昨日は遅く寝床に入ったのですが、
緊張していたのでしょう、
今朝は早くに目が醒めました。
よし、行くか!
ところが何やら外は激しい雨音がする
ではありませんか。
ということで、結局昼前にコートに
出ました。コートは洪水でした。
それでも熱心なテニスマンがいて、水取をして
少しでもテニスをしたいとがんばっていましたね。
現役たちは、昼から練習と通知が回っていたようです。
わたしは、昼飯をいつものところで摂り、
午後からの練習に付き合いました。
まずは女子の練習です。
状態は良いですね。上手くなるでしょう。
どこまで? うーん、これが、まあ、楽しみです。
男子もそうですが、つないでつないで、正確に
しっかりテニスをするようになれば楽しみです。
怖がって、自分からどんどんミスを連発するようでは
テニスになりません。ここをどこまで理解するか、
男女ともたいした所ヘ来ています。
3時ごろから男子の練習を見ていました。
良いですね。テニスらしいです。
本格化するかどうか、ですね。楽しみ半分、
疑問も半分です。明日のOB戦で皆さんの批評を
聞いてみましょう。
今日は、小林、小林、松岡、の3君、そして粟井さん、
さらには沢田さんが出て来てくれました。
マッチをするのかと見ていたのですが、現役は
明日に備えて、自分たちだけで練習マッチ。
結局OBたちは東コートへ、自分達の秘密練習
となったようです。
さて明日はどんなマッチが見られるか、ですね。
テニスを見たいものです。
それでは、請うご期待、ということで。
女子部主将の山口です。
春の合宿3月12〜14日についてですが、ウェルサンピア岡崎
で行います。ホームページでご覧になることができます。
12日は、12時〜19時、13日は8時〜17時・19時〜2
1時、14日は8時〜15時の練習予定です。
神戸大学、愛知教育大学の方々と合同で行います。
2日目は中京女子大学さんも参加されます。
この春合宿はリーグに向けて、よい刺激を受ける場になると思い
ます。現役一同精一杯練習に取り組んでいきたいと思います。
来てくださるOB・OGさんがいらっしゃると現役にとって非常
に励みになりますので、どうぞよろしくお願いします
失礼します。
いろいろ検討した結果、今年の七大の日程は9月8〜12日の予
定となりましたのでよろしくお願いします。
初めまして、こんにちは。
ソフトテニスチャレンジジャパン事務局の木村と申します。
初めての書き込み失礼致します。
来月3月15日(土)に兵庫県神戸市須磨区の
グリーンアリーナ神戸にて開催される、
「ソフトテニスチャレンジ2008神戸大会」のご案内です。
「ソフトテニスチャレンジ」とは、
トップ選手の夢の対決と体験型の講習会を組み合わせた新しいス
タイルの大会で、
「ソフトテニスファン感謝デー」をイメージしています。
総合プロデューサーに小峯秋二さんを迎え、
男子は
中堀・高川組(NTT西日本広島)
菅野・佐々木組(川口市役所・ヨネックス)
花田・宮下組(同志社大学)
女子は
杉本・上嶋組(東芝姫路)
大庭・堀越組(NTT西日本広島)
逢野・緒方組(NTTドコモ四国・ヨネックス)
という日本を代表するトップ選手が集結します。
「普通の大会」では出来ないような応援合戦あり、
インタビュー、トークショーありといった企画も計画されていま
す。
先月開催された川崎大会では、1200人が入場し、
楽しいゲームや真剣な講習会に大変な盛り上がりとなりました。
川崎大会の様子と神戸大会のご案内は、
今月号のソフトテニスマガジンにも掲載される予定です。
ソフトテニスチャレンジが次回神戸で開催されるのは、
5年後、10年後・・もっと先かもしれません。
「次の機会に行こう」では、おそらく難しいと思います。
どうぞ皆様、是非足をお運びくださいますようお願い申し上げま
す。
ご質問等ございましたら、実行委員会(03−3248−0139)木村ま
でお願いします。
詳しくはホームページ
http://net−bridge.jp/
(大文字にしてあります。小文字にして検索お願いします)
をご覧ください。
皆さまの掲示板をお借りしての情報提供お許しください。
ありがとうございました。
ちょうど今年のテーマが(それと察してテーマにしている
わけではありません)このところです。
つまりソフトテニスの技術とは、今日のような
ミスが出ないようにすることなのですね。
きちんと習得したものでなければ、出るべきときに
ミスは出るのです。偶然ではないのです。
ここを理解することが課題ですね。
不思議でもなんでもないのです。ちゃんとできるはず
