蒼穹掲示板

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文化なのか、慣わしなのか

2007/12/25 00:27:10 麻田佳明

とにかく「メリークリスマス」
特に贈り物というのはないのですが。
「蒼穹」が年内に発刊できないようなのが
残念ですね。現役のみんなが
卒業生と繋がりを持つかという一点で
考えてもらっていると考えるのが、わたしの
判断です。いろいろな事情があるはずですから、
OBの圧力というような見方はとらないで欲しい
と思っています。誰かひとりに責任が集まると
いうようなことにならないよう考えてください。
ただ現役だけのものとするなら従来の了解事項を
変更することになりますから、説明が求められる
ことになるでしょう。なんとなくやり過ごしてしまう
というのはわれわれの部のやり方ではないでしょう。

朝起きると、結構激しい降雨であったので、
ちょっと躊躇しましたが、まあそのうち晴れるかもと
期待をして家を出ました。めまぐるしく天候が変化して
驚きました。予想以上に気温が高くて
嬉しい半面大丈夫かなと心配にもなりました。

吉田の周辺は食堂がほとんど開いていなくて、
ちょっと不便でした。山元さんが先に出てきておられ、
百万遍からわずかに北上したところに
大衆食堂を見つけていて携帯で案内をいただきました。
ふたりでいつものように喋りながら昼食をとりました。

その後、二人で久しぶりで乱打をしました。

boxに入ると、細川が一人で昼飯をほうばっていました。
連絡がとれているらしく、2時頃から集まってきて
練習していました。

中瀬古と平田も元気に出てきていました。
中瀬古と乱打をしました。ちょっと
わたしのエンジンがえんこを起こし気味で
もう一つしっかりした相手を務められませんでしたが、
なかなか楽しいテニスをしました。ありがとう。

中瀬、林、佐々田のM1が練習に入っていました。

年の瀬に ポーンポーンの 音響く
吉田のコート 走る若人

降る雨の コートに残す 
湿り気を 球が拾って 湯気となるかな

そろそろ終わりだけれども

2007/12/24 00:59:59 麻田佳明

終わりません。
忘年会を一つこなしてきました。
わずかに3名だけの会なのですが。
そうですね。園田さんだけには
分かってもらえるメンバーなんです。
ナスカという会社関係です。

残すところは、29日の
高校の同級生の忘年会だけです。

定期検診の結果は
良くないのですが、
やはり飲むことになってしまいますね。
家内の怒るまいことか。

現役たちはどこまでぎりぎりの練習をするのでしょうか。
明日(というより今日でしょうね)
コートへ出掛けてみようと思っています。
昼飯をとるところが在るのかさえ怪しいですが。

今年は、思い返せば、なかなか
悔しい思いの募った年でしたね。
私自身は、西日本大会がもっとも悔しかったですね。
もう少しテニスの形にまとまりを与えることが
できていれば勝負をかけていたでしょう。
まとまりを確信できなかった分
どこかいい加減でした。それが残念です。
春のリーグの覚悟がもう一つしっかりしていなかった
ということでしょう。

来年は、このようなことはないでしょう。
後衛か前衛か、ということなら
明確に前衛だ、ということになるからです。
前衛が課題だ。
でもね、前衛を育てるのは後衛なんです。
そこまで覚悟が固まっているか、が問題です。

後衛のテニスが、覚悟を固めたものでないければ
前衛を育てる枠が作れない。
これではあいまいなままです。

前衛の素材では、十分数は揃っているのです。
先日、中祖と梅原の練習を見ました。
赤木と野木を未定ないので、確定的ではないのですが、
来年のポイントとなるのは、中祖と梅原でしょう。
そこそこ基礎はできています。
基本がまだできていません。誰が教えるのですか。
コーチが欲しいですね。
ほとんど毎日つきっきりで面倒を見る
コーチが欲しいのですが、なかなか
難しいですね。これが現実です。

北谷と矢守も成長の段階にあります。
辻田が復帰するのが大きいですね。

後衛陣が、今の前衛陣を良く理解して、
来年の飛躍の為に必要なことを見つけ出して
一人一人自分にできることを
確実にこなして行くことができれば
希望は膨らむのですが・・・・・。

やるべきは誰にも明らかではないかな。
どこまで根気良く実行するかが課題なんだろうと
思います。

忘年会もそろそろ終わりですね

2007/12/20 23:51:50 麻田佳明

今日は浜大津で山元さんと忘年会を
持ちました。なかなか落ち着いて
しっとりとした旅館です。
客を1日に二組程度しか取りません。
山元さんのおじいさん 春挙 さんの
軸を飾ってくれたりします。
今夜は春挙さんのお弟子さん 
四天王と呼ばれたうちの一人の
軸がかけてありました。雪景色です。
石も置いてありました。すこし
形がふくろうに似ているなあと
わたしは感じました。
そして花がいけてありました。
夜遅くまで宴を開くようには
なっていません。8時半までと
インターネットには書いてあったそうです。
山元さんがわざわざ調べたのだそうです。
われわれは9時少し前に宴を開きました。

