蒼穹掲示板

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春合宿

2008/02/03 21:08:10 山口 典子

女子部主将の山口です。

春の合宿を3月12〜14日に行います。
今年は、神戸大学、愛知教育大学、中京女子大学の方々と合同
です。
場所は、詳細はまだ分かりませんが、東海地方になります。
神大さんはリーグは一つ上の部ですし、愛教さんと中京女子さん
は東海リーグで1部のチームで、レベルの高い合宿になると思い
ます。
京都から少し遠い場所で行うことになりますが、参加して頂ける
方がいらっしゃいますと、非常に励みになりますので、どうぞよ
ろしくお願いいたします。

また、春のOG戦も行う予定です。

後日、3月からの練習日程と共に、合宿の詳細も掲示いたしま
す。

では、失礼します。

オフシーズン

2008/02/03 00:21:21 麻田佳明

寒かったですが、なんとかテニスらしきことは
できるだろうとスタイルを持ってコートへ出掛けました。
東コートは医学部女子、西コートは医学部男子が
正規練習をしていました。土曜日がどうも正規練習
になっているようです。ずいぶん熱心に取り組んで
よい雰囲気でした。
少し時間があるようなので、吉田神社に参拝を
してみました。明日の節分を控え、沿道は
屋台がびっしり並んでいます。例年の通りですが
食べ物の屋台が多いです。
身体が健康であれば、食べたいなあと気をそそられますが
我慢することにもだいぶ慣れていますから、
にこにこ笑顔をあらわにして通りすぎていきます。

昼飯をいつもの平和で、今年初の山元さんと二人
揃ってとりました。それではこちらですかと、店の人に
気を使っていただきましたが、これも堪えて、いつもの
定食をたのみます。食後のコーヒーを追加しましたが。

定期試験も終了しつつあるようです。
今日は前衛陣の有志が練習をすると集まったようです。
球送りを手伝うのに後衛の有志が出て来ていました。

院生(中瀬君と林君)が出て来ました。

わたしはやはり寒かったのでしょうか、
少し身体を動かすと疲れてきて、どうも
力が抜けてくるので、4時前にはあがってしまいました。
帰りのバスや電車の中で少しだけうとうととしてしまいました。

帰り道に寄った本屋で岩波文庫を覗くと、
ケインズのものの翻訳が入る事を知りました。
このところ文庫の内容が相当変わってきているように
感じています。古いもので購入を予定しても
本屋にはなく、新しいものに購入したいものが
見つかります。残念な気持ちと楽しい気持ちが
起こって面白く感じます。

可能性の蓋然性(大きさの区別)

2008/02/01 00:45:17 麻田佳明

メタミドホス(わたしの持っている
農薬辞典には載っていなかった)
なる殺虫剤がジェイティー・フーズが
中国華北省にある「天洋」に作らせている餃子に
高濃度で含まれていたため食中毒を起こしていた
と報じられた。故意に混入されていたのではないか
と疑うこともできるという。
そういえばと、中国には疑わざるを得ない理由が
あると事情通は言うらしい。
可能性を論じると、日本では「まず考えられない」
が、中国では「可能性がある」ということらしい。

可能性を蓋然性の大小で判断し、被害が最小限度に
押さえられるよう公的機関と国民がそれぞれ何をするか
が速やかに決まって対処する。
同時に、可能性だけで終わるのではない。
原因を特定し将来への対策をより完全に
近づけるための国の機関は動く。
マスメディアは、一斉にこの動きを丁寧に解説し
報道する。
ジェーティー以外の同じ天洋の製品を輸入している
国内メーカーもジェイティーとともに、製品すべてを
明らかにし一切食べないようにメディアを通じて
情報を開示する。

原因はどのように明らかになるのであろうか。

明らかになるまでは、可能性の範囲拡大と
推理の確率を競う動きが活発になる。

米国産牛肉の安全性は、可能性の議論もあまり進まず、
因果関係も明らかにならず、米国の主張する蓋然性の極端な
小ささが価格の低さと競うかのように報じられて
問題としての意識がなくなってしまったように思える。

可能性の蓋然性の大小が原因究明での推理の当否の
確率と混同されて、偏見(悪いものだけでなく、
よかったと後で分かるものもある)と共に
問題をうやむやにする。危険性を最小限に押さえ込むことと
原因究明問題解決とは両立させなくては意義が半減する。
いやそれ以上であろう。

四国の祖母孫3名の殺人事件での犯人探しは
記憶にまだ残っている。

確率が極端に小さな事象であっても、起こらないと
いうわけではない。
推理は、確率の大きな事象から行うのが自然である。

奇蹟を信じる際には、確率の小さな事象を理由にするが
実現した事象の原因として確率の大きなものを推理する
のがわれわれの考えである。確率の大きさを
理由にする際に考えるべきことであろうと思うのだが・・・・

ふたたび寒さがぶり返す

2008/01/31 01:12:04 麻田佳明

ようですが、試験もたけなわかな?
風邪をひいて体調を壊している
ものもいるのではないかと心配していますが。
私の方は少し回復してきたようです。
まだ喉の調子が悪いのですが。
昼間の眠たさが消えませんね。ついうとうとと
しています。運動不足にもなっています。
お天気の回復は来週になりそうですから、
ちょっと困りますね。節分は寒いのが
相場ですが。

ハンドボールは、話題になったのに
残念な結果でした。でも韓国の実力が
ちょっと上ではないですか。なにか
打開策があっての対戦であればよかったのですが、
どうも実力差は埋まらなかったように感じましたが、
素人のこと分からないことに口は出せません。

