蒼穹掲示板

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ジャーナリズムとはそうなのだと

2008/12/03 00:29:10 麻田佳明

言われればね・・・・。私は分からないのです。
何を、なぜ、問題とするのか?を
記者ではなく、読者が読み取るべきものか?
記事を読んで考える読者にすべての責任が
ある。記者は材料を提供するだけ、決して
解釈はしない。ただし、国民としての
義務、いやその前に、国民としてあることの
感謝の念だけは明確に文章として表しておく
責任だけは果たすが。

誰にも問題となる事柄が存在すると
発見の報告をする。現状を整理し、
行くべき道に横たわる問題をも
拾っておく。識者にも少しは
意見を聞いてみた。現場で苦労している
声にもあたってみた。せめてこの程度の
合理化と制度化は必要ではないか。利害が
衝突する勢力も存在しているが、共倒れに
なったのではみんなが困るだろう。
みんな少しずつ我慢をして、問題を
解決すべきだ。

大学教育によって、このような
ジャーナリズムが成長してきたのだろうか。
大学教育の成果がなければありえなかった
論文なのか。
大学教育の存在価値を、まず論者自身の
肯定論として論じた上で、記事や論文を
書かれると、私なんかには(私の
ような、あほな、馬鹿な者には)理解が
しやすいのですが。
世の中そんなに甘くはないのでしょうが。

政治家の皆さんにも、大学教育を論じら
れるのであれば、まずご自分にとっての価値を
肯定して論じてもらいたいのですが。

日本では、奥ゆかしい文化の国だから、
有名大学出身では、不可能となるなんて
いうことになるのでしょうか。それなら、
自己責任だ、何で俺が払わねばならないんだ、
そもそも努力が足りない、なんて
あまりにもゆかしさのない弱者追求の
政治論を吐く政治家が多いのでしょうか。

私は、やはりわからないのです。

久保井さんの本格派の後では

2008/12/03 00:03:54 麻田佳明

大変申し訳ないのですが、つまらぬ
書き込みをお許しください。

とにかく、がんばっていますね。
うらやましいです。おめでとう。
そうか、吉田でやったのですか。
覗きたかったね。

と、ここからは、お目汚しですが・・・・・。

今日の朝日新聞朝刊23ページ文化欄
「観流」藤生京子筆
日本の民主主義「冷笑的態度脱するとき」
米大統領選挙で日本がお祭り騒ぎをした。
初のアフリカ系大統領を生んだ民主主義
をたたえるほどに見えてくるものは、
この国の変わらなさ。
先ごろのシンポ「統一と多様性(デモクラシー
の様相)」に参加して韓国・中国・ネパール・
フィリピン・インドの研究者、法律家、芸術家
の意見交換が、概して前向きだったことと
対照的だから日本の変わらなさを強く感じた。
近刊「アジアの政治と民主主義」(西村書店)によれば、
アジア諸国との比較調査で、日本は国民の意思で
国が運営されていると考える人の割合が、韓国に
次いで低い。でも韓国と違って抗議行動は起こらない。
多くのアジア諸国が「自由」消極的とも同書は
指摘している。
カールソン米バーモント大助教授の
「冷笑的態度」に共感する。90年代には経済発展は
民主主義に結びつくと楽観されたが、中間層の拡大は
民主化につながらないと特別な「アジア的価値」が
あるように論じられる。やはりそうなのか。
しかし、今回のシンポでは、シャルマー印・ハイデラバード
大教授が語った、民主主義の脅威となる民族主義や
地域主義の克服には「自由」が最も重要で、自由の
概念はさまざまな側面を持つが、肝心なのは「決定論
的に考えること」だとの指摘は、相対化の
中に閉じこもりがちな日本にあっては、新鮮に響く。
いつまでもシニシズムでよいか、と結んでいます。

先ごろの大学論といい、どうも私はこのような
文章に<情緒的>な論調を感じてしまいます。
いろいろな指摘と言葉が豊富なんですがね・・・・。

十六夜会報告と現役の皆さんへの感謝

2008/12/02 11:55:47 久保井聡明

昭和59年入学の久保井聡明です。11月29日(土)30日(日)に
かけて十六夜会(私たちの男子部員が16名だったので命名)
を,京大コートで行いました。コートを確保してくれた現役の皆
さん,本当にありがとうございます。私たちの代とその前後の代
で18名集まりました。本厄年を超えて色々痛いところが出なが
ら,みんなそれらしいテニスをしていました。とても楽しく過ご
せました。今年の蒼穹杯は,みんな参加できなかったのですが,
来年はできるだけ出て1回でも勝とう,と言ってお酒を飲みまし
た。報告とお礼まで。

それでも

2008/11/30 23:55:30 麻田佳明

三浦さんや喜多さんの分析するところ、
そして指摘する所は適確であると思います。
あまりに現状に対決すると、みんな同じような
結果になって、結局競争するしかない、
つまり弱点はそのままで、折角問題を解決する
はずの策が、どこが、だれが一番うまくやるか
という競争になってしまい、先頭に立たない限り
しだいに疲れて競争できなくなってしまうのです。
したがって、ある時期になると、もうこの辺で
やり方を変えないとみんな共倒れになりますよと
警告を発するのが親切というものです。この警告を
お二人は適切に出しておられると私は思います。