今年も残すところ10日でしょうか。

山元さんがしみじみとご自分のブログで
書いておられますが、年のたつのが
なんとはやいことかと、わたしも
思いますね。齢を重ねると仕方がないこととは
いえ、本当にめまぐるしく時はめぐるものです。
巡るからこそとも思うのですが、
一目散に何に向かって駆けているのか、とも
思います。

こうして思いつくままによしなしごと、
たかぶりごとを書きつけて無聊を慰めて
みなさまのお目を汚しておりますが、
なんとも申し開きもできず、まことに
心苦しい限りでございます。
せめてせめても、世の中にみなさまがたと
心を合わせて、喜べるような心温まる
出来事が出来すればと思うのですが、
残念ながら、わたしの感性の鈍さでしょうか
なかなかそのような出来事に気が付きません。
目につくのは心乱される出来事ばかり、
心を広く豊かに広げておけるならけっして
非難の気持ちも起こらぬのでしょうが、
真にちっぽけな存在です、ついつい
無作法の限りを尽くしてしまいました。

せめてあと10日ほど、静かに
謹慎などすべきところとは存じますが、
なにやら不穏当な言説をご披露するやも
知れません。

煩悩の火は消すことはできぬようではあります。

合掌

じっくり腰を据えて取り組む(2)

2007/12/18 01:02:38 麻田佳明

千々和のストローク力はずいぶんと成長しています。
打てるだけではテニスに強いとはなりません。
打たないことが打つことになる。打てるときには
打ち切ることです。ロビングを弾ませることが
強い攻めです。ストレートのコースでサイドを割らせる
ラリーは強い攻めです。制球力の勝負にもちこむためには
今のストローク力では足りません。
ストローク力をテニスのラリーとして使えるものに
水準を大幅に引き上げるべきです。

田部井は上記3人と比べると逆になっているように
感じます。つまりストローク力に劣ると自己評価するために
有効なラリーを実現していても、それと気付いていない
のです。打点も複数あり、コースも3種持っているはずです。
しかし意識してラリーを優勢に保つように打っていない。
前衛を(相手の前衛を)押さえ(自分の前衛を)活かし
優勢なラリーを無限に続ければ負けることはないという
考え方をしていない。自信を持っていない。
それと意識して練習すれば、いますぐ実現できる力を
もっているのにもかかわらず。

ソフトテニスがどれほど繊細な神経を要求し
緻密な心配りを欠かせないか、を知るべきですね。
構えと足の運びを一歩たりとも、1cmたりとも
おろそかにしてはテニスはできないのです。呼吸法が
どれほど大切なものかにつながっているのです。
姿勢の保持が、とくに頭の安定、見る目の安定が
水準の高さの判定基準になります。
あの小さな軽いゴムマリが、60kg、70kg
の身体を振りまわすのです。
身体を使って自在にボールをコントロールしてこその
テニスなのです。


じっくり腰を据えて取り組む

2007/12/18 00:34:19 麻田佳明

いい感じですね。
焦らないでひとつのことを深く掘り下げ
納得の行くまで確認する。

目標を意識していることが必要です。
気分だけでは、時間が空費されてしまいます。
ここが難しいところです。判断が
難しい。手応え、実感が欲しいので、
どうしても時間の空費になりやすいところです。
コーチが、有能なコーチが必要です。
結局厳しいコーチということですが、
有能とは、厳しさだけではない、なにか
信じるべき理由が確信できるということです。
他に頼っては、そのような環境にないときに
なにもできないという結果しか出てきません。
今ある環境に、それでも活かして
自分の練習を進める前向きの心が
必要です。

たとえば、逢見のストロークですが、
打点を高くとか、遠くとか、近くとか
に膨らませる目標をもつことです。
先日の乱打を見ると、しっかり打つことに
目標があるように見えました。
またバックハンドストロークの
ラケットの引き方が複雑です。打ち離すときの
ラケット面操作に自信がないから、引き方に
無駄な動作が入り込んでしまっているのだと
わたしには思えます。もっとすっきりした
引き方で、鋭く強く打てるように研究すべきです。
強いシュートに対して正確にロビングを
打てるようなストローク力をつけるべきです。

小柳は、フォアの遠い球に追いついてストロークする
場合に体が開いてしまうストロークしかない点が
研究不足と思います。もっと楽な追いつき方と
鋭く狙ったショットとを修得する意欲を持つべきです。
また、対等の状況を維持し仕掛けのタイミングを
狙うためのロビングの利用をラリーに考えるべきです。
いつでも強い球が打てるというのではなく、狙いを
定めるために機会をうかがうラリーの研究が欲しい。
相手の気持ち、陣形、タイミングを判断するためには
ロビングを続けることが有効です。相手は警戒しますから
より一層仕掛けの機会をうかがうことが有効になるのです。
仕掛けの球の厳しさをもっともっと練習すれば良いのです。
相手が打って来るよりない時、あるいは打てばなんとかなると
思いこんでいる時、ロビングで様子をうかがう態勢を
取ることが強い攻めとなることを考えて見ることです。

