蒼穹掲示板

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もうちょっと夏的になることを!

2009/08/02 23:43:37 麻田佳明

ちょっと間が空きましたが、今日はコートを覗くこ
とができました。全員揃って練習していました。
4回生は田部井、少し遅れて千々和が参加し
ていました。卒業生は、中村さん、小林君、林君、
富岡君、安藤君、貴田君、が来てくれていました。
そして沢田さん。空の方はいまだ梅雨が明けず
どうもうっとうしいのですが、それでも少し青空が
見えていました。でも夕方雨が降り始めました。
今年の梅雨は?ですね。

さてテニスの方は、もう一つ明確な姿が見られな
いので少し訝しく思いました。試験が終わって気も
明るくなっているのではないかと予想していた
のですが、試験が終わったという感じは見出すこ
とはありません。ごく落ち着いて済ましたという
ことなのか。それではインカレを控えて緊張したり
燃えたりしているかと言うとそれもまるで感じられない。
いったいこれはなんだと、もう一度一人一人を
確認してみなくてはという気持ちになってしまいました。
でも結果は良く分かりません。

しかし怪しいことばかりではありません。
だいぶ考えたなという手応えを感じる部員も
ないわけではないからです。でも、それでも
もっと燃えるものが欲しいですね。もっと貪欲に
求める姿があって良いのではないかと思いますね。
うまくなりたいという気持ちはあります。強くなり
たいと求めて練習していることも良く伝わります。
しかし何をしているのかが見えないのです。
目を凝らし隠された芽を探しても、新しい芽が
見つからない。あれをやりこれをやりと、ちょっと
むちゃではないかと思えるほどの挑戦が見えても
良いと思うのですが、それが見えません。
まだまだテニスを知らないということなのでしょうか。
教えていないということなのでしょうか。
教えられてやることではない、これが私の思い
です。スポーツは教えられてやるものではない。
求めるものがあってこそ、環境の影響が現れる。
求めるのがないのでは、どこへ行こうというのか、
と問われるのが当然ではないか・・・と。

教えられて成長するのだ、と育てられた選手と
戦ってみごと勝って帰って来て欲しいものです。
小山田は一つ掴んだな。矢守、吉永は、もっと
もっと動き回って走り続けて大きく大きく強く強く
ボールをたたいてテニスをすべきだな、今日の
テニスは弱過ぎたね。黒木、道祖は徐々に力を
見せて来ている、もっと戦う意識を強く持つと良いね。
先ず正確に受けること、次に果敢に攻めること、
一瞬でも気を抜かないことだね。両井上は、
怯んではならない、自分こそNO1だと言い聞かせて
高楊枝を保つぐらいの意気を持っていて良いのだ。

2009/08/02 00:50:44 麻田佳明


どうですか、大した批評だと思います。このシュン
ペータの論文は30才に満たない年齢で書いて
いますが、若者の果敢な挑戦は、ある時期
(いえいつでもですが)大いに称えられる場合が
ありますね。たとえば量子力学の発展では若い
天才の出現が続いたものです。たいへんな速度で
知識が広がっているときは、若さにまかせて
寝ることもなく勉強して最先端にまで知識を
整理する講義録を作るだけで第一人者に
なることもできるのですが。
しかし、たとえば1909年触媒反応論で
ノーベル化学賞を受賞したヴィルヘルム・
オストヴァルドDie Energie1908年(岩波文庫
青903−4「エネルギー」山県春次訳1912年の
第二版を訳したもの)においてつぎのように書く
のを読むと、青春の日々の輝きをよろこびを持って
称えたくなるのです・・・・・
「先ず第一に目をひくことは、この場合もまた
決定的な進歩が非常に年若い青年によって
なされたということである。マイヤーは彼の業績
を発表したのが26才、ジュールは25才、ヘル
ムホルツは26才、そうして今述べたごとくカル
ノーは28才であった。すなわち、自然認識の上に
かくも偉大な進歩を促した人々が、すべて30才に
未満であったということは実に著しい事実であって、
さらに、以上の発表がいずれも思想が把握せられ
た時期を示すものではなく、把握せられた思想が
外的な表現にまで展開されその上発表の可能性に
恵まれるまでに常に長い歳月を閲していた、という
ことを思い合わせるならば、われわれの偉大なる
促進者たり指導者たりしひとびとがいかに年少で
あったかを、驚嘆せずにはおれないのである。」
オストヴァルドの文章の楽しいところは、これだけ
では済まさず、少し後につぎのように続けてい
る点ですね。つまりカルノーが熱力学第二法則を
見出してもなかなか浸透しなかった経過を
書くくだりで、ウイリアム・トムソン(ケルヴィン卿)
が若くして時代の指導者として存在したと
書いて・・・・・