だったのですが、できなかったのです。練習が
足りなかったからではないのです。まずまずの
練習はしているのです。まだ完成していない、
仕上げの詰めがまだ全然できていない。したがって
まだ技術ではない。下手というだけなのです。
大事なことは、完成した技術はまだないと知ること
です。できると思っていることも、ほんの一寸した
揺さぶりに脆くも揺らいでしまうのです。揺らいだときに
どう締めるのか、どう修正するのか。隙を作らない
為にはどうするのか。何を優先し、何を棄てるのか。
完成した技術は維持できるのか。
完成なんてそもそも在るのか。
言葉をつないで遊ぶのではありませんが、
テニスを楽しむ、楽しいテニス、・・と
言っては見ても、ちょっと思うように
ことがならぬとどれほど簡単に気分は
分散するものか、に気が付かぬ様では
スポーツの複雑さ=楽しさには遠いとしか
言えないのではないか。
ということで、ずいぶんと楽しめた(ほろ苦さも
あっただろうが)のではないか。ずいぶんと
成長していると感じました。
医学部ソフトテニス部の皆さんありがとう。
頑張ってください。いつでも出て来て下さい。
一緒に試合をして楽しみましょう。
久方ぶりでスタイルを持ってコートに出ました。
午後から、医学部と練習試合をするとのことで
西コートで次々とマッチをこなしていました。
杉山さんと小林(シニアの方)君が来週の
試合の為に練習しに出て来ました。
でもないのでしょうが、天気がめまぐるしく変わりました。
強風、曇り、青空、ぽかぽか、曇り、強風、
4時前後から雪が振り出しました。積もりません、
から春の雪、でも吹雪き、球のコントロールが
定まりません。寒い、ぶるぶるぶる・・・。と急に
降雪が止んで、・・・・、また吹雪き。
5時前に練習終了。わたしは着替えもできずに
スタイルのまま帰宅しました。完全武装でしたから
寒さには全く大丈夫でした。しかし、雪とは言え、
雨と同じで衣服がだいぶ濡れました。
それで試合の方ですが、医学部の意気軒昂なテニス
ぶりに、いささか対抗しぞこなったのでしょうね、
思わないミスを連発したと思い込んで、意気消沈
消極テニスで不満がつのったようでした。
相当負けがこんだようです。
申し込みを受けたはいいが、テニスこころの
準備が整わない為、自分のテニスができないという
惨めな思いにとらわれてしまったようです。
辻田がリーダーとなって臨んだのですが、
集団としてどう取り組むかの何か目標が
見えないため、心技の一体感を欠いてしまいました。
わたしが学生の頃なら、バラバラになってしまい
相手に嫌な思いをさせてしまったかも知れない
ほど腐ってしまったでしょうが、このごろは
そんな気分になる学生は皆無のようです。
どうも上手くテニスができないと不思議さが
出てしまうようです。確かにもう一つ冴えたところが
見られなかったのは事実ですが、それほど
おかしなプレーが続出したわけではありません。
試合では何が起こるか予想し切れません。
何か予測外のことが起こったとき、
相手を上回るしまったテニスを実現できるか、
心技の不一致・不調和に戸惑って、
緩んでしまうか、自己コントロールができないのです。
その事を知らないわけではありません。
ただ、いまがそのときだとは、思えないのです。
ソフトテニスの見てくれの柔なところでしょうね。
男子の方は・・・・・・・・
野木、北谷:コントロールし過ぎやな。先ず飛ばそう。
ボールを思いきり飛ばそう。シュートでもロビングでも。
遠く、高く、速く。
矢守、梅原:前にも指摘したが、ラケットに振られ過ぎ
やな。締まりがない。振りがまだ鈍すぎるのやな。
打点が定まっていない、形成されていない。
細川:どこか振り遅れのポイントに上手く振り切れる
ストロークがある。このストロークを、正クロスのシュートボール
を打つ打法として原理を習得することが可能ではないか
と思うがどうやろな・・・・。バックストロークは
縦振りに成り過ぎるが振りは鋭いストロークがある。
この原理をもっと活かすように研究する。
八木、榊山:振ってはいるのだが、寸足らずになることが多い
点がよく似ている。足腰の使い方が、ちょっと
いい加減にしか考えられていないのだと思う。
結果の方に注意が向き過ぎたのだろう。
安定して打ち続けることができる振り方を
先ず考える。
中祖:焦らないでも大丈夫だ。レシーブをミスなく返すこと
をストロークの第一義とする。ヴォレーでは壁に成ることを
目標にする。残りはスマッシュだが、直接頭の上にあがった
のをミスなく相手コートに正確に打てるようにする。
頭のひねりを覚えれば上手く行く。慌てないできちんと
