蒼穹掲示板

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私は少し読み違えていたようです

2007/01/24 00:15:35 麻田佳明

現役諸君の、特に、1,2回生の試験は
たけなわのようです。3,4回生は
もう少し後になるのかな。
2月上旬を過ぎるまで、試験に取り組む事になる
のでしょう。その間、ランニングだけは
欠かさないで鍛えて欲しいです。
いや、素振りもしっかりやって欲しいと
思いますが。膝を緩めた柔らかい素振りが
欲しいです。
素振りをどこまで高度に行えるか。
私も、いろいろ考えているのですが、
これという決定的なものが見つかりません。
先ほども、一つみつけたことがありますが、
剣道の素振りと同じで、工夫に工夫を重ねる事が
大切でしょう。
グリップだけを切り取って手に持ち、道すがら
いろいろ振ってみるというのも何かが掴めるきっかけが
得られる可能性を持っています。
私は、部屋の中で、硬式のラケットを
使って素振りをしています。
家内が、怒って「そのうち、おとーさんは、
きっと私を殴るに違いない!」と
非難しています。
いえ決して、そのような事はしません!と
自信を持っています。
が、が、しかし、何が起こるか分かりません。

宝塚のカラオケのオーナーが、消防士の妻の父親で、
消防署員がカラオケを利用していたという報道が
ありましたが。
承知の上のことというのは、必ず天罰を食らいますね。
やはり家内は正しい。
ということで、もう家内のいる前では、素振りを止めましょう。
(単なる恐妻家なんです)

やっと、

2007/01/23 03:01:02 麻田佳明

とりわけ日本では決定的であった。日本のエートスの問題
は「魂」の問題である。日本では、「近代主義の見直し」
の他に「対米関係の見直し」もある。魂の問題を
個人の好き嫌いに解消してしまったのでは、社会性や
公共性はもう出て来ない。アメリカの占領政策の
基本姿勢が「公式的な言語表現」の基本的方向を
定めたからである。これによって、個人的自由と
民主主義が絶対となった。道徳的評価は社会的強要であり、
危険なものとされる。そもそも善悪を、美醜を「公共的に」
論じる事があらかじめ排除されてしまっている。
価値を社会と伝統に結びつける事を拒否している。
(というのだが、学問としてはどうなのか、私には
皆目理解できない。職人であれ、企業人であれ、
あるいは商人であれ、何か仕事を通して感じている事
を整理して自分の倫理観と比較して、日本を語る、訴える
論説ならよく理解できる。学者の「日本人に告ぐ!」かな。
愛国者としての気持ちは理解できても、学問の論理
としては理解できないと感じます。)

で、武士道となるのです。新渡戸稲造の予想と同じく、
武士道の道徳としての習慣は忘れ去られるが、記憶は
残るだろう。さすれば、「絶対的なもの」を明示的に
持たない我が国の精神的伝統を眺めた場合、仏教的
無情観、儒教的道徳観、日本的自然観を備えた「士道」
を、我々の「魂の復興」に据えるほかにはなかろう、
と結論します。

ずいぶん時間が経っているのではないでしょうかね。
評判がよかったのか、関岡さんが是非にと選んだのか。
・・・・・・・

もっとよく考え、粘り抜いて、考え抜いて、
生きて来た日本人は多いのではないでしょうか。
殺人事件、学校現場の事件、道徳崩壊の断面、
・・・・はマスコミの商売の種です。がしかし、
果たして、報道はどこまで真実に迫っているのでしょうか。
社会をどのように我々に理解させているのでしょう。
選挙がどこまで人気投票になっているか。理非を論ずるより、
勢力の消長や人気の動向を報じて煽る方が商売になる
のではないですか。発行部数が多過ぎれば、報道の意味は
変質しませんか。学問は社会のリトマス紙の役を果たしませんか。
NHKが「公共放送」の定義をなぜ常に国民に
監視させないのでしょう。兵士が民主主義を学んだとき、
守るべき国家と国民に目覚めたとき、国防省は
反乱軍の本部となりませんか。その時に備えて、防衛軍
を養っておくのでしょうか。
どのような思想であれ、議論を戦わし、
競っていかなければ、役に立つものは生まれないのでは。

