蒼穹杯のテニスの会は、この10年ほど、
ちょうど良い上達の機会となっているので、
現役の試合を気を入れて見守ってきた。
今年は、この夏のテニスと秋への切り替えを
ポイントに考えているので、めずらしく
現役の試合を見ることから離れようと
考えていた。ちょうどそこへ、同期の何人かが
集まる機会を持とうと提案があった。16日の
お昼はそのために吉田を離れる。
同期とは・・・・
渥美さん;最も早くからレギュラーに入った後衛。
ロビングにいちはやく目覚めてペアテニスをした。
4回生最後のリーグ戦では田中さんと組んで
最も安定した試合をした。
武田さん;4回生の春リーグはペアを組んだ前衛。
ストレートのラリーに強く、フォアのストレートでは
彼の背中からシュートを打ちこんだ。
竹村さん;よく叱られた指南役でした。ちょっと
挫ける私の心がよく分かって励ましてもらった。
京の鉾町の長男さん。社交術の名手です。
須藤さん;直接の連絡はまだとっていないのですが、
出会う可能性があります。われわれの時の常識の
源となっていた人。というより私一人が非常識であったのかも
知れませんが。全くの素人ながら、女子コーチまで
つとめました。
天野さん;1年生春から飛び出した同期のエース後衛。
すべてに早熟を狙っていたのかどうか、とにかく
決断が早くて学生生活も変化がはやかった。私は
ついて行けなかった。でも1部昇格を最もよろこんで
くれたのも天野さんでした。
園田さん;大学のテニスといえば、園田さんとともに
動いていたといえるほどほとんど一緒でした。園田さんの
人に対する強さに頼ってどれだけの人に会って来たか
と感謝の念が堪えません。
田中さん(二人がいます。どちらにも尊敬の念を
もって対して来ましたが、今回は喜男さんの方);
残念ながらすれ違いになりそうです。高校からの
同期です。学連委員長をやりました。紳士です。
私が到底及ばない分野です。
ずいぶん張り合ったり競ったりしたこともあったのでしょうが、
もうすでに40年以上も昔のことですね。
世界線が交わることもそれほどあるとは思えません。
一期一会 なんて言うことは無いでしょうが、
1試合1試合真剣にテニスをするつもりで会います。
国民政府、いや国民と政府、こんな言い方が
ごく自然に出てくる状況と言うのは
どういうときなのか・・・・・と・・・・。
内閣改造、福田首相がどのような内閣を
つくろうとしているのか、誰もが関心を持つ。
つまり、現下の問題は何か、それらに
どう対応するのか、大臣は誰か。
選挙対策の内閣、というのもある。
選挙で権力基盤を整えるのか、政治課題のために
もっと権力を強化したいのか。
同じ与党内での権力争奪戦の内容による。
報道が、対権力の姿勢を明確にしないので
良く分からない。どの報道機関も、権力との
間合いをつめすぎているのではないか。
にしては、アンケート結果が、最近に無い
散らばり様である。支持率に±8.5ポイント
の幅がある。
新聞がこのありさまでは、官僚はもっと
幅を広げるのではないか。
麻生自民党幹事長にどこが入れ知恵しているのか。
麻生さんも、政府か政党か、腰の落ち着けどころが
しっかりして居ない。
外務省、防衛省が暴走していないか。
中国餃子企業天洋食品の毒入り餃子を
中国で食して中毒が起こっていたとの
報道。政府なのか役所なのか、一寸した
情報操作だろう。
権益確保、役所の肥大化、自己膨張。
竹島の領土問題、海上油田の中国との争い、
北朝鮮拉致被害者救出、・・・・・操作への
誘惑か権力の独走か。
まるで場違いとなってしまうが。
組織が動くとなると、その目的と
運営は構成員すべてのものに明らかと
なっているのが当たり前です。
サボっている、では済まないだろう。
一瞬一瞬はほとんど何事もなく済んでいるのだが、
事が起これば、それまでの過去が、一連のものとして
意味を持つ。無意味と言うことは無い。
肯定的な意味を持たす為には、一瞬一瞬の
確保が欠かせません。どんなに小さな組織であっても
属しているのは、他の誰でも無いわたし達なんですから、
自分を貶めるようなことは互いに戒めて
いたいものです。
を基本とする試合を実現して欲しい。
最高の球を打つことはすばらしいのだが、
始めから最後まで最高の球を打つとなると
ほとんど現実性はなくなってしまうのではないか。
最高の球と表現するよりは、
安全な球と表現する方が
現実的だと思うのだが、安全しか
指向しないのかと自問したときに
余りに消極的に感じるとしたら、
テニスにかける思いが、ロマン的に過ぎる
という批判を投げ掛けていると
理解してもらいたい。ロマンはいいが、
いい気持ちに浸りすぎているぞと
口のうるさい年寄りが冷や水をぶっ掛けた
のである。いい気持ちに浸っているときに
何を無粋なと怒ってもよいが、怒りが静まってきたら
テニスとは意外なほど冷静な計算の上に
立って楽しんでいるのだと考えて欲しい。
ちょっとでもこの冷静な計算に意味があるのではないかと
考えようと試みて欲しい。
もっと具体的に注文を付けてみよう。
八木;早めの打ち込みはよい。と、ゆっくり過ぎる
いい加減なシュートはテニス的でない。早めの打ちこみの
タイミングで構えて、肩を回して(引き直して)
相手前衛の側を緩いつなぎの球(あえてロビングという
必要はないだろう)で攻める要領(どのような返球が
予想できるかを前提にした攻め)をおぼえるべきだろう。
榊山;打ちこみの一本目は合格だ。しかし二本目からは