スマッシュする癖をつけるようにする。
正確に、精密にプレーすること。
精神的にあまり窮屈になると、できることが
できなくなる。がしかし、ルーズな考えでは
上達しない。つま先、指先、爪の先まで
神経を張り巡らして、楽しく愉快に大らかな気持ちで
プレーすることを修得する。
来週から(実際は週末だが)練習開始です。
そろそろ頭を使って考えなくちゃあね。
ハートで考える方はまずまず進んでいるだろうから。
どうやってボールを打つかやね。
(なんせ、見て・見ないで打つのやから
ちょっと難しいのです。いや表現が
おかしいだけで、やることは至極まっとうなこと
と言っているのでした・・・・ね)
まず、ラケットを、腕をしっかり振り切らなくては
ボールを飛ばすこと=コントロールができない。
この関門をくぐらないと。
卒業生はできていたが、残った方はできていない。
女子の方から−−−−−−−
山口:怖いだろうが、一度コントロールを棄てなければ
ならないだろうね。長さを調節する方が大切。
松田:上手いから、変える道が見つけ難い。
相手次第と考えて、のんびり相手を待つつもり。
デートの相手ではないよ。乱打の相手です。
縦振りでしっかり打てるようにする。安易に
横振りで処理しないように努めてみる。
片岡:先日は軸足の足先の方向に注意した。
打点をつぎに本格的にしよう。ラケットを充分振って
上手く打てる場所を探して打点とする。
荒井:ボレーは上手。スマッシュとファースト・S
での腕の振りが正しくない。動いて生まれる身体の
運動量(力学の)を利用したボールコントロール
を修得する点で研究の余地が大きい。粗いプレーを
緻密にするよう意識しよう。みらいは明るい。
馬場:コートを千の夏で輝かそう。怖がらないで
どんどん走る。走りながら打てばよい。からだの運動量を
ボールに伝える。腕の力は不要になる。ポイントと
タイミング、なにより頭の中が大切。
手邊:腰の回転(ぐるりと回すのではない。
角速度を一瞬だけ生み出せばよい。回転の
角度は小さい。速度は大きい。時間は短い。)を
利用してラケットを振り切る。ボールを見ながら、
相手を見ながら、すべてを見ながら(だから
なにも見ていないことになる)打っている。
見ないで、見て打つことを修得する。
追いコンで話したように、今年の
テニスは男女とも大変難しい水準で
行うこととなるはずだ。どうもやりつけないことを
やろうとすると、思いはあれども
思い通りにできることは少なくて
失敗が続くということがよく起こる。
このことを覚悟しておかなければならない。
ということは、実は現役諸君に言うべきこと
ではないのかも知れない。
萎縮させることになるからという
のが理由であるが、そんなことより
失敗を恐れては大きな飛躍に挑戦はできるはずがない
と強がって欲しいからだ。まずは意気軒昂であって欲しい。
まあ、蛮勇ではいけないが、といって
萎縮してしまって、挑戦にもなにもなっていないという
情けない状態は最も避けて欲しい事態だ。
ということで、大らかに将来の
すばらしい飛躍を信じてひたすら挑戦する、
しかもしっかり考え、粘り強く試み、
根気よく続ける。失敗は成功の元、
いよいよ成功に近づく確実な階段を
発見したとますます挑戦意欲を沸き立たせて、
いろいろ考え、種々試み、考え直し考え直し、
タイタンのごとく倒れては起き倒れては起きして
ついに成し遂げる、という頼もしい姿を
実現して欲しい。覚悟をして欲しい。
まずは、よく見て、見ずに打とう。
頭の中に完全なショットを作り上げよう。
言葉にすれば矛盾だらけだが、絶対矛盾の
無矛盾ではない。実に自然、素直なものだ。
なにせ見たままだから。
前にも書いた、見れば見えずと。
といって見なければ、むろんなにも見えないのだ。
だから、見ろ!、でも見るな、そして見える、
結果見えた、完全に見えた、となればよいのだ。
わたしは40才のとき、ボールを見た(完全に見える
はずだ)が見えなかった。???。老眼が始まっていた、
ことを何ヶ月後に知った、という経験がある。
見るべきところで見えないのなら、視力が
不足しているのだ。眼鏡をかけるなりして
視力を矯正しなくてはならない。
ときどき(数年に一人程度か)視力を
そのままにしてミスを放置する学生がいるものだが、
強く咎めたことはないが、残念なことではある。
清清しさ、爽やかさを心掛けていて欲しい・・・・・
矢張りというべきか・・・・・。
「国家」の序盤は、<正義>を考えることを
考えることである。つまり、すぐさまこれこれと
答えられない、先ずは考え方を考えようと
いうのである。
