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複雑で微妙、しかも幅広いのだが・・・ 続き

2008/01/18 01:55:36 麻田佳明

振り出しに戻る ということでは、福田内閣は
そのように見えますね。小泉はやりすぎたと
振り子は元に戻りつつあると評する者もあるのです。

小泉改革には、菊池英博さん(「実感なき景気回復に
潜む金融恐慌の罠」2007年6月刊)は、そもそも構造改革なんて
する必要はなかったと説きます。構造改革は金融破壊であり
経済破壊であると説きます。論理の流れは理解できます。
判り易いと言ってもよいでしょう。ことばの使い方が
限定的でないので(読む方が限定しないからとも言えるのですが)
言い掛かりと棄て置くことも可能にもなりかねないとも
思います。論点は、郵政民営化と財政健全化(国債の肥大化
対策)です。護送船団行政の必然性と有効性を
うまく時代に合わせて緩やかに変えて行けば良いと
説くのです。

小泉さんは、短期間では(1年や2年では)経済問題は
処理できない、しかし5年程度の猶予をもらえれば
成果を出せる。サッチャーやレーガン並の成果を出すのは
可能であるといいました。郵便貯金や簡易保険に集められた
資金が政府を縛ることの危険性を訴えて「変人・奇人」を
売り物に郵政民営化を持論にしていたはずです。菊地さんは
日本の資金の流れを分析し、地方と中央をうまく還流させる
システムを後先も考えずにつぶしてしまうことを問題に
しています。

本来は、同じ問題意識を持って問題に向かっているのですから
議論が噛み合ってしかるべきなのです。

事態は、銀行の自己資本の減少による金融システムの
不安定化が正面に立ちはだかって来るところまで来ました。
問題が鮮明になりました。経済問題は、金融システムの
安定化だけになったかのようです。でもこれだけ
鮮明になれば、問題の解決も一本道となります。竹中平蔵
さんの功績と称えても良いのではないですか(やっかみを
言う向きもあるかと思いますが、運が良かったと
余裕を持つべきでしょう)。

公的資金の注入が金融システムの安定化に役立ったのは
明らかであったとしても、検証と反省、将来への改良は
しっかり行うのが当然です。税金でなぜ企業を救うのかと
疑問を出すだけでは、それこそ振り出しに戻るのでは
ないですか。

複雑で微妙、しかも幅広いのだが・・・

2008/01/18 01:16:56 麻田佳明

政治問題は幅が広い。経済問題も
政治が当然関係する。関係させないと
する考え方もあるが、それも密接な関係があるからこそである。
政策がどこまで問題解決に適切か、は
どうすれば明確になるのだろうか。

日本人の政治能力について疑問視する声も強い。
経済についての能力はついこの間までは自信に
満ちていたが最近は少し疑問符がつくのかもしれない。

日本の工芸品、職人芸については高い評価を
疑う人は無い。世界一とすると世界を知らなさ過ぎると
批判があるだろうが、卑下するようなものではないこと
では胸を張れる筈だ。科学や技術についても同じであろう。
世界に冠たる!と力まなければ、なかなかの実力と
水準を示していると静かに誇れるのである。
問題解決に到る道、因果関係を明確にし着実な
結果を得る実行過程を踏めばよいのである。当然である。
そのような道が見つからなくても、解決を迫られる
問題に直面することが現実なのだ。ここで道を見つけるまで
時間と労力を費やすのか、道などなくても進んでしまう
のか、と分かれるのではないか。政治や経済における
行動を考えてみるに強く印象に残ることである。これを
日本人の、政府の、戦略性のなさという切り口には
どうも賛同しかねるのです。

小島祥一さん(「なぜ日本の経済は混迷するのか」
2007年1月刊)は、政府・自民党・日本銀行・財界の
4者による非協力ゲームによる4幕劇の繰り返しとして
分析している。4幕劇とは
1幕目:問題は何もない
2幕目:しぶしぶ認めるが、お茶を濁す対策で済ます
3幕目:知らぬは日本人ばかりなり
    (日本の貿易黒字、日本の経済不況、
     日本の金融不安、日本のデフレが
     世界に及ぼす影響についての日本の発信力)
4幕目:白旗掲げて降参で、全面的対策
(これでなんとか前に進めるのかと思いきや)
5幕目:ほとぼりが冷めると、振り出しに戻る 
というのです。循環する政治経済ゲームというのです。

小島さんの指摘は理解しやすいのですが、
日本人の対応力を高めなくてはならないという方向
に進むべきかという点には掘り下げるべき論点が
たくさんあると思います。日本の欠点というよりも
特徴というべきもので、日本人の苦労のしかたとして
もっと開き直ればよいと考えるのです。中曽根さんのように
日本はもっと尊敬されるべきとか敬意を払われるべきと
大国感を求めるのはどうでしょうか。
問題解決に向けて理解可能な対処可能な策の提案と
責任分担の信頼を受けることがあればよいと思うのです。
そのためには、日本独自と孤立するのではなく、強靭で
柔軟な日本人を育成する文化・社会・教育のあり方の
実現です。グローバル化の声が聞こえ始めた頃から急速に
消えてきた環境ではないでしょうか。