テニスになっていない。二本目、三本目の打ちこみを
考えてストロークを完成させて欲しい。バックのストレート
のつなぎは、多分意識をしていないだろうが、
もっともテニス的である。フォアのストロークを
完全に相手前衛を引きつけて(どのように打つか
最後まで見ないと分からないという注意をさせて
相手の動きを止めてしまうこと)楽に打つ打ち方を
作るべきだ。ラケットの構えを、肩より上にして(手首
を肩より上にして、ラケットは垂直に立てるのが
良いと思うが)素早く一気に振り下ろす打ち方を
考えて欲しい。
田部井;せっかく柔らかさと粘着性が出て来たと
みていたのに、何やら力みが目立つ手首の
ひねりにたよる小さな打ち方に固まりつつある。
強くひねくる打ち方でなく、打点をもっと
選択した打法にして、ラケット振りは軽く素早い
それでいて柔らかい(だから打点を胸に引きつけた
フォームになる)。ながいロビングは、打点が低くなっても
横に遠くなるのではなく、膝に引きつけて
ラケットを縦に大きく長く振り抜く。振り抜いた
姿がきりりとしまって隙がないようにする。
同じコースを、何度でも味方前衛に狙わせる
ようにラリーを持つテニスをしているように
相手に印象付けることだ。これに相手前衛が
絡んで来た場合に始めて、相手前衛の隙を狙った
クロスのパスを狙えば良いのだ。
千々和;今のロブはロブではない。シュートも
シュートでない。シュートがロブの役割を果たしている。
したがってロブを打っていないことになる。
ロブは相手前衛を完全に制して、相手後衛を
攻めるように打たねばならない。つなぎのロブという
ふわふわ球は、上手の打ち方でしかない。下手は、
シュートを打つ構えとタイミングで相手前衛を完全に
封じる球としてロビングを打つ。したがって、
前衛を制するだけでなく、後衛を攻める意思がなくては
ならないのだ。相手前衛が守りに入れば、後衛へ
直接攻めのシュートを打つ。
中国は三国時代、蜀は関羽、張飛という豪傑
と、諸葛孔明の名軍師を持った劉備玄徳が、
魏と呉と天下を三分した。魏志倭人伝に
倭国の話しが出て来る。と知らぬことを
ながながと書くのが目的ではない。
呉の呂蒙が関羽を討つについて、
呉王孫権に、少しは勉強をしろと忠告を受けて
読書に三昧し、将軍呂粛に、戦略を誉められたとき、
男子三日みざれば、刮目(しっかり目をこすって)して
待つべしと言ったとの故事がある。
女子も男子も、コートに立つときだけが
テニスではない。誰でもない、自分が
テニスをしているのだと明確な意識が
あるのなら、自分のテニスを見てみよと
するものをもって臨んでみるべきだ。
刮目して待てと、こころを鍛えて欲しい。
何もなくて、打ってみて始めて
どうも自分のテニスではないようだ、
などと訝しがるかのような態度は
テニスパーソンのものでは無いと、
あえてこの暑さの中で、言っておこう。
どれくらい日に当たったでしょうか。
11時過ぎから3時半まで、約4時間
でしょうか。昼飯に4、50分屋内に
いたのでもっと短いはずですが、いま
腕の皮膚がひりひりと痛んでいます。
火傷ですね。強い陽射しでした。そして
盛夏でしたが、吹く風に秋を思いました。
秋風ぞ吹く、です。このものすごい暑さとともに、
風に秋の気配を感じるのが、この時期の
やるせなさです。山元さんと二人、やるせなさを
感じていました。東のコートで女子を見、西のコートで
男子を見てです。女子は、京都産業大学、仏教大学、
神戸大学と練習試合をしていました。男子は
神戸大学と練習試合でした。
女子も全日本に参加します。
全日本に参加して、どんなテニスをするのか。
いや、挑戦するには自分のテニスを引っさげて
いかなければなりません。自信がなくても、
自分のテニスを思いきりぶつけるつもりですから、
その為の練習を目の色変えてやっているのが
当たり前です。
去年の試合が根底にあるのが普通です。
去年がこうであったから、今年はこうだ。
いやああだ。必ずこれくらいは。なんとしても
こうでなければ、と部員の結束も固く必死で
取り組んでいるものが見える、となっているのが
期待されるところですが。
経験がない、4年生がいない、エースがいない、
といって不平で一杯の1年生がいない、いったい
何しに全日本に出て行くのだ、とは言いませんが、
ついつい聞いてしまうような状態でした。
暑さに参っているようでは、とても勝つ試合を
することはできません。ミスを決して犯す事なく
テニスをしっかりやる為には、どれほどの
エネルギーが必要になることか、と良く分からなくとも
考えて然るべきです。打ってみて、その結果から
考え様と言うのでは、まるで話しになりません。
うまいとか下手とか言う以前の問題です。
テニスをするためにコートに立つのであれば、
当然考えておかねばならないことを、考えることです。
燃えて身を焦がすぎりぎりの思いを
持たねばなりません。負けてどれほど
悔しい思いをするか。なんでもない負け方
をしてしまったことに後で気付いても遅いのです。
悔しさに負けてはなりません。こんなものと
たかをくくってはなりません。こんなに悔しい
思いは生まれてこのかた味わったことが無いという
悔しさを怖れてはならないのです。
やればできるのです。
暑さ以上の、心の熱さを出すのです。
外の熱風を冷風に変えるほど
熱くなって練習して下さい。
基本のプレー一本一本を
どこまでも熱く熱く練習するだけで良いのですから。
ずいぶんと慣れて来たのではないか。