普通、一般に、人の口に上る正義は、
見掛けのもので、不正義こそが実態である
という話しから、ソクラテスは口こそ巧いが
実体は正義を知ってはいないのではないか、という
話しから始まる。
ソクラテスは、個人の正義は、考えにくいだろうから、
国家の正義を考えようと、理想国家を考えさせる。
国民すべてが幸福と思える国家のありようを考えさせる。
原理は、それぞれが一つだけの生まれながらの才能を
活かした仕事をすることである。けっして、他の仕事には
手を出さない。そのような国民が、贅沢を求めない、
必要最低限の大きさの国家を作るのである。
理想国家に見られるものとして、知恵・勇気・節制・正義
の四つの存在を指摘する。知恵は、支配層に、勇気は
軍人に見られるとする。そして国民は行き過ぎを
抑え、足らざるを補い合う一致協力の状態、調和を
実現できるのが、節制を保つことであるとする。
これら三つの徳を国家から除き去った後に残る
ものが正義であって、各人が自分の仕事にのみ
集中することで正義が実現するという。
(国家の正義が一応定義できたことで、個人の正義も
同じように理解できるかどうか、その結果を待って
正義とは何かを考えようということで、中盤から
後半へ進むはずである。)
軍人をどのように教育するか、支配者をどのように
選び養育するか、という話しをプラトンはしているのだが、
具体的な話しは、今日的ではない。ではあるが、現在を考えるのに
無関係ということもない。微妙なこともあるし、
考えさせられることもないではない。
おりしも、潜水艦「なだしお」が釣り船を沈めた事故が
再現されたかのような、イージス(アイギス=アテナ女神の
楯)艦「あたご」が漁船を沈めた事故が発生している。
ハワイ島で、米潜水艦に日本人高校生をのせた遊覧船が
沈められた事故もあった。
軍艦が民間船舶を沈める事故は、起こることがある。
無くす方法はない。いや、そんなことはない、あるはずだ
と考えなくてはならないが、そのような条件は
実現させることが難しいと考えざるを得ないだろう。
公務員がなぜ国民の利益に反する行為をするかという
問題も解決策がない。いやそんなことはない、あるはずだ
と考えなくてはならないのだが、条件が難しい。
国を守る軍人が、国民を虐げる。公僕が国民を
なぶりものにする。
なぜなのか、と問うが、解決策が出てこない。
ここにソクラテス、プラトンが顔を出すと、
何と云えばよいのか・・・・・・
2000年以上も昔から・・・・・
北畠親房が書かずにおれなかったことは・・・・・・
慈鎮(慈円)が書こうとしたことは・・・・・・・・
民主主義を考えるとは、ずいぶんと力の要る
ことではないか。
テニスをするだけでも、相当な力が必要だが・・・・
時間をかけて、焦らず、少しずつ、互いに・・・・
夕方になると急速に冷え込んできました。
昼ごろはわたしの住んでいる湖西とは違い
テニスができる天気だったようです。
久しぶりでコートに立つつもりでしたが、
家内の母親がちょっと具合が悪いということで
直ぐ近くに住む母親の元へ出掛けていたので
結局スタイルを持たずに午後からコートへ
出ていったのです。
コートでは山元さんが女子と練習しておられました。
そこへ早くも熊田さんが顔を出されて練習を
みてくれました。
5時前にあまりに寒くなったので、
コンパの前でしたが、熱燗を1本
呑んで身体を温めることとしました。
3人で近くの飲み屋に飛び込んだのでした。
コンパは6時から始まりました。
内藤さん、杉山さん(部長)、二宮さん、
そして若手OB、OGが加わって和やかな
よい追い出しコンパとなっていました。
熊田さんが出て来るというので、同期の辻本ユカさんが
飛び込みで顔を出してくれました。
女子部員達にはすばらしいプレゼントだったのでは
ないでしょうか。
男子部員には、OGさんの力強さが
印象に残ったのではないでしょうか。
内藤さんからもときにそのような(同時代の
OGさんとのつながり)話しをお聞きすることがあります。
当然のこととはいえ、同時代の部員間の
交流が健在であることが確認できることは
すばらしいことと思います。部のよさを
しめすものと思うからです。
送る現役、迎えるOB、巣立つ卒業生。
それぞれに自然な気持ち言葉が出て来る
という機会は気持ちが洗われる思いがします。
がしかし、わたしは、別に機会がないわけではないのですが、
少し心が逸るのでしょうか。卒業生に
かこつけながら、現役に向かって
今年のテニスを論じてしまうのでした。
女子の方に早くも練習予定が出て来ました。
少し天気が悪い様です。無理をしてはなりませんが、