素手で行う格闘技は知識がありませんが、
ボールを使う競技では、正確なボールコントロール
が必要になります。とはいえ、どこまで
(どんだけー)水準を高めるかと問われると
答えることがなかなか難しいです。どの競技でも
指導者は技術水準を明確にしているのですが、
試合に求める水準の技術が出て来るかどうかは
あまり定かではないように思います。となると
いきおい、練習はどのような状況におかれても
目指す技術を出せるようにと「厳しい」ものに
なります。この辺りの現実性が興味深い問題
と考えるのですが、どんなものでしょうね。

言葉で 教え教えられる ようなものなのかどうか
という表現ではちとまずいのですが・・・・。

人が人に伝えるのですから、伝える気があれば
伝わるでしょう・・・・なんて、いい加減ですが、
伝わるとしています   のが、わたしの考え方
といっておくしか・・・・・

試験問題で、試験する側の人の気は伝わってきていますか。
教える方は、教えられる方の気を求めますが。
学ぶ気さえあれば、理解できるはずと。

何を学べば将来役に立つのか、実利を求める
のですが、微妙な行き違いが、実利を
遠ざけるようにも感じますね・・・・・。
時代の波、時代の勢い、も大きな要素です。

能力か、独自性か、存在感か、知識か、性格か、
・・・・。初心忘れるべからず。初心に戻って
勢いを燃え立たせよう。自信か過信か・・・。
燃えて冷静、風雪に立ちて寒からず、極寒に
満天の星を見てたじろぎもせず。梅桜をこそ
愛でるときも・・・・・。

無事

2008/01/29 00:44:12 麻田佳明

大阪府知事選・・・まあ、関係ないのですが、府民の選択
はどのマスコミより1歩先を行っているのではないかと
おもいます。
先だっての大津市長選は、わたしには直接関係しました。
わたしも一票を投じましたから。結果は、大阪府と
反対でしたが、わたしには同じような反応に感じます。
自民の現職、この人は誠実な人で衆議院議員からの
転向で2期目になります。しかし「決断と実行力」
を、尊敬する田中角栄さんにならって、スローガンとして
掲げました。ちょっと時代遅れです。難波のガリレオも
わたしはちょっと外れじゃないかと感じました。
民主党候補は、若さ、女性、いまどきのインテリジェント
企業の社長さんを売りにして、嘉田知事と同じ「もったいない」
派のプリンセスです。選挙公報、政策広報を読む限り
いい線いっていました。橋本さんと同じと感じました。
橋本さんは、知名度抜群という要素がありましたから、
同じとは言えませんが。
大阪は、やらせてみたらが勝ち、大津は、ちょっと危ないな
で負けたのではないかと、わたしには思えます。
どちらもほとんど同じところを選挙民に注目され、
結果が分かれたと思うのです。

道路特定ガソリン税の延長か廃止かの国会での議論
が、国民の関心とどれほど重なるのかが少し
興味を引きます。議員さんの気にする所は、官僚の
操作とうまく重ならないとわたしは見ています。
官僚が本来の官僚なら、議員さんの議論は面はゆいのでは
ないかと予想します。民主党管さんの議論は正統的なものと
わたしは感じました。

昨夜は山元さんにわざわざわたしの住む近所の堅田まで
足を運んで頂いて新年会を持ちました。
山元さんのHPをご覧になった方はご存知でしょうが、
わたしはまだ覗いていなかったので、驚きました。
右耳の直ぐ近くに大きなガーゼが張ってあるからです。
なんでも手術をされたとか。無事生還おめでとうございます。
ご本人は、ドンマイ でしたが。

無事が一番。

福士加代子選手。無事でよかったです。
まあ、騒ぎ立てるほどのことではないというのが
通り相場のようですが。

大相撲も大方の見方は結果オーライのようです。
無事はよきことです。

寒いですね

2008/01/25 23:56:53 麻田佳明

今年始めての雪かきをしました。
夕べ寝るときはそれほどとは予想しなかったのですが、
朝起きてみると雪景色です。ごみ出しをするにも
まず雪かきをしなくては外へ出られない。
と言ってしまうと、ちょっと大袈裟ですが、
ぞうりを引っ掛けてちょこちょことは
出掛けられませんから、まずは雪を
除けなくてはなりませんでした。一汗をかいたわけです。
このところ喉が痛くて少し風邪気で
体調がもう一つです。夕方になると
身体がしんどくなります。明るい太陽が恋しいという
気分ですね。

1、2回生は試験期間に入っているようです。
2月2週目までは試験に没頭するのでしょうか。

今年のテニスについてまだそれほど考えていないのですが、
納会のときに伝えた方向を具体化しなくてはなりません。
家にこもっている間に、何かよい考えでも
出て来るでしょうか。まとまるでしょうか。
試験勉強に疲れたら、頭を切り替えるのにも
利用できるでしょう。自分のテニスを
いかに完成させるか、仕上げるか、道を見出すか、
強くなれるか、テニスらしくなるか、
狭く絞って、だけでなく、広く自由にひろげて
考えて見てはどうでしょうね。

最も風邪が流行る時期です。身体に充分気をつけて
毎日を充実させて過ごしてください。
熱中すれば風邪も引きませんが、気を抜いて
うたた寝なんかするようでは、必ず風邪を
引いてしまいますよ。テニスパーソンであることを
誇りにして下さい。