確か、小泉政権下でも、日本経済の将来について
同じような分析がなされ、今後のために臥薪嘗胆
、辛くても頑張るしかないという国民合意が見事に
なされたように理解をしているのですが。
とくにマスコミの論調はみなそうであったと思いますね。

しかし、世界金融不安の現在では、小泉政権は
ますますアメリカ一辺倒にしただけで
何一つ将来への方向転換は実現しなかったのでは
ないかと指摘する人が多いようです。

歴史の長さを誇る国は、社会の成熟が
時には腐敗さえ招くことももあり得る。
これは何をしても、今度同じようになったら
もっとうまくやる方法を考えれば良いと
常に希望を持つことができる若い歴史のない
国とは違います。
文化の程度が進んだ国では、輝く希望を
持つような政治はなかなか難しいのでしょう。

どんな問題にも、器用な手直しを提言する
知者があふれるというのも、文化の程度です。
ストロナクさんのように理論的に
諭されても、具体的にどうすれば世界一に
なるかはまるで分からないと
静かに反論したくなりますね。

休憩2

2008/11/30 23:30:13 麻田佳明

常設館の一室に山元春挙の作品(掛け軸11点、
屏風2点、絵画2点)と彼の弟子達10人ほどの
作品が展示されていました。
春挙の若い頃(20才代)から晩年の頃まで
なんとか一通り見ることができます。
若い頃の技術の修得。一家を成した完成の域。
名声を確立して円熟となお求める境地。

会場でボランティアによるギャラリートークとして
求めれば案内をしてくれる人が、観覧の一人と
議論をしていました。「春挙は、弟子もほとんどなく、
形式にはまった絵を画いていたのでしょ」
「弟子が少ないというのですが、一対一で弟子
になっている人は多いのです。形式にはまった
といいますが、春挙は大きな自信を持っていたので、
誰にも分かるようにするには、形式にはまっていた
方が理解されやすいと考えていたのです」

時代にのるか、時代と峻別するか。

歌はなぜ歌われるのか。
一人だけで閉じないで、なぜ歌集を編み、
仲間内、そのうち外部にまで、なぜ広め
伝えるのか。

人は一人で生きているのではない。
どういう手段をとって人とつながるか・・・・

私は、好みを明らかにしているだけですね。

ところで、絵画そのものではないのですが、
山元春挙の署名に時代ごとの違いがあることに気づきました。
とくに、春や挙の字にある左右の流れの払い方に
大きな違いがあります。
若い頃の技術が高度になるころの
爽やかな美しい払いかた、
技術が完成し大家を保証された頃の
右の流れの重厚な払い方、余裕をもって
堂々たる名声を誇る頃の左への
太く逞しい払い方、そして晩年の
再び若い頃に似た、しかしもっと
抑制の効いた美しい字体で流れも
払わないで寸止めにする押しつけがましさの
全くない署名。確かに形式的といえば
そのように感じるけれども、自在な腕がなければ
とても表せないような強弱とバランスをもった
絵画です。小さなものもそうですが、
大きなものほど力強くなるのは、いかに
並外れた技量を持っていたかの証明ですね。

テニスも、技だけでなく、その技を駆使して
試合をどこまでコントロールするか、つまりは
相手を、相手ペアを、いかにコントロールするか
が考えるべき内容になりますね。

休憩

2008/11/30 01:33:36 麻田佳明

頭の問題となると、そうですね、
まず私は相当頭が悪いというので
通っている・・・・、自分では
そうとは・・・・うーん???

ちょっとおかしいのでは?
これはどこからともなく聞こえてくる。
時には親切な人もいて、ちょっと
「・・・・・」って言ってはりましたよ、
と教えてくれる人もある。

昼から滋賀県立美術館に出掛けました。
“ART BRUT パリ、abcdコレクションより”
なる展覧会が開催中だからです。
家内と二人(まあ、いつも二人きりです。
のこりもの二人です。二人に意味はないのですが)で
紅葉が見られるかもしれないと
付録も期待してですね。本当は
日本画家 山元春挙 とその弟子達の
作品展が同時開催されているから、
そちらが主たる目的だったのです。

紅葉の方は、思ったほどありません。
紅葉は綺麗だったのですが、文化ゾーン
の中の紅葉した樹木の本数が絶対的に
少なかったのです。紅葉も赤よりも
黄の方がずいぶん多かったですね。

フランス語は解しませんので、展覧会の
主旨が良く理解できませんが、作品は
感想をここに書くほどの内容を私は
持つことができないようなものです。
作者は多種多様な現れ方をする精神疾患
を持つ人達です。精神病院に入院中に
作品を作る人もいれば、ホームレスと
して倉庫で作る人もいます。幼い時から
画いている人もいれば、歳を取ってから
急に画き始めた人もいます。
千点二千点と作った作品数の多い人も
多いです。