意欲を込めて練習に向かう覚悟は固まってきているようです。
男子の方も確実な足取りを示しているようです。
男女とも、なかなか厳しい段階に来ていることを
しっかり認識して、楽しみを大きく持ちながら
根気良く階段を上ることを覚悟してもらいたい
と思うのです。1歩1歩進めば良いのです。
大きな飛躍は、大きな歩幅を要するとは限らないのです。
小さな歩幅で少しずつ進む時期もかならずあるのです。
それが大きな飛躍を生むことにもつながるのです。
確かな進歩発展をめざして能力を絞りましょう。
科学的なことを考えると、
プラトンかアリストテレスかと
気になるようになるのではないか、
と考える。
プラトンを好む科学者、アリストテレスを
好む科学者という分け方もあるのかもしれない。
「国家」における議論、ソクラテス的議論が
どうも荻生徂徠に似ているように感じるようになってきた。
国家の守護者や国家の支配者に適した人物、その教育
を論じるところに、徂徠が「仁」とは国を思うに
父母の思いを持ってすることと論じるところが重なってくる。
経済論等を読むと、徂徠の議論に深入りする気は
起きないのだが、政治論を読むと「国家」を
読んでいるせいか、興味を引かれることが多い。
現実の社会を見て、問題解決を考えるとき、
どのように手をつけるのか、どのように問題を
設定して行くのか、と考えてみると、
マルクスやエンゲルスの作業は納得が行くと
感じる。「自然の弁証法」は完成していないが、
岩波文庫に入っているものを読むと、エンゲルスの
勉強の仕方が勢力的で理解が明晰であることが
読み取れる。それにしても、電気と磁気の研究が
進んで新しい実験結果が混乱を生むさなか、光の
正体が不明で、原子がほとんど解明できていない
状況にあって、適当な方法論をぶっていい加減な予想を
しても良さそうに思うのだが、熱の運動論を良く理解し、
エネルギーのいろいろな現れをエネルギー保存則
(熱力学第一法則)を自在に使って論じるところは
秀才の証明であろうと思う。
「国家」を読んでいく中で、「愚管抄」と
「神皇正統記」の正統や正義の考え方に興味を覚える
ようになってきた。
悠長なことを考えても世の役には立たないのだろうが、
議員さんや知事さん、市長さんの議論を断片的に耳にする
と、「正しさ」がきちんと存在している確信を
皆さんお持ちのように見えて、一体どのようにして
修得されているのだろうと、己の勉強不足の恐ろしい
状況にすくみ上がっているのです。
数学だと、分かる部分はちゃんと分かるのですがね。
自然科学では、分かる部分は大変少ないのですが、
それでも分かる部分は分かりますが。
正義となると、もうまったく分かりませんね・・・・。
女子部主将の山口です。
今シーズンの春も、OG戦を行いたいと思っています。
日程は3月2日日曜を予定しています。
後日、OG連絡でも連絡いたしますが、掲示板にて前もって報告
させて頂きました。
失礼しました。
恒例行事という理解なのでしょう。
OB・OGのみなさまがたにお願いいたします。
配慮が足りないようにも思いますが、
きたんの無いところをお伝え頂いて
考え直すときも来るものと思いますので
今シーズンの幕開けとして胸をお貸し下さい。
若手OB=院生の皆さんには
さっそくコートへ出て時間の許す限り
身体をほぐして準備を整えていただけたら
うれしいですね。
追い出しが終われば、しだいに気合いも入って来るでしょう。
今年のテニスの水準を高く実現する
決意が固まってきていることでしょう。
どれほどしんどい思いをするか、
未経験の領域に突入するのです。
ぜひ、追い出しコンパにお出で頂いて
経験談を語ってもらいたいと思っています。
年配OB・OGのみなさまのご参加を
心待ちにして居ります。
それにしても、ちょっと寒さが本格化しました。
コートへ出る機会を失ったままで寂しい限りです。
ランニングに精を出しているか、それとも
試験が終わって親元へくつろぎに帰っているか、
16日を過ごしてからと休んでいるか(休むことは
良いことですが)・・・・・・。
情報がたくさん入って来ると思うのは、時代の進歩として
肯定できることなのだろうか。
インターネットや巨大メディアの出現が
情報を溢れさせているという解説がなされるが、
情報の洪水にアップアップしているという
意識を持っている者がどれほどいるのだろうか。
報道番組で意見を電波にのせる者が、
責任逃れに言い訳しているに過ぎぬとも思える。
戦国時代(日本でも中国でも)にも
噂話に聞き耳立てるものと、噂話にうつつを
ぬかすものと、情報の行き来は激しかったのではないか、