無題です

2008/01/25 00:23:32 麻田佳明

追い出しコンパの案内をもらいました。
どうもありがとう。
2月16日(土)ですね。
女子3名(?)と男子2名(?)ですね。
苦しい思いもたくさんあったでしょうが、
思い出も強くもって出て行くことになるでしょうね。
今一度振り返り、こころを暖めてお祝いをしたいと
思います。そして後輩たちにこころをのこして
やってください。当日を期待しています。

よく降りますね。寒さはそれほど感じませんが
(といっても家の中にこもっているのですが)
雪雲のせいで家の中が暗いのは、ちょっと
気持ちを押さえます。

昨年の言葉 偽 にいささか引っ張られて
気分のささくれ立ちや粘りのなさが
あちらこちらに目につくように感じます。

ゲームでは本来騙し騙されは計算のうちです。
見事に騙されて却って心が晴れるということもあります。
ハンドボールでの審判の不公正も問題が話題です。
サッカーではどうでしょうか。
アイススケートでの採点の偏りが話題になっていたのは
つい最近でした。
日本にあっても、大相撲の八百長問題はいまだに
すっきりしていません。プロ野球、ボクシングにも
不信はあります。さらにはスポーツ選手の起こす
事件もなくなりはしないようです。

こうしてみてくると、昨年だけが偽問題が多発したという
ことにはならないでしょう。マスコミに上った件数・回数
の統計を調べるという方法もあるでしょう。どの程度だった
のでしょうか。
でも、偽問題を理解し対処する気持ちに強いものがあれば
跳ねあがったり、興奮したり、短慮に走ったりと反省を
促すことができて社会が活気をますます蓄えて、自信を深める
こともできるのではないかと思います。
どこか疲れと希望のなさに打ちひしがれる気分が
感じられるのでしょうね。疲れていながらいらいらと
要らぬお節介ややつあたりに力を注いで暗くなっていく
というではないですか。中身がなく薄っぺらか
大きく見せるだけのハリボテではないかと落ち着く
ことが何よりですね。
ゲームを楽しみましょうというと、まるで正反対の
言い草になりますが、覚るべきを覚って、因果の
筋を確認して1歩1歩進むことで落ち着くことができる
と思います。進むべき道が見えないときは、
賢明さが出番です。賢明さを日ごろからすこしづつ
育てておくことができれば慌てなくて済みますから。
戦略だ、専門家だと足りないことを原因にするような
反省は「専門家」の仕事です。

経済学の意義 その6

2008/01/24 23:41:50 麻田佳明


そして、取り引きでの宣伝や売り込みは
偽装や騙しに警戒し、不正やごまかしに
対策しなくてはならないでしょう。社会は
経済をうまく機能させるために大きな努力が
必要なのです。経済学がこのような努力に
無関心では科学でないと言うべきです。

競争は、一つの経済の中においてなくてはならい
要素です。富の偏在を求めて、つまり貨幣の偏在を目指して
人生をかけることは自分だけでなく他から見ても
魅力的なことではないでしょうか。
競争の成立には、ルールの存在が欠かせません。
動物の闘い(雌を獲得する雄の闘いのことですが)は、
真剣で(と人間が思うだけでしょうが)ときには
むごい結果を残すこともありますが、ルールの存在を
見ることができるのではないですか(ルールとは
人間のもの。本能しかない動物は単なる特性だと
見ることもできますが)。

ルールの存在と競争の関係というとスポーツが
思い浮かびます。スポーツというとルールのもとでの
競争する運動競技と表現されます。運動でなくてもよいのではないか
と、運動での競争ではない『スポーツ』を意図的に
作っているのも現実です。
戦争とスポーツ。スポーツは戦争の代理であるとする
論もありますが、わたしは戦争という競争は
スポーツの競争とおなじではないと考えます。
戦争だってルールは存在すると指摘を受けますが、
限りなくスポーツに近い戦争という発想には
組みしません。アレキサンダーは戦争の合間に
スポーツをさせて兵隊に戦闘意欲を萎えさせないようにした
と伝わっているようですが、だから戦争もスポーツだとは
理解できないですね。

経済における競争はスポーツでしょうか。
ではないでしょう。でも、似ているともいえますね。
成功者はもてるというのは常識のようですから。戦争と同じでしょう
か。
目的が違うから異なります。でも勝利の軍隊の兵士は
もてるようですが・・・・。(いやまあ、少し口が滑りました。
いや筆がです・・・。名選手がもてると前提して混乱していますね。)
経済と経済が競争するときは
戦争もあり得るでしょう。平和も戦争も経済間には
あり得るのだと考えます。ただ戦争はどちらの経済にとっても
富の増大を保証しないのではないか、富の増大を目指すには
戦争以外の道がある事を知った上でも戦争をして競争したいのか
どうかは充分考えてみる価値を人々に認めさせることは
できませんか。

富の増大と市場、政府の役割を貨幣の利用を前提に
考えるとき、貨幣現象を明らかにしつつ、富の偏在や
貨幣の偏在を原理的に把握しておくこと知識が
ひろく行き渡っていて欲しいと思います。

経済学の意義 その5

2008/01/24 01:16:20 麻田佳明

経済は人間だけのものでしょうか。
社会を持つ存在、集団で生活する生物には
経済がないのでしょうか。こころを前提にすると
人類だけになるのかもしれませんが・・・・。
(ありそうにも思いますが・・・)
こころが何を意味するのか、と問うことが
もし可能ならば、特別な『善』などを
考えるのでなければできるように思うのですが、
生物のいろいろな経済の研究ということも
あるように思います。