2009/07/31 22:44:40 麻田佳明

7/30
さらにマンデヴィル(バーナード・マンデヴィル
1670−1733イングランドの医者)の影響を挙げ
なくてはならぬ。マンデヴィルは1つの教訓詩
であり大いなる評判を得たが真面目に受け
取られなかった著書1705年「不平を呟くミツ
バチの巣」(説明を付して膨らんだので、
1714年「蜂の寓話」として出版)のなかで、深刻な
認識に一つのグロテスクな形態を与えた。しかも
この形態には、経済領域における個人の自利心は
本質的な社会的機能を持つという思考の最も明瞭な
最も立派な叙述が盛られている。同様な思想には
まさに他の多数の源泉があった。けれどもスミスの
多くの措辞まさにマンデヴィルによる影響を示して
いる。最後にスミスはまた多くをヒュームとハリス
(ジョン・ハリス 1755年「貨幣および鋳貨につ
いて」、イギリスにおける貨幣論争の純粋の帰結
を巧みに記述しただけでなく、同様に国民経済の
一般理論の大綱をも包含している)負うている。」
「彼の著作の一般的な性質のみを示すと・・・・
もしわれわれが彼の理論的業績を見れば、自由
貿易と産業主義を礼讃したように世に見られ、
たしかに経済学を技術論と定義し、政策的基準を
あたかも定理たるかのように論議もしているが、
まったく異なった形像が現れてくる。ここでは彼の
眼光は事実の上に向けられ、わずかにたまたま彼の
措辞が政治的理想もしくは哲学的文体を想起せ
しめるに過ぎない。しかもこれらの外来的要素は
少しも本質的なものではない。しからばその研
究方法は?彼は具体的目的が要求するにした
がって、時には分析し時には記述している。しかし
彼はその分析に個別観察と実際的経験とを結
びつけ、その記述には理論的論議を混じている。
彼は自分の具体的目標にとっては測りがたい
価値を持ちながらも、彼の取り扱った問題群の
一つを深く掘り下げようとするときにはたちまち
失われざるを得ないような普遍性を持っていた。
彼の著作の体系的もしくは教科書的性質のため
に、記述的な細目研究のみならず詳細な抽象的
研究が締め出されている。スミスは理論的性質の
影響によって形成され、理論的目標が彼を支配
していた。彼の純粋経済的説明の中核に見られる
ほど彼が実証的であり且つ先入感に捉われて
いないものはない。がこと応用に関しては、
彼の結論の実践的意義の過重評価が撹乱的
に著しく表れ、とりわけ批判の多くがこの応用に
結びついているのである。」

2009/07/30 22:22:31 麻田佳明

7/29
「彼によってかつてはほとんどいかなる企ても
果たし得なかったような決定的な企てが成し
遂げられた。彼は自分の課題に対し偉大な
手段を持って立ち向かった。彼は当時の
哲学的・史学的知識・、やや程度は少ないが
自然科学的知識、さらに少ないが法学的知識を
完全にマスターするためにその生涯を投じ、彼の
手の届く限りのすべての思潮に対し自分の精神
の門戸を開放した。彼の主著は「道徳的情操論」
と「国富論」であるが、彼の関心範囲の広さは、
1785年の書簡にみられる「文学のあらゆる異
なる部門の哲学的歴史」と「法律と政治の理論
および歴史」についての雄大な構想の叙述を
見れば分かる。彼は綜合的労作と調和的叙述
との人材であるが、偉大なる新しい理念の人で
はなかった。彼は特に現存しているものを慎重
に検討しこれを冷静に且つ理性的に批判した
後に獲得された判断を、同様にして得られた
その他の判断の系列のなかに挿入するような
人であった。
彼は時代の言葉を語り時代がまさに必要として
いるそのものを提供した。彼の成功はこの点から、
また彼の業績の外面的および内面的長所から
説明される。彼がより深く掘り下げていたならば、
彼は世人に理解されなかっただろう。

「国富論」は1751年から64年の間に彼が
グラスゴー大学で行い且つその表現にいたる
まで彼の師ハッチソンに依存している道徳哲学
に関する講義の一部から成り立っている。彼は
1763年になされ今日まで残っている講義の
ノートが示しているように、活発な弟子たちなら
誰でも行うであろう程度以上にはハッチソンの
体系をほとんど変更しなかった。1764年彼は
やや完成に近い体系をいだいてフランスに
渡りフィジオクラットたちと接触した。われわれが
フィジオクラットの本質的だとする諸点を自分の
部門に継ぎ足したから、したがって彼の著書の
輪郭は破れその均整ははなはだしく害われた。
しかし彼が採択すべき諸要素の選択に際していかに
精神的な自由と優越さとを示したかは、これを忘却
してはならない。まさにこの点に彼の独立している
業績がある。

2009/07/29 23:05:29 麻田佳明

そして「道徳感情論」を読んで行く
に際して、つぎのように忠告する。
「スミスの文体はゆったりとしていて、少々説教臭く、
事例も日常生活から取ったものが多い。これは元々、
十代の学生を相手にした講義だったことを念頭に置くと
いいかもしれない。簡単には読めないが、長く印象に
残ると思う。1750年代の発言だが、今日にも通じる
ことは明らかである。」
また「国富論」については、
「実にすばらしい著作だが、要約して紹介するのは
簡単ではない。5編に分かれていて、その各部が、
「完全自由の社会」の機能の、全体としては一つに
まとまりながら、しかしそれぞれ異なる側面を扱って
いるからである。」として、とくに第1編に力を入れ、
最後の第5編に触れている。
経済学としては、先駆けとしての意義が大きく、
経済学的論理はそれほど精緻では無いのかもしれ
ないが、当時の経済と政治の問題を広範囲に論じ
る点が明確であったことに高い評価があることは
よく説明できていると私は感じました。

また、時代は少し遡りますが、
シュンペーターの
EPOCHEN DER DOGMEN− UND
METHODENGESCHICHTE
「経済学史」
中山伊知郎・東畑精一郎訳 岩波文庫白147−3
1980年第一刷発行
(第1次世界大戦前に始まった叢書で、
編纂の主役はマクス・ウェーバーであった
「社会経済学大綱」第一巻第1部「経済および
経済科学」第一版1914年発行に掲載された
論文「学説ならびに方法の諸段階」である)
を覗いてみますと、スミスの位置付けが明確に
理解できると思います。