美術とは、芸術とは、と少し原点に戻る
ような発想を要求されると感じました。
芸術家がなぜ作品を世に出すのか。
周囲が勧める、社会が要求する。そのような
1つの領域が社会に存在している。文化である。
芸術家は、自分の芸術を通して社会と
交わっている。主張し提言し参加している。
社会を理解する、つまり聞き感じ怒り哀しみ
よろこんでもいる。このように言うとき、
今日見た作品は、この表現には合わないものを
感じました。全体的には、非常に細かな線が
密集したものや微細な図形が密集したもの
が多く、表現も色の作り出す豊かさ複雑さを
持つ作品はほとんどありません。造形のふくらみ
というより文様の不思議な高密度の大小とりどりの
図画です。私は、脳の中の何かある一つの
展開図(脳が働いている時、それが人間の
行動としてかかわるというのではなく、行動とは
関係のない生の脳内の映像(そんなものが
あるかどうか?)を見る手段があるとすれば
見ることができるかもしれない、という意味の)
を見ているのではないかと考えていました。

頭の問題となると、そうですね、
まず私は相当頭が悪いというので
通っている・・・・、自分では
そうとは・・・・うーん???

ちょっとおかしいのでは?
これはどこからともなく聞こえてくる。
時には親切な人もいて、ちょっと
「・・・・・」って言ってはりましたよ、
と教えてくれる人もある。

続き

2008/11/29 00:53:47 麻田佳明

世界経済フォーラムによる世界競争力
ランキング、総合9位、高等教育23位。
国立大学が独立法人化で急に経営力が出てくるか。
学校や学部が増える中、04年からすべての
大学は7年に1度、文科大臣の認証を受けた
認証評価機関による評価を受ける制度が導入された。
グローバル化した大学の評価として
果たして機能を果たすだろうか。
大学全入時代には、競争激化の人気校と
定員割れのその他に2極化する。
関係者はいまだ危機意識が足りない。
このように論を立てます。要領としては
形になっているようにも見えますね。
で、教育の質の保証の厳格化を求めます。
「統廃合される大学の施設は、民間教育会社
に経営を委託し、地域社会や社会人、高齢者
らを対象にした新たな教育機関に再編成する
べし」と結びます。
結局、うまいこと整理できますよ、と言っている
のではないでしょうか。

テンプル大学ジャパンキャンパス学長
ブルース・ストロクナさん・・・・
AO入試の是非が議論され、廃止する大学も
出て来ているが、批判は的を射ているのだろうか
と疑問視します。アメリカやテンプル大学の
AO入試のあり方を踏まえて検証します。
結局、日本の大学は受験生の質、それも
非常に底の浅い、つまり大学側の勝手な
都合だけを優先する質を問題にするが、
卒業生の質こそ問題にすべきと主張します。
どんな学生を求め、どんな教育を提供し、
どんなレベルの卒業生を送り出したいか
の教育ポリシーを確立すべし、つまり
日本にはないと指摘します。そして
入学条件でもっとも優先すべきは4年間で
卒業する意思の有無の確認であるとします。
このような意見はなるほどと思いますね。

日本人はどうもみんな頭が良いせいか、
人にむかってああせいこうせいと
すぐに教えてくれる人に溢れていますね。
でなければ、黙って自信の作品を
1つ見せてびっくりさせます。1つだけでは
美術品です。商品になりません。

実際はもっと助け合う社会でもあるはずですが、
やはり時代ですね。良いときは良い。
しかしそれほどでもないときは、
ぎくしゃくし、悪いときはもうむちゃくちゃ。
つまりはすべて事実的(ちょっとへん?ですね。
あるべきようにあるというしか・・・ね)です。

いきなり理想と比べるのでは、すべて
不満足です。積み木を積む作業を分担して
行う強い意思と、楽観的な希望を信じる、
いや信じさせる、いやいや両方でしょうね、
先頭に立つ人の存在が・・・・・・・・

やはり新聞の作り方が大切ですね。

そうそう

2008/11/29 00:13:27 麻田佳明

昨日の朝日新聞朝刊23頁
opinionのページ「私の視点 ワイド」
≪大学過剰時代≫
3人の意見が載せられています。
消費社会研究家 三浦展さん・・・・
新書「下流大学が日本を滅ぼす」を書いた方です。
学力低下は入学試験の易化による。
勉強しなくても合格できるのに、だれが
勉強をするだろう。この責任は倒産を恐れる
大学側にあるという。また学費負担に苦しむ
学生と親から、学生の学費稼ぎと卒業後の確実な
就職要求の問題が出ている。古典的な大学も
必要だが、教養より職業に直結する教育が
必要である。
こういう指摘と論理は今や常識的であろうか。
(つまり流れがこのようになっているという
報告ですね。考える条件を、現状から
決めてしまうのです。現状打破!です)
下流大学もそうでしたが、この意見も、
論理は情緒的で、結局「現在の実業高校、
専修学校、そして一部の大学、短大などを
統合し、新たに職業大学として再編しては
どうか」というのです。大学が過剰なのは
低級な大学があるからで、それらを整理し、
ついでに高校なども含めて拡充する
職業大学なるうまい分野を作れば良いと
いうものですね。