一国の経済において、経済主体が吸血病の病原体
となっていたり経済の癌であったりすることも
あり得るように思います。また他国との関係は
経済だけでは理解できない場面もあるでしょうし、
経済的には国内経済とは全く別の関係にある事も
あるでしょう。ミクロ経済学が対象としている経済
は、どうもあまりに大人しすぎるように思います。
非難しているのではなく、経済学を狭く理解させる
原因を作っているのではないかと疑問を感じるのです。
戦争の経済学という表現もあるようですが、地球経済学、
全人類の経済学とでも表現するものがないのでは
戦争を経済学の中にすっぽりと納める事はできない
のではないかと疑問を感じます。

経済は、人々がいろいろいさかいを起こしても、それは
競争するが故の現象であって、全体の富の増大に
肯定的なこころを持つ事がなければ存在し得ないと
考えるのです。したがって「地球経済学」は「地球国家」
の存在が前提になるのではないか、と考えます。
貨幣にのみ注目すると経済学は科学ではなくなると
感じるのです。

貨幣は有限ですが、富は無限です。人間の数は有限だから
富が有限ともいえますが、人の心は計れませんから
無限で良いように思います。人が人に求め求められなければ
富が具体的にならず増大しないのです。要求が増えれば
富も増えます。大きさに限界は考えられません。

一つの経済の中での貨幣の偏在が生む富の偏在は
社会にどのように影響するのか。富の偏在の理解
は難しいでしょうが、権力が規定するのでしょうが、
どのような権力が規定するか、人々がどのような
心を持つかで、あるまとまりを持って、ある認識が
社会に生まれるのではないかと思います。

社会の中で勢力を持つため、権力を持つため、
経済主体を作ろうという発想が予想できます。
癌や吸血病が経済に生まれるのです。
1経済主体の内部にひとびとの要求を実現する
「経済」を作ることができるかもしれませんが、
「貨幣」と称するものを利用すると経済学が
欺かれる怖れもあるように思います。
また偽の貨幣を持ち込む事は経済の混乱の
原因ですね。

経済学の意義 その4

2008/01/24 00:22:33 麻田佳明

若田部さんの説くところでは、経済学者の
気迫が良く分かります。社会哲学もしくは
社会学の観点から生まれる問題解決への
意欲が学者を駆り立てるのです。

ところで若田部さんとちょっと違った
感じを持つのは富の意味ですね。

「経済学者たちの闘い」のなかで
『諸国民の富の性質と原因に関する研究』で、
そもそも富とは何か。それは、「年々消費される
必需品や便益品」である。現代の統計では、国富とは
資産のことであるが、スミスのいう富は、資産を
指すのではない。国民所得とするのが一番わかりやすい。」
と書いています。
わたしは、人が人に、一人前の人間として要求されて
答えること、譲渡して満足させること、このようなことすべてを
富と考えます。たった一人の存在にあっても経済は成り立つ
と教えるのが経済学の入り口における知識のようですが、
わたしは特別に否定はしませんが、複数の人間が
互いに他の人間の存在を前提にして生活しようとするとき
経済が始まるのだと考えます。そして経済主体の
経済行為が全体の富を増加させることを自覚すると
ともに富の偏在が集団の維持存続に及ぼす影響を
うまくできれば経済が完成したことになると考えます。

社会の構成する単位が如何なるものか、その単位が
経済主体とどのように重なるのか、そして
貨幣が利用されることで、経済がどのように
変化をするのかをうまく表現し特徴を把握できるのか
を研究するのが経済学の内容になるものと考えます。

富の量は増大もし、増大してもまた減少もする。
経済主体がどのように欲を持ち希望を描き夢を持つか、
可能性を信じるか、不可能とまるで思いもしないかは
大きな要因(経済に影響を与える)です。そして、
もっと強い(力が大きいというより、決してなくなり
はしないという意味での)要因は、構成員のこころ
であると思います。

こころというと、なにやらいい加減であやふやではないか
と不信感が強くなりますが、統計的には思うほどあやふやな
ものとはならないと思うのです。ま、その統計ですが、
どのように統計をとるのかを前もってきっちり用意する事が
できるのかとなると、むろんできませんが、作りながら
研究していくので充分役に立つのではないかと楽観します。
(なにせ素人のたわごとですから・・・)
また、こころというと、企業家精神を意味して、
シュンペーターの受け売りをするしかなかろうと
先読みをさせてしまうかもしれません。わたしは社会の
一人一人のこころを意味しているつもりです。また経済主体の
こころを意味しています。したがって、貨幣で買えないものは
何もないのであり、なんであれ貨幣では買えないとも
なるという矛盾したことを前提にするのです。

経済学の意義 その3

2008/01/23 01:18:29 麻田佳明

経済主体は、企業法人か個人だけなのか。
法人でない集団はないのだろうか。また法人は
企業だけなのだろうか。経済主体での個人は
政治的社会的な個人と完全に一致しているのか。
家族は経済主体である。いや経済主体の家族は
壊れて複数の経済主体の家族という存在が
普通になってきている、という見方もあるかも知れない。

集団による経済主体は、集団内でのものの生産・消費は、
経済主体としての売買とは別個の働きで実現される。
集団内の人々の生活は外の人々の生活とかけ離れて
も問題はないとするのが経済学である。
集団内でも「貨幣」を利用するかもしれない(貨幣と称する
だけで貨幣ではないはずだが)となると、経済主体として
使う貨幣との関係を正確に考える必要がある。