やはりもう少し考えるべきか

2007/12/16 01:04:05 麻田佳明

と思いますが。

偽装問題で
「低額を高額としてしまった、でも」
の意味なのですが。

単純な詐欺として
売価を低額から高額に張り替えた
わけではない、との意味です。

付加価値を付けるとか
流通経費を費やしてという事なく
右から左に流すだけで
儲けてしまうようなやり方ではない
なあとわたしは感じたのですが。

商売とは、どのような行為なのか。
安く仕入れて、高く売る。
これは別におかしな商売ではない。
しかし、買い手の無知につけ込んで
儲けるのはけしからんというだけでは
どこかに価値観が入っているのではないか。
文化が前提されているのではないか。
騙しはならぬ、は議論を求める
命題ではないか、と思うので
わたしの論理の未熟さ不徹底が
原因で、自分自身で混乱しているように
思います。もうちょっとしっかり詰めてから
文章化すべきでしょうね。

ガラスをダイヤモンドと偽る。
癈鶏を比内鶏と偽る。
今日(15日)の朝刊に、馬肉に馬脂を注入して
「霜降り馬肉」と偽ったニュースが載っていましたね。
このようなのは、騙し、偽、詐欺、ですね。
でも、なかなかきわどいような
思いも断ち切れません。
どうも論理が怪しいですね。

フィブリノゲンの薬害は犯罪ではないか。
だからこそ、隠したのだ。
知らなかった、分からなかった、とするための
時間稼ぎです。

そうそう、朝日新聞の金融危機だと
銀行に対する公的資金注入は
本当に必要だったのかと、このところ
土曜日の朝刊に特集記事を連載しています。
「庶民感情」と社会的合理性の対立を
柱にしていますが、マスコミの論としては
わたしは疑問に思います。
翼賛政治で大東亜戦争を煽る記事を書いたのと
同じ精神構造ではないかと思うからです。

地球温暖化について、日本のマスコミは
もっとも悲観的な場合の予想をこそ
、警告を発するために記事にすべきと
考えているのだそうですが、どこか
変に感じます。
時には、パニックを押さえるためと
隠すことも合理化するでしょう。
この辺は、福田首相と同じではないでしょうか。

寒いとの予報でしたが

2007/12/16 00:34:17 麻田佳明

朝起きたら良いお天気で
青空の下日光がきらきら輝いていました。
よしコートへ出てみようと
昼前から出掛けました。
京都駅に着いてみると
空はどんより曇り降るのかな、と
いう雰囲気です。困ったな、もう帰ろうか
等と思いつつもバスを待っていると
木枯らしが舞いどうにも寒さがつのります。
コートへ着くと寒空に寂しいコートが
ありました。
誰も居ないな、と思っていると
boxから花尾、井上、千々和が
出て来ました。ノルマを果たし
帰るところだとのことでした。
時刻は1時です。
東山通りのバスの運行に結構かかったようです。

昼飯を「平和」でとって再びコートへ。
4人、5人、6人とboxから出てきます。
その後も何人か、ノルマを果たして帰ってきたのやら
これからのやら、なかなか賑やかでした。

嬉しかったのが、辻田が元気で練習して
いることです。少しだけ乱打の相手をしてもらいました。
なかなか良い感じで楽しかったですね。
球を呼び込む感じがあって
楽しい乱打でした。
しかしわたしの体力の方が持たず
わずかな時間でギブアップしてしまいましたが。
筋肉が痛むというより
何だか疲れがたまってくるという
じわじわしたくたびれ方を実感しました。

女子が出て来なかったのが
寂しく感じた程度で、みんな楽しげに
テニスをしているので
わたしも楽しく感じました。

ちょっとスマートだったかな。
もうちょっと力強さが感じられると
すごさがあったのでしょうが。

お知らせ

2007/12/15 17:29:31 ソフトテニス愛好者

明日(12月16日)夜8時からのフジテレビ系「ジャンクスポーツ」
に、ナガセケンコーの平田選手が出演します。
マイナー競技のソフトテニスにあってはめったにない機会ですの
で、お時間のある方はぜひご覧ください。
突然失礼しました。

どういうもんですかね

2007/12/15 00:17:37 麻田佳明

どうも行き詰まりの感じになると、
あちらこちらにきしみの音が聞こえてきます。

行け行けドンドンのときは、
いろいろ不具合が起こっても
なんとかぎりぎりでセーフてな
感じで、冷や汗をかき、脂汗を流しても
あはは、わははで済ましてしまったという
経験がありますね。

80年代のアメリカのごりごりぎしぎし、
それに引き換え日本の大国意識。
90年代のアメリカ帝国、日本の不調。
そしてブッシュ・アメリカ、小泉・日本。

瞬く間に、中国だーっ!。
ロシアも。

それにしても。
米国野球選手の薬物使用の露見。
日本へ来た選手にも疑惑が。

清水寺 今年の漢字「偽」ですか。

食品の 偽装 なんて、なんというか、
意味が確定するようには思えないのです。

毒を薬として偽った、でも
有害を無害と騙した、でも
無益を有益と言い過ぎた、でも
低額を高額に変えてしまった、でも
ごみを商品に変えてしまった、でも
ないのです。
単に、儲けたかった、損をしたくなかった、
です。いえ、正確には、
儲かるだろうの安易な予想が
外れたのを露見させたくなかっただけのように
見えますね。商売が下手なだけです。
まともな商売人ではない、としか言いようがありません。
即刻退場、廃業です。