教育改革アドバイザー 喜多元宏さん・・・・
まず数字です。今年度学部入学者数60万余。
大学数765校。18才人口約120万人。
私立大学の約半分が定員割れ、3割以上が
実質赤字状態。文科省は03年から大学の設置認可
制度を大幅に弾力化した。教育=資本力だが、
国立大学運営補助金は毎年1%づつ減少する。
国立大学86校のうち健全運営できるのは20校
程度に落ちるのではないか。

でも心が動かされる

2008/11/28 00:15:23 麻田佳明

百人一首の中に
紫式部の歌
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲がくれにし 夜半のつきかな
がありますが、
新古今巻第16に
早くより童ともだちにて侍りける人の、
年頃経て行き逢ひたる、ほのかにて、
七月十日の頃、月にきほひて帰り侍りければ
廻り逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
雲隠れにし 夜はの月かげ
として撰ばれています。
女子部の様子を垣間見る際に、ちらと
頭をかすめる一老人の印象と似ていますので
たいへん鮮やかな色合いを感じるのです。
こういう感じが私には相性が良いですね。

それで百人一首の中に探しました。私と
相性がよさそうなものを。
藤原定家の父親俊成
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
 というほど一途には思いませんが

藤原定家の従兄弟実定
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば
ただ有明の 月ぞ残れる
 こういう一途さ、没頭が好きですね

源経信(1016〜1097)
夕されば 門田の稲葉 おとずれて
芦のまろやに 秋風ぞ吹く
 それほど郊外に出て田園風景を見て
 一首作ろうという趣味はないが

清少納言の曽祖父清原深養父(ふかやぶ)
夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
雲のいづこに 月やどるらむ
古今集巻3夏歌にある。その詞に
月のおもしろかりける夜、暁がたによめる
とある。数人の友と共に飲みながら
夜明けを迎えると、こんな気分がよい。

ちとやりすぎて

2008/11/27 01:27:45 麻田佳明

暇に任せて何をする?!やろうですが。

万葉集といえば、想い歌となりますが、
私には男女の仲はまるで無理です。が、
読んでしまいますので・・・・、ふうっ。
額田王についていままで考えることなど
まるでなかったのだが。不思議ですね。
彼女が滋賀県の蒲生に天皇の狩りについて
行ったとき詠んだ歌が

あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る

これに答えて皇太子が詠んだのが

むらさきの にほへる妹を 憎くあらば
人づまゆえに 吾恋ひめやも

天智天皇が詠んだ歌
妹が家も つぎて見ましを 大和なる
大島の嶺(ね)に 家も有らましを

これに答えて
秋山の 樹(こ)の下がくり ゆく水の
吾こそ益さめ 御念(おもほす)よりは

これは巻2の相聞に編集されている。巻4の
相聞には、彼女が天智天皇を思って詠んだ歌
君待つと わが恋ひをれば わが屋戸の
すだれ動かし 秋の風吹く

その後の1首
風をだに 恋ふるはともし 風をだに
来むとし待たば 何をか嘆かむ

ふーむ、やはりよく分かりませんな。
これが百人一首になるとずいぶんと色気があります。

陽正天皇の第1皇子 元良親王
わびぬれば 今はた同じ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
 不義の恋いの噂が漏れたとき、なおさらと言う

遍照の子良岑玄利=素性法師
今来むと 言ひしばかりに 長月の
有明の月を 待ち出でつるかな
 女性の身になって、男の言うままに待っていたがと
 歌う

藤原時平の3男=敦忠(906〜942)
逢ひ見ての のちの心に くらぶれば
昔はものを 思はざりけり
 やっとのことで思いを遂げたが、さてその後が
 ますます恋しくなって苦しくなって来る・・・

やはり恋いはほどほどで、テニスや勉強に
打ちこんだ方が面白いように思います・・・
時代は、もっと過酷なことを要求するかも
知れませんが・・・・・

おもしろい

2008/11/26 00:40:08 麻田佳明

奈良時代となると西欧は
ゲルマンの民族移動後の
各国の誕生の時代で、フランク王国
の変遷が記憶にある。サラセン帝国
の発展も大きい。東洋では
唐が盛んで玄宗皇帝の治世が長い。
お隣では新羅が半島を統一している。
渤海が起こって交流を求めて来た。

日本は律令制の完成を目指して
政治が発展していた。ここらあたりから
私の知識はまるででたらめとなる。
とともに関心は深い。この時代に至る
までの出来事をまるで理解できていない。
高校の日本史で理解できなかった。

蘇我氏の横暴、聖徳太子の存在、
推古天皇の働き、天智天皇の実力、
中臣鎌足と不比等の活躍、などが
教えられたのだけれども、どうも
お話しが過ぎて納得がしがたかった。