複雑な問題 続き

2008/01/17 02:36:16 麻田佳明

能力より個性というのは、信長、秀吉、家康
の比較でよく表される。
わたしは、むしろ言葉の使い方の違い、言葉への
こだわり方の違いではないかと考えている。
信長は、言葉を使わない。命令するときと
質問をするときである。個人的には、意外に
細やかな心配りなどもある(ねねへの手紙など)。
秀吉は、言葉を使う。人たらしである。言葉だけでなく
態度も使う。つまり言葉は道具なのである。狙った
果実を手に入れる事が目的で、言葉も道具として
使うのである。したがってことばへのこだわりは
少ない。言い換え、ごまかしは当然なのである。

家康は言葉へのこだわり、意味を重視する。
言葉の取り消しには大きな代償がともなう。

なぜこのように言葉への態度が異なるのか。

私が思うに、組織を見る視点の位置が違うのだろう。
信長は頂点にあって組織を見ている。組織が
目的を果たせばよいのである。組織の能力と
その使い方が問題であった。

秀吉は、組織の中間にあって見ている。
末端から頂点までがつなっがていることが
重要なのである。つなげるためには大変な
努力と手段・方法が必要なのだ。

家康は、末端にあって組織を見ている。組織の末端
にも間違いのない働きを求めるのだ。そのために
末端からの情報が欠かせない。中間で止まるような
ことは許せない。規則や罰則が、組織の位階を問わずに
行われるものでなくてはならない。

中曽根さんや小泉さんは、秀吉型とする。
家康型が普通である。池田さんや佐藤さんや
橋本さん、小淵さん森さんなどである。
信長型として思いつく人はない。吉田・鳩山・石橋
などの人は(わたしは子供の頃の首相なので
判断できないが)少し匂う。
秀吉といえば田中さんだが、わたしの判断では
いずれとも思えない。首相への階段の登り方が
比較のしようがないほど異なっている(わたしだけの
判断であろうが)のであろう。組織への
イメージが「首相のもの」と違っているように感じる。

複雑な問題

2008/01/17 01:59:40 麻田佳明

橋本内閣は経済問題をないがしろにしたわけではなかった。
むしろ自信満々と言っても良かったのだろう。
しかしやるべき改革が多すぎた。何を優先するか
の判断が難しい。そのうえに、経済問題は微妙である。
(「いきもの」といわれるのもそのことを
表している)希望的観測に支配されやすいのと
思われる。そして官僚の情報操作がある。けっして
官僚のわるだくみや無能の現れというものではないだろう。
有能であるからこその操作、組織維持のための
予防策、状況に対する判断の適格性の有無などが
もたらす行動である。いや組織には必ずともなう
特徴であろう(欠点ともなろうし、長所ともなろう)。
官僚の特性・特徴を心得た上での政治であろう。この点での
予想が狂ったのである。
当然その原因が存在するはずである。わたしに分かるはずもないが、
日本銀行でも全国銀行でも不祥事が幾つも
発生していたことが無関係ではないだろう。金融機関の
不祥事がよく報道されていた。
官僚からの情報操作は、宮沢内閣でも起こっている。
宮沢首相が銀行の自己資本の毀損を心配して当局に
訊ねても、大丈夫という報告しかなかったのである。

バブルがはじけて日本の経済が失速したとみんなが
思うようになって、金融機関や企業の財務が傷んで
来るが、それが日本の経済にどのように影響するかは
日々明らかになっていたはずであり、関係機関や関係者は
対策なり打開策をめぐらしていたはずである。政治は
当然行政の在り方に注意を振り向け政策を
検討していたはずである。政府は、総理大臣は政治家
と行政官僚の特性・考え方を十分考慮してその責任を
果たそうとする。責任を果たすために職について
いるからである。ただ、そのときに個性が出て来る。
出ざるを得ない。能力ではない。

単純なことが複雑に・・・・(2)

2008/01/16 00:54:09 麻田佳明

改革か成長かと小泉純一郎首相が
スローガン、ワンワード・ポリティックスで
世の喝采を受けてなんとか経済が持ち直した
と評された。構造改革とは何なのか?
経済成長はどこまで制御できるのか?
改革と成長の正確な関係が良く分からない
(と誰もがしているわけではないが)ままに
推移している。2005年に 上川龍之進さん
(「経済政策の政治学」)は日本銀行の動きと
経済官僚の思惑、そして政治家の役割を
経済学的にではなく政治学的に分析している。
それぞれが問題の核心に迫っていても
政策はその時の状況が不利か有利かでずいぶんと
歪曲されて結局は責任逃れとごまかしに
陥る。橋本首相は優秀な理解力を示しつつも
強い指導力は持てなかった。(塩谷さんが官僚の
情報がコントロールされていてしかたがなかった
としているところである)大蔵省の根拠のない
消費税率必要キャンペーンに完全にのせられて
政策を誤ったのである。

上川さんの分析と塩谷さんの反省を理解するのに
大村さんと水上さん(「金融再生 危機の本質」
2007年1月)の分析と解説が知識を提供してくれた。
つまり、公的資金の注入、税金の使用による企業救済・
銀行救済が実際にはどのような意味を持ているのか。
注入方法の実際を知ると、政治家が官僚や日銀あるいは
市場とどのように戦ったのかを垣間見ることができて、
やっと注入の意味がほの見えてきたのである。