皮膚細胞から万能細胞を作ることに成功の報。

ロボットの修理ではなく、生物の部品製造と取り換えで
生物の修復を可能にする道が拓かれたか。

薬による生物体の機能向上の方は、
油をさして機械を整備するのとくらべ、
容易に試みたくなる方法ではないか。
よほどしっかりした危険性の説明がなければ
止められないのではないか。

金銭的な支援となると、積極的に
採用する論理も出て来るだろう。
高校野球選手への金銭的援助の採用。

資金の調達は個人レベルから国レベルまで
希望する声はきっと多いはず。KIVAという
金融のNPOが存在しているとの報道を見た。

けっして、今身の回りにある銀行などが
唯一可能な機関と言うわけではない。
米国や西欧の大銀行が『正しい』機関と言うわけではない
だろう。どのような文化の下に
機能しているか、もっと深い研究が必要ではないか
と思うのだが。
金儲けが正しくても、具体的な行為が正しいかどうかは
簡単には決まるはずはない。法に反しなければ
良いというのなら、法の定まる以前に
行為を終えておけば良いとするしかないが、
これでは正しいと判定はできない。

後から作った法に照らして正しくないと
判定されれば、過去を追究できるのだとする
文化の下ではなすべき行為はなくなってしまう
かもしれない。
そんなばかな!というのは常識ではない、と
わたしは思うのだが・・・・・。

経済学をもっとしっかり作ってもらいたい
と思うのだ・・・・・。
日本文化の経済学を世界に通用させてみようと
する意欲はあるのだろうか・・・・。

自分のテニスは、各自作って他流試合に
臨んで欲しいと思うのです・・・・・

ほこりも消えて

2007/12/14 00:32:51 麻田佳明

ブラインドタッチができないので。
ミスタッチと変換ミスを減らす工夫を
やるべきでしょうが、面倒くさい・・・・・。
では、社交のルールを身につけていないことに
なるのですが。
山出しの猿 ということになってしまいます。

そんなことなら、言葉使いから改めよと
たとえば家内が忠告します。いまさら忠告を受けても
もう変えようもなく・・・・
ともごもご言い訳です・・・・・

先日のオリンピック出場権をかけての
野球の試合のTV放送に興奮しました。
いわゆる「星野ジャパン」の試合振りに
感情を揺さぶられました。
特に藤川選手のリリーフのときは
ペナントレースさながらに胸がどきどきして
落ち着いて見ることができなかったです。

絶対勝たなければならない、勝って当然と
見られている相手との試合に確実に勝つことが
いかに難しいか。
言われるまでもなく、本当に難しい。
失敗することもたびたび経験する。
そんな試合を星野ジャパンはきっちり勝ったのだ。
指導陣の緻密さ綿密さ頭脳の勝利。選手の
滅私奉公の精神、己を棄てて他に奉仕する
協調の精神、日本のためという連帯感の
賜物です。
よかった、すばらしかった、偉大な勝利だ。

オリンピックにどれほどの精神性を
注ぐのでしょうか。
サッカーのワールドカップ。
スポーツを超えた、という表現。

スポーツとは、やはり世につれ、でしょうか。

「3S」という言葉が敗戦後に流行りました。
見事な政策とも言われています。

「自由民権運動」を押さえ切った明治政府と
その官僚制度。親任官、勅任官、奏任官(だったかな?)
はいまだに健全だとか・・・。
選挙なんかどこの馬の骨をあげるか分からんし・・・・。

運動をせな、健康にならんと・・・・

スポーツは、世につれ、世はスポーツにつれ、かな・・・

散髪談義もよろし

2007/12/14 00:07:09 麻田佳明

年末とて、散髪を考えるのですが、
これがなかなか、考えるのです。
若いときからそうでしたが。
だいたい月一のペースのはずなんですが、
年末になると、どうも1週か1.6週ほど
時期が合わない!と気付くのです。
うーむ、正確には、気付かされるのです。
走り幅跳びになると、助走がうまく行えない。
踏み切り板が大きな脅威となる、からというような
感じなのでしょうか。

普段は何気なく繰り返していることが、
あるとき急に大きな問題をはらんでいること
に気付くというのはたびたび経験しますね。
ましてや、普段から、問題が潜んでいるぞと
不安を感じてそこから目をそらしていたことでは、
ついに明るみに出るときが来てしまうと、
どうにも卑怯未練な振る舞いに出てしまうものです。