2009/07/28 23:21:58 麻田佳明

むろん著者を、楽観的な心の持ち主と非難してい
るのではありません。しかし、経済学が果たすべき
役割が、いまもなお果たしきれていないのではない
かと疑いをさしはさむことへのしっかりした返答だけは
確信できるような態度が必要だと思うのです。
この意味で、スミスを余りに遠くに遠ざけるような
評し方は、遥かにあっても懐かしく思い出すべきと
する意見と共に、私は賛同しかねるのです。学問は、
学者の生きた時代と共に発展するはずですから、
時代といかに格闘したかの程度においては、学問の
水準とは別にした評価があるはずです。ヒュームの
言うように、時代が学問を妨げることもあるのですから、
いかに人間が社会性を発揮したかと問う限りは、
学問の存在の必然性とその内容を後世に伝える
ことが人間存在であると主張すべきでしょう。

話しがますます横道に逸れて来たかのように受け取る
向もあるでしょうが、私は逆に焦点が合って来たように
感じているのです。といっても、まるで勝手な、いえ、
独善的な観点からですが、狙いを明確にするという
テーマにそっているという意味においてです。
というのも、たとえば、
ロバート・L・ハイルブローナーの
TEACHINGS FROM THE WORLDLY
PHILOSOPHY 1996
「私は、経済学をどう読んできたか」
中村達也/阿部司訳 ちくま学芸文庫2003年
を覗いてみますと、
「アダム・スミスが経済思想の発展における中興の祖
であり、傑出した存在であることは誰でも知っている。
だが、経済学への貢献の正確な中身はあまり知られ
ていない。同様に、彼の分析の中心だった、社会秩序
における道徳の重視も知られていない。スミスはそうした
社会を「Society of Perfect Liberty」と呼
んだ。
capitalismという言葉は、当時まだ発明されていな
かった。
彼の秩序重視について印象的なことが2つある。
1つは、「完全自由」とは、初期の資本主義の最大の
魅力が経済ではなく、政治の側面にある。つまり彼が
称賛するのは、個々人が自ら自由に選んだ目的を
追求する自由である。この自由がひいては社会全体
の利益を増大させるからである。
2つ目は、「完全自由の社会」を評価したが、決して
手放しの称賛ではないことである。金儲けを追及する
際の行動を決定する内部感情としての同感をこの
社会の基礎に据えている。好きなように行動しても
構わないけれども、その行動が規範に反しないように
「公平な観察者」が自身の中にいて認めてくれる
ことが前提となる。」
と書いている。

2009/07/27 22:44:57 麻田佳明


こうして最後にスミスの遺産としてつぎのように
まとめています。
「スミスは、真の幸福は心が平静であることだと
信じた。そして、人間が真の幸福を得るためには、
それほど多くのものを必要としないと考えた。多くの
人間が陥る本当の不幸は、真の幸福を実現するた
めの手段が手近にあることを忘れ、遠くにある富や
地位や名誉に心を奪われ、静坐し満足しているべ
きときに動くことにある。そのような時宜を得ない
行動は、本人を不幸にするだけでなく、時として
社会の平和を乱すことがある。私たちは、社会的
成功の大志を抱きつつも、自分の心の平静にとって
本当は何があれば足りるのかを心の奥底で知って
いなければならない。
諸個人の間に配分される幸運と不運は、人間の力の
及ぶ事柄ではない。私たちは、受けるに値しない
幸運と受けるに値しない不運を受け取るしかない
存在なのだ。そうであるならば、私たちは、幸運の
中で傲慢になることなく、また不運の中で絶望する
ことなく、自分の平静な状態に引き戻してくれる
強さが自分の中にあることを信じて生きていかなけ
ればならない。私は、スミスが到達したこのような
境地こそ、現代の私たち一人一人に遺された、
最も貴重な財産であると思う。
変化し続ける文明社会の人間は、いつの時代も、
不安定な世相にさらされる運命にあるのかもしれない。
そのような世相の中で、熱狂も絶望もせず、冷静な
姿勢で真の希望を見出そうとしたスミスの著作は、
現代に生きる私たちにとって、大いなる遺産である
といえるだろう。」

私は、著者と違って、スミスは個人の心の持ち方に
すべてがゆだねられるという考え方はしていなかった
と考えますので、個人の強さが問題となるようなまと
め方には興味を持ち得ません。
先ごろの金融不安と経済不況、さらには経済不安を
資本主義における個人の貪欲さにすべてを押し
込もうとするエコノミストの考え方は、結局一瞬の
好況をたよりに幸運にも生き延びることを願う、もっ
とも人間的な(つまり集団の中央付近に居たがる
性質を持った)人々の叫びでしかないと思うからです。
誰が辺境の開拓をするのか、今や辺境はまったく存在
しないからと、適当に間合いさえとって、ある程度
気を配っておけば、もはや諍い程度にしか争いは
起こらないだろうと、独善的にも見越していることの
できる人々には、考えることさえない課題が問われ
ていると考える・・・・・・・ことはないのだろうか・・・

2009/07/26 23:18:04 麻田佳明

ちょっと違ったと思うのは、当時の啓蒙のあり方に
あまり考慮がないように感じたことですね。
もっと明確に言えば、科学としての経済学に
踏み込んでいないように感じたことです。たし
かに道徳感情論を踏まえて考えれば著者の
説くところは理解できますが、世の受け取り方は
経済学としてのスミス論がもっと強く出て来るべき
ではないかという疑問です。ヒュームは科学を
強く意識していました。「人性論」は人間学という
科学を試みたと主張しています。ヴォルテールや
ダランベールは科学を主張し、ニュートンを
評価したのです。ルソーは科学を意識していた
んかどうか私は理解していませんが、百科全書
派は科学を意識していたでしょう。人権を科学と
対立させて発想するかどうか、対立させる思想が
あったのかどうか、・・・・科学を人権の基礎に据える、
もしくは人権は科学しか守れないのだと強弁して
しまう立場があるのかどうか、・・・・ここら辺には
今は触れないでおきましょう。