と想像するのだが。
読書会で読んでいる「国家」が半分を超えた。
良く分からないという印象が少し薄らいで、
少々薄ら寒い思い、というか空恐ろしい
というか、底意地の悪さを感じつつある。
論理だけを追うのでは読みきれない。
人が何を考えるかに思いを致すべきでないと・・・・
たまたま覗いたTV画面。
民主党議員が道路特定財源関係で
国土交通省の予測が適切でないと
噛みついている委員会中継である。
福田首相がちょっと気色ばんでいるように
見えたが。
予測を行うには、いろいろの要素を
考え合わせなくてはならないので、
そうそう簡単には結論は出ないと
いうことらしい。つまり、一つのデータ
からは予測しないのだから、
齟齬を来すデータに思われるデータ
を入手したからといって、ただちに
予測が不適切とは結論することは
できない。つまり質問者は間違っている
という。冬柴国土交通省相も無益な質問だと
はねつけていた。
どうも入り口の議論と言うやつと見えた。
大臣というのは省の代表者ということらしい。
閣議でどのように打ち合わせをしたのか、
国会での討論としては無意味ではないかと
感じた。入り口論で与野党満足している
のでは偽装国会活動だろう。
まあ、民主党議員が気色ばるから、
阿吽の呼吸で応じたのだろうか。
党首小沢さんばりの、ゆったりした
ぼそぼそ口調で問い質すべきであろうと
要らぬお節介を焼きたいところだ。
福田さんが、まあよく聞いておきます、
と答えて終わりになるはずだ。
既得権益勢力と新興勢力がおとなしい
大衆をいいことに、「無力な大衆」から
むしりとることばかりに血道をあげて
いるように見えてしまう。無力な大衆
が怒り立ちあがるという想像は働かない
のだろう。自由なるものが見事に
結実したと解するしかないか。
羽田空港の空港ビル会社への外資参加をめぐる
与党内の軋轢は、国際派と貿易派(と言えば良いのか?
あるいは攘夷派か)の衝突から来るようにも思える。
学生さんの勉強もなかなか大変だと思う。
あっさり、大学を色分けでもしてみるか。
新聞は、こんな問題が起こっていますと
垂れ流すだけだから色分けもできない。
かな?
にしては? と思いつつ、少し残念な
気持ちでした。これから3週間、このような
気分が何度か起きるのでしょうが・・・・・。
春を迎える気分というのは、なかなかもどかしい
ものです。
ひたすらランニングに精を出して
来るシーズンに備えるのがよいでしょうね。
ランニングは、どのような環境にあっても
条件にあってもできることですから、安定しています。
力の入れ方、抜き方を身体で覚えることが
よい効果を保証してくれるでしょう。
春の椿事?ではないのですが、午前中に
楽しい思いを経験しました。雪がしきりに降るので
コートへ出掛ける気で起きたのですが、中止して
少し気落ちしているところヘ携帯電話が鳴ったのです。
よく聞こえるものですからまさか米国に相手が
居られるとは露思わず、経済学論なんどを
吹っかけてちょっと長時間しゃべってしまいました。
横で聞いていた家内が、アメリカやのによくそんなに
長く喋れますね と呆れられてしまいました。
隣近所の感覚で、ぺちゃくちゃ喋る相手が米国在住とは
なんとなく愉快です。
わたしはぺちゃくちゃ喋るのは
好きな方ではありません。いや嫌いでもあるでしょう。
議論も好きではありません。よくやることはやるのですが。
黙って本でも読んで過ごす方が好きです。
おとなしくて目立たない小さな男の子です。
ただスイッチが入るとちょっとがんばってしまうところがある
程度で本当に普段も目立つことはないのです。
ソフトテニスという競技は、目立つことのない
子供にとってちょうど手ごろなものという感じが
好みでした。おとなしいのですが、ボールの
扱いにいろいろと内容を豊かに盛り込めるところは
大好きですね。ずいぶんと激しく複雑なことも
含ませることができるのですね。相手がそういう
風なことをし掛けてきますが、それを知らぬ顔で
受け流すというのも実に優雅ではないですか。
風流とも言えるでしょう。
力勝負というのもありますね。
大きな体格が有利とも言えません。
小さいのが素早く動いて適確にプレーするという
のはなんとも小気味のよいものです。
大きいのが静かにゆったりプレーするのも
美しいものです。
フラフラボールに筋肉マンが大汗かいて
プレーする愉快さはまた格別です。
吹雪きの中でも、もくもくと湯気を立てて
ランニングに精を出す若者もいるのです。
激しさがうわべには出ないというスポーツも
すばらしいものです。
来週ですね。追い出しコンパは。
女子は3人か、4人か?