政治不信、政治家不信を公言する有権者も多い。
これは当然である。この不信の声にしっかり答えない
のなら政治家は商売を変えるべきだし、変えないのなら、
権力を揺りまわし勢力代弁の助っ人=代理人である。
政治家ではない。
しかし有権者の代表者として政治家を名乗るほどの
人ならば、その働きを評価する(肯定的に。
間違いを指摘するのはただちに否定的とはならない)
のが当然である。マスメディアの報道は政治家の
評価が情緒的で政治学の基本に基づいているのか
疑問に感じる。報道機関の自由と独立性にその
厳しさが語り継がれるほどの歴史があるであろうか。
伝説と虚構は経営戦略にのっていくらでも
拡大利用されていないだろうか。

政治家の働きが相当あっても、その経済学的な知識と素養
はどの程度のものなのか。若手政治家には経済学的
知識に富むものが多いとも噂されているが、もう一つ
確たる信頼を持てない。族議員に代表される代理人政治家が
目立つせいである。政党がこの点で充分な人材を
蓄えられていないのが現状であるが、この点をきちんと
押さえた報道がない。個々の政治家の経済知識の水準を
正確に報道すべきなのである。

単純なことが複雑に・・・・

2008/01/16 00:08:15 麻田佳明

経済成長といえば、戦後日本の高度成長である。
世界第2位の経済大国の実績もあった。
1980年代後半の日本の銀行の大躍進は、
日本のメインバンクシステムが経済成長の
秘密として注目を集めた。
しかし日本の金融状況は経済発展の結果
としての企業の資金調達の変化と金融機関の
発展による変化を受けて新しい秩序を求めていた。
事実橋本龍太郎内閣(1996/1/11〜
1998/7/31)は金融システム改革法を成立させた。
一言で言って、戦後の護送船団方式の金融システムと
その維持さえ図っておれば良いとする金融行政では
「日本版ビッグバン」は不可能であった。
橋本内閣は、金融システム改革だけでなく、
行政改革、経済構造改革、財政構造改革、
社会保障構造改革と全部で6つの改革を
政治課題にあげたのであった。
経済状況は、バブル崩壊とその後の不況からの
立ち直りが本格化するかどうか微妙な
ものであった。政治状況は、自民党単独政権が
宮沢内閣で終わり自民党の下野、連立政権、それが
自民党を含む村山政権になり、(わたしは何かの
始まりと感じた)いろいろな大事件=淡路・兵庫大震災、
毒ガスサリン事件、オーム真理教捜査、など
が起きて村山富市首相が疲労困憊した後を受けて
政権をとったというものであった。

経済の長期低迷(「失われた10年」)を問うとき
この橋本内閣の経済政策の失敗を原因とする説が
よく言われている。
このとき政府の中にいて推移を見つめていた(むろん
政策に関係していた) 塩谷隆英さん(「経済再生の条件」
2007年6月刊)は、官僚が省庁益を守らんと
いかに情報をコントロールするかを書いている。
そして戦略の必要性を訴えている。

宿題 その2

2008/01/15 02:40:19 麻田佳明

中段には国有化した銀行の売却を引き受けさせる
条件で破綻懸念融資先企業の負担を巡ってもめた
のだとして そごう の問題を書いている。

後段で、
長銀が売却されて新生銀行と再生されたが、そごうの
不良債権を国に返したため(「瑕疵担保条項」による)
そごうが国に970億円の債権放棄を要請したのが
6月30日のまさに日債銀の売却が決まった
日であった。金融再生委員会はすでに1千億円の
貸倒引当金を手当てしていたの、そごうが倒産すると
追加負担が200億円を超えると予想して国民負担
を軽くするためと債権放棄を認めた。ここで
なぜ税金で企業を救うのかと激しい批判を受けて
再生委は窮地に立つ。しかしそごうの主力銀行
日本興行銀行頭取西村正雄氏の進言を受けて
自民党政調会長亀井静香がそごう社長に電話して
債権放棄要請を取り下げさせる。
と書いて終わるのである。

銀行がとりつけなど破綻することで金融システムが
機能しなくなる恐れさえ予想されるほど銀行の
財務が傷んでいた。いわゆる銀行の不良債権処理
の問題と経済の不景気問題に政府がいかに対処するか
が大きく取り上げられていた時期である。何が
どのように問題なのか、因果関係がどこまで
解明されているのか、問題解決の後にどのような
状況が期待されているのか、混乱が大きく
理解が及ばない状況であった。2001年4月に
小泉内閣が発足して不良債権処理を優先するようになって
2005年やっと目途が立つところまでに漕ぎつけた。

確かに公的資金の注入でいろいろもめたけれども、
金融システムの安定化が必要という認識は
政策として合意を得た。銀行への注入も評価はできる
はずであろう。まずはこの評価を明確にすべきと思う。
そのうえで、個別企業の倒産を経済問題(景気への
影響、経済パニック)として考えるべきであろう。
この記事は、公的資金注入を1営利企業救済に
行うのはおかしいという偏見を意図的に正当化して
いるのではないか。
当時の再生委員片田哲也さんの話しを証言として
掲載している。「長銀の資産判定では、1200企業もの
微妙な債権があった。これらが一斉倒産すると
経済パニックが起こる。だから判定を緩め、引当金を
積んで引き受け先に譲渡した。またそごうを
倒産させれば、追加負担が出る。さらに国が
倒産させたということになると社会的混乱が
大きくなりすぎる。」と語らせている。