せめて、大学では、そのような議論を実践していて欲しい
と思うのです。

やり直しています

2007/01/23 02:58:26 麻田佳明

巻頭特別収録:近代主義の堕落と「魂の復興」
(「武士道」という日本人が持つ記憶の意味)
なんですよ。佐伯啓思さんの論文です。
初出は「正論」2000年6月号、「文藝別冊
武士道入門 なぜいま武士道なのか」と書いてあります。
私は、このような言説にどうも疑問を感じてしまうのです。
学者だから、いろいろな知識を踏まえて、論理を操って、
国民のために、正しい方向を指し示すのだ、と
読んでしまいます。と、一体全体、どう言うことなのだ、
と疑問を感じてしまいます。進むべき進路、正しい方向、
正義の定義、日本の価値、・・・。これを考える、考え抜く。
多くの人が求めることです。じっくり聞きたいです。なるほどね。
ううーーん。ありがとうございます。ではまた頑張ってください。
期待していますよ。私にできる事があれば、お手伝いしますよ。
いえ、何も余裕や能力があるわけではないのですが。
同じ日本人として、一緒に進みたいからです。
明治維新を迎えて、各地に民権を考える人々が出て来ました。
政府は、統治に自信を持てるか、不安を抱えていました。
政治権力は、軍事的権力をどこまで押さえるかが、
統治能力を問われます。権力の由来をどこまで整合的に
合意できるか、結局不十分ながら、いやそれは承知の上で、
どうせ不可能だからと、権力は暴走します。反権力は叩き潰され、
見せしめがおおっぴらとなります。せめて、学問が
正逆を明らかにしなければ、国とはならないでしょう。
報道と言論の自由および学問の自由は国を成立させる
不可欠の要素と考えたいですね。「スポーツの自由」という
概念はありませんが、私は、そう呼びたいのです。
学問、芸術、スポーツの自由です。個人の勝手ではありません。
学者の権力=「責任」という煽動力 を考えるわけではありません。

この半世紀、日本は根拠もなければ妥当性もない
平和主義に支配されてきた。情緒的なイデオロギー
なのに。人間の思考の枠組みは、単純な図式だ。
アメリカ的に簡単化された西欧思想(抑圧からの解放と
脱国家化)である。一言では「進歩」だ。これを
真に受けた日本の現状は、保守も革新もないまぜの、
進歩賛成か反対かになってしまった。反対派は、ナショナリスト
と敵視された。しかしナショナリストという言葉に
意味はない。反動のイメージを塗り込めればよいだけだ。
進歩は親米かと非難されると、普遍だからとすり抜ける。
しかし、これこそ20世紀初頭の西欧の哲学がぶつかった
大問題だ。「近代主義の堕落」。「近代的理想」は、むしろ
人間の倫理観や責任の意思を崩壊させることによって、
無責任で利己的、場当たり的で快楽主義的かつ自己中心的
な多数を生み出して行く。エートスの欠如が問題となっていた。
西欧近代主義の1つの理想である
社会主義は1991年のソ連・東欧の崩壊で
失墜した。もう1つの理想のアメリカニズムは
どうなのか。堕落からは逃れられないはずだ。

いえね、それで、・・・・、なんと言うか、・・・・

2007/01/23 02:57:03 麻田佳明

長すぎて拒否されていますが

で、何と言ったらよいのか、・・・・????