今まで何の問題にもならなかったではないか!、
と嘆いてみても始まりません。身から出たさび
と諦めて潔い態度をとれれば良いのですが。

基本に忠実とは、心掛けるべきですね。
かならず問題になるときが来る。その時に
改めれば良いだろうと初心のうちに
放置すると、後から修正するとなると
たいへん面倒なことになるものです。
といって、基本だ、理論だ、正統だ、と
うるさく注意にさらされるとちっとも
前に進めなくて、折角の挑戦意欲が萎えてしまう
ということもそれこそ日常茶飯なことですね。

良い環境とは、意欲を失う事なく基本に忠実な
技術の修得に励むことのできる環境のことを
いうのでしょう。
そしてまた、陥りやすい過ちに厳しい
厚情を感じさせて鉾らしい気持ちを
維持する態度を自らとることができる
環境でもあると思います。
自己責任は、他がとらせるものではないと思います。
他が追究できるのは、社会的責任であり
法律的な責任です。ここが緩むと自己責任は
あり得ないのではないでしょうか。

年末の散髪は、自己責任の例ではないかと思うのですが。
苦しい・・・・・。

のどか

2007/12/09 01:31:46 麻田佳明

現在は少し気温も下がってきたようですが、
午前中は結構温かかったですね。
山元さんのお誘いもあったので、
昼飯を食べに吉田に出てみました。
相変わらず、観光客で京都は賑わっているようです。
といっても市内の様子をつぶさに観察したのでは
ありませんが。京都駅から東山通りを走る206号系統の
バスの乗客の様子から推測する限りでの話しです。
清水さんへの客が最も多いですね。

いつもの平和で山元さんと昼飯を摂りました。
山元さんのお話しでは、わたしは直接店に
行ったので、現役達がミックスダブルスで
真剣に遊んでいたとのことでした。
テニスは遊びの感覚が大事ですから、
真剣にやる分には望ましいことだと
二人で話しながら楽しい気分で昼飯を
いただいていたことでした。

食後コートを一顧して帰りました。
ラリーを続けることを前提にテニスを
楽しんでいるのを確認したので、特にわたしが
眺める必要も無いだろうと、少し眠気に襲われていたので
帰宅しようと思ったのでした。
帰宅して1時間半ほど良く眠りました。
穏やかな一日でした。

山口のバックストロークはスィングを使っていないので、
振り切られてしまう弱点があるな。まずはラケットを
ボールに当てるときに身体を前に押し出せるよう
足を踏み込むように直さなくてはならんやろな。
後ろ足を前に出すところまで身体を前進させる
気持ちを持つ。腰のひねりか、腕による引っ張りか、
もう少し強引でも良いから、ボールをひっぱたく
感覚が必要だろう。力の集中と分散という点に注意して
ボール捌きを修得して欲しい。
松田にほんの少しだが、力の集中が見えて来たようだ。
ふたりとも、なかなか良いお手本が身近に見られない
のだが、たとえば桝本がこの半年でずいぶんと
まとまってきた様子は印象にあるだろうから、そこから
なにかヒントを得られるのではないか。また中世古の
力のあるシュートに力の集中のお手本だとしてはどうか。

のどかな風景には気持ちが救われる。

テニスのボールは深さをコントロールしないと。

エピローグを読むと

2007/12/06 00:31:54 麻田佳明

ずいぶんいろいろと刺激を受けて
気持ちが振り動かされたのですが、
エピローグに入ると、すーと先が
鮮やかに見えるように感じました。
とともに、そういうことなら、
もう少し幅広く視野を取って
含まれる問題を掘り起こしながら
議論を進めて欲しいものだと感じました。

著者達は、逆に考えたのでしょうね。
そうそう問題を広げて、これからの
日本の金融問題が焦点をぼやかさないようにと
考えたのだと思います。

話しは簡単です。
つまりは、家計部門の黒字を企業部門の
赤字への資金融資とする社会経済問題なのです。
井沢さんが週刊誌に連載されて好評の日本の歴史
でも、経済問題が論じられています。
江戸時代の改革は本当に改革であったのか。
ある意味では確かに改革だが、経済発展や
社会全体の豊かさを考えるならむしろ反動的であった
と考えれる。田沼意次の経済政策は合理的だった。
日本の安全を策する上でも政治的には正しかった。
などが論じられています。あまりに日本の学界が
儒教的教条主義を正しいと考えていたため、
しっかり批判ができていないと、学界批判が
厳しいという点が目立つようですが。

リスクを社会がどのように制御するか、付き合うか、
という問題は、新しい問題ですが、常に存在して来た
問題でもあります。リスクを読みながら生きて行くのは
ある意味動物、いや生物の基本的な条件です。
これを欠いては機械です。どうも機械の方が
リスク管理ができるかのように宣伝するものいいが
あるので話しが逆転してややこしいのです。

経済が経世済民であるという意味に忠実になって
分業を根本に置く人間の社会の自然なあり方
の研究として経済学が定義されるなら分かりやすいと
わたしは思うのです。これってアダム・スミスまで
戻ってしまいますかね。
競争を強調して、相手を邪魔な存在とする
のでは、最後に残る一人の世界への道でしか
ありません。そんなことを求めても必ず
対決者が現れます。
ここらあたりは、カントの世界に入ることになる
のでしょうか。

経済学からは、ここらの話しは聞けないようですが、
実際のところはどうなんでしょう。

・・・だから良いでしょう?!