こうして 大村さんと水上さんの著書の
おかげで少しだけ見解を持つことができた。

自分では、宿題を済まそうとしているのですが

2008/01/15 01:42:02 麻田佳明

年末の15日の朝日新聞朝刊経済欄
特集記事「金融危機10年㉀」
『なぜ税金で企業を救うのか』
連載記事全部を読んでいないので、
他のところで説明があるのかどうか不明であることを
断っておきます。
記事全体として、公的資金を企業に支出したため
国民が負担する結果となったとして
預金者保護に18.6兆円
銀行への注入に12.4兆円
破綻銀行からの資産買取に9.7兆円
一時国有化銀行に5.9兆円
の総計46.6兆円の額を示す。このうち
回収できているのが24.2兆円で、預金者保護
では10.4兆円の損失が確定しているので、
最終的には8〜9兆円の国民負担になろうとして
いるように私は読んだ。

記事の書き方から判断すると、
前段が、銀行への公的資金注入の経過である。
第1次注入・・・1998年3月
21行に一斉注入1.8兆円
第2次注入・・・1999年3月
大手15行に一斉注入7.5兆円
注入の目的は金融システムの強化である。
(この文章には見出しがない。
『00年夏、そごうの借金棒引き白紙』
が副見出しとして目立つようにしてある)

中段は
『一時国有化銀行の売却
「持参金」の額巡り攻防』の
見出しで、
98年10月一時国有化した日本長期信用銀行の引き受け
先探しとそのための条件整備、売却は99年9月
米リップルウッド・ホールディングスに決定
したこと、その過程で不良貸し出し先のそごうを
倒産させられないと判定を甘くしたこと、を書く。
同じく98年12月国有化した日本債券信用銀行の
受け皿にソフトバンク、オリックス、東京海上
火災保険の3者連合が00年2月内定したが、引当金の
増額要求でもめ結局6月30日にまでずれたと書く。

こうはこ洒落た文は思いつかない・・・

2008/01/12 01:10:28 麻田佳明

9日(水)の朝日新聞朝刊26面の
宮崎陽介さんの記事である。
“RE”の時代(5)
REVERSE【り・ぱーす】− 反転
「支持も非難も世間任せ」
『「ネットで覚えた快楽」の宿命』

ある日、突然、手のひらを返したように
評価が一変し、メディアを介し、大騒ぎになる。
ネットの中だけでなく、現実の世界でも「反転現象」
とでも呼ぶべき出来事が、昨年は相次いだ。
という書き出しである。
なるほど時事問題である。なんとなく内容が
良く理解できる。
で、結論が
ネットの世界では、そろそろ罵詈雑言の応酬に
も飽きてきた面がある。だが、人と信じ合いたい
という欲求が匿名の生かし方を変え、見知らぬ
誰かの役に立つ快楽に向けられる可能性もある
のではないか。とはいえ、一瞬で針が振り切れる
ほどに世間を動かせるという快楽をネットで覚えてしまった
人々の宿命的風景が反転するのは、そう簡単で
はないだろう。
である。
途中に、識者のいろいろな言葉が挟まる。
他者からの評価でしか自己像を結べない。
思想の脆弱な日本では、ただ変わること、
新しいことに価値を置く幻想がある。
世界に変化を求めつつ、自分の生活は
変えたくない。その保身の身代わりとして、
他者の劇的な『変身』に魅せられる。
支持と反転が社会を活性化させる。
本能として社会が対象を求めるのだ。
等である。

うまいスケッチだと唸るような思いです。
1文1文の意味がどうかと確かめないければ、
すーと読み飛ばせば、見事に今の雰囲気を
掴み切っているようにわたしには思えました。
こんな文章はどうあがいても書けません。

ふと隣の記事を見ると、これも同じような感じを
抱かせるものでした。NHK朝のレンドラ
「ちりとてちん」についての批評です。
気の利いた文が目に飛び込んできました。