2007/01/23 01:23:10 麻田佳明

part1 アメリカに「国益」を売った者の正体!
紺谷典子さんへのインタヴュー
誰のための「構造改革」だったのか?
よくいわれている内容のように思います。
分かりやすい。
森田実さん、副島隆彦さんへのインタヴューは
自分の立つ位置が明確で主張が理解しやすい。
気概や戦略を持つことが一人前の存在であるとい
うことでしょう。
緊急レポート:竹中平蔵・宮内義彦の研究
中田安彦さんの報告です。
「アメリカ帝国」と表現します。その中の権力構造、
戦略、政治進路を概略します。CFR(Council
on Forreign Relaition)とネットワークが
エスタブリッシュメントを構成する。The Trilaterial
CommissionとかBilderberg Group など幾多の
インナー・サークルが世界を動かしているという。
このような準備をして、お二人の役割を解説します。
しかし解説が的を射たものであっても、それが
正義や倫理とどのように関係するのかはまったく不明です。
怒りに火がつく、何かきっかけでも生まれるのでしょうか。
最後に、構造改革の過程で行われた官僚バッシングのおかげで
実力本意の時代が開けた。二人が、アメリカに影響力を
求めざるを得なかったのは、日本の閉鎖性が原因だ。
国民と指導者は、これをきっかけに
アメリカに「言われたらやる」のではなく、
国益にとって大事なものを議論しなくてはならない。
アメリカが意図の裏側を見抜くのだ。財界の
過度の利益主義に歯止めをかける政治家よ出でよ、という。
こういうことは、勉強する中で、学生各人が考え決心する
はずだと私は思う。
part2 「グローバリゼーション」という名の虚構
まあ、これだけではどうにも、私は煽られないですね。
part3 日本人が「美しさ」を取り戻すために
ファスト風土化、教育格差、殺人マンション、危ない牛肉、
消費者金融の金利、など関連の内容です。
アメリカの策謀だ!という声は結構有ったが。
さて、内政干渉なのかどうか。これを当のアメリカと
論争することは?世界的に味方を募る行動は?
それがない。横田さんの論文は有るが。
巻末特別収録 保守論壇を叱る(経済と政治は一体である)
西尾幹二さんの論文です。
日本の経済には、牙がない、と声をあげるのです。
戦後の経済再建と、予想以上の発展に、ちょっと
苦言を呈しておられるのでしょうか。
中国の経済発展に裏がある(いんちきがある)という。
日本もよく言われましたが。人権無視(戸籍制度による
農村戸籍所有者の奴隷労働、個人情報ファイル
「档案(とうあん)」による共産党の人民管理、
土地の私有がない=共産党は世界最大の地主)だ。
アメリカと中国の経済の牙に挟まれて日本の経済に
牙がないのでは困る。100年前と同じく、近代国家
日本が前近代国家を解放し指導するため、経済が
政治力を持つべきだという。
(若者はしっかり勉強し、きちんと考え抜く力を
付けないと力にならんぞ、と言うしかないが・・・。
ああせい!、こうせい!、とは言わないし、言えない。
私はこうする、ああするとは言うよ。)

済みませんね・・・・。長いわ・・・・。

合理的計算  が、を、は・・・・???

2007/01/23 00:23:47 麻田佳明

どう考えればよいのか・・・と考えて・・・・??

イラクのアメリカ軍の1ヶ月の経費が
1兆円を超えている。16万人の兵士なら
625万円/兵士・月 である。とりあえず
12兆円の追加予算を議会に求めている。
で、アメリカ国民はどのように考え、どのように
結論を出すのか?

米国の日本への要求内容と要求態度への関心が
一部声高に言う人がいるらしい。マスコミは
あまり報道しないらしい。

イースト・プレス発行、
「拒否できない日本」著者関岡英之+イースト・プレス
特別取材斑 編 
「アメリカの 日本改造計画
マスコミが書けない「日米論」」
を読みました。
日米論ではないですね。日本人への恨み節ではないでしょうか。
図式とか、読みとか、という類いは、人を煽るときに
使われる常套手段ですが、人に訴えるというときには
自然と控えられる手段です。という事に思いが行きます。