がとにかく、経済学者としてのスミス論を読み
取ろうとした私の目論みは外れました。また
道徳感情論でのルソーへの言及がなかった
ことも、予想外のことでした。

終章「スミスの遺産」で著者はつぎのように
述べています。われわれが受け取るべきスミス
のメッセージとして4つの点が示されます。
①社会的存在としての人間
社会の繁栄も、また社会の秩序や繁栄が妨げられ
るのも、懸命さと弱さを併せ持った社会的存在である
人間が原因である。
②人と人をつなぐ富
人間を生存させ、繁殖させ、その生活を便利で安楽
なものにするのが富の主要な機能であるが、それ
以上に人と人をつなぐ機能、つまり市場が富を
媒介にして見知らぬ同士が世話を交換する場で
あると理解した。経済成長と外国との貿易も人と
人をつなぐものとした。
③自由で公正な市場経済の構築
人と人をつなぐ機能を十分に生かすための経済
システムの構築は、自由で公正な市場経済の構築
である。スミスの時代の歪んだ経済システムを
重商主義の体系と呼んで批判した。
④今なすべきことと、そうでないことを見分けること
現実問題への対応では、理想状態があっても、
すぐさま現実を変えることには反対する。諸規制の
撤廃は、規制に守られている人々の生活を脅かす
こと、あるいは莫大な損害は多くの人に社会から
裏切られたと感じさせ、社会秩序の混乱につながる。
時間をかけるべきとする。そしてスミスには今すぐ
やるべきこととして、アメリカ植民地の自発的分離
があった。

2009/07/25 23:19:30 麻田佳明

7/25
1700年と1800年、さらには1900年と
100年間隔で見るとき、ヨーロッパは激しく
変化している。そしてその変化の要素は、
ヨーロッパだけに留まらず世界中に広
がっている(もしくは広がってきた)。もう
100年を経過すると2000年であるが、
この100年間でも大きく変化している。
そしてこの変化は、世界の中での変化と
して見るべき要素も多いものだ。

こういう風に考えてみると、啓蒙の時代は、
目の前の事象を注意深く観察しながら、
来るべき時代に「あるべき姿」を真剣に考えて、
狙いを明確に意識して思想なり理論なりを
主張したのではないだろうか。

中公新書1936 瞠目卓生さんの
「アダム・スミス(『道徳感情論』と『国富論』
の世界」
を読みました。
国富論をどのように読むべきと考えているのかと
興味を引かれて読んだのですが、私が当初
予想したのとは違った書きかたでした。
たいへん良かったのは、懇切丁寧にスミスの
思想を紹介してもらえたという満足感を持て
たことですね。
スミスの思想がたいへん誤って理解されて
いる。流布している。それを、時代背景と
考え方の特徴の2面から正確に解説し
正しく思想を読み取るよう丁寧に書かれて
いると感じました。豊かで強い国の造り方
をスミスは考えたのだと受け取るのが従来
であった。スミスに最も有名なことば「見えざる手」
が、利己心に基づいた個人の利益追求
行動を社会全体の経済的利益につなげる
メカニズム、すなわち市場の価格調整メカニズム
として理解されてきた。国富論の主要な
メッセージが、政府による市場の規制を
撤廃し、競争を促進することによって、高い
成長率を実現することである。と解するのである。
しかし道徳感情論を読む限り、もっと違った
理解が可能であり、またそうでなくてはならない
と説くのである。以上の点は良く理解できました。

2009/07/24 23:40:56 麻田佳明

ヒュームといえば、同じスコットランドの
アダム・スミスがいますよね。「国富論」を
スミスが書いて出版した際には、ヒュームは
良く書いたと我がことのように喜んだと
されています。ヒュームはルソーやホッブス
の社会契約説は嫌ったとされています。
しかしスミスはルソーとヴォルテールを
二大思想家として尊敬していたそうです。
スミスがグラスゴー大学を1742年に卒業して、
オックスフォードのベリオル・カレッジに留学し、
しかしそこを去ってしまう。国教会牧師養成の
奨学金をもらっての留学であったにもかかわらず
約束を破ったのである。何か嫌う理由が発生した
らしい。「国富論」には、大学の頽廃と教授の怠慢
が書かれている。帰郷したスミスはグラスゴー大学で
連続講演を行う。これが評判を呼び、グラスゴー大学
の論理学教授に1751年招かれる。こうしてスコット
ランドのナショナリズムに支えられた文化運動に
参加する。具体的には、1755、56年の「エディン
バラ評論」への寄稿があるが、ここに「同人たちへ
の手紙」で広くヨーロッパの学会動向に注目する
ことを求めて、業績紹介をしている。この中に、
ディドロとダランベールの「百科全書」、ビュフォン
とレオミュールのそれぞれの自然史の著作、ルソー
の「人間不平等起源論」が含まれているのである。

したがって、ヒューム(1711生まれ)、スミス
(1723年生まれ)、ルソー(1712年生まれ)は
かなり深く結びついていると感じる。そして、
時代はなかなか複雑であった。イギリスを見れば、
1642年に清教徒革命が始まり1649年には
チャールズ一世が処刑されてスチュアート朝が
絶え共和制になった。1660年王政復古がなり
スチュアート朝が復活するが1688年の名誉
革命でオランダと同君連合になる。以後産業
革命が進行しながら、ヨーロッパ政治が植民地
を巻き込みながら、各国の勢力争いが総力を
かけたものへ移行して行くいわゆる「大国の
興亡」の時代へと進んで行く。フランスは、
ブルボン王朝でルイ14、15、16世の統治の
時代だが、1789年の大革命に向かって
進み、さらにはナポレオンの帝政になるが、
反ナポレオンを通じてのヨーロッパの勢力
争いに突入して行く。