外国と経済行為を行うことは、両国にとって富を増やす
可能性を高めることになる。しかし利用される貨幣は
異なるから為替が必要となる。そして貿易の在り方を
工夫しなくてはならない。

1国の経済は、国内の経済主体の経済行為だけでなく、
経済主体の内部の経済行為が国内経済におよぼす影響
と(独立性を保たせるように)外国との貿易によって
成り立つはずである。そして貨幣の利用による
限界を持つ。富の増加を、どの程度の増加をどの程度の
安全性のもとで可能になるのか。若田部さんの
説くところはずいぶんと面白いものに感じました。
「経済学者は冷血動物か?」「とくに古典経済学は
陰鬱な科学?」などの文言が出て来るのです。
ヒュームとアダム・スミスの友誼、
ケインズの無念、シュンペーターへの誤解
などはとくに興味をひかれたところです。

経済学の意義 その2

2008/01/23 00:34:53 麻田佳明

1998年日銀法が改正されたそうだ。日銀は
物価の安定に大きな責任を持たされている。
新日銀法第1条は物価の安定を目的とする
と定めているらしい。そしてこのためには
政治的圧力から独立していなくては有効でない
と考えられ、日銀には独立性が念願であった。
それがやっと確保されたのである。このため
さっそく影響が出て金融緩和を直接要望できず
弱ったという話しが塩谷さんの本の中に出て
来たのであった。しかし2000年8月の
ゼロ金利解除が時期尚早で失敗したため、
日銀の独立性は何のためだったのか、日銀法の
再改正の声さえ出て来たそうである。
日銀は中央銀行として使命を十分果たしているのか。
経済不調は日銀の陰謀だとする説さえあるが、若田部さんは
単に日銀の不作為による失敗(要するに、後手後手に
まわっただけ)だろうと解説しています。日銀総裁の
苦労(孤立感)話しは年末の新聞記事にもありました。
景気か 物価か。金融経済と実体経済の乖離、対外協調と
対国内政策の齟齬。でも、それが使命の意味でもあるのだから
しっかり機能してもらうほかない。

国民の富を高めるには、国民各自が自分にできること
一人前に任せてもらいたいことを財やサーヴィスとして
提供することで可能となる。放置しておくだけでは
富は減少することもあると冷静に指摘する論もある
かもしれない。まあここでは楽観的に考えておく。
提供される財とサーヴィスは市場を通じて売買され
必要な国民に消費される。この機能は貨幣が存在して
社会的に果たされる。したがって、貨幣で売買されないものは
ない。作られ消費されるものなら何でも貨幣を利用して
売買される。といって、なんでも貨幣で買えるのだと
すると人間が居ないこととなる。人間は、どんなものも
貨幣では買えない事も知っているのである。
買えるが、しかし買えないのだ。とはいっても、貨幣を
利用する事で貨幣経済が人間の行動を縛ることも
現実には起こっている。借金を苦にした行動は事件として
いつの世にも存在し人の口の端にのぼってきた。
人間は意思・欲によって行動するとは言え、その意思と欲望
にしたがって自由に行動することは得手勝手な行動と
社会的制限を受けている。貨幣の利用が、どのような
制限を受けるのかを知り、かつまた貨幣利用で受ける
経済主体の制限、さらには貨幣利用がゆえの原理的制限
を知ることが必要なことである。
貨幣を利用しているから、富の増加が可能になっているが
富の偏在もより起こりやすくなるかもしれないと考える
必要もある。貨幣を使う方が偏在も極端なものまで可能になる
のかも知れない。

富の偏在は、国民の中の競争の結果であろう。貨幣は
この競争を激化させる。がこの競争が富の増加を
招く要因になるだろう。ときには減少も招くだろうか。

経済学の意義

2008/01/22 02:10:05 麻田佳明

不況を脱して景気が良くなれば世の中が
どれだけ明るくなるか、と人々は期待している。
そして、なかなか人為的に経済は運営できないから
辛抱強く待たなくてはならないと覚悟している。
でも、しだいに辛抱も限界に近づいて来る
のではないかとひそかに怖れが膨らんで、
諦めさえも高齢者には広がりつつあるのではないか。
インフレも困るが、デフレが原因で不況が続く
というのであれば、自分だけは苦境に陥らないよう
防衛をしようと試みている人が多いのではないか。

安達さんは、デフレは脱することができるかどうか
微妙な所ヘ来ているとして、このまま自然治癒してしまうか、
元に戻るか、何らかの政策を意図的にとるべきかと論じています。
デフレからはっきり脱することができたと分かるのは
株価上昇だけでなく、いろいろ総合的に判断すべきで、
家計や企業に退蔵された貨幣が活発に動き始めるとか、
長期金利の上昇とか、新興企業ブーム到来などが現出する
はずという。日本銀行のゼロ金利政策が有名になったが、
2000年8月の解除は早すぎたと失敗とされた。
最近も金利のつぎの段階の上昇が見送られていることは
記憶に新しい。