巻頭ダブル対談:小林よしのり、佐藤優に対する関岡さんの
インタヴューです。親米保守の思考停止とか戦前日本の
知的遺産の封印という表現が意味するものがよく理解できない。
巻末特別インタビュー:西部邁に対する関岡さんのインタヴュー
です。国際法を遵守しないアメリカこそ「ならず者国家だ!」
と言いますが、朝まで生テレビを思い出しました。
北海道出身で、北海道は内地の食いつめ者が流れて行った
ところで、その北海道人として、人間の伝統意識や感覚
がアメリカ人に欠けているのはアメリカ人が悪いのではない、
アメリカというのは、そういう国だとみなさなくていけない
という。つまり歴史的試練に耐えられるものは何もない。
世界を感動させるものがない。そこを戦後の日本は
理解していない。これが問題の本質だ。(これだけでは
どうにも議論できる内容がないと私は思う。でも
面白い発想はありますね。)自由・平等・博愛というのは、
価値ではあるけど「理想的価値」であって、「現実的価値」
とは別物である。この理想と現実のバランスをとることが
問題です。バランス感覚をもってポリシーを
発することは、合理主義からは出て来ない。知行合一からだ。
これは明確には教えられないが、さりげなく示唆してくれる
伝統に頼るしかない。人間は間違えるから議論が必要になる。
民主主義だからというのではなく、歴史感覚を生かしながら、
間違わないように進むために議論するのだ。これが
議会民主主義だ。言葉からしてきちんと使わないと。
ヨーロッパとアメリカは違う。(ここら辺りは
いかにも西部さんらしく感じます。)岸信介誤解していた。
彼が死んだとき、「中央公論」に岸が正しかったと書いた。
という。

またまた長くなりました。

 

なぜ試験にトラブルが起こるのでしょうか

2007/01/21 23:39:41 麻田佳明

センター試験の英語の聞き取りに使用する
イヤホーン装置の不具合が報道されています。
雪印、不二家、おたべなどの食品を初め
メーカーのどうにも説明のつかない
反社会行為とともに考え込んでしまいます。
なぜ起こるのか?原因は一つしかありません。
承知の上の行為です。それを証明しようと
躍起になっても、証明させまいと当の
組織は動きます。そこにはいわゆる社会人は
不在です。

正しいとは、正義とは?
どのように定義するのか?
定義が明確にできなければ、どれだけ議論しても
問題は明確にならない。解決はできない。
何が正しいかと答えることはできないが、少なくとも
私はそれについて知らないということは知っている。

こんなことを言われたら、
社会の指導者は、頭に来るでしょう。

難しかったです。冒頭から、一体この「国家」は
どのような書物なのかと質問の声があいつぎました。
幸い明るい人がいて、親切に解説をしてもらえるので、
しだいに輪郭が見えてくるような気がするようになりました。
これだけで、2時間ばかり費やしましたが。
予定では170ページほど進むはずでしたが、
実際に進んだのは27ページでした。

プラトンのイデアなるものは、現代科学の言葉で言えば
遺伝子である、なんて解説する人まで出て来て、わたしは
大混乱でした。多くの賛同者がいましたが、私は
ちょっとおかしいと反論しました。

まあ、今年一年は、結構いろいろ意見の不一致を
経験しそうです。まあ、退屈しないで済むのかもしれませんが
面倒であることも覚悟しなくてはならないかも
知れませんね。

トラシュマコスのソクラテス批判なんて
実に真っ当なものです。こんなことを初めから
書いておいて、じっくりひっくり返してやろうなんて
いう代物に格闘するのは、よほどの暇人!!だと
罵ってみましたが、私も含めて、結構暇人が多いもので
「いやこういう内容を学校で勉強させるのが
よいのだ」と切り返されてしまいました。

そういえば、今日の朝日新聞朝刊の読書案内の
初めのページは、論理的思考を進める著書ばかり
紹介していました。これも時代的な・・・・・・??

入学試験の季節です

2007/01/20 23:56:14 麻田佳明

入学定員と進学希望者数が一致する時代になりました。
シャッフルが上手く行くと良いのでしょうが、
完全というわけにはいかないはずです。偶然という
道は存在するはずですが。
お見合いという日本ならでの方法は
今だ開発されていないようです。
家元制による進学方法というのも
今だ完成はしていません。完成の見込みもありませんが。
残された伝統的方法は、談合による進学でしょうか。
利権がどうなるか、私はおよそ考えられない世界ですが。

春になって、コートを興味深く覗く新入生が
現れてくれることを切に祈るばかりです。
偶然にも(決して避けることなく)希望を
託して、自分の道を自ら切り開く気概を持って
コートに乗り込んで来る若者を待ちましょう。

