとき、秀吉神話が求められる事となる。
最後はアメリカ帝国の出現となる。
帝国論は予想外のことで、ちょっとしんどく感じました。
神野志さんの話しは、古事記と日本書紀は
どちらが正しいのか、という問題のたて方ではなく、
それぞれが描こうとした当時の「古代」を
しっかり見ようと言うものです。
古事記は、語りの古代、日本書紀は、文字と
文章、紀年のある古代で、そもそも違っている。
その他の古代もある。聖徳太子を主題とする
古代と万葉集あるいは柿本人麻呂を
中心とする古代など。
神野志さんの言うところによると
「八世紀初に、律令国家としてつくりあげた世界を
確信するために、古代国家は、みずからの「古代」を
もとめたのだが、そこでつくられたものは、
ひとつではなかったとみるべきである。
どちらが正しかというとらわれからはなれて、異なる
紀年を見ることに導かれ、誤りや間違いとされてきた
ことの意味を考えなおすことになる。
仏法伝来の紀年や聖徳太子の問題にただちに
広がる。」
のです。なかなか読み応えがありました。
藤田さんの話しは、本能寺の変は光秀が起こしたのか?
など近年話題の著者もありましたが、わたしは関心がなく
何も読んではいなかったのですが、ここにも
関係してくるものでした。わたしが本屋でひかれたのは、
「秀吉神話」なるものを私自身が知らず、なんだろう?
と思ったからです。
いつの時代も(といってもこの50年ほどのことですが)
信長、秀吉、家康の3人の中で誰を好むか?は
もっとも人口に上る興味でした。最近も小泉さんが
信長好きで有名でした。(わたしは、小泉さんは
秀吉型と思っていますが、「変人」の強調が
信長型につなげているとする評価が多い)
秀吉の出自を先ず問います。非農民型の被差別者
であった、これが奏効して誰よりも情報収集能力が
高かったとします。
光秀と出世競争を争い、信長の天下統一後の
統治形態が予想される中での信長家臣団の不安感
増大と足利義昭将軍の反信長への画策が、
秀吉光秀対抗での秀吉勝利による光秀謀反の可能性
を高めたため、光秀を監視することで信長後の
権力掌握と天下統一の野望を可能にしたというのです。
天下統一後の秀吉政治では、検地と刀狩が有名です。
日本史を高校で勉強した時のポイントでした。
検地と刀狩がなぜ必要だったのか、これで
戦国時代が終わったのだ、という話しですね。
ここから藤田さんは、現代日本の政治、小泉さんの
構造改革、安倍さんの構造改革とつなぐのです。ちょっと
びっくりしました。
小林君の報告は楽しいね。
なかなか健闘できたと見てよいのではないかね、
まだもう少し余裕があったのか、
とくにロブの水準が上がれば
相当に戦えるのではないか。
現役たちをゼロ封するテニスを見せて欲しい。
何本取られるか、の水準を本気で
考えるとよいのではないか。
まあ、どのようなことを本気で考えるのか?
ということは、いろいろな水準があり、
ばかばかしいものから、求むべき論まで、
しかも人それぞれということもあり、
整理して、だれにも分かるようにするということが
そもそもできないのかも知れないのだが。
安倍さんが何を考えたのか、・・・・おおむねの
判断は、お疲れさんと。
小沢さんはどう考えているのか・・・・・不明だが、
実力者か指導者か、いろいろ声をかける御仁が居るらしい。
政治家先生達は、おろおろと取り見出し、落ち着かない
らしい。世間が騒ぐと安心して、声をあげ動き回る
人間が出て来る。稼ぎ時を狙っているのかも・・・・・・。
そんなことを考えさせてくれる新書を2冊。
共に講談社現代新書
1907 藤田達生さんの
「秀吉神話をくつがえす」
1914 神野志隆光さんの
「複数の『古代』」
塩谷元次官の回想、反省、吟味、提議に
見られる心の動きを、どうのこうのと言うのは
何か資格が必要になるのだろうけれども、
著書として販売されると、一読者としては
自分の感想を正直に述べざるを得ない。
利害関係がない、とも言えるし、
自分の恥をさらすだけだとも言いえよう。
政治家の仕事はその時の社会のあり様に
よって決まってくる。その政治家と共に
仕事をするのだから、社会の要請、つまりは
勢力争いに浸ってしまうのは当然のことだ。
ここで、正義なるものを客観的に提議して
社会に認めさせようなどと考えるものは
居まい。批判を封じることが最大の狙いになる
のではないか。どうやって封じるか、これは
封じさせまいとする力の強さによって
やり方は変わってくる。
橋本さんは、あれもこれもと多方面に策を
し掛けているように見せて、その優先順序に
間違いを犯した(としか言い様がない結果になった)。
小泉さんは、たった一つの策に絞って
勝利した(とご本人はご満悦だし、他は
認めざるを得ない、という結果になった)。
安倍さんは、気持ちを萎えさせ、小沢さんは
放り出したのかそう見せているのか。
戦略があれば成功し、なければ失敗する、とは
本当なのか、と疑うことはできないのか。
本当かどうか、実験で確かめたらよいのだが、
自然科学でないと観察さえできはしない、という
のかどうか。
問題のたて方が解答のあり方を決める。
解答が、問題にどのように答えていか
が議論になる。つまり答えになっているかどうか。
解答を見てから、問題を考える、いや、
問題をたて直す、のが政治の世界ではないか。
答えさせないようにする、なんていう方法が
茶飯ではないか。
答えを無視され、やむなくずるずると
落ち込む先が、思い通りにならない現実なのだと
答えるしかない、のもまたよくある話し。
すべては偶然、だが必然と考えるべし、となって
占いがはやるのだという、のもまた昔から。
ヘロドトスを見よと。
わたしは、ツキジデスの考え方のほうが好ましい。
司馬遷はもう一つよく分からない。
神が、お前は○○○○をせよ と命ずる
となれば。宗教とはそんなものか。
人間の側にどんと居るなら、神が出て来るだろうか。
どんどん他校に離されて行く、のかな・・・・。
だいぶ自信喪失だろうか?
練習不足が原因というのかな。
練習不足でも勝てました、というのが
本当なのだが・・・・・。
いくら練習しても勝てません。
勝てそうにありません。
これは他校に言わせたい台詞なんだが・・・・。
うちだけが一方的に言わせられている
という結果になっている、と見るのは
辛いかもしれないが。
意思が弱いとか、
根気がないとか、
気持ちがあかんとか、
いろいろ言われるとしぼんでしまう
のだろうね・・・・・・。
難しくしているのだろうというしかない、
と断じると・・・・・
テニスを難しく考えているのだろう、
と思うしかない。
簡単なことにどれだけ集中できるか。
満足する結果を手に入れるまで
懸命になって集中できるか。
集中するのに、なにか保証や
理屈が欲しいのだろうか。
励ましだけでは不足するというのだろうか。
明るさと元気を糧に楽しくテニスができれば
よいのだが・・・・・・。
ちょっとしんどく感じるところがあるのだろう。
練習がしんどいのか。
試合がしんどいのか。
顔を合わせるのがしんどいのか。
テニスをするのがしんどいのか。
練習の中に、集中すべき星を見つけていない、
のだろう。
自分の星、テニスの星、人をさそうべき星。
秋なのかもしれない。
ちょっと時間が取れません。
18日会場に駆けつけるしか余裕がない。
元気を出して、楽しいテニスを。