この26面は意図的に作られたのでしょうね。
ちなみに、同じ面に新聞小説「宿神」、
CSディジタル放送の週間ガイドがありました。

楽しみ(暇つぶし?)その2

2008/01/11 01:52:57 麻田佳明

「われわれはわが科学が、他のすべての科学と全く
同様に、・・・・国民経済自体の中心現象を全く、
本能的、実際的知識の暗黒のなかに放置していた限り、
科学的分析は決してその全力を発揮することは
できなかった。・・・・・個々の事実の群れからは個々の
特殊的な説明要因が得られるに過ぎなく、大いなる
一般的な関連・・・は、せいぜいのところ漸く感知されうる
に過ぎないのである。かかる一般的な相互関連を
光明のもとにさらし、その研究を科学の主題となし、
かくして得たる結論をいわば科学の本拠たらしめる
・・・・・しかし分析的な関係の樹立に必要な
あらゆるさらに一歩の進歩の為に大いなる突破口を
切り拓くことは、physiokraten(重農学派)が行った
・・・・・特に経済循環の発見とその思考的再現とに
よって行われた・・・・フィジオクラット以前においては、
いわば国民経済の体躯の局部的現象のみが感得された
にすぎなかった。フィジオクラットになって始めて
この体躯が、生理的および解剖的に、統一的・・・
彼らが同時に本来の経済「学派」を形成するようになった
のも決して偶然ではない。・・・・フィジオクラットは
本質的には一般に既知の経験的事実の基礎に立ち、
経済過程の一般的な本質を思考的に把握しようと・・・
さらに加えて、実際的意味における理想的形象を求めた
としてもなお彼らはその実践において分析的方途を
充分に自覚していた・・・・・彼らは経済の自然論、
経済的な「事物の自然」の学説、経済生活の実体的
被拘束性の学説を創造した・・・・フィジオクラットには
時事問題に対する一つの立脚点が生まれた・・・・有利な
貿易差額について・・・彼らは一国における通貨の
集積は物価騰貴をもたらすに過ぎないことを強調した。
・・・・・交易および貿易の自由の利益と、消費と
生産についての個人の決定に対する国家干渉の弊害と
を説く・・・・しかしかかる原則にもかかわらず彼らは
・・・国家の広汎な役割、立法のそれ、道徳および
慣習のそれが社会の生活過程において本質的なものである
事を認識した・・・・彼らの租税理論は・・・貧困は、
経済の潮流がその自然的な行路から恣意的に且つ強力的に
引き離されること、特に当時の租税体系の機構によって
生起するとなす・・・・当時主要テーマであったフランス
穀物関税に対する論争・・・・に研究の声が聞こえ始めた。
・・・時代の求めるものは現存諸要素の調整的綜合であり
老練な手腕による信頼できる指導であった。・・・
二人の著者が・・・一人がチュルゴーであって・・・他の一人が
アダム・スミスである。」
シュムペータ− 「経済学史(学説ならびに方法の諸段階)」
岩波文庫 白147−3
中山伊知郎・東畑精一訳
原典は、1914年マクス・ウェーバーが主役の編纂になる
叢書「社会経済学大綱」の第1巻第1部「経済および経済学」
である。第2部はヴィーザーの「社会経済の理論」である。
第二次世界大戦によりこの叢書は中断されてしまった。

楽しみ(暇つぶし?)その1

2008/01/10 03:09:48 麻田佳明

「学者や理屈をならべたてる論客ばかりでなく、
商人や婦人をも交えた集まりでの会話の進み具合
を注意してみると、世間話や諧謔の他に談論−
すなわち議論のやりとりの行われる事に気付くであろう、
世間話に新鮮味と興味とを持たせようとすれば、
じきに種が尽きてしまうし・・・・ところが
およそ議論のうちで、ほかのどんな論議にもたちまち
退屈するような人達をも引きつけ、自分達も話しの
仲間に入りたい・・・・ものとしては、あれこれの
行為の道徳的価値をあげつらって、誰によらず
ひとりの人間の性格を決定してしまおうとする
議論に優るものはない。・・・・
青年の教育にたずさわる人達は、人間性のこのような
・・・・・微に入り細をうがって吟味することさえ
辞しない傾向を、なぜもっと早くから利用しなかった
のだろうか。また生徒用の問答体倫理学習書で基礎的な
教育を施した後に、古代から近代に到る夥しい
伝記類をあまねく渉猟して、義務が問題とされた
場合にこれを解明するに適切な例証を採集して
おかなかったのだろうか、・・・・そうすれば
教育者達は、異なる事情のもとでそれぞれ生じた
相類似する行為を比較するという取り分け
有効な方法によって、これらの例証を頼りに
生徒達の道徳的判定力をはたらかせて、大なり小なり
の道徳的内容に注意を向けさせることができる。そうすれば
また教師達にしても、およそ思弁にまだ熟していない
少年達が、やがて物を見る眼を鋭利にしまた自分の
判断力の進歩を自覚するようになっていく様子に、
自分でも少なからず興味を覚えるであろう。・・・
わたしの願うところは、・・・・この世界においては
充たされることのない儚い願望と、人間のついに達し得ない
ような完全性に対する憧憬とで大団円を継げるようなもの
(読み物)は、小説の主人公を仕立てるだけである。
このような小説の主人公は、人間離れのした偉大さに
対する感情を誇りとするが、しかしその代わり彼らにとっては
まことに詰まらぬ些事としか思われない、身近で平凡な
日常の責務の遵守をないがしろにするのである。」
岩波文庫 青625−6 波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳
カント「実践理性批判」

鍛錬が再開されているのだろう

2008/01/08 00:15:55 麻田佳明

年末年始の天気予報が思ったようではない。
わたしの予報の理解の仕方が良くないのか、
予報とだいぶ違った天気になっているのか。
朝の天気が比較的 寒くて晴れ が多いように
思う。測る血圧が高い。気温の高低に
敏感である。ノートに天気を添えるように
した(いままでは書かなかったが)。

そのためでもあるまいが、ストレスが
かかったためか、食べすぎて
体重が増えている。3kgほど
落とさねばならない。
正月だという理由は近年はない。

経済や政治、社会問題の
世界的取り組みが理解できないと感じる。
日本政府や政治家の考えがどこに焦点を
当てているのか、身近に知る情報がない
ように感じる。
アジアでの国際的駆け引き、
世界全体での勢力争い、
われわれという主体の存在感、
を知ろうと試みても
何も掴めない。