学研新書 040 遠山美都男さんの
「蘇我氏四代の冤罪を晴らす」
を面白く読みました。
蘇我氏4代とは
稲目−馬子−蝦夷−入鹿ですね。
蘇我氏が天皇の妃・后をおくりこみ
政治権力を維持するのですが、
有力豪族や天皇候補さらには
天皇側近の有力者との
権力闘争を乗り切らねばなりません。
一族の中でも闘いはあります。
しかしこのような政治の実際の様子は
記録が残っているわけではないので、
遺された記録から歴史家が事実を推定
するしかありません。
歴史家の恣意的な推量が論争を生みます。

遠山さんは、天皇の号が成立したのは
天武朝と推定するから、おおきみ(大王)
を使う。ただし継体天皇以前は、実在性さえ
疑えるので馴染みの・・・天皇と書いている。
これだけでも読んでいる印象は変わります。
完成していない創生期の政治だなと感じるのです。

主に日本書紀の記述を第一に推定を進めるのですが、
蘇我氏の悪の思い込みをできるだけ
押さえると、別の資料を探さなくとも
意味がずいぶんと変わるではないかとして
論を進めるのです。
面白いですね。

推古大王、皇極大王、持統天皇が
大きな権力を持っていて
蘇我氏のリーダーである おおまえつきみ
(大臣)といかに協力したか
利用したかという観点が新鮮です。

勝手にあそんでいます・・・・

2008/11/25 01:07:42 麻田佳明

万葉集 巻16 にあるような俳諧歌
どういう風に 俳諧なのかと

双六の頭(さえ)を詠める歌
一ニ(いちに)の目 のみにあらず五六三四
(ごろくさむし)さへありけり 双六の采(さえ)
 ひふの いつつむつみつよの との読みもあるらしいが
 なにか語呂合せのおもしろさかな

香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠める歌
香塗(こりぬ)れる 塔にな寄りな
川隈(かはくま)の 屎鮒喫(は)める 痛き女奴
 このようにいろいろの言葉を詠み込んで
 歌を作る技を競うらしい
 また、人を嘲って囃す歌も作ったらしい

このような歌の流れで 古今和歌集に
俳諧歌なる編集があったのだそうだ
古今和歌集 巻19 俳諧歌
題しらず
むめ(梅)の花 みにこそきつれ
鶯の ひとくひとくと いとひしもおる
 人が来る 人が来ると 嫌がっているよ
 鶯の声を聞いたらしい

     そせい法師
山吹の 花色衣 ぬしやたれ 
問へどこたえず くちなしにて
 くちなしの木は黄色の染料の材料であるから

     僧正遍照
秋の野に なまめき立てる 女郎花
あなかしがまし 花もひと時
 花を競っている時間はほんの一時ですよ

(ちょっとすごいか)
いとこなりける男によそえて(関係があるかのように)
人のいひければ  屎 源つくる女 くそ
よそながら わが身にいとの よるといえば
ただいつはりに すぐとばかりなり
 糸、縒る(よる)、針、すぐ(針に糸を通す)
 などの語を読み込んでいる

題しらず
梅の花 さきての後の みなればや
すきものとのみ 人のいふらん
 み=実と身 すきもの=酢き物と好色者

言葉遊びか 意味遊び(暗喩)さらには
頓知あるいは才の走り、機知などを多くで
楽しむこころがあったのだろう

11月祭です

2008/11/23 23:58:27 麻田佳明

21日からこの連休中は
11月祭です。ずいぶんと寒い
気候の中で行われています。

昼ごろコートを覗いて見ました。
ボックスのとびらには、掃除をしたから
土足厳禁というような張り紙が
ありました。中は覗かなかったのです。
コートは硬式で賑わっていました。
部員の姿は見ていません。

昼飯をいつもの店で済まして
鴨川べりを紅葉を求めて散策してみましたが
期待のほどには遠く川原町通りを満員の
バスで京都駅まで戻りました。

今年の紅葉はずいぶんと綺麗ですが、
名所を見ていないので残念です。
今日は雨が降りそうですが。
雨があがればどこか紅葉を求めて
出て見ましょうか・・・・・・

鴨川を渡るのに
飛び石をたどって渡ってみました。
天気はよかったのですが
寒さが少しあって
散策する人の服装はかなりの防寒
真冬です。
たくさんの年配の人が冬鳥を狙って
望遠付きのカメラを操作していました。
晩秋の鴨川風景とはこのようなものかと
記憶にとどめることにしました。

ものおもう秋と

2008/11/22 03:17:06 麻田佳明

このところ思うのは・・・・・
そう、いろいろあるのですが・・・・

三浦梅園のこと  は、まだよく理解
できなくて・・・・・
荻生徂徠もまだ・・・・
田沼時代の「時代精神」も・・・・

そして鎌倉時代。
実にいろいろな変化が激しかったのではないか。
その変化は、武士の成長が引っ張った。
武士は、院政の起こりともつながる。
律令国家の権威と権力、そして中央と地方。
ここらあたりは現代の状況とも
重ねて眺めることも(あまり意味はないだろうが)
興味はある。最近は、地方と大都会(というより
東京一極集中かな)の格差拡大か。