慣れることは基本です。上達の基本、
そして初歩です。ですから慣れて来た
というのは大変よいことです。
しかしながら、このところ(といっても
30日だけですが)の練習ぶりでは
慣れが全く良い意味を持っているようには
見えません。テニスから遠ざかっている
といっても言い過ぎではないと警告を出すこともできます。
これは飽くまでも、警告であって非難ではありませんから
誤解の無いようにして下さい。
ただもう一言付け加えたいのは、なぜ
そのようになってしまったのか、その理由が
気になるからです。この点にも慣れを当てはめることが
できます。もしそうなら、この慣れはまずい慣れです。
いえ、間違った慣れです。このことを言いたいのです。
間違った慣れはいけません。間違いに慣れてしまっては
いけませんね。それだけです。ここさえ間違わなければ
大丈夫です。倍のはやさで動いてください。遅い。
なぜ間違うのでしょう?きっとチェック
の方法を間違うからだと思います。
ないしは、チェックをしないから間違うと
言った方が良いのかもしれません。
チェックの方法を持ってください。
チェックを入れる練習方法をしっかり持ってください。
気分や体調など、感覚を頼った確認は
確認にはならないことがあるからです。
まるで逆の結果が出ることもあるほどです。
チェックと言うのは、なかなか難しいのです。
苦い経験や苦しい過程を経てやっと
気づくことが多いのです。その点で
上級生が手薄であると言うのは
ちょっとつらいものがあります。いえ、不足しているの
です。弱点と言っても良いでしょう。
他校に相当奉仕している部分ですね。
勝負に辛さが出せないゆえんです。
今年の目標から言っても、チェックを厳しく
しておくことが大切です。
正しいテニスに、厳しいチェックを同時に
付帯条件としましょう。
先日も書きましたが、現状の力を
30分で80%水準に回復させます。
後衛のストロークとファーストサーヴィス。
前衛のヴォレーとスマッシュ。
どのようにチェックを入れて、
どのように整備しますか。
準備体操のときにまず
チェックすることがあるでしょう。
各自チェックポイントは異なります。
腕ですか、足ですか、肩ですか、
腰ですか、膝ですか。
意外と、足裏の感触と言うのもあります。
音は重要です。
ラケット面の場所を意識できますか。
どこへボールを当てるか。
ドライヴのかけ方。
ボールの面を離れるタイミングをコントロール
できますか。押すのか引くのか。
上から叩けるか、下から引き上げられるか。
横へずらせるか、どれだけ面にのせていられるか。
足がすべることはないか。
膝が曲がるか。腰に痛い所はでないか。
背中に痛いところがでないか。
腕に変な固さが感じられないか。
ボールが見えないと感じることはないか。
それぞれ毎日何かの異常を感じるはずです。
それが悪いことにつながるとは限りません。
良い結果につながることもあるのです。
理屈で考えること、やってみる強い意志を持つこと、
不可能と感じてもやるだけのことはやる気概を持つこと、
気迫を忘れないこと、冷静な計算が立つならどこまでも
忠実に実行すること、・・・・・。テニスは意思のスポーツです。
セミの声。少々の声ではなく、唸るような
ジーンと来るほどの声ですが。
この声をバックに、全日本への練習が
ありましたね。私はレギュラーになったことがないので、
もう一つよくわからないのですが、
団体戦のメンバー選びの最終局面での
緊張感は相当にありましたね。もうちょと
頑張ってレギュラーにまぎれ込んでおけばよかった
と後悔したこともありました。無理に
メンバーになるという強い気持ちが起きなかった
ので、3本に入る競争には無縁でした。
この暑い夏に余りに競争に凝り固まるというのが
どうもしんどく感じたのでしょうね。
結局、夏になってから考えるようでは
出遅れているのです。冬の間に夏への準備をしておかなければ
とてもこの暑さの下での競争には
参加できませんね。
こんなことを書いてしまっては、学生には
意欲が半減する原因になってしまいますね。
競争は、本人だけではなく、周りも
重要な存在です。代わりに自分が出るぞという
意思が広まっていなくてはなりません。
結局チームワークです。
クラブの構成員全員の気持ちのつながりが
大きいでしょう。個人の心も大切ですが、
個人の心をつなぐクラブの心を作ることが
大切です。
わたしも夏の大会には、クラブの心が
理解できなかったのですね。自分から
遠のいていた部分もありました。遠慮していた
部分もありました。そしてクラブからの
誘いも弱かったとも思います。まあ、あてにされていなかった
とも言えるのですが。ここ等あたりの
積極性が不足していたのでしょう。
何十年も昔のことです。でも夏のこの暑さを
感じると思い出す「苦さ」ですね。
4年しか無い短い時間。それでも
瞬間瞬間には、いろいろな心が暴れまわって
いちいちそれに振り回されていたのですね。
なんと愚かな、と呆れはしますが、学生に
なかなか伝えることはできませんね・・・・・
16日。ふるってご参加ください。
学生たちと語らってやってください。
真夏の一日、青空の下、学生の練習は
昔と同じでした。(全日本大会を
控えての練習としては、「同じ」と
表現すると、ちょっと待て!とクレームが
付くかもしれませんが。)
この10年、いやもうちょっと前からでしょうか、
この20年かもしれませんが、前期試験を