2009/07/23 23:09:34 麻田佳明

このように述べてきた所で、思うことは、
気力が萎えるのかどうか知らないのですが、
対抗する気が失せてくると、「道理」などという
言葉が情感に合って来るのが近年の思いですね。
ある種の諦観なのか、とも思います。
北畠親房の「正統」のこだわりが分かり易いの
ですが、相当しんどいですね。慈円の
「道理」の方が楽です。しかし、ちょっと
分かり易さに欠ける気がします。

戦争を逃げないという精神は、商業や産業を
盛んにして生活を豊かにして生き生きと生きる
という意欲に比べて庶民的では無い。「市民」
はどちらに片寄るのか、が私には明確でない。
したがって「都市」の構成を理想的に考えることも
私には難しい。まして「国家」を考えるとなると
根拠さえ見失っている。しかし、最近の風潮は
ある種の流行現象として、「集団自衛権」を
危うく論ずる者が大きな顔をしていると見える。

啓蒙の時代の論議は、論者の狙いがどのよう
なものかを見抜くという興味があるように思う。
この狙いは、相当に複雑で、あるいは、狙いが
複雑というより、論じ方が複雑というべきかも
知れません。本来の狙いとは違う方面に
論議を広げておいて、実際に起こるべき事態を
避けようとする「狙い」があるようにも思うからです。
これではまるで、テニスではないか・・・・・?
なんていうことを言うと、流石に顰蹙を買い
そうですがね・・・・・・・・・
情況がうまくいっているからといって、
調子に乗って(乗せられて)プレーしていると
(といっても、何本かのボールカウントを
稼いだだけ、1、2ゲームとっただけ、が
多いのですがね)完全にテニスをとられてしまって
まるで自由が利かなくなる、で終わりという
マッチが経験されます。中級、上級の
テニスとはそのようなものです。技術が
何かが明確でないと、上級い、中級にさえ
到達できません。しかし、だからと言って
初めからそのようなことを知ってその域に
達しようとしても、確かな足取りで、階段を
登らねば達し得ないのですね。
上達への意思を強く持ち、意欲を燃やし、
失敗を恐れず、いや失敗をどんどん重ね
てなお怖れず怯まず、自信を大きく膨らま
して行く態度が、上達する者のあるべき姿
だと思います。ルソーの言うところを、私は
そのように理解するのですが。

2009/07/22 23:33:09 麻田佳明


さて、
少しここらで休みがてら、われわれの考え方を振り
返ってみようか・・・・・と思いますが・・・・・
あまりに個人的な思いが過ぎるかもしれませんが。

言霊は狙いであろうか。狙いを隠すのではないか。
したがって、狙いは怨霊と入れ替わる。言葉を
より適切にする激しい熱意、言葉を思考の道具とする
強い意思、人を鍛える発想ではなく、人は初めから完全
であるとする自然観、この自然を十全に生かそうとする
社会観をわれわれは育ててきたのかもしれない。
(この思いは、しっかりした調査研究に基づいた
裏づけをまったく持ちません。ただただいままで
生きて来て、何度も気付かされてきた思いの中で
もっとも頻度の多く、ある種やるせない思いが
付きまとって印象付けられたものです。)
しかし、あまりに経験的に過ぎるため、よほど都合が
悪くならないと、自然を見直そうとはしない。一度自然と
判定すると、つまり自然ではないとはずしたものには
目もくれないという怠惰な態度、思考に強靭さを求めない
独り善がりな態度があるように感じる。(ここでは
独り善がりは、非難の言葉では無い。特徴を指摘
する言葉として使っているつもりですが・・・・)

自分の都合を優先する。これはやむを得ないであろう。
問題は如何に優先させるか、また優先させる理由
をいかに説得するかである。いや説得の前に、
主張する意欲の強さ大きさを披露しなくてはならない
だろう。当然衝突する、主張の対抗戦となる。
が一通り対抗戦を戦えば、次の段階に進むしかない。
こうなってからが説得力の強弱が問題となって来る。
(むかし高杉晋作がとったという作戦が面白い。
「そもそも我が国は・・・・」と古事記だったか
日本書紀だったか、とにかく日本の歴史として
天皇の話しを次々とつなげて話し続ける
という作戦である)まあ一種のフェアプレーの精神
に似せて発想している。相手も自分と同じ手を
使ってくることは、当然とする発想ですね。