なぜ律令国家へと進んだのだろう。
いわく、聖徳太子か、天智天皇、天武天皇。
いやいや藤原鎌足と不比等か。
藤原京、平城京、平安京の遷都があった。
いろいろな考えがあったのだろうと・・・。
だれが中心になっていたのだろう、いや
多くの人達かな・・・・・。

で、当時の知識人:山上憶良に。
遣唐使で2年間唐にも。
万葉集巻5
子等を思(しの)ふ歌;
瓜食(は)めば 子等をおもほゆ 
栗食(は)めば ましてしのはふ
いずくより 来たりしものぞ
まなかひに もとな懸りて 
安眠(やすい)し寐(な)さぬ
<反歌>
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も
何せむに まされる寶 子に如かめやも

このすぐ後に
世間の住(とどま)り難きを哀しめる歌一首併に序
として書きつけていることに
心動かされて・・・・歌は長いので序だけを。
集い易く排ひ難きは 八大の辛苦、
遂げ難く盡し易きは、百年の賞楽。
古人の嘆きし所、今亦之に及(し)けり。
所以(かれ)因りて一章の歌を作りて、
以ちてニ毛の歌を撥らふ。

塞ぎ込むのではなく 考える=楽しい になれば

小説かな

2008/11/20 01:22:43 麻田佳明

源氏物語がちょっと(か、ものすごくか)
とりあげられている。先日石山寺に
紅葉を見に出掛けたが、まだ早くて
寺の前にならんだシジミ飯屋で
昼飯を食って帰って来た。そのおり
石山寺で源氏物語の特別企画を
開催していた。もう一つ意欲を
持たなかったのでわずかな紅葉だけを
楽しんですました。帰宅してから
見たTV番組で源氏物語を主題にした
ものを見た。つまり、小説として
いつまでも魅力が失われないという
主旨であった。携帯電話のiモード
にアップされている、したがって
何度も書き変えられる小説にも
源氏物語をベースにしたものが人気を呼んでいる
らしい。瀬戸内寂聴さんも何やら
小説を試みたらしい。寂聴さんの源氏物語
の現代語訳がよく知られている(が、私は
読んでいない)。高校の古文で桐壺を読んだだけ
の経験しかない。

小説が、簡便な形であるなら読む人も
ないわけではない、という理解をすれば良いのであろうか。

論文といえば、退職した航空自衛隊の
幕僚長田母神さんの懸賞論文が有名だ。
が、文章の優劣や論旨の雄弁もしくは
明晰などが話題ではなく、内容の不適切
に注目が集まっただけである。歌を幾つか
作成された方が共感を呼んだのではないか
と、やまとごころのかげりを見た思いがしました。

藤原定家(1161〜1241)が古来の秀歌を
100首集めた「小倉百人一首」の
解説書(文英堂)を傍らにおいています。
私はまるでかるたはとれません。まったく
一首も憶えていないのです。

柿本人麻呂の歌
あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
ながながし夜を ひとりかも寝む

蝉丸の歌
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関

平 兼盛の歌
しのぶれど 色に出にけり わが恋は
ものや思ふと 人の問ふまで

などは 聞いたことがある。

和歌などは、まるで縁なきものと
思い定めていた(ように思いますね)が、
ふとしたことでながめせしまに・・・・

万葉集・・・・いろいろありますね。
長歌と短歌(反歌としてよく出て来る)
旋頭歌
俳諧歌(内容が滑稽さを含むものらしい)

古今集と新古今

暇なときに拾っていますが・・・・

オフが始まりました

2008/11/18 00:56:23 麻田佳明

今年のテニスは、ずいぶんと早くから
決まっていたので(決めてはいなかったのですが、
具体的な内容はなくとも、形式だけは
決めてました)のんびりと
構えて秋口になってから
いよいよと内容を表現して来ました。
(とはいっても、私一人の胸のうち
のことばかりで、どうも内容に乏しい
結果になっていると見なくてはなりませんが)

という流れから、ともすれば
オフの中身も何もないかのように
受け取られることは、いや予想されることは
避けなくてはなりません。
NOといわなくてはね。

例年の如く、オフの重要さを
強く訴えなくてはなりません。少しでも
緩んで受け取ってもらっては困ります。
特に折角の戦力が、積み重ねてきた、
磨いてきた、将来の楽しみな戦力が
歪みを見せているのですから、
慌てふためくことは許せませんが、
軽視し、無視することも許せません。
十分考え分析しなすべき方策を
探し追究することが必要です。
慌てたり焦ったりすることはないが、
必要を求め、探求を深めることに
邁進する。この態度をしっかり身につけることが
部の活動のもっとも重要な要素です。
これがないのでは部活動はないのと同じです。
この活動の水準を高めることに
部員はいささかも努力を怠ってはならないのです。

そして、ここが大切なところです。
なすべきが明確ではあるのですが、
うまく行かないときもあるのです。
これを無視してはだめです。失敗を認め
不十分を理解することが必要です。
責任を明確にすることです。
追究が過酷に走ることは、組織維持に
偏ることとなります。感情に走ることも
時にはあります。爆発も無いこともないでしょう。