2007/12/05 01:22:00 麻田佳明

という言い方だけで納得はいかないのが普通では
ないでしょうか。

つまりです、学者だから、科学者だから、
客観的な資料に基づいたから、
冷静に分析したから、
権威あるところのデータだから、
・・・・・
だけでは、納得すべし、とは
なかなかならないと思うということです。

でも、ここらへんは、実際のところ
微妙ですね。

環境問題では今話題です。
地球温暖化は、どの程度の規模なのか?
海面上昇が近いうちに何メートルにも
なるのか?
炭酸ガスの排出を今すぐ大規模に押さえなくては
ならないのか?日本はずいぶんひどい水準にあるのか?

そんなに簡単に実態が分かるのか?
コントロールの可能性が見つかっているのか?

ムードに流されて、結局のところ
努力しているから良いではないか、と
何のことやら意味不明の結果になるのではないか?
ムードに流されるのは、かなり少数派、つまり
日本だけだけではないのか?

自然科学の歴史における、意外性と発見の
続出、と思えば、実に当たり前の理屈の
連続、いや科学者の頑固な保守性と
新参者の奇想天外な発想の成功は、
人間の側のいい加減さの現れを証明している
だけではないですか。

折角の丁寧な分析がなされたのですから、
ぜひいろいろな立場の経済学者の分析と
比べて激しい論争を展開してもらいたいものです。

銀行あるいはもっと広く金融のあり方を
国や民族、地域の歴史と文化に基づいた
理論の上に立って分析して欲しい。
グローバル化を前提にしたところで、
時代の先頭は常に変化するのではないか。
現在の欧米の銀行の行動と比較するだけでは
議論の射程はあまりないのではないか。

あまりに単純に時代に遅れるな、とする
議論の仕方は、「構造改革」という
言葉を安易に振り回すことになるのではないか。

日本構造とその特徴とでも言うような
議論のあり方があっても良いのではないか。
安易な官僚、幼稚な学者、能天気な大衆、と
言うような批判を世界に向けて言えるようであれば、
世界から厳しい意見を投げかけてもらえないだろうか。

アフガン給油に参加しないと
世界から信用されないからと、国内だけで
ごちゃごちゃやっていても、??ではないか。

こんなことばかりでは・・・・

いろいろと思いが湧きおこされる本です.続きです

2007/12/05 00:49:22 麻田佳明

変なところで切れてしまいました・・・・・。

続きです。

政府の側で(あくまで理性的で客観的に政策を
見ていたのだとしても、あるいは国民のために
利益を損ねないよう一方的な権力行動には
できるだけ多くの選択肢の存在を提言したのだ
としても)情報を作っていたというのなら、
どこか批判を受けても良しとする開放性が宣言
されているべきだろう。

銀行の行動を評価するにあたって、基準となる行動が
ない。そこで世界の大銀行を選んで、それらと日本の銀行を
比較してみるという分析の仕方は(著者達も、十分
その偏りは断ってはいるが)、統計的に分析をした結果だと
言う点に素人を押さえつける要因になると言わざるを得ない。

経済学が科学であるとする立場からは、高木(仁三郎?)さん
だったと思うが、「組織の科学」、「アカデミズムの科学」、
「市民の科学」の分類を思わざるを得ない。つまり
手法がいくら高度なものであっても、データがいくら
専門的なものであっても(今回は誰にも入社可能
ではあるが)、科学者の立つ位置が、したがって
サポートを受けているバックが明示的(大学教員、
研究者ではあるが)で、しかも主張がどのような
社会を良しとしているかといかに整合しているか
に開放性が感じられないと、折角の著作の意味が
薄れるのではないか。

ジャーナリズムやアカデミズムに、いまだ
広く受け入れやすい批判が存在していない
現在、以上のような点に(意識的にか、
無意識的であるかは別にして)触れていないのは
どうも納得し難いのですね。

科学者が、どこからどのようにして、何の為に
データを入手するかという問題は、かなり
重要な批判の材料になるはずですね。

わたしには理解が難しいことも

2007/12/04 00:43:10 麻田佳明

著者である大村さんと水上さんが
どのような問題提起を意図されているのか、
これだけを考えても簡単とは思えません。

金融庁と市場の間に、違和感があるとして
その間に評価をめぐって解消させるように
情報を作成した、ということがある(らしい)。
この情報は、どちらか一方のものに偏っては
いけないからと、公開されている情報をもとに
ミクロデータを分析した。仕事量は膨大になったが
信頼性は高いのではないか、という。そして、
理論的な厳密性は犠牲になったが仕方がないとする。
このような説明は、なるほどとうなずけるともいえるし
著者の立つ位置が如何なるものと認識するかで、
疑問を感ずるとも言える。