安達さんの議論は多岐にわたり(それが経済学の常識
だから、私の方の知識の問題です)理解に時間を要します。
なかなかまとまりませんが、日本のデフレはアメリカ
の経済と密接に関係しており、円とドルの為替割合が
ドル安・円高に維持される制限が大きな要因である
と説いています。つまり日本銀行がたとえデフレ脱却
政策を実行しようとしてもできないというのです。
通貨は有り余っているから引き上げないといけないのでは
ないかという意見もありますが、国民総生産が減っているから
通貨が多いように見えるだけで、デフレを脱しての
通貨量を基準にとれば不足している。ところが円高だからと
通貨量を増やそうとするとだめだと制限されてレートが
高いままに放置される。ドル安ならアメリカは輸入が
減少するはずだが、必要なドルをアメリカの国債を
買うことで供給している不足を補っている。なかなか
厄介な問題であることが良く分かります。

中央銀行としての日本銀行の責任が問われている
と言うことには 2003年2月に若田部昌澄さんが
(東洋経済新報社刊「経済学者たちの闘い」)
経済学の適用例として触れている。面白いのは
日銀には責任を回避する「日銀理論」なるものが
あるらしいことです。

そして経済が 続きの2

2008/01/21 02:48:11 麻田佳明

このところの報道では、日本は改革を
やめてしまったから、株を買うのをやめてしまう
というのが外人投資家の振る舞いだとされている。
つまり福田内閣の経済政策は地方へのばら撒きと
非効率企業の延命への支出で財政構造改革は
意欲なしだから日本への投資は益がないとの
理屈である。非経済的政策をとらざるを得ない
無為無策の政治が行われているとの認識である。

アフガンへの給油支援についても、アメリカに
べったりの無能無気力の政府であるとの認識を
喧伝するものが多い。たしかに石破防衛大臣の訓辞
には驚いた。テロとの戦争で国際協力だとは言わないで、
日本のタンカー防衛に資する活動だと言い、アフガン
以外への給油の流用がないように注意すると報道陣に
付け加えるTV画面を見たからである。

どうも論理がいい加減に感じる。いわゆる偽装・騙し・
詐欺ではないかと感じさせる政治や行政の説明である。
なぜ言葉を明確な意味のあるものとしないのだろう。
説明できなければ一言も口に出すべきではない。一旦
出された発言は明確な意味を持つべきで、そのような
発言のしっかりした論理の連鎖で説得力を持つように
することが、説明責任を果たすことであろう。
もし論理が矛盾するようなら、担当者は交代する。
交代させることが政治と行政の水準を維持する。
(日本には、介錯という勿体があったはず。少々
物騒な話しではあるが・・・)田中角栄
さんの辞任のときからどうも交代を水準高く行う能力
を失っているように感じている。政治家の自己責任
というだけでは水準の維持は望めない。

政治家は弁論で戦うとはよく言われることであるが、
明確な言葉だけでなく、しっかりした論理と誰にも
同じ意味を伝える主張による弁論であるべきである。
激情的な言葉や扇情的な主張で論点が現実問題から
遠く離れてしまうようでは、政治が弱くなる。地元
の問題の当面の対策を予算的にしか説かない政治家は
腐敗堕落する。
戦争を論じる政治家は、よほどの器量と能力を強い意思と共に
持たない限り、人々を混乱させるだけだろう。

経済を貨幣の量の問題として考えるのでは
知識が不足して途中で投げ出すよりなくなって
しまうのではないか。付いて行けなくなった人が
どんどん脱落してわずかの人間だけ競うようになると
経済での競争は富の偏在を招くだろう。

一国の富は一人一人の国民の富の集積であろう。
この富は増大もすれば減少もする。国民一人の富は
大きい。正である。その集積も正である。
一国の富を増やすには国民が孤立していては
うまくはいかないはずだ。財を融通し人的働き(サーヴィス)
を及ぼすとき富は増えよう。このとき貨幣は欠かせない
存在である。昨今の電子マネーに実現しているように
貨幣は機能に意味があるのであって存在の物質には
あまり意味は無い。しかし一度貨幣を利用すれば、
人の意志・欲によって大きな機能を持つ。このために
富が増えることもあれば減少することもあり得るのである。

貨幣と富、富の偏在と富の増減、貨幣単位と貨幣量
ここらはずいぶん科学の内容だと思うのです。

そして経済が 続き

2008/01/21 01:45:34 麻田佳明

分かりやすかったのですが、疑問も
多く出て来たのです。
つまり金融システム問題としては
理解できたが、経済問題としては合点が
いかないと感じたからです。
なるほどわが国経済の本源的リスクが顕在化
したのでしょうが、それではわが国経済は
どのような特徴があり、とくにこれからの経済に
とってどのような問題が予想されるのか、
それを踏まえて望まれる金融システムとは
どのようなものか、それを実現する方向に
力強い足取りが進んでいるのか。今回の
危機回避は経済の幸運な回復のおかげと
いう面もあると指摘するだけではあまりに
中途半端ではないか。
経済問題の面での議論が触れられていないのが
どうも不満を膨らませる原因です。

経済問題と言うことでは、2005年2月に
安達誠司さん(「デフレは終わるのか」東洋経済)
が論じています。物価が長期にわたって下落する
現象ですが、もう10年を超えていまだに続いている。
統計的に物価下落を定義するとなると議論が
激しいが、GDPデフレーターは94年度から
前年度比のマイナスが続いている。消費の減少は、
全世帯実質消費支出で見て93年から01まで続いていた。
デフレ宣言は01年に出されて、いまだに脱出宣言は
行われていない(はず)。

デフレそのものの経済問題が大きいのだが、
現在も続いている議論には、デフレを利用して
日本の政治のありようを変えようという意思が
垣間見得る点に関心をもつのである。