終えたところです。この点が違いますね。
各自自分のテニスぶりをいささか忘れて
しまっているようでした。調整の仕方が
下手という事です。本格的な調整の
方法を持っていないのです。そのような
意識を持てない、というと教えなくてはなりませんが、
なんとなくもう一つ本調子になれないと訝しがっている
という態度ですね、条件を考えて、調子を整えるには
どうするか、どの程度が調子を整えた事になるのか、
調子を整えて、次に何をするか、そもそも
なんのために練習しているのか、に敏感さを
発揮していないのです。
で、とにかく、そのような意味を伝えて、
各自自分の通常の状態に戻るよううながしました。
池浦君が、院入試に京大へ来ているとかで、コートに
顔を出してくれていました。見事な受験生の風体でした。
集中力がしっかり持てている様子でした。
花尾君が、練習に精を出していました。テニスが好き
と分かります。佐藤君が顔を出してくれました。
本気で練習に参加するよう要請しました。スポーツは
ルールがありますから、考え方の好き嫌いは直接
には関係しないで競える事が大切な要点です。佐藤君に
勝つ事でどれほど得るところがあるかと、どんどん
試合を申し込む事です。
松岡君が蒼穹杯に向けて身体を動かしはじめたようです。
夕方春以来の乱打の相手をしてもらいました。ずいぶんと
安定した良いストロークでした。私は相当ばてました。
未完成ですが、上手ではありませんが、
やる気と本気度は確かなものです。
練習を何のためにやっているのか、を考えれば、
まず今の自分の80%以上の状態を
練習開始の30分で取り戻す事です。
そして当面の課題に取り組みます。
そしてゲームです。その傍らで基本練習です。
さらには基本練習の為の課題練習を工夫するとよいでしょう。
特に前衛のスマッシュとヴォレーは、細かく
課題を設定して、根気良く段階を踏んで練習しないと
上達しません。最後はやはり乱打です。
整理体操をかねて、丁寧にしっかり打ちます。
そしてストレッチをきちんとして練習終了にします。
練習の形を明確に作っておく必要がありますね。
形を守ってわずかに4年です、4年しかないのです。
「学生テニス」の意識も大切です。
夏のテニスも今が盛り。今年のテニスの
最高潮をきわめるときです。今一度、
何をすべきか、どのようにすべきかを
思い出して確認しましょう。
思うような結果を生み出せず、気が焦って
思わず横道に逸れてしまったのでは
ないでしょうか。ひたすら求める所ヘ
つながる道を確実に進んで来たでしょうか。
迷いや疑いを抱えたままで、
自分を欺いたままで無為な時間を
費やしてはいなかったでしょうか。
力を抜いてはなりませんが、
闇雲な力みはなおいけません。
力みより、正確さです。何によらず
正確である事が要領になります。
正確だ、正しさだ、というと、
堅苦しくて、自由がないのですが、
それでは正しいという意味が
存在しないのです。ここが一番
承服し難いところですね。
自由にやれと言われるのが、もっとも
楽だと思うからです。
じゃあ、自由にやって成果を出してください。
どんどん進んでください。
自由というのは、気分の意味に理解しやすいのです。
勝手気侭と言う意味ですね。何をするにも、
勝手気侭で最高の評価を得たいという意味です。
評価という他の行為を、己の絶対的な
肯定に使いたいという気分です。
そのような意味の成功例をどこか信じているからでしょうね。
評価を求めるなら、他に一任しなくてはなりません。
それを認めず、他の心を制御したいというのは、
市民の意識には求め得ない事でしょうね。
歴史を振り返って、なにやらそのような
成功例を見出したつもりになった場合にだけ
あれこれ言い募ることができるのでしょう。
市民というような言葉を使う事もないのでしょうが、
あえて使いました。一人では何事も判断できない
とするのが社会だから、社会を前提に人となりを
考えるなら、評価というのは、他に一任することに
なるしかない、という意味を強調しました。
封建社会であれ、原始共産社会であれ、
社会の構成員なら、そうならざるを得ないのでは
ないかと考えています。
ただ、市民と強調する時は、科学は個人の
意識の中で作られることを肯定しています。
個人から生まれる科学と社会から生まれる評価
の両立を欠かせない要素として考えられるのです。
社会は個人が構成します。参加という実態を通して
構成します。この参加がずいぶん難しい意識です。
自由はこの意識の大切な内容ですね。
テニスの試合を誰とも行える、勝つために
戦える、その構成要素は、自由、正確さ、評価
だろう、と私は考えているのです。
暑さに少々頭がのぼせてきているようです。
○×△????・・・・・・ZZZzzzz
昨日と同じですね。梅雨の終わりとよく似た
豪雨。それにしてはちょっと場所が違っている
のではないか・・・・。太平洋高気圧が
どんといて、北の冷たい大気と角突き合わせている。
停滞前線の形成。そこへ南の湿った暖い風が
ぐっと押し出す。近畿各地、勢いは日本海付近に
まで及んで、積乱雲がにょきにょき立った。
午前中からあわただしく近所をうろついて、
それでもなんとか出て行こうと、家を出て
駅まで歩いているその途中で早くも黒雲は
あたりに満ちて雷鳴がとどろき大粒の
雨が激しく降って来た。駅までわずか10分
だが激しく濡れて少し寒さも感じるほど。
行き付けの駅前の喫茶店に入りコーヒーを