本格的に続く ①

2009/07/21 23:21:39 麻田佳明

しかし、学芸の歴史をあげて偶然に委ねることを
私に思い止まらせる理由があります。後世の
讃歌を一身に集めるような驚くべき成功を納めつつ
学問の発展に献身する人々は、いかなる国民、
いかなる時代にあっても、常に小数であるとはいえ、
この小数の人々の持つ気質および才能と同質の
気質と才能とが、当の学問の生成する国民の間に、
あらかじめ広く分有され、この事態が、学問の
発達過程のごく最初の時期から、それらのすぐれた
著作家たちの審美力と判断力とを生成させ、
形成し、そして、伸長させる下地となるということが
必ずなければなりません。・・・・芸術および学問
の生成と発達とにかんするわれわれの問題は、
小数の人間の審美力と天与の才と気質とに関する
問題に完全に始終する問題ではなく、一国民
全体の審美力と才幹と気質とに関する問題であり、
したがって、一般的な原因および原動力によって
説明することが、ある程度まで、可能です。
これこれの国民が、ある特定の時期に、近隣
諸国のいかなる国民よりも、文雅に勝り学芸に
優れているのは何故であるかということであれば、
それに対して適切な理由をあげることが可能で
あろうと、私は信じます。
この主題に関し、私が到達した一般的な法則は
4つあります。
第一法則:学芸が始めて生成する場合、いか
なる国民においてであれ、その国民が自由な
政体をのもたらす恵みを享受するのでなければ、
それは不可能である。
第二法則:多数の国家が互いに近接し合いながら
相互に独立を保ち、商業活動と政策とによって
結ばれ合う、という事態ほど、芸術と学問との
生成にとり、好都合なことはない。
第三法則:それらの高貴な植物が生成し成長する
のに適した唯一の場は自由な国家であるとはいえ、
芸術という植物も学問という植物も、移植という
ことになると、それはいかなる政体にも移植する
ことができます。そして、共和制の国家は学問の
発達に最も適しており、文明的な一人支配制
(君主制)の国家は芸術の発達に最も適しています。
第四法則:芸術と学問とは、いかなる国において
であれ、その国において完成に到達すると、
その瞬間から自然に、いやむしろ必然的に、
衰退へと向かい、しかも、かつて、芸術と学問と
が栄えた国においてそれが復活し再び栄えると
いうことはほとんどありません。」
以上です。これら4つの法則を解説する論は
ヒュームらしい特徴が良く現れているように私は
思いました。

・・・・・・で続く

2009/07/20 23:12:37 麻田佳明

実は、ヒュームの「市民国家について」には
1742年出版の「道徳および政治に関する
エッセイ集」第ニ巻にある「芸術および学問の生成と
進展について」が含まれている。この論文に、懸賞論文
のテーマが選ばれたヒントがあるし、ルソーの
論点探究の努力と工夫の理由があるように私には思え
ますので、少し紹介します。

(ヒュームらしく、前もって問題の制約などを点検します)
人間の営為によって成り立つ事象をわれわれが研究
する場合、偶然に帰し得る事象と原因に由来する
事象とを正確に区別すること以上に細心の注意を
必要とする事柄はありません。偶然と原因を区別
することは、必然的に、個々それぞれの出来事を
考察する際の個々それぞれの人間の弁別力の
如何に依存します。しかし、そのような区別を実際
に行うに当たり助けとなる一般原則は、その生起を
小数の人間に左右される事象は、大体において、
偶然、あるいは、隠れた未知の原因に帰すべきだが、
極めて多数の人間が関わっているのでなければ生起
せぬ事象は、一定の既知の原因によって説明できる
場合が少なくない、というものである。
この原則に基づいて判断するならば、一国における
重大な変化を理論的考察と経験的観察との主題として
取り上げる場合、国内的な原因による、しかも徐々に
進行して行く大変化の方が、国外的な原因による、
しかも、急激に進行する大変化よりも、主題として
より適切であるということになる。

学芸の歴史を辿るという主題ほど慎重に考察を
進めねばならぬ主題は無い。いかなる国家に
おいてであれ、学問の発展に献身する人々は
常にわずかであり、この人々を支配する情念は
さまざまの制約下に置かれます。また、その
審美力と判断力とはその本来の軌道を狂わさ
れやすく、その集中力は本の些細な出来事により
乱されます。ですから、偶然ないし隠れた未知
の原因は、あらゆる学芸の生成と発展に対し、
大きな力を必ずふるいます。(ここまでが前置
きでしょうね)

今日は雷がなったが・・・・・で続く(ルソー)

2009/07/20 00:06:40 麻田佳明

とはいえ、つぎのことは、私も認めます。
つまり悪が達しうべきほどの大きさにまで、
まだ大きくなっていないということです。永遠
の予見者(神)は、いろいろ有毒な植物と
並んで有益な薬草を置いたり、多くの有害な
動物の食物に、その動物の傷に対する
治療剤をいれておくことによって、自分の
代理人である主権者達に神の英知を真似る
ことを教えました。偉大な君主が学会を
作ったのはこの神の模範にならったからです。
これらの学会は、人間の知識という危険な
預かりものと、習俗という神聖な預かりものと
をあわせ委ねられており、学会内において、
習俗のまったき純潔性を維持し、学会の受け
入れる会員に習俗の純潔性を要求する
ことに、注意を払っていますから。
この学会制度は少なくとも文人達を統御
するに役立つでしょう。でも、学者の利益
のために設けられた施設が多ければ多い
ほど、学問の目的を誤らせ、才能ある人々
を学問研修に向けることが、よくできるだけ
です。ただつぎのことを問いたいと思います。
哲学とは何か。最も著名な哲学者達の
著作に含まれているものは何か。これらの
叡智の友達の与える教訓は何か、と。
自然が弟子にしようと定めた人達には、
教師は必要でなかったのです。ヴェルラム
(フランシス・ベーコン)、デカルト、ニュートン
のような人達、これらの人類の教師達は、
自らは師を持ちませんでした。彼らの広汎な
天賦の才によって到達したところまで、どん
な導き手が導いたのでしょうか。もし、若干の
人達に学問芸術の研究に従うことを認めな
ければならないとすると、これらの巨匠のあとを
独力でたどり進み、彼らを追い越す力を自覚
している人々に対してだけです。
天からそれほど偉大な才能を分かち与えら
れてもいず、多くの栄誉を受ける運命も与え
られていないわれわれ凡人は、世に埋もれたまま
にとどまっていましょう。人民達に、義務を教える
労は他人に任せて、われわれはわれわれの義務を
立派に果たすだけにとどめましょう。それ以上の
ことを、われわれは知る必要がないのです。
おお 徳よ!素朴な魂の崇高な学問よ!
お前を知るには多くの苦労と道具とが必要な
のだろうか。お前の原則はすべての人の心の
中に刻み込まれていはしないのか。お前の
掟を学には、自分自身の中に帰り、情念を
静めて自己の良心の声に耳を傾けるだけで
は十分ではないのか。ここにこそ真の哲学
がある。われわれはこれに満足することを知ろう。」