中曽根さんは国鉄民有化では労働組合をつぶしたと
誇っている。労働組合の目に余る問題点は数多く
指摘されていたのだが、それでは組合が弱くなり組織率
が低くなって日本の労働者の人生は改善されたのだろうか。
ソビエト連邦が解体し、ドイツの統一が東ドイツの消滅
でなされたから組合はなくなるべきだという理屈は
なかろう。国民生活の向上は労働者=国民の生活の
向上である。日本国民には組合労働者はいるはずがない
という制度でもあれば別だが、憲法をそのように変えようと
いう考えはあっても、現憲法には労働組合は存在している。

小泉さんは、デフレ脱却は経済不況の問題として、
景気は循環的なもので波があり痛みが一時的に
ひどくなることもあろうが、将来の日本の発展は
今しんどくとも構造改革をしておかないと不可能だと
説いた。しかし将来のための構造改革とはどのようなものか
は明確ではなかった。不良債権処理が構造改革、郵政民営化
が構造改革であった。道路公団民営化などの公団の整理は
ほとんど形をなし得なかった。財政構造改革にいたっては
デフレが続く限り無理であるという声に耳を貸さないでいた。
それならデフレ下でこそ可能なのだと説くべきであった。
国会論戦がデフレ下の財政構造改革の正当性をめぐって
行われるべきであったろう。

そして経済が

2008/01/21 00:40:38 麻田佳明

大村さん・水上さんの「金融再生危機の本質」
はいろいろ考えさせてくれる要素が多くて
本当に面白かった。刺激を受けてついつい
いろいろ思いつきを書いてしまったのですが、
エピローグを読むとすんなり腑に落ちることが多く
理解がしやすかったのです。著者たちはずいぶんと
論理的に筋道を明確にして書いているのです。
それでも何も知識のないわたしは、プロローグを
読んでも何のことだか一向に内容が理解できないと
感じました。やっと理解ができそうだと感じたのは
第2章を読んでからなのです。
著者達が政府の内閣府に入った時には、デフレ脱却や
システミック・リスク発生回避という対処方法に
ばかり忙殺されていたので、金融システム機能不全
や銀行の不良債権の意味についてきちんと考
えられなかった。したがってこれらが引き起こす
問題を考えどうすれば良かったのかを研究する
ことが課題として残ったのである。そのための
基礎的な整理をすることが本書の内容になっている。

プロローグはやはりわかりづらい。エピローグは
理解しやすい。例えば 2わが国の金融システムの
評価と前途 銀行の新しい展開 に述べられている
「つまり、不良債権問題とは、わが国経済の本源的
リスクが顕在化した現象であった・・・暗黙だった
にせよ、国家保証とという制度的枠組みを採用して
いた以上、・・・やはり国家による処理が必要
であった。結果的に採用された処理の方法は、・・
元本保証の預金を保護し、それによって・・資本流出を
押さえて銀行破綻のリスクを引き下げ、・・・公的資金を
注入し、低金利政策によって輸血をしつつ、・・・
収益改善努力を引き出し、それによって金融システムの
早期安定化と公的資金の保全を図るというものであった。
・・・・こうした処理を通じて支払ったコストには、
超低金利の継続によって生じた家計の利子所得の逸失機会が
含まれる。したがって、リスクシェアリング構造を改造し、
家計のリスク選好に応じて金融商品が提供されるような
金融システムのデザインが必要になる・・・」
は分かりやすさの1つです。

視点はどこか 続きの2

2008/01/20 01:51:35 麻田佳明

官僚の態度、政治家の行動。教育問題の文科省、
経済財政問題の財務省、国防の防衛省、外交の
外務省、福祉医療問題の厚労省、農政の農水省
・・・・。偽装・欺瞞・嘘・騙しが必要悪だとは
いくら言っても建て前が立たないようでは、
勿体が不可能。もったいない。?

政治行政の話しだけではない、老舗・有名企業・
一流。報道のしかたも原因ではあるが、がたがた
とたがが緩んで変化の兆しが、変化の要求が誰の目にも
明らかなのではないか。

どのような論点であれ、おかしいとする論議は
なくても良いわけではない。あるべきである。
しかし科学は議論さえすれば良い。成り立つとは
思えない。問題の成立が認められるから科学が
成り立つ。政治論議と明確に分けて考えらるべき
ものだと考えている。このような思いから
両氏の分析をもう一つ腑に落ちない思いで
見てしまうのです。そして貨幣と富について
考えてしまうのです。

視点はどこか 続き

2008/01/20 01:30:24 麻田佳明

先を急ぎすぎたかもしれない。欧米にごして
経済を大国らしく維持していたいと、あまり意識
にはのぼらせなくとも望んでいる風を受けて
企業は、そこに働く人々は、したがって政治家や
行政マンも時代に合わせた発展の姿をそれぞれに
描いている。マスメディアはこの風を報道して
いる自信を持っている。そして、弱者への
思いやりをしっかり持っていることを証明した
がる。こうして世の中には善者しかいないこととなる。

不正と判定されることは、大きさを選ばず(ということは
小さいものに注意が向くことになる)他に先駆けて
報道したいと欲望する。

風の認識や善者の証明に力が入ると、因果関係の確認や
解決の到る道(始めはとても信じられないほどの
方向の違いがあるかもしれない。目の前に進まない
かもしれない)の発見は面倒で説明できない。時間が
かかるし労力もかかる。理解を容易にするには受け手の
知識と理解力を信じなくてはならない。信じるには
世の中の諸事情に通じていなくてはならない。
結局いろいろ準備が必要で長い育成期間が必要である。