すする。幸い電車は遅れていはいるが止まってはいない。
途中の大津京(最近駅名が変わった)で下車した。
ちょっと用があったからだが、駅前の
ビルに飛び込むにも激しい雨に濡れそぼる。
用を済ませて再び大津京から京都駅へ。
雨雲の勢いは増すばかり、とても吉田までは
足をのばせなかった。列車を降りることなく、
そのままUターンした。再び先ほどの喫茶店に戻って
今度はホットコーヒーを頼んだ。少し寒気を
覚えたからだ。喫茶店を出ると雨は止んでいた。
家に帰って、何やらひとかどの疲労を覚えたので、
菓子を食らい茶を飲んでボーっとしていると
妻が近所へ編み物の稽古に出ていたのから
帰って来た。京都もえらい降りで何もせず
帰ってきたわ、と告げてしまうと無償に眠たくなって
一眠りした。
夕立の激しさに負けての一眠り
明日もなにやら不穏な空気のよう。
ちょっと出て行けないなあと落胆です
このところの暑さに、夕立ひとつだに
なきに不可思議なといささか当惑して
いたのだが、果たして今日は久方ぶりの
立派な夕立が到来した。妻と一緒に
母の老人ホームを尋ねての帰り道、
母にねだられた要望の数々に戸惑いを
感じて揺れていた心を叩き直すかのような
激しい雷鳴稲妻、義理の母を帰り道に
訪れんと、その前に買い物に寄ったスーパー
に入っているまに土砂降りが始まった。
あわてて傘を買い求め、母の家に強行した。
当然相当に濡れてしまった。妻の不機嫌なこと
機を見誤った責任を厳しく追及された。
母の家を1時間ばかりで辞したが、そのときは
雨はあがって、たしかに機を見誤った私の
失敗は明らかであった。かえって荷物となった
2本の傘をやむなく抱えて次第に回復する
陽射しに弁解の言葉も空しく30分ほどの
道程を歩いて帰ったのである。(まんの悪いときと
いものはこのようなもの、というほかない。)
なんとも才のない無能な身を嘆くしかない
老人であるが・・・・・「和蘭医事問答」として
大槻玄沢らが編纂した建部清庵と杉田玄白の
往復書簡をまとめた冊子(の訳)を読んでみると
学問に向かう真剣な姿勢に大変な羨ましさを
感じる。サイエンスつまり自然の追究は、得られた
知識の高さにのみ意欲の対象としての価値を見るのではなく、
追究せざるを得ない意欲、その意思、その為の
態度に人を惹きつける魅力があるように私は
感じるのです。人は、独立しなくてはなりませんが、
自律を促すのは、個人の責任・能力であると
して議論を打ち切るのでは、考えたことには
ならぬのではないか、と疑います。能力や責任は、
個人に分担される前に、社会や人類、文化や国家に
よって定義されるからです。辞書は多くの言葉の
使用意味を表す言葉を教えてくれます。コンピューターは
どの分野であれよく語られる言葉と問題の甘い大福持ちを
簡単に作ることを多くの人に可能としています。
誰もが科学者になれる補助器具が揃えられつつある
かのようです。各人の心模様が実況中継されている
のではないかとも見えるのではないですか。
杉田玄白は、解体新書の出版については、世の各所から
多くの反対非難中傷が集中するかも知れぬとそれこそ
覚悟を決めて大勇猛心を持って臨んだと書いています。
幸い思ったような非難が出て来なかったと驚いていますが、
残念なのは、なぜ非難が出なかったかと分析をする
探求心が発揮されないことです。彼自身でなくても誰か
そのような探求心が存在すべきではないかと思います。
窮理学という言葉から受ける印象が最近好ましく感じるよう
になっています。高校生のとき日本史を学んでいて
全く意味が分からずずいぶん奇妙に感じていたのですが。
何か疑問があれば追究する、というところは
誰しも同じなのですが、どの程度追究するか、
なぜ追求するか、なぜかの人は追及するか、
をさらに追究する、社会的な追及の意味の複雑さ
幅の広さにおいて、日本人の深さはどうも
足りないのではないかと考えて見ています・・・・
ターヘル・アナトミアの訳書が「解体新書」
であるとしか思っていなかった。いくつかの
和蘭書物からとって来て解説した部分や
とりこんだ図が含まれている。単に1冊を
翻訳したというものではない。また著者として
4名が名前を出しているが、前野良沢は名を
記してはいない。彼はかつて太宰府神社神前において
オランダ医術に従事しているが、いやしくも道を極めずに
みだりに有名になる手段にはしないと誓っていた
のだそうである。いろいろな人が、それぞれの事情で
訳業に取り組んでいたのである。
この会業怠らずして勤めたりしうち、次第に同臭の
人も相加はり寄りつどうことになりしが、各々志すところ
ありて一様ならず。翁は一度かの国解剖の書を得、直ちに
実験し、東西千古の違えあることを知りしに驚き心服し、
なにとぞこの一事早く知り明らめ、治療の実用にも立て、
世の医家の業にも、発明ある種にもなしたく、一日も早く
この一部を用立やうになし見たしと志をおこせしことゆゑ、
他に臨むところもなく、一日会して解するところはその夜
翻訳して草稿を立て、それにつきてはその訳述仕方を
種々様々に考え直せしこと、四年(実際は3年。足掛け
4年という意味らしい)の間、草稿は十一度まで認めかへて
板下(木版刷りの)に渡すやうになり、ついに解体新書
翻訳の業成就したり。・・・・・・・未だ新書の卒業に
至らざるの前に、斯くのごとく勉励すること両三年も過ぎしに、
漸くその事体も弁ずるやうになるに随い、次第に
蔗(さとうきび)を噛むが如くにて、その甘味に食らひつき、