うまく行かない時、でもうまく行くときも。
うまく行きすぎる、怖くなる。
全然うまく行かず、やけっぱちになる。
行く道に凸凹はつきものです。予想に
苦しみばかりを重ねるのは暗すぎます。
楽観ばかりでは、現実逃避です。
実際の迫力に負けることのない
体力こそが何より必要です。オフに養うべきは
体力ですね。
体力とは、いろいろな意味を含みます。
純粋な肉体的な能力はむろんのことですが、
どこまでを体力という表現で覆うべきか、
よく解かりませんが、体力という表現は
何かしら豊かなものを感じませんか。

よく頑張ったね

2008/11/16 01:09:49 麻田佳明

京都新進大会。男子はうまくできなかったようですが、
女子は、馬場が3位に入ったようです。
まずはよく頑張ったと祝福しましょう。
しかし手邊、片岡、布瀬も
同じように勝ってもよかったと思いますよ。

男子は、何が原因かな。
決勝トーナメントにでるだけの
力は十分にあります。でも
それを各自が納得する必要がありますね。
どこかひとごと、よそごとに
思っていては、いつまでたっても
勝てるようにはなりません。
勝てるようになるまで
待つだけではちょっと足らないのです。
勝てるようになれば
勝とうと思わないとね。

納会コンパは、・・・・
内藤さん、杉山さん。
岡田さん、二宮さん。
ほんとうにありがとうございました。
そして暖かい励ましの
お言葉をいただいて、感謝の言葉が
足りませんが、ありがとうございました。

中村さん、中瀬君、佐々田君ありがとう。
上野さんほんとうにありがとう。

うまく行かないことも、そりゃあ
ありますよ。そんなに思いどうりに
ばかりことは進みません。時には
嫌になってどうにもやりきれないことも
起こります。そんなとき、嫌だと思う
ことを無理に押さえこんではなりませんね。
といってむりやり嫌な気分をそのままに
耐えれば良い訳でもありません。適当に
流しておけば良いというわけでもないのです。つまり
すっきりするような受け方はないのです。
もやもやとした、といってとりたてて
問題にすることもない、なんとか踏みとどまれば
よいこととしておくだけなんですね。
このようなもやもやは、少しラッキーに
うまく行った際に、心から楽しむということで
埋め合わせたら良いのです。
良いこともあれば悪いこともある。そのいちいちに
大きく心を動かさなくても良いのです。
敏感に感じる心は大切ですが、こころを
動かしすぎるのはあまり意味はないのです。
静かで穏やかな心を保つ方が大切なことなのです。

集団もしくは社会にあっては、何でも無いことですが、
形になっていることは、先ずは相当心を砕いて
あるべきように形を保つことが大切なんです。
それによって、集団の構成員が落ち着いて
行動できるのです。したがってきちんとした
一定の成果が生み出せるのです。何かを育てるという
ことを経験したことのある人は、きっと
納得が行くはずです。特別なことは、
特に才を走らせる必要はないのです。
必要なことを必要な分だけ注げば良いのです。

年寄りが力みかえって注意するものでもありませんが、
年齢構成に幅があるということの利点を
活かすという見方もあって良いのではないでしょうか。

年齢に相当な開きがあって、心配な(まあ
余計な心配ではあるのですが)ことが
ないわけではないのですが、若手の卒業生が
いろいろ慮ってくれていることを知って
ほつほつとする心を実感しました。
二次会でもう一度吟味をしたのかもしれません。
それにしても、いろいろあった
今年も得るだけのことはしっかり
獲得したようだなと感得して
終えることのできた能会コンパでありました。

というので心とはと

2008/11/15 01:22:00 麻田佳明

傍らの「ことわざ・名言事典」(創元社)を
開いてみたのですが・・・・・。
心 という項目はないですね。

<人間とは>
「すべての人間の知識の中で
もっとも有用でありながら
もっとも進んでいないものは、
人間に関するそれであるように
私には思われる」J.J。ルソー

「不思議なものは多い。しかも
人間ほど不思議なものはない。」
   ソフォクレス

「人間よ。汝、微笑みと涙との
間の振り子よ。」
    バイロン

<自分>
「自分とは常に魂をしばりつける
ことのできる唯一の牢獄である。」
   ヴァン・ダイク

「私はだれの意見にも賛成したいと
思わない。私は自分の意見を持っている。」
   ツルゲーネフ「父と子」

<自己を知る>
「我を知らずして外を知るという
ことわりあるべからず。されば己を
知るもの知れる人というべし。」
    兼好

<自己愛>
「他人には一切のことを拒むことのできる、
その同じ人間が彼ら自身には何一つ拒まない
というので有名である。」
  19C英エッセイスト レイ・ハント

「自分をかいかぶらない者は、
本人が信じているよりもはるかに
優れている。」
     ゲーテ


心と言うのは、現れ方にあるものかなあ・・・

15夜の月

2008/11/15 00:43:21 麻田佳明

ここ三日間、夕日が落ちて月が
東の空に出ます。よく晴れて美しいです。
少し寒さを感じますから、
もう秋の月ではありません。
やはり中秋の月は見事ですね。

満月は、太陽と反対側に月が位置する
時に見られます。
よくご承知のように、太陽は
季節によって位置を変えます。
夏は北側により、冬は南側によります。
したがって冬の満月は(太陽と
反対側に位置するので、夏の太陽の
位置に近いのです)北によります。
この月が中空に輝くときは頭上に輝くことになります。
寒空にこうこうと輝くのです。