明日の読書会を控え、受験生さながらに、徹夜勉強
一夜漬けでプラトンを読んでいました。
ソクラテスのせいなのか、プラトンの才能なのか、
「国家」の難しいことにため息をついています。
「汝自身を知れ」というソクラテスは
知識の広さと競争での勝利を競う勝ち組みに対して
激しい憎悪の念と相討ちを狙うかのような態度への
怖れを論争相手に抱かせたと思います。
でも、ソクラテス的なるものは、自死的刑死を招きました。
勝ち組み的恨みを持った者は世間的な評価のうちに
葬られています。イエスキリストは神ですから、同じといっては
間違いなのでしょうが、私はソクラテス的な死に含めます。

論争での正義派あるいは正当派はソクラテス的
になるのではないでしょうか。
このような裂け目を見ていると、
もっと穏やかな存在として釈迦的なるものが見えてきます。

なんでも無から原因もなく生え出て来るのがわれわれの世界です。
釈迦的なるものに(釈迦とは無関係に)惹かれるのも
自然なことと思われます。

釈迦とソクラテスが会するならば、一体どのような
言葉が交わされるのでしょうか・・・・・・・・

お遊びが過ぎるかも知れませんが

2007/01/19 00:10:31 麻田佳明

フォアハンドかバックハンドは
S(3,18)と(3,18)S で書き分ける。
こちらの球と相手の球は
(2,15)と(2/15)で書き分ける。
ヴォレーやスマッシュをどうするか。
やはり、自分を始点にコースを座標表示するので
よいだろう。ストロークと区別するのはどうするかな。
また前衛と後衛のプレーをどう区別するか。
まああまり神経質になっても問題を見失うだろうから
大まかでよいのだが。

中央新書 1853 根井雅弘さんの
「物語 現代経済学(多様な経済思想の世界へ)」
を読みました。知らない事ばかりで好奇心を
大いに刺激されました。面白かったです。
経済学という学問がどのようなものかを知ろうという
向きには、あまり興味はないかもしれませんが。
アメリカの経済学界もしくは学会動向から
はじめるというのは現在の日本の学界を照明する
必要があるからでしょう。
経済思想のいろいろ、といっても主流派に対する
諸派の存在を世に知らしめたいという事のようです。
世の人が経済学を誤解しないようにと。
第二章から第七章まで楽しく読みました。
どうしても、思想よりも学問の発展と論争・議論に
興味がありますから、経済学とはなにかの
奥行きの深さという問題意識に私はとらわれます。
しかし根井さんは多様性の意義に始終します。

第八章は「ノーベル経済学賞の憂鬱」です。
ノーベル賞ではなく、ノーベル記念「スウェーデン銀行経済学賞」
であるという。銀行がノーベル財団に基金を寄託して作られた
もの。ノーベル自身の遺言ではない。それにしてもと
根井さんは、思想的偏向が(というより、偏向的思想の
排除が)強いのではないかと言います。

エピローグ「経済学の多様性を求めて」
冒頭で
「経済思想は多様であるからこそ価値がある−−−
経済学以外の・・・学んだ人たちのなかには、
なぜこのような有り触れたことを強調するのか
訝しがる向きもあるかもしれないが、主流派経済学
の支配する学会のなかで、その考え方に会えて異を
となえるような研究者は、いわば「いばらの道」を
選択するに等しかった事情を理解して欲しいと思う。」
と書いています。

経済思想の多様性と、経済学の多様性の(敢えて言えば
「巧みな」使い分けとも感じます)区別が欲しいと思いました。
思想の衝突は、文明の衝突にもなるのかもしれません。
学問での衝突は、多様性で棲み分けるものでしょうか。
思想の衝突も、学問では、限界を感じるかもしれないでしょうが、
全力で戦えるのではないでしょうか。学問は、バベルの塔
にはならないと私は思うのです。
サイエンスとしての経済学は、思想の衝突を
学問として戦いにするのではないでしょうか。
このように思うと、この本の主張は、なにか
弱音というか、独り言というか、疲れというか、
仲間内のお喋り、したがって独立法人化の
落し子のように感じますね。