若者は、何かを感じ、行く先の
目標を確認しているのだろうか。

充実した人生、裕福な人生、
満足のある生活を手に入れるための人生、
など何らかの人生の目標を
目指す事ができるのだろうか。

情報をどこからどのようにして
手に入れているのだろうか。
統計的には、心配な事が多い時節
ではないかと思うのだが。

何も手段を摂らず費用も掛けず
1発当てるという方法で
大当たりという成功者も出て来る。
でなければ、欺瞞が確実な方法となる
と考える者も出て来るだろう。

ばか正直を笑う 浅はかさ は
われわれのものなのかどうか。
伝統は さとり に基づいている
のではないか。
「愚管抄」を高く評価し過ぎるのも
どうかと思うが、棄てて顧みないという
のも適切ではないだろう。「神皇正統記」
を読むと「愚管抄」を参照している
多さに驚く。理性という働きは
なんと昔から盛んであったと自分の
不見識に恥じ入る・・・・・

新年早々、暗いことを・・・・

元気に鍛錬が始まっているのだろう。

ご挨拶

2008/01/05 00:17:58 麻田佳明

新春を迎えて一言ご挨拶を
申し上げます。
おめでとうございます。
旧年中のご厚情のかずかずを心より
お礼申し上げます。
本年もどうぞよろしくお付き合いをお願いいたします。
現役たちにどうぞあたたかいご声援を
いただきますことをこころより
お願い申し上げます。

今年のテニスは今までになく
しっかりしたものを狙うように
伝えております。
果たして、その狙いは
的を見事に射るものとなるかどうか、
どのような答えを
現役たちが出してくれるか
たいへん楽しみにしております。
皆様におかれましても
現役たちの活躍をご期待ください。
新春とは言え、花の咲くまでには
まだしばらくの期間が必要です。
比叡おろしと鴨川に吹く季節風に
負けずに吉田近辺を走りまわって
今年一年の体力を養うでしょう。
逞しく育つ現役たちに熱いご声援を
お願いいたします。

大学院生の活きの良いOBたちも
数も多く揃っています。きっと彼らも
胸を貸してくれることでしょう。
今年が大きな飛躍の年となる事を
楽しみにしたいと思っております。

以上、ひとことご挨拶を申し上げました。

初打ち会 その2

2008/01/04 00:27:11 麻田佳明

私自身とても楽しくテニスができました。
楽しむテニスができるように成ってきたと
言ったほうが良いでしょうね。今回は
本当に心が楽しく感じていました。

みなさん、球を続ける事を楽しんでおられます。
続けるつもりが、どこかで何かが欠けてミスショット
に成りますが、それはあまり問題になりません。
問題にしません。続ける方に目的があるのです。
1球1球大切に続けるのです。無論狙いを込めてです。
その狙いを感じとって打ち返すのです。この
根気のよい打ち合いが楽しいのです。この楽しさが
目的なのです。

どこまで精確に球を打つか、打つことができるか。
ミスが出る球の打ち方は避けます。ばかりだと
不安が広がりますが、心の不安は、即攻撃にならないのです。
不安の原因を正確に分析して、不安を克服するのです。
ミスの出ない球の打ち方を選び出してプレーするのです。
練習が足らないとミスは多くなります。十分練習を積んで
おけばミスはずいぶんと減ります。

年に1回のテニスですが、みなさんの日ごろの
練習が効を奏してでしょう、ミスは出ますが
球を続けるテニスになるのです。
動く人、じっと待つ人。
拾う人、走らせる人。
待ち方も近くを待つ人、遠くを待つ人
がいるのです。
学生のように強い球(強すぎる球?)は打てませんから
(打てばミスになります。だから打たないのです。)、
コースとタイミングを狙います。
ゲームの流れは何度か変わります。
流れを掴み切った方が勝ちだったでしょうか。

たいへんよい汗を皆さんかかれていました。
楽しいテニスができました。
皆さんきっと今年一年よいテニスを楽しまれることでしょう。
健康に乾杯!

2日発打ち会

2008/01/04 00:03:44 麻田佳明

正午前にコートに着きました。
スタイルに着替えて、吉田神社に初参り。
食事をとる店がないので、99ショップで
にぎりを買い求め、西コートベンチで腹ごしらえ。
天気は上々。

朝起きた時、外を見ると、すばらし以上天気。
食事を摂って、出掛けようとすると、
なんと雨が降り出しました。30分待つと
ほとんどやまったので、出掛けました。
なかなかの人出です。地下鉄で山科から東山へ。
地上に出てみると、雨は全く降っていません。
大津と京都は全く別の天気。
新聞の予報では、午後から、大津は雨、京都は
雪、でしたね。

1時半から打ち始め。
佐藤さん、岡田(前部長)さん。
松本さん、吉田(元部長)さん、二宮夫妻、山元さん。
河原さん。
日が出たり、曇ったり。でもなかなかの
テニス日和でした。暖かった。

4時半前に切り上げ、ミュンヘンへ。
第1陣が出発した後、柴田さんが出現。
第2陣として4人が出発。
わたしと二宮夫妻が第3陣で出発するも
東山通りが込んでいてだいぶ遅れました。

5時をだいぶまわって「新年会」開始。
尾田(栄章)さん=「春の小川」運動の
提唱者 は電話だけ参加でした。

みなさんお元気で良く身体が動いていました。
証人として、紫野高校の正月練習を見に来た
伊東君(M2)がいます。遥かに還暦を
過ぎた成年が吉田コートでテニスを楽しむ姿を
見ていてくれました。吉田さんが本当に
お元気でみんなびっくりしていました。