これにて千古の誤も解け、その筋たしかに弁へ得しことに
至るの楽しく、会集の期日は、前日より夜の明くるを
待ちかね、児女子の祭見に行くの心地せり。・・・・
このあと、こんな人もいたあんな人もいたと続く。
吉田コートに集う人々をも、いろいろにも描き出してみたい
とも思いますが、なんの才も持ち合わせていない身なれば、
どうしようもありません。せめてその人の偉丈夫ぶりを
やせこけた味噌に刻みつけておこうと密かに試みる
ばかりですが・・・・・
しかるにこの節不思議にかの国解剖の書
手に入りしことなれば、先ずその図を
実物に照らし見たきと思いしに、・・・・
そもそも頃は三月三日の夜と覚えたり。
時の町奉行・・・・、千住骨ヶ原にて腑分け
いたせるよしなり。・・・・
その翌朝とく支度整へ、彼処に至りしに、
良沢参り合ひ、その余の朋友も皆々参会し、
出迎えたり。・・・・・
良沢と相ともに携え行きし和蘭図に照らし合わせ
見しに、一つとしてその図にいささか違うことなき
品々なり。・・・・・帰路は、良沢、淳庵と、翁と、
三人同行なり。途中にて語り合ひしは、さてさて
今日の実験、一々驚き入る。・・・・・その時、翁、
申せしは、何とぞこのターヘル・アナトミアの一部、
新たに翻訳せば、身体内外のこと分明を得、今日
治療の上の大益あるべし、いかにもして通詞等の
手をからず、読み分けたきものなりと語りしに、
良沢曰く、予は・・・・・といひけるを聞き、それは
先ず喜ばしきことなり、同志にて力をあわせ給はらば、
憤然として志を立て一精出し見申さんと答えたり。
その翌日、良沢が宅に集まり、・・・・・
先ず、かのターヘル・アナトミアの書にうち向ひしに、
誠に艪舵なき船の大海に乗り出せしが如く、茫洋として
寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり。
(福沢諭吉が、明治23年に「蘭学事始」を
再販するに際して序に書いた文中に、ここまで読んでくると、
何度読んでも涙が出て止まらなかったと記している。
私は、奥州一ノ関の医者建部清庵が塾生衣関伯竜に玄白に
宛てた手紙を持たせ、玄白が大いに感激し
彼の返事を清庵がまた感激して読んで、二人の間に
尽きせぬ思いと交流が起こったことを書いているところ
に心をゆすぶられる。)
もっと、ぼーとした意識と言った方が
当たっているのだろう。なんだろう。
80年代の大国意識、一流国意識、
世界的意識・・・・があったのだろう、
と思う。一億総中流意識。下層階級は
存在しないという思い。
バブルがはじけて、なんやなんやと
騒然としていた。そのうち不良債権が
たまりにたまってえらいこっちゃで、と
深刻になってきた。そこへ95年の
大騒動でもう世の中はひっくり返ってしまった。
こんなときにどうするのか?
結局力のありそうな勢力が、特に理由もなく
したがって特に理屈もなく権力を振るうこととなった。
室町時代はどうだったのか。
鎌倉時代の武士の勢力拡張は、
幕府組織の合理化には向かなかった
のではないか。後醍醐天皇がなぜ
政治権力を求めたのか。武士の政治的成長は
室町幕府に結晶したのか。義満は
確かに野望を持てたのだろう。
しかし政治的な成長は続かなかったのだろう。
義政は、政治をどの程度理解していたのか。
応仁の乱の歴史的意味を私はまだ理解できない。
ヘーゲルでは、ちょっと東洋過ぎるだろう。
インド中国でも東洋過ぎるようだから。
銀閣寺をつくって、義政は枯れてしまった
のかもしれません。
子供の頃は、銀閣寺の裏山でよく遊んだから、
時に裏山からお庭を覗くこともあった。とくに
夏の暑い盛りには、朝まだ暗いうちから、
カブトムシやクワガタムシを捕りに山に分け入ったので、
銀閣寺の庭に続く山道にもたびたび
足を運んだものだ。首尾よく捕った虫を手ぬぐいに
包み込んで銀閣寺の庭を眺めたこともあった。
人っ子一人見当たらぬ静かにたたずむ庭に
見とれていたこともあったと思う。すーと顔を撫でる
風に我に返って家路についた。
高氏に歌を読んで聞かせた兼好の徒然草。
戦国時代は、結局生き残りをかけた戦いだったのか。
それでも、新しい時代を迎えるしか進むべき道は
見出せない。覇者になるには力が及ばない。
生き残りとしか名目が見つからないのだろう。
つまり政治の無駄である。
それなら、この無駄を排する民族の知恵は
存在したのか。誰か求めたのか。呼び掛けたのか。
1580年ごろといえば信長が頂点に立った頃か。
武士の政治能力がどれほど進歩したのか。
知識がどれほど進歩発展したのか。
本物を求める心はあっても、
合理的判断を使う方法論を確立しておかなければ
不満ばかりの現状維持に陥るしかない。
平賀源内、杉田玄白、司馬江漢。
荻生徂徠から始まる合理主義は
どの程度血脈となって流れて来ているのか。
「蘭学事始め」などにひかれつつある
今年の夏です。
身体を大事に、元気に過ごしましょう。
人のことをあれこれ言う余裕があるはずないのですが、
これも歳をとった効能でしょうか、と苦笑気味です。
娘と諍いになって、どう言う経過をたどったのか
まるで不明だが、結果として娘が父親を
殺してしまった、とかいう事件が報道されている。
私も、子供といえば娘だけなので、
自分の娘に感謝を感じるということになっている。
(なんやようわからんが・・・・・・)
何かを理解するということの意味が
分からなくなってきたのかの、妙な疑いまで
生じてきた。小林多喜二の「蟹工船」が若者に