もう少しかな、梅雨明け・・・・で続く

2009/07/19 00:44:13 麻田佳明

1749年の激しく暑い夏の午後、ルソーは
ヴァンセンヌ城にとらわれていた友人ディドロを
訪う(二日目ごとに行っていたらしい)ために
パリを徒歩で出発する。ある日雑誌を持って
歩いていて、懸賞論文の事を知って霊感に
うたれたかの感を持つ。ディドロの助言を受けて、
つまり普通の人の立場では凡庸のものしか
書けないだろうと、ひねった論文を書く決意を
固めたらしい、というのが、立場の表明を書
かせた理由らしい。

文章は何のために書かれるのか。当然狙いがあり
目的がある。目的のための論もあるが、文が
目的にもなる。言葉の持つ働きが目的にもなる。
文が手段で、目的は別になることもある。
ルソーは、果たして何が目的だったのか。

論説第1部では、ソクラテスを例に引いて
精神の健全さを失うようでは、学問・芸術に
高い評価はできないと論じる。この論点は
ヒュームも当然良く承知をしていて、矛盾する
ことは無いと判断している。ルソーの方も
それは良く承知の上で、論を一捻りしている
(ように私は感じます)。
第2部では、学問や芸術の盛況が矛盾に
満ちていることを強調する。たとえば彫像や
絵画の傑作といえども、祖国の救国者や
国を富ました偉大な人をではなく、神話から
とられた心と理性の錯乱の像である。人間
に要求されるものは、もはや、誠実であるか
ないかではなくして、才能があるかないかです。
才人の受ける報酬は莫大なものですが、
徳のある人は依然として尊敬されません。
上手な論文には、多くの賞がありますが、
立派な行いにはなにもありません。ところで、
このアカデミーで賞を受ける、最も優れた
論文についている栄誉が、その賞を設けた
功績に匹敵するものかどうかを、誰か私に
言って欲しいものです。(ここらあたりは、
ルソーらしいのか、フランス文化らしいのか、
と興味を引かれます)賢者は決して幸運を
追い求めません。しかし、栄誉には無関心
ではありません。栄誉の配分が不公平で
あれば、ごくわずかの競争心によって励ま
され社会にとって有益なものとなるべき賢者の
徳は緩み、悲惨と忘却の中に消滅してしまう
でしょう。これこそ、いたるところで、有用な
才能よりも、気持ちの良い才能の方が尊重
されることから長い間に生まれるに違いない
効果であり、学問と芸術の再興以来の経験が
十分に確証していることに他なりません。

OB会報の訂正です。

2009/07/18 22:24:38 矢守 晃

男子部主務の矢守と申します。

お気付きになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、先日お送り
いたしましたOB会報に誤りがございます。深くお詫びを申し上げます。


4ページ目(2枚目の裏面)において、女子部の春季リーグ戦の
戦績の表を訂正させていただきます。

上部に記されている大学名が左から、大阪教育大学、京都大学、
京都教育大学、兵庫教育大学、甲南大学、京都女子大学となって
おりますが、次のように訂正いたします。

左から、神戸親和女子大学、佛教大学、京都女子大学、京都大
学、京都教育大学、和歌山大学です。


申し訳ございませんでした。これからもご援助をよろしくお願い
いたします。

失礼いたします。

せめて雷でなれば・・・・・で続き

2009/07/17 23:57:54 麻田佳明

それで思ったのだが、哲学者でスポーツパーソン、
というかスポーツパーソンで哲学愛好家は
どの程度存在するのか・・・と。ソクラテスは
ギリシャの内戦では兵士として頑張ったようだし、
美少年の愛好者(?)でもあったらしいが・・・・。
カントがテニスをしたとか、ニーチェがラグビー
選手だったとは聞かないし、・・・・。まあ、
私だけがなにも知らないのかもとも・・・・・
知らないことには口を出さないことが慎みで
あるから・・・・・・

それから、興味がつながってしまったのですが、
ルソーが書いたエッセーがあります。これが
ヒュームのエッセーとぶつかってくるのです。
で興味を感じるのですが・・・・
ジャン=ジャック・ルソーが有名になったのは
40才を前にする頃である。わずか30頁の
懸賞論文が一躍彼を有名人にしたのだった。
「学問芸術論」である。私は前川貞次郎訳の
岩波文庫本を読んでいる。
序文には「わたしがあえてとった立場が許され
がたいものであることは、前もって知っています。
どんな時代にも、その世紀、国土、社会の
見解にしたがうようにできているひとがいるも
のです。自分の世紀をこえて生きようと望む
ときには、そのような読者のために、決して
書いてはならないのです。」と書きます。
なにやら穏やかではありません。
ついで論説の前書きに「学問や芸術の復興は、
習俗を純化するのに役だったのでしょうか、
それとも習俗を腐敗させるのに役だったの
でしょうか。これがこれから検討しようとす
ることです。この問題で、私はどんな立場を
とるべきでしょうか。何も知らないが、それでも
自らに頼むところがある誠実な人間にふさわしい
立場です。・・・ヨーロッパのもっとも学識ある
団体の前で、学問をけなしたり、有名なアカデミー
において、無知をほめたり、学問研究への蔑視と
真の学者に対する尊敬とを和解させたりすることが、
どうしたらいったいできるのでしょうか。わたしは、
このような矛盾を知ってはいましたが、そのために
失望することはありませんでした。」と続けます。
どうも一筋縄では行かない予感をあたえますね。