男子は2人か、3人か?
頻繁にコートへ出ているわけではないので、
しっかり認識ができていないのです。
気を悪くされては困ります、済みません。
昭和40年入学の 熊田さんが参加して
くれるそうです。嬉しいです。
わたしの1学年下になりますが、
加藤さんが主将で、熊田さんが主務でした。
われわれの学年がなんにもできずに
腐り果てようとして、それはならじと
各人がバラバラに最後の秋をむかえたとき、
主将・主務として見事に統率して念願の
1部復帰を果たしたのでした。
彼らの下には、本格派の高安・白川・中内・小出
が居ましたから、彼らを主力に戦えば
よいのですが、われわれの学年の鼻息は(だけが)
荒く、全体を統率するのがなかなかの大仕事になって
いたのでした。
要するに、熊田さんは2度1部に復帰させたのです。
1度目は猛主務として、2度目は大将ペアとして
活躍したのです。
わたしも何度か熊田主務には注意を受け怒られたものです。
戦うチームに相応しい名主務ですね。
当時、主務はそれぞれ個性が強く、チームの
カラーは主務しだいでした。代代名主務が
続いたものでした。
この伝統は現在も脈々と受け継がれているようです。
16日には、熊田さんの口から名選手、名主務の
話しを聞く事ができるかもしれませんね。
上り調子のわが部です。
戦うチームに相応しい主務の姿を見て欲しいと
思います。自信を持って欲しいと思います。
久方ぶりで 分子 という言葉を聞いた。
中国の政府関係が使ったのだが。
「小数分子」
ずいぶん昔のことだが
不満分子、危険分子、一部分子、・・・・
などと使われた。
分子は、原子の複数集まって形成された物質の構成単位
であるが、人間の集団にも使われる。
こちらの方が先なのか。中国語を全く解さないので
なんとも言えない。
小数分子 とは、小数人数の不法集団(ならず者)
何らかの不満集団の組織だろう、という意味ではないか。
中国の捜査当局が何らかの農薬混入犯人を
割り出したものかとも推測できるが、もう少し
時間がかかるのだろう。
分子 という言葉に何かしら、この野郎という
感情が込められているように感じられて
どうも気持ちがささくれ立つ。
1部新聞には、中国に安価な食品を求めたのは
日本であると解説があったが、日本市場を
狙って儲け仕事を持ちかけ、引き受けたという
経済事情は充分に察しがつく。
日本が安全性に費用をかけないという
特徴を見事に突かれたという要素がありそうだ。
空気と水は無料だ、との感情は、「美味い水」
「健康のための水」、「酸素を飲もう」
「癒しの空気」でずいぶんと薄れつつある。
「安全な中国食品」「凖安全中国食品」などの
商品が出て来ると、安全性もうまく商売になる
のだろうか。
だれだれが、どうした。その理由は・・・。
国民のなす所業のさまざまが、分子なる
ものの仕業と報道される国は自由の定義が
存在しているのであろう。
自由とは、何か? 勝手気侭とは? 放任主義とは?
自然とは? 無為自然とは?
無念無想とは?
オフシーズンは、ランニングシーズンだろう。
毎年話題にするが、何の為に走るのか?
これがよい、と思う。
疑問を感じつつ行う・・・・・。
確信して行う。これもよいのだが、
疑問を感じつつもよい、のではないか。
何かせずに居られない! という気持ちになる
時もあるのだが、このときは疑問どころか、
確信もない。逸る気持ちだけ、だけだろう。
走っていると、いろんな事に気付く、
という経験がある。
勉強でもないだろうか。
机に向かって座り直すと、
顔のあちこちが気になって来る。
鼻をかみたくなる。
目薬を注したくなる。
歯を磨きたくなる。
トイレに行きたくなる。
わたしは、いまだに何かやろうと
机の前に座り直すと身体のあちこちに
変調を感じることがある。やるべきことに
素直に向かうときには絶対にないのだが、
頑張らねばとか気合いを入れてとか
意識が改まるとどうもおかしくなる。
緊張するのか嫌がるのか・・・・?