もうそこまで新しい年が来ています

2007/12/31 01:00:24 麻田佳明

思いつくまま気ままに
よしなしごとを書きつけてしまいました。
まことに心苦しい限りです。
ソフトテニスのことは
よく知らないもので、
学成達についても、まったく
こちらの思いつくままですから、
かえって百害ばかりが目だったことでしょう。

年をとるとますます恥知らずが
進むようですね。

今年も本当にいろいろお世話になりました。
こころよりお礼申し上げます。
どうか良い年をお迎え下さい。
年賀状を出すことも全くやめてしまいました。
わずかにこうして年末、そして年始の
ご挨拶を申し上げるだけです。
世間的には本当に礼儀をわきまえない
振る舞いです。

もういちど、申し上げます。
今年もご厚情の数々、
本当にありがとうございました。
よい新年をお迎えくださることを
こころよりお祈りいたしております。

バブルがはじけて以来の日本と世界の経済、
景気の変動は人間の起こす自然現象として、
しかしそれを理解する科学は存在するはずです。
として興味を持ったのですが、
まだまだ勉強しなくてはなりません。
中途半端なところで年を越してしまいました。
能力に応じてゆっくりと進むしかありません。

みなさまそれでは新年を迎えて
お気張りください。

お正月には 凧上げて
追い羽根ついて 遊びましょう
いえいえその前に 吉田のコートで
球を打ちましょう
日が落ちたら ミュンヘンですよ

少し酔っ払っているのですが

2007/12/30 01:03:51 麻田佳明

身体のあちこちが痛んでいるのは
まあ仕方がないのですね。
例年のごとく高校の同窓会を(実際のところは
中学校と高校と6年間のですが)
終えて帰宅したのです。
もう50年前になりますね。
やっと高校3年生からすべての学年が
揃ったのが、わたしが入学した年でした。
卒業生がまだ出ていない新設校でした。
何もかもがはじめての経験という
手探りで学校が(カナダに本部のある
キリスト教系の学校でしたから)始まっていたのです。
日本人ではなく外国人が
良く分からない異国の地で
(きっとザビエルのような
熱意を持て)学校を創ったのです。

せもわれわれはそんなことはほとんど
気にもせず自分の関心ごとに夢中になって
学生時代を過ごしたように思います。
今日も今日とて、そんな思い出話に
花を咲かせていました。
6年間でわずか数ヶ月の付き合いという
仲間もいるのですが、彼らを含めて
総勢165名程度らしいのです。そのうち
鬼籍に入ったものが14名とか。

この部に入ったのは、
秋山さん、田中さんが同期です。
秋山さんとは今日会いました。
1年上の学年では中西さんと稲本さん。
その上には宮下さんと松本さん。
もっと上には水渡さんがおられます。
わたしの下では、原さん、和田さん、佐藤さん
ですね。
近年は、いやこの20年はまったく
入部がありません。ちょっと寂しい状況ですね。

今住んでいるニュータウンに
わたしを含め5名の同窓生が住んでいます。
いやそのうちの1名は10年以上前に
亡くなっています。

同じ時代を生きた仲間なんです。
テニスもそうですね。一緒に球を打った
仲間というのが、大きな存在です。

少し酔っています。
「衣笠の 松しらべも ゆかしく・・・・」

そろそろさとったらどうかな

2007/12/28 00:05:40 麻田佳明

と思います。
まずは、わたしから。
今日は朝から家内に厳命されていた
隣の家との境に生え出でた笹を刈り取ることから
始まって、立ち木の剪定、雑草刈り、溝掃除、
庭の掃除とたくさんのことをやりました。
何回休憩をとったことか。5、6年前なら
休憩もとらず一気にできたはずなんですが、
もうあきませんね。いや飽きますね。
「あーしんど。もうやめや」です。
テニスもそうですが、身体の耐久力が
落ちています。もうさとらなあかんな。

明治の世の様子は知りません。といって、
江戸や織豊時代を室町時代、鎌倉時代を知っている!
なんていうはずもありませんが。

もっとなんか知っていたのではないですかね。
諦めていたともいえるのかもしれませんが。
人生の限り、人間の限り、人知の限りです。
諦観と言うと、いかにも意欲が足りない
ように響いてしまいますが、限りあることを知るという
のは落ち着いていますね。
限りがないとするのは、論理的なんですが、
論理が過ぎるともいえます。ということは
論理が不足している。いえ、理性的でないとも
言えるのではないか・・・・。

来年はいろいろなことでもうそろそろ
さとったらどうかと感じます。
さとりましょう。
さとらいでか。
みんな サトラーに。
サトライダー。

さとることはいっぱいあるように思います。

だいたい「偽装」なんていって驚いているというのが
どうも不信です。
偽装しない人間なんて存在するのでしょうか。
騙さない人間なんてありえない。
(こんなん、一番不適切なんですが)
男女の仲なんて、その最たるものではないですか。
(やっぱ、わたしには、合わんわな。)
昆虫や魚類の擬態は自然の妙です。
戦国の世はまさに騙し騙されです。
むろんテニスも、スポーツは全部です。
外交なんてのも当然ですね。
植物だってやりますよね。
いや、蜃気楼なんてのもありますから。