評価の確立していない問題に対して、1次接近を
試みる政策監視システムが我が国では過小投資の
状態にあることも踏まえて、こうした機能を社会の
どの部分に位置付けるかという問題を提起した、と言う。
この認識も、微妙なように感じる。そして、この文章の
なんとも堅い点が気になる。如何なる意味で、
評価が確立していないと表現するのか、と考えても
やはりなかなかのものではないかと感じるのだが。

先に述べたところではあるが、実態を示す客観的資料が
なかった。深刻な事態であるにもかかわらず、世の中の
誰もが重要な実態を、あるいは、実態をどう評価すべきか
について、本当のところは知らなかったのかも知れない、
と言うに到る点も、やはり問題を感じる。
「官」の特徴は、数字を具体的に示したがらないところ
にある。これではしだいに実態把握能力が低下し、
政策判断の基礎が脆弱なものとなって行く。また、
制度の影響や政策立案の過程に対する洞察なしには、
分析結果に対する解釈も浅薄なものとなる。しかし、
このした情報生産(著者達の行った)は「官」にとっては
ハードコアに抵触しかねない。それでも(著者達は)
ファイナンス理論や金融工学の手法を導入するだけでなく、
制度の影響や政策決定過程の問題も踏まえて
インプリケーションを整理する姿勢(どうも
このような表現にわたしはなじめない)が重要であると
強調したのだと言う。
そして著者達の主張や分析結果は、景気も回復が進んでいる
今なら、冷静かつ客観的に受け入れてもらえようと言うのだ。

わたしには理解が難しいことも

2007/12/02 03:20:24 麻田佳明

多いのも事実でした。
第三章の公的資金の注入では、具体的な
資金の注入方法のやりかたがどれだけある
かだけでなく、すべての銀行が
どれだけ他行との競争に負けたくないか、
都合の良い条件にどれだけこだわるか、など
の問題があって、誰がどのように、
どのような理屈で説得して行くのか、という
問題があることが理解できます。このような問題は
まったくはじめてのことで、なかなか理解できません。
しかし、社会的合意があれば(どのような合意かは
良く分かりませんが)時間はかかっても方向は
決まってくるのではないかと考えられます。この合意を
実現させないように画策する勢力はあるでしょうが、
他方には合意形成を図る勢力を育てれば良いはずです。
ここに社会制度の成熟の度合いが見られるはずです。
この成熟の度合いをしっかり見守る文化が肝要ですね。
大村さん水上さんの思いも、幸いうまくいったから
良いものの、今回の経験を忘れず、しっかり反省する
必要あるとしています。

2005年3月期には、主要行の不良債権比率の半減化
(2002年10月公表の「金融再生プログラム」
の目標)が達成された。そこでこの「金融再生プログラム」
とは何だったのか客観的に取り上げるための分析整理を
行ったという。ポイントは ①金融行政の転換と
銀行への影響 ②銀行の変化と事業企業への影響
である。
第4章 金融システム安定化政策の検証
ガバナンスの重要性
金融行政の転換と銀行経営への影響を追う。
わたしには、この章が最も難解で理解が難しかった。
専門性も大きいのであろうが、問題の本質部分でも
あるであろうから、しっかりと理解する必要がある。
政策の良し悪しが判定できる部分のはずである。
とともに同時に、日本の文化や社会のあり方、
伝統と価値観、つまりどのような生業を良しとしているのか
としっかり結びついた議論が成り立つ論理が必要である。
金融工学だ経営学だと足元のおぼつかない
損得勘定さえあやふやな理屈でまとめられたらたまらない。
この点でのわたしの理解不足が厳然として存在する。
判り易い解説をお願いしたいと感じたところです。
第5章 問題先送りの金融支援?
債権放棄の目的と再建型処理の効果
銀行による金融支援を受けた事業法人のの軌跡
分析結果は、取引先への金融支援では、過去の
取り引き関係や社会的影響を踏まえつつ、
損益構造や資産効果の改善を促して残債権回収の
最大化を図り増資等も行いつつ迅速な不良債権処理を
進めたとなって、一定の評価が与えられた。
第6章 金融正常化の過剰債務の行方
MSCB(moving strike convertible bond)の功罪
銀行による支援を受けられなかったため、ハイブリッド証券
の発行にシフトした事業法人の軌跡
ライブドアがTBS株買収資金800億円を
集めるためリーマン・ブラザースが取り扱い証券会社として
100億円の利益を得たという例が典型的。
景気が良い時の資金集めには株式発行は可能だが、
株価が下降局面にあるときには不可能である。この点を
解決する点ではMSCB発行は評価できるが、評価できない
点も多い。証券市場の機能が強化されねばならない。
この章の議論は面白く興味を引かれた。

しかし、もっとなまなましい闘いがあったのでは?