一昨日、昨日、今日と、東に輝く
満月を見ました。確かにだいぶ北に寄っていました。
15夜の月は昨日でしたが。

昨日は、山元さんと、山元さん宅のご近所
のお好み焼き屋さんで少しの時間呑んでいました。
同席のお客さんともうまが合って、楽しく歓談して
呑みました。
なぜ? その話しは納会の席で披露しましょう。

納会の前に新進大会があるようですね。
ぜひ今年の締めとして、自分のテニスを
存分にやって見せて欲しいですね。
林君岩崎君の時に、今回と同じく日程が
納会と重なったのですが、優勝と準優勝を引っさげて
帰って来たことが思い出されますね。

テニスをする。力の限りをつくす。
このとき、いろいろな感情が沸き起こります。
この沸き起こる感情をどのように
扱うか。決して無視したり抑えつけたりすれば
よい! というようなものではないでしょう。
といって、感情のままに流されてしまうのは
とても納得できないはずです。
それでは、どんな感情が起こり、どのように
整理し、どのように対処すればよいのでしょうか。
こういう具体的な内容について、
しみじみ味わい解かるようになることは
テニスをする上で意味のある事です。
意味を知ることは、しかし、簡単なことではない
でしょうね・・・・。いえ、難しいというのではなく、
例えば、いくらの費用を出せば手に入るとか、
誰に聞けばよいとかいうことができない
ということなんですが。

人と人の間ということの理解が問題となるのです。
気持ち、こころ、感情ですね。
けっして理屈、論理、情理、理論が
どうでもよいということではないのですが。
人から離れてはできない、人とは心だ、という
ことなんですね。自分を忘れては人はないでしょうね。
自分を知ること。そして人を知ること。
勉強なんでしょうが、知識だけではないですね。
こころとは、ですね・・・・・。

残念ですね。楽しみにしていたOBも多いだろう

2008/11/12 00:33:23 麻田佳明

と思いますが。
私も観戦しようと予定していましたが。
卒業生は特に残念に思うだろうね。
その分、納会の宴席で思いを述べてもらいましょう。
多くの卒業生に参加してもらいたいですね。
どこか知り切れトンボのように
納会になってしまったように感じますので。
現役が思うよりは、もっと意義のあった
一年であったと評価を口に出してやって
いただけると元気が出る事と思います。
どこに力を集中すればよかったのか。
このような事は、現役にはなかなか
わかりづらいものです。
昔の蒼穹を開いてみればわかりますが、
座談会を開いて一年を振りかえっています。
現役だけでなく、OBが参加して監督と共に
春から順に反省していますね。
意図はなんだったか。結果はどうだったか。
何が欠けていたか。どうすればよかったか。
限界は何か。目標の立て方は適切だったか。
などと議論は続いたはずです。
何十年も昔の学生達がどのようなことを
考えていたか、テニスを通して知ることも
可能でしょう。どこかヒントを得る事ができるかもしれません。
ふとした好奇心を利用して
考えの幅が広がるといいですね。

春先のスタイル論やテニス観、はたまた
練習の心構えなどの議論も思い返してみて欲しいです。
春とは違った思いが出て来るかもしれません。
無視していた事、気が付かなかった事、
過大に評価していた事、などが
思いつくのではないですか。
ことさら押しつけるつもりはありません。
ただ、気分というのは、変わるものであるという
経験をする事に意味があると思いますので。
たしかに気分が変わったという思いは
持っている部員も多いのではないですか。
テニスが好き、という一言に込められた
自分の思いはそれほど確固不動なのものでは
ないかもしれません。いやそんなはずはない!と
再び確認するのにもよい機会です。
なるほど風に吹かれてふーらふらだなあ
と素直に認めるというのもなかなかのもの
だと思います。
理屈を確かにすることは大事ですが、
今口にしている理屈が、それほど
しっかりしたものかとなると、なんども
吟味してみる価値はありますね。その
余裕を持てないのなら、理屈はそのうち
変わります。論理というのは、それほど
簡単なものではありません。論理的に
物事を考えるというのは、相当な
訓練を要します。訓練をしっかり行う事が
必要だと思いませんか。勉強する方が楽
とも考えられませんか。どちらも実際に
経験して判定を下すべきですね。4年も
しっかり経験すれば十分役に立つと思います。
恋愛は、なかなか難しいです、かもね、どうでしょう、
まあやってみてください。
勉強とテニス、これぐらいがちょうどよい
訓練だと思うのですが。(わあー、めっちゃ歳をとった!)

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