試合の前も、そういえば意識過剰になることがある。
やはり緊張して、頭がいろいろ
過敏に反応しているのかもしれない。
ここは自己コントロールの出番かもしれない・・・・・。
無心に走る。
これがよいのかもしれない。
走っているうちに、無心になることもある。
歩いていてもそうである。
ある時間、ある区間、どのように歩いていたか
意識がない。記憶がない。
無心に歩いていたのだろう、というしかない。
走る前にいろいろ意識しても、
しばらく走っているうちに、
無心に走っている、ということになる
のでよいのではないか。
走った結果が残ればよい、とする。
身体ができてくれば、この無心は
相当うまく実現するのではないか。
身体を医者の監視下に置くようになって
走る機会を持つことがなくなった。
それでも1年に1日か2日は体調がよいと
自然に走りたくなるのだが・・・・・。
無心に10kmほど走ってみたいと思う。
無心に歩くのは、2、3kmなら
まだ日常的なのだが。
頭にぽてんと丸髷を乗せてにこやかな
顔付きで元気に歩く姿を見て、振り袖を着せると
一段と映えるかなーと見とれました。
元気で第一声かな。
ちょっと遠いな。でも東海なら春合宿には
向いているかもしれん。
荒井が中瀬君に鍛えられておったが、
ずいぶんとうまくなったと舌を巻く
思いだった。まるほど、山元さんが
声を出すわけだ、と思ったことでした。
うまくプレーすることは目標でもあり
練習の目的でもあるのだが、いわゆる
小器用に終わっては筋違いと考えるのが
わたしの考え方です。
今年は、目標とする所がなかなか
難しいので、小器用に終わってしまう
ことのないように相当な注意をしつつ
いろいろな要求を出して行くつもりです。
とにかく1回生は力の限りこれぞ我がテニスという
目標を持って練習に励んでもらいたい。
細かいことはときに臨んで自在に試みればよいのです。
いろいろやってみて、うまくいかなければ
やり直せばよいのです。
時間に限りがあるので、そうそうのんびりは
しておれない!、のですが、これと思った道に
思いの丈は出し切って挑んでみないことには
結論は出ないでしょう。苦しみは倍にも三倍にも
なるのは覚悟の上とすべきでしょう。
とはいえ、無駄はしたくはない。すんなり
強くなりたいのですが。
どんな道にも、分岐点はあるものですね。
悩みがなくなることはないですね。
悩みなく生きたい! が、悩んで生きるのが
現実です。現実があるからこそ、夢がある理想がある。
夢と理想があるからこそやってみることができる。
挑戦意欲。善意識。道徳。かな・・・・。
ニュースに流れた「大学生は授業に興味が持てない」らしい。
興味を引く授業の工夫、なんてのが流行っているのだが?
授業料返せ!なのか?
教師を変えろ!なのか?
大学なんかやめてやる!なのか?
教える方を超えて、興味を持って進んでいる
学生は必ず居る。人数なんてのは問題ではない。
人数を問題にするのは、統計をとる側の意識である。
まずは、興味を持って進む学生(人数では極端に少ない
のだが)にもっと便宜を図る方策を大学が提供できるか
を問わねばなるまい。どのメディアが問うているか。
大学をやめる学生の窓口を作る大学はあるか。
大学に限らず、高校をやめる学生にも道を開いてやって
欲しいが。大学受験に必要な高校の授業というだけでは
あまり意味は無いと思う。
試験に受かるための授業は存在する。
免許試験である。免許は試験で確かめるべき
知識が存在する。でなければ免許にはならない。
高校が大学入学試験を受ける免許発行機関というのなら
高校をやめる学生はほとんどいなくなるであろう。
大学受験を免許制に法改正すればよいのかも知れぬ。
塾と公立学校の共存なんてのより、免許制に対する
機関として学校も塾も認めればよい。
義務教育も廃止してもよいと考えることもできるかもしれん。
免許さえとれば大学受験はできるとするのだ。
じゃあ、学校は不用ではないか?なんて
考えるようでは、学校を必要とする社会を
夢想だにできないというだけだ。
学校格差は大きな問題になると思う・・・・・・。
掘り下げた教育論が欲しいところだが・・・・・・・