マスメディアのいい加減さ、ジャーナリズムの
あほらしさ。ムードに流されやすい
われわれは・・・・・・。

何一つ確実なものとてないのではないか。
という問自体が、考えるべき対象かも・・・。
一睡の夢、かも。
となるとね。

自問自答し、何かを、知るべしと、・・・・

再考ミスについて

2007/12/27 00:19:11 麻田佳明

ミスを犯すな、ミスをしないように、
同じミスを繰り返すな、
注意すればミスはなくなる、
・・・・・
というようなミスはまだ主題にはならない。
というようなことからはじめています。

といって、うまくなれ、強くなれ、では
あまりに出発点から進んでいないような
印象なものだから、ですね。

なぜミスを起こしたか。
なぜミスになったのか。
うまくできないからです。
まだ技術が完成できていないからです。

基本の技術が身に付いていないのです。
基礎ができていないのです。
時々うまく打てる(ように見える)ときが
あるだけなんです。
多くはまだうまく打てない球なんです。
どこまで幅広く対応できるか。
その幅を広げることが必要なんです。

同じように見える球が多いのですね。
ほとんど同じように見えるのです。
だからミスと考えるのです。
気をつければ防げるミスと考えてしまうのです。
そして肝心要のときに「ミス」するのですね。

できない事を求めても、改めて
できない事を知るだけなんですね。
そこで、しかし、ちょっと気が緩んで
ミスになってしまったのだと
許してしまうのです。
必ず起こるミスが完成した瞬間です。

一度でもうまく打てた球は
忘れないでもっといろいろ打てるように
考えるべきなんですね。でも
同じ球はないのです。
どの程度似ているのか、が
肝心ですね。ここをしっかり把握できるかです。

技術が向上するというのは、
このような理解力の水準が
大切になるのですね。

練習方法として、同じ球を揃えて
一つ一つ覚えて行く方法が基本ですね。
コーチが欲しいのもそのためです。

さて、ここからです。
われわれの練習方法とはどのようなものか。
コートはあるのです。ボールもあります。
部員もいます。
ラケットもあります。
理論はどうですか。

悔しさに 悔いる苦しさ 気も落ちて
進む苦しさ 飛べない苦さ
楽々と 球を打ちつけ 気も晴れん
はずを求めて 見る地獄
ちゃくちゃくと 理論を積み上げ 球を打ち
足を使って 汗のうれしきテニスかな

どんな練習を目標にするか

2007/12/25 01:11:05 麻田佳明

野木と北谷、梅原も出て来ていた。
ゲームをしていたのはいいです。
ストローク練習もいいですね。

課題を設けて、目標を立てて練習をしている
のだと思います。これもいいですね。

ミスをしないことをもう少し本格的に
目標に入れると良いと思います。

ミスを恐れる、というのではなく
ミスなくプレーをする。
ミスがなぜ起こるかをしっかり分析し
対策を立てる。
ミスを犯さないように、技術を完成させる。
一人で考えるのではなく、
部員の援助助言を要求して
部員としてミスを克服する方法論を
確立する意欲を持つ。
部のテニスと考えてみる。
他のプレーを批評する。助言する。援助する。
これも自分の向上に資すると考える。

野木のバックスウィング。
北谷のスウィングの低さ(手首だけで打つから
ラケットを振り抜く位置が腰の高さになっている)。
梅原の振り抜き方は、北谷と逆で、手首の返しが
うまくないので鋭く振り抜けないでいる。
フォロースルーは大きいのだが、球の締まりが
ないままで打ってしまう。バックは特にコントロールが
利かない。

同じミスが出ると原因を明らかにする。
同じミスを繰り返さないように
課題を明確にした練習を行う。
時間をかけて根気良く行う。
からだ全体がバランスを保って
プレーできるように細かく点検する。

単にミスさえしなければ良い、とするのではなく、
(極端なのは、気合いを入れてプレーすれば良い
と考える)ミスは技術的原因だから
明らかにすることが上達の過程に
当然存在するとして、上達の階段を
一段一段上る手応えとしておく。

水準の低いミスを克服しよう。

ミスはミス ミスを見ずして 上達はない
ガットゴムマリ 繊細な神経

山元さんが思わず応援の声をあげられましたが、
小柳の中ロブは使えるだろう。
もう少し速いのと、もっと高い緩いロブを
もっともっと深さの精度を正確にして
気分を緩めず打てるなら(まずは100本)
そうとうな緊張を相手に持たせることができるだろう。
相手の前衛に仕事をさせないでおいて、
後衛を攻める、あるいはペアを攻める
シュートに磨きをかけて、粘り強い、ふところの深い、
速さのあるテニスを作ってみないかな。
速さは足のことですが。
走れる 打てる 高低を使える 力のある球が打てる
というテニスが見えてくると思うのだが。

田部井、千々和も同じような発想で競ってみては。
田部井の力み、千々和の腕力は間違った方向だろうね。
そのように見えるだけで(力がたよりと)間違っている
と思って欲しいのだが。
軽く打っているように見える、楽に打っているように見える
足さばき、構え、打ち方、フォームを
完成させて欲しい。
無駄な時間があちこちに見られる。
無駄な時間は、無駄なエネルギーを必要とする。
これではうまさ、強さに結びつかない。

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