人気であるとの報道がなされている。確かに
本屋の入り口近くに文庫本が積まれているのを
私も確認した。私は読んだことがないので
内容について云々するわけにはいかない。
ただひどい話しに人の関心が集まるというのは、
何かの条件が満たされないと起こらないだろうと
考えるのみである。面白い話しやひどい話しが、
それだけで耳目を集める有名になるというのは
飛躍であろう。何かの条件が揃う結果であろう。
政治家の話しというものの意味を考えると、
まことに不思議に感じるのである。話しが
筋の通ったものである、しっかりしている、
合理的である、端的に言って正しいものだ、
と言って、それではそのまま押し進めるべきだと
言うことになるだろうか。そうすべきと
肯定するのはすでに党派的行動であろう。
良くわかぬが、合理性も感じられぬが、
人気のある話しで有名な政治家は存在する。
この手合いに上手く応じる社会的な知恵の理論が
無いように感じるが、世間の意見はどうなのか。
新聞社や放送局の世論調査結果に一喜一憂しない
というのが大政治家のゆえんらしいが、
人気の果たす役割と、人気がなくとも正しい
理論の評価採用の間を、正反合一する成熟した
政治理論を聞きたいものである・・・・・。
昨日(18日)の夜のことです。
余りに暑いので、シャッターを
(安物の家屋で、雨戸がない。
ガラガラとシャッターを開け閉めする)
閉めないままにして、室内の明かりが
庭を照らすままにしていたら、
セミが鳴き始めた。きっと地中から
出たばかりではないか。えらい勢いで
激しく鳴くが、下手なんです。だから
余計にうるさい。夫婦でTV番組を
楽しんでいるところヘ、急に大声を張り上げるものだから
驚きました。慌ててシャッターを閉めました。
するとずいぶんと鳴き声は小さく
なりました。と、しばらくして
部屋の中に何やらあちこちぶつかりながら
暴れている虫がいるやないですか。
なんだろう?と探しているうちに
テーブルの上に落ちてきました。セミです。
にーにーゼミです。掴まえて丁寧に扱いながら
外へ逃がしてやりました。シャッターを閉めるとき
に一瞬ですがとびらを開けました。そのときに
灯かりをめがけて飛び込んだのでしょうね。
梅雨明けの夜に飛び込んでセミが鳴く。
なんとも暑苦しい夜でした。
大文字の送り火。
吉田コートに集う卒業したなつかしの部員のみなさん。
蒼穹杯を狙ってゲームを楽しんでください。
夜は京大会館で交歓の宴です。
むろん送り火を観賞します。
鬼籍に入られたみなさまを偲びましょう。
そして現役の部員達を励ましましょう。
よろしくお願いいたします。
平成16年入学の平田です。
蒼穹杯の女子の受付、開始時間についてお知らせ致します。
OB会報では、男女とも10時受付、10時半試合開始となっています
が、女子は例年通り午後から試合開始とし、午後1時受付、1時
半試合開始とさせていただきます。
たくさんのOGさんのご参加をお待ちしております。
また、訂正が遅くなりましたことをお詫び致します。
当日、現役は午前9時から練習をしておりますので、お時間があ
ればご指導いただけると嬉しく感じます。
では、失礼します。
蒸し暑さはあいかわらずだが・・・と
少し訝しく感じたが、午後の青空を見て
なるほど梅雨は明けたな夏が来たなと
感じました。庭から反射光が室内に
入って来るに頬を熱くする感じが
単なる蒸し暑さではなかった。夏だと
直観させる熱さでした。
報道されるニュースは、蒸し暑く聞いていて
気分が悪くなるものですね。14才の少年の
バスハイジャックは、大人を振りまわす類いの
事件ですか。社会保険庁関連は、公務員なる
人種のなかの賎しさの現れでしょうね。条件が
そろうと賎しさというのが現れるのです。条件を
満たさない注意と管理ができるかどうかを、
さてどこに問えば良いのですかね。三権の
建て前から言えば、管理の失敗を司法が裁き、
立法が管理の徹底を保証するべきです。この建て前に
どこの誰が立ちふさがるか、報道出版の自由は
、しっかり観察しその行動に対し激しい洗浄の
ホースの水を浴びせることができるのでしょうか。
大分県教育委員会の管理者、教員採用の試験結果の
改竄と合否不正操作は笑えますね。かつて
「大馬鹿門」問題がありました。教育界の
大馬鹿問題です。ただ私は思います、試験に合格しない
ということが先生に不適と同じではないと。
試験を受けるのは先生になろうという意欲のある
候補なのです。落ちたからといって、競争に
負けたのは確かでも先生に不適であることが
確かになったのではないのです。先生に不適な
合格者は一人もいないのは確かです。もし
いるというなら、合格してもいずれ正体は
明らかのはず。組合が守るかもしれませんが、
教育委員会は必ず正しく対処します。この
能力が無いというのなら、早急に委員を一掃し
改めるべきです。これが行政の責任です。
残るのは、ずるをした先生の倫理観です。
現実の人間をいかにリアルに教えるか、
能力の高い先生であると評価せざるを得ないでしょう。
さらに倫理観が問われることとなります。
知識の伝達に倫理観はどこまで附属すべきなのかを
考えておかねばなりませんね。
広島も強い、ヤクルトも強い。
高田さんという監督はたいしたもの
と思う。勝ち頭を失っただけでも
大変なのに・・・と思う。
野村さんなら、なんか愚痴るやろう
にね。ついでに一言嫌味も言うに違いない。
高田さんは、報道されないだけかもしれないが、