日本の学問は、家元制が歴史的なものと感じます。
これなら、棲み分けが当然です。お弟子さんが
うろうろするだけです。社会の豊かさを証明する
ことができます。「家元制の科学」を発明する日本人
ですかね。「ファースト・サイエンス」になるかな。

L(−5,20)、S(3,15)なんてどうかな

2007/01/18 01:29:09 麻田佳明

矢印を使ってコート上のボールの行き来を
考えることもできる。
コート上に座標を与えて、どこからどこへボールが
移動したか、始点と終点を記載すればよい。
簡単に言えば、コートの図の中に軌跡を書き込む
ことだ。しかしこのような図を見て何を得る事ができるか
を考えると、もっと整理して考えるべき内容を
絞った方がよいと思いつく。

左右同じように処理できるというのは前提にしづらい。
自分の身体の位置を基準に、どこへ打つかを考えるのが
有益であろう。その上で相手に対する攻撃性を
考えることができるとよいであろう。

座標としてはちょっと複雑になるかもしれない。
簡単化が、不慣れなために、複雑と感じる。
ベースラインの中央を原点と定め、1つの
座標軸をベースラインに平行にとる。フォアの方向へ
+、バックの方へ−ととる。もう1つの座標を
ベースラインに直角方向にとり、相手側へ+、自分の側へ
−ととる。距離の単位は任意でよいが、単純に
長さをメートル単位で表示してもよい。

将棋の座標と囲碁の座標になじんでいる人も多い。
右左の違いはあっても、相手に対する攻撃を
優先しているのであろうか。あるいは防御を優先して
深さを意識しているのであろうか。

相手の打つ球も、自分の打つ球も、1つの表示に
する方が、ラリーでの関係が分かりやすいか。
相手は相手で自分用の座標を使うことにすると
どちらも自分の打つ球の表示が同じ表示になって
比較しやすい。ラリーを考えるときは、相手の
座標を反対符号に変えればよい。つまり逆符号の球
として扱えばよい。

空高く軌跡を取るか(L)、低い弾道をとるか(S)、正確な
球筋を優先して安全に相手コートに返すか(座標だけ)、
ラケットに当てるだけでコントロールはコートから
飛び出さないだけなのか(F)、コントロールが
相手前衛にぶつけるしかないほどのほとんど
効かないものか(ぶつけた場合にのみストローク
とカウントされる)(B)、ミスショット(M)の区別を
表示してもよいだろう。

どのストロークも、原点を始点として、終点の座標を
表示に使う事にする。

ストレートのシュートの打ち合いは(こちらから打ち出して)
S(0,15)、S(1,16)、S(1,14)、
S´(0,14)、S(−0.5,19)、・・・・
なんてのはどうかな。(ダッシュは、バックハンド
ストロークを表す)
真っ直ぐ打ったら、バック側に1m下げられた。
回り込んで短めに打ち返すと、バックハンドで
速く打ち返してきた。
フォアに1歩進んで巻き込み加減で長くシュートを打った。
・・・・・
打ってから、相手の球にどのように対処するか
動きと共に考えやすいことはないだろうか。
(ややこしい!  かも知れない・・・・)

いまさらながら「横文字は」ですが

2007/01/17 00:57:25 麻田佳明

「改革なくして、成長なし」、
「人生いろいろ、会社もいろいろ」、
「これくらいの違反は大したことない」
などたいへん分かりやすい言葉が
踊っていたのが、一転、言語明瞭意味不明と
いうと事実とは違うという、丁寧な言葉で
論争を避け押し通す流儀になりました。事実
法案成立は大した本数と率です。ただちょっと
分かり難いのが横文字がたいへん多いことです。

サラリーマン・イグゼンプション
この言葉はどういう経過で作られたのでしょうか、
ちょっと考えさせられるように思います。
普通に免除というと、義務からの免除を
考えますが、残業代を免除してもらうという
表現はどういう意味なのかと不思議に感じるのです。