常に不十分で足りないことばかり。自分は充分な
能力がありながら、条件が悪すぎる。・・・・・
これは政治家、高級官僚、中央官庁のため息と同じです。
常識を高め、ときに痛みにも耐えるだけの教育を
徹底し、一致団結して苦境を乗り越える。そのかわり
楽になれば、息抜きもしよう、みんなで楽しもう。

科学者はこのような態度を取ることはないでしょう。
組織をもって進む場合にはあるのかもしれません。
わたしはないと思います。これでは問題が解けない
と思うからです。

2度の特別検査を受けて各行自分の社会的ポジションを
自ら作らなくてはならないと追い込まれて、なんとか
形をなしてきた。つまりやればできる。やらせればできる。
こうして潜在能力の高さを示してしまう結果です。

視点はどこか

2008/01/20 00:54:18 麻田佳明

大村さん・水上さんの分析で公的資金注入の
様子が少し理解できたのですが、分析に
注入についてのある種の前提があるように感じます。
その前提をしっかり論じておかないと、分析が
経済学的な位置付けを失うのではないかと
思うからです。

市場が期待する金融システムが当時どの程度
明確であったのか。銀行の経営戦略はどれほど
準備されていたのか。日本銀行や当局の視程は
どの程度であり将来プランがどこまで描かれていたのか、
などを分析の背景におかなくては分析の価値が
低く押さえられてしまうのではないか。

富の形成や分配、資本の形成や移動と貨幣の利用
について、時代と共に変化せざるを得ない姿を
明確にしておかないと、分析の解釈が恣意的に
なるのではないか。貨幣の果たす役割、貨幣を
コントロールする制度について当事者だけが
知識を持つ状況は、日本の未来を明るくするはずは無い。
細かな専門知識はどんどん専門家に任せれば良い。
科学は科学者に任せる。しかし科学を知らなくて良い
とするのでは未来は暗い。専門化し深化する科学について
自信を持って知っていると言える知識が常識になっている
べきであろう。貨幣や金融についても同様である。
資金の融通、貨幣による経済を理解できるようにして
おくだけでよい。

外国との物資の流出入、資金の流出入。経済主体の
責任。経済主体の現実と憲法の想定する民主主義
社会像との整合性への努力(経済主体が個人と企業法人
だけでしかないのが啓蒙の現状ではないか。1家計を
個人だけでなく、集団=一族としてもよいほどの多人数を
想定しているのかどうか。その場合の個人の権利義務
の保護が合法状態か)。このような点をしっかり
理解できるように知識は共有されていなくてはならない
と思う。

以上のような点で視点がどこにあるか不明として
両氏の分析が貨幣の移動にのみ焦点することで解釈
をあいまいなものにしているとわたしは感じる。
一斉注入に注意するだけでは、税金を使うことの
適否は分析できないのではないか。

解決は一つずつ

2008/01/19 01:54:14 麻田佳明

金融システムの安定化の為に公的資金を
注入する必要性が仮にあったとして、それでは
どのような方法で注入するのかが簡単ではありません。

個人であれ団体であれ何であれ、資金が足りなくなってきた
から少し融通して欲しいと頼まれて、ハイどうぞと
お金を回すことはない。その理由はいろいろあるが、
最も簡単には、要求するものの社会的な在り方を
見極める必要があるからである。弱者救済といえば
無条件救済であるとはならないからである。弱者・
不運にみまわれたものへの責めや虐待が非難されるのは
当然である。社会のなかの支え合い、世の中の繋がり
の具体的な在り方は、情もまじえた多くの賛同を得た
ものがあるはずである。
経済が発展し、金融が発達すると、資金の融通の方法も
複雑になるが、安全で効率的な、つまり広汎な調達と
危険の分散をしっかり取り入れた方法が工夫される。
このとき、偽装・騙しが入らないようにすることが
現実化できなくてはそもそも不可能なことである。
しかも、資金の融通が、借金だけでなく、投資による
方法が利用される。また市場が形成され、商品として
販売される。社会の秩序維持制度・法体系が充分整って
いなくてはならない。

大村さん・水上さんの分析では、第2回目の公的資金
注入前後の分析では、注入15行の市場評価は3つの
グループに分かれた。注入の効果と健全化計画の内容
評価に肯定的な反応が示されたのが、三井信託、横浜、
東海、住友信託の4行である。役に立たない=不必要
と考えられる反応が示されたのが、5行(三菱信託、
住友、あさひ、第一勧業、三和)である。
また、銀行の自己資本や収益・利益、貸出に関する
3月期末の財務指標9つを使って各行の実力を分析
したものによると、1回目2回目の注入では、注入行の
状況は一団となって変化するだけであったが、
2001年以降のガバナンスにより一団性は崩れ、
実力差が歴然とすると共に、各行の業務の区別化が
進んだことが示される。
このような結果をみると、危機の回避策とはいえ、
資金の注入のありかたは、もっともっと適確なものでなくては
ならなかったと指摘を受けても当然であった。
結局、税金の使い方は、福祉であれ公共投資であれ
社会的資本の充実であれ、高額化・膨張化・たかり化
に対する当然の制限が不足していると批判を受けるべきである。
そしてこのような無駄が、文化とどのようにつながっている
のか、金の奪い合いの現実の力の様子を明らかにして
深く分析しておくべきである。

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