1750年度のディジョン・アカデミー懸賞課題
「学問と芸術の復興は、習俗の純化に寄与したか」
にルソーが応募して当選した論文のことである。

まだのようですね・・・・で続きの続き

2009/07/16 23:25:34 麻田佳明


悪しき奢侈の方は一掃しながら怠惰や他人に対する
無頓着に関してはそのままに放置しておくという
ことをすれば、その国における生産活動を減退させ
るということになるだけでして、人々の次善心や
気前の良い態度を深め広げて行くということには、
いささかもなりません。ですから、互いに相殺の
関係にある悪徳の存在している場合の方がどちらか
一つだけしか存在せぬ場合よりもその国家にとっては
より有益である、というところで主張の牙を収めるべき
でありまして、悪徳それ自体が国家にとって有益で
あるなどとは間違っても断言すべきではありません。
為政者に可能なのは十中の八、九まで、ある悪徳
を除くために別の悪徳を以ってするということに
限られています。そしてそのような場合に彼のなす
べき事柄はその社会にとって害悪の最も少ないような
悪徳を選択するということです。生活洗練はもし
それが度を過ごすようになると、多くの害悪の
源泉となります。ですが、一般的にいうと、怠惰や
無為よりはまさります。というのは、生活洗練と入れ
替わりに通例やってくるのが怠惰と無為ですが、
この二つは私人と国家との双方にとってより
いっそう有害であるからです。」
と論じます。どうも私には、ちょっと論理的というよりは、
感情的な思いが強いように感じますが、江戸時代の
鋭い感覚と思えば十分心を打たれるように私には
思えるのです。狙いどころが良く分かるように
感じるのですが・・・・・・・

実は、岩波文庫「市民の国について」の序文は
安倍能成が書いている。1952年五月三十日
奈良京都の旅から帰った夜 と記して
「小松茂夫君が・・・・・私が第一高等学校の
校長をした時の生徒で・・・・」と書いているのです。
そして面白く感じたのは
「高等学校時代には身体が長大なのに級中でも
年少であり、陸上競技部の選手で、しかも
成績は大てい首席だったので、・・・・・・一高の
陸上競技部はある時にはだらけたこともある
ようだが、小松君らの時分には青年らしい一種の
理想主義が支配していて、小松君ほか・・・・
小松君は殊にむきで努力家であり、軍隊に入って
後も、いつも幹部のだらしなさと不真面目とを
慷慨していた。・・・」と紹介している。

まだのような・・・・で続き

2009/07/16 00:51:41 麻田佳明

生産への熱意、知識に対する欲求、人間らし感情、
この三者は私人の生活においてだけ有益であるの
ではありません。それら三者はその有益な影響を
公生活にも及ぼし、私人の生活を幸福で富裕に
するだけでなく同時に、その国の政府をも強大で
隆盛にします。いいかえると、人生を装飾し喜び
あるものとするのに役立つ一切の財貨が増大し
広く消費されるようになるならばそれは社会に
とっても有益です。
政治技術の分野における知識の探究は、人間
の性状に即した原則に基づく支配が、苛酷で
峻厳な支配に勝ることを人々に教え、そのこと
を通じて政治的支配における寛容と穏健とを
自然に生ぜしめます。人々の知識が進むと
同時にその気質が和らぐようになると、党争は
宿怨の深さを和らげ、革命もそれほど悲劇を生まず、
権力もそれほど苛烈ではなく、反乱ないし暴動も
それほど頻繁でなくなります。(さすがにここらあたりは
願いであったようですが・・・・・)
時代の非を鳴らし、遠い祖先たちの美徳を
讃えるというのは人間的自然に先天的にそな
わっているといってもよい一つの傾向です。
それに、後代に伝わるのは文明の時代に
形作られた意見や見解だけです。そこで、
生活の洗練に、それどころか、学問にさえ
反対を唱えるひどくてきびしい批判に、しかも、
欠くも多数出くわすということになるのですし、
また、今日われわれがそうした批判をいとも
やすやすと受け入れるということにもなるのです。」

第2の論点については・・・・
「悪しき奢侈(生活洗練)とは・・・
その満足がいかに感覚的なものであろうとも、ある喜びに
その人が満足を覚えるということそれ自体を目して
悪徳であるとすることはできません。そのような喜び
ないし満足が悪徳となるのは、その満足を得るために
その人が自分の財布のすべてをはたいてしまい、彼の
地位や財産からして当然なすべき義務や気前の良さ
を行ったり示したりすることがまったく不可能となるという
場合だけです。もし悪しき奢侈が存在しなかったならば、
それに充てられていた労働はまったく使用されなかった
であろう、と主張するのは、人間的自然には、怠惰、
利己、他人に対する無頓着、という奢侈以外の悪徳が
存在しており、奢侈はそれらの悪徳を矯正する役割を
ある程度まで果たしている、いいかえると、ある毒は
別の毒の解毒剤たり得る、ということを主張している
に過ぎません。しかし、善徳は健全な食品と同様です。
どのように他の毒により解毒の処置が施されていようとも、
有毒の悪徳より善徳がまさります。

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