2007/11/30 00:29:00 麻田佳明

と思うのですが、経済の生の姿が
まるで分からないので、大村さんと
水上さんと一緒になって、まるで
一宇宙人になったかのような思いを
抱いて読むしかないというのも、
どうも落ち着かない感じになりますね。

すべての政治家、行政マンが
問題を良く理解すると言うことには
なりませんが、問題を良く理解する、
いやもっと明確なのは、直接利害関係にある
場にいる人々です。既得権の主張と擁護
行動は激しい衝突や剥き出しの欲望のままの
行動で利用できるものはなんでも利用する
という動きで混乱を生むはずです。
そのような予断を持っていると、
そうそう落ち着いた分析をそのまま
なるほどと聞いていることはできないのです。

自殺者の数が3万人を超えたままという
問題をはじめ、右往左往なのか、ひそやかな
冷酷非情なたくらみが進行していたのか、
などの目も必要なはずです。
そのような意味では、銀行なり
企業なり、その経済活動は、儲けを
目指してそれなりの生き残りを賭けた
ものであったように感じるのですが・・・・・。
なんとか透けてきて感じられるのは、
国内的には弱いものいじめに走っているが、
国外的にはいじめられるのではないかと
身をすくめる企業人の態度です。

構造改革か景気回復かという
スローガンの闘いであったが、
戦いのスケールが理解できずに、
構造改革とまとめてしまったのではないか
とわたしは疑いますね。

構造改革をしなければ戦えないのだ、という
言い方は、現実に持ち場を持たないひとの
言葉ではないのか、と思います。

プロ野球やオリンピック競技の監督なら
チームの建設を一からやり直すというのは
あるでしょうが、一国の経済や政治を
一からやり直すなんていう言い方はあるのでしょうか。
「革命的」と言うのはあるのですが・・・・・。

激しい衝突と、その後の突破口を発見して大きな改善
から状況変化を実現するのが実際の
「変化」である、と思いますね。
これは戦略の有無という問題ではないと思いますが。
戦略がないからだ、という結論も構造問題の
側の見方でしょう。

あれれ? 頭の部分が消えている

2007/11/29 23:55:00 麻田佳明

すみません。
書いたはずの文章の頭の部分が消えています。
ちょっと探してみますね。
おおーーーい?!
・・・・・・・

ありましたありました!!

プロローグとエピローグの他に6章ある。

第1章 「貸し剥がし」か「追い貸しか」
倒産した企業への貸し出しの実態
中小零細規模の倒産企業の実態を分析したもの。
結果は、倒産した中小零細企業向け貸し出しは、追い貸しであった、
というもの。
日本の企業の財務に関するメインバンクという
慣わし(かどうかわたしには?)からくる
企業と銀行の経済行動が理解できる。

¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥¥
大村さんと水上さんが2001年年始に
内閣府経済財政部門に着任してすぐに
追われた仕事は、いかにデフレ脱却を図り、
システミック・リスクの発生を回避するか
の対処方法であったという。対処が中心で
本質的議論、金融システムの機能不全の原因
理由は抜けていた。ということで、考える
必要があったのだそうだ。
結果として、銀行機能が分解された、それを
いかに再結合するかを、応用ファイナンスの問題として
システム・デザインの観点から考えた、のだという。
その過程で、「情報の経済学」や「ファイナンス理論」
が想定する状況と起こった現実との間にギャップが
相当にあると認識したので、金融機関の行動や
金融行政をまず実証的に分析し、ファイナンス
理論に基づく考え方と現実の食い違いを
明確化することから始めた、のだそうだ。

プロローグは別にして

2007/11/29 23:37:44 麻田佳明

日本の企業の財務に関するメインバンクという
慣わし(かどうかわたしには?)からくる
企業と銀行の経済行動が理解できる。

第2章 金融システムの健全性をどう確保するか
同質的経営体質からの脱却
金融仲介システムの健全性を評価したもの
分析結果は、我が国の金融システムは、同質的な銀行経営のもと、
明確な経営指標を意識する競争環境にはなく、
不良債権問題に撹乱されるなかで、収益力と
安全面の両面で欧米より劣後している、となった。
日本の銀行の活動と世界の銀行の活動の違い、
いわゆる「護送船団方式」の特徴について
理解できる。
預金金利の完全自由化が94年に実現しても
銀行の進化は進んでいなかったらしい。
金融自由化などはスローガン的であったということなのか。

第3章 公的資金注入の教訓
政策デザインとフォローアップの問題
公的資金注入方法を検討したもの
分析結果は、金融当局が「護送船団の罠」と
呼べるような状況にいかに陥りやすいかを
示唆するのもとなった。
金融システムの危機、日本経済の失敗は
世界的恐慌を招くのではないかなど
知識のないものには、とにかくたいへんな事態らしい
としか思えなかった。
不良債権をなくせ、と政治は動いているらしい
と思っていた。
不良債権が、少しも減らない、どころか
処理しても処理しても増えている?なんて
解説もあり、デフレを止めなきゃだめだ。
インフラターゲティングだ。と大騒ぎの
記憶がある。
資金注入と言っても、タイミングと規模が
問題になるし、再注入での手法が複雑で、
はたして目的を達したのか、副作用が
問題を起こさなかったのかなどの
論点があることが理解できる。

以上が前半である。初めは分かるかなと
不安でしたが、なんとか読めました。

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