どうもそのような気質ではないように
報道されている(ことになる)。なにか
工夫する人なんだ。愚痴を言う前に
工夫するという性質なんでしょう。
阪神の岡田監督は、強運の持ち主という
扱い。内野手として活躍したのだから
細かい野球の計算には自信があるはず。
野球の知識の問題ではなく、監督として
人を動かせるかどうか、選手がどの程度
動くのか、動く動かないをどのように
考えているかが、見るべきところ。
うまくいっているときなら、そうそう
おかしな話しは聞こえてこないだろう。
交流戦を終えてからの阪神は、調子を
回復できないままなんとか進んでいる。
交流戦を優勝して(規定で優勝ではなかったが)
ますます首位を独走するかのように
報道されていたが、もう一つ調子に
乗れない他チームの様子に、戦力の整備と
戦い方の骨をしっかり作ることが
方針として見えるかどうかと注目していたが、
どうも方針が見えないと、??をつけていた。
締めの投手の調子次第というのでは夏場から
急激に勝てなくなるという不安もある。
いろいろ先の不安に、阪神らしく
先の暗雲を予想していた。が、現状は
選手の集中力が戦いを作る原動力になっている
と見える。自信を持つ技術が身についたのだろう。
勝負には偶然の働きがある。負けを排することは
できない。勝つ確率が確保できていれば良い。
その為には、勝てると見たら、集中力を
高めて勝つ確率を上げる。この自信を
高める。自信が揺らぐことを避ける。
自信は、誰かが壊すではだめ、チームの
自信が壊れそうになると誰かが立て直す、
という形が現れることが必要。バントは
弱いチームがやること、なんて言わなくなった。
選手が言わせなくなった、と見る。
なんとかかとか、ぎりぎりのところで
勝っている。負けたり勝ったり。負けても
やることはやる。やるだけのことはやっておく。
一球でも多く、一球でも長く試合をする。
気を抜かない。間に合わない、どうにも
打開する方途はない、と分かっているが
走るべきは全力で走り、取るべきは念には念を入れて、
捕る、打つべきは全力をあげてひつこくひつこく
打つ、最後の最後まで戦い抜く。無駄だ、
無理だ、意欲が沸かない、・・・・という
途中で投げ出すことがない。高校球児のひたすらさとは
ずいぶんと違う、しかしまがいもなくのひたすらさ
を持つようになっている。
どのようなひたすらさを持つか。持てるところに
独自の技がある。
それぞれ考えて欲しい、というだけでは
1歩が出ないかも知れない。
いや出るはずやが・・・・・。
出せるはず。それはようわかっているのですが。
年取ると気が短なると言うか、じっくり考え
られんようになると言うか、
もともと才能なんかまるきりないのやから
当たり前なんやけど・・・・・
こうやって無責任に書いていても、
なんや気になるのですね。
後衛のことばかり書いているのやないか、
と学生諸君が思うかなと。
そうですね。後衛がどう打つか、が
まずしっかりしていないとテニスが
始まらんのです。でも、ここで始まるまで待つ
ようなことを印象付けると、ちょっと
時間がもったいない。時間を無駄にするつもりやない。
無駄なく時間は使いたいですから。
前衛の方に注文をつけると、後衛が打つのを待つ
のやない。打たせるのや、となることを
言いたい。後衛が打つというと、ああそうか
後衛が打つのやな、いつ打つのかな、まだ打ってない
なあ、どうしようか、・・・・・。
これで打てるのか、と考えて欲しい。
どうやったら後衛は打つのかな?と考える
ことが問われている。
それやったら、そうと言うべきやないですか、
それを言わないで、後衛が打つべきや、
と言うから、そうなんやと思っただけやないですか。
ほんまに、まあ、間に合わん言い草ですね!と
なるのかな。
前衛はまず守りやないか、出る前に守れ、
と言ったら、とらんと勝てません、と言う。
このとき後衛は知らん顔やな。まさか自分が
何かせなならんとは思いもしないな。
前衛がなぜとらんと勝てんと言うのか、
まるで考えていない。
こんなこと言わしているのは、自分のせいや
と考えるようであれば、まるで話しは
意味が変わってくる。
ダブルスはペアで戦うのや。二人で一つなんや。
ここまでは完全に理解している、ところが、
前衛は○○○、後衛は○○○、と言ったとたん、
一つと言うことを忘れてしまっている。
(まあ、言う方のわしがあかんのやな・・・・・。
そういうことをまるで説明していなかった。
そうやそうや、監督が悪い!言うて
いじめるのがな・・・・・)
ダブルスだけと違います。シングルスも
同じです。一人ですけど・・?
ロブを上げるのや、言うと打たないのか、と
問う。打なあかん、いうと、続けない。
ラリーのなかに相手を見て、探って、
意図を見つけて、限界を判断して、
心を推し量って、・・・とにかく
予測して、なんとか相手を理解してしまう
ことがテニスなんや。テニスを原理的に
理解してないと、助言なんかあり得ない、
ということを考えないのかなあ・・・・。
ロボットの回路にチップを入れるのとは違う。
機械に動作を教え込むのと違う。
動物に芸をしこむのと違う。
前途有為の青年に、ささやかな助言を
送っているに過ぎない。当然、何かの
役に立つかもしれんと自負しているわけだ。
何か、われわれ独自の「技」を
開発して世に出さんとあかんかな・・・・・。
こういう話しなら、分かりやすいかもしれん
と思ったしだい・・・・・・。