いわゆる米国からの要請ということで
政府が法案提出しているのかどうか私は
確かめていないので、これ以上考えることは
意味のないことになりそうですが。

年収900万円以上の被雇用者が「残業代を
免除される=免除してもらえる」というのも
変だし、雇用者が「残業代支払いを
考えなくてもよい」というのも何だか
変に感じます。社会の成り立ちを考えると
もっと取り引きや遣り取りがあってよいはずだし、
競争があるはずです。この中間項が見えないまま
政治家によって国会で法案審議になるという経過が
理解できない。政府の腹1つで、どのような政治でも
行えるというのも理解しがたい。たとえ、それが
議会民主主義と議院内閣制の原理なのだと説明されてもです。

それでふと思ったのです。
一種の「徳政令」というものではないかと。
誰が得をするか、誰が損をするか。
つまるところ損得の対立を権力が仲裁する。
ややこしい問題を簡単に片付けて目的の商売を
円滑に行いたい。利用できる権力なら急きたてて
法律を作らせればよい。このようなことは歴史上
どこの国にもよくあった事です。歴史は繰り返す。
横文字は歴史を隠してくれそうです。

クールサンダーもなんか歴史にあったのだろうね。
(根性だ!というのをはばかっているのかもね)

迫力がありました

2007/01/16 01:17:49 麻田佳明

日曜日の第25回都道府県対抗女子駅伝の中継を
TVで観戦していました。
1区の終盤近くまで、けん制してか
スローペースの集団の争いから迫力を感じました。
千葉県の走者の静かな走りにうっとりしていました。
トップの愛媛清家選手の力強さは迫力ありました。
1区で驚いてはいてはとてものことではないと
この時点ではまったく分かりませんでした。
2区兵庫の小林選手の伸びやかで力強いフォームには
圧倒されました。そして3区。愛知の鈴木選手の
柔らかでバネのある、チーターの走りかペンギンやアシカの
泳ぎか、ゴムマリが跳ね飛んでいるような走りには
度肝を抜かれました。男子にはこのような走りは
無理ではないかと。小さな子供にはあるかもしれない。
体重の割りにすべての筋肉がすばらしく強い。
筋肉を強くするには、骨組みを強くする。となると
重くなる。小さい時期にのみ可能な能力の開花と思いました。

4、5、6区と画面には見えなかったのですが、京都が
順位を上げている情報が入ります。追い上げることが
可能なのかと信じられません。

岡山が強い。監督は優勝を確信している様子。

9区。すごかったですね。
兵庫の追い上げ。西大路をどんどん下る中での
追い上げ。確かに、追い上げても下りで足に負担が
掛かる。それが西京極への最後の道程でどこまで
耐えられるか。岡山が3位へ置いておかれて、
京都との一気打ち。勝又選手が一気に抜こうとしたとき
木崎選手は落ち着いて付いて行きました。読んでいたのか
分かっていたのか。わずかな上りになったとたん
ピッチ走法のピッチが上がりました。スピードが
それほどあるとは見えていなかったので、
なるほどピッチ走法とはこういうものかと
驚きました。浦田選手が競技場で2位になったのには
驚きました。

トップランナーの数がどのくらいなのか。
各県での選抜が10倍程度として、5000人くらいの
ランナーから選ばれてくる。そのなかの
10名くらいでしょうか。50万人くらいの中から
選ばれてくるのであれば、すごいものです。
それでも、予想もしない高水準のレースでした。

なんでも複雑といえば複雑ですが

2007/01/15 01:06:11 麻田佳明

複雑なことを、簡単にしてどうするか
行動を決意しなくては本来の
つまり勝つためのプレーができない。
これじゃあ、陽明学になってしまうかもしれない。
簡単に見えることが、そのまま
簡単あるいは単純に見えると
行動も簡単でやりやすい。で実行してみると
勝ってしまう。これでよいのだと
自信を持ってどんどん勝ってしまう。
どうだ、強いだろう。もともとから強いのだ。
いわゆる天狗になると、とたんに
高い鼻がぽきんと折れる。
普通は、それほど実績を出さないうちに
鼻を高くして、これでよし程度のところで
ぽきんとなる。

結局、相当のところまで進むには
どうするのか。特に実績もないうちから
鼻を折られないようにと先回りしようとする
怖がりが出て来ることになる。

こんなことから、結構複雑な思いにとらわれて
何やら難しく考えることになる。
自由放任で鍛えられるとはいかない。
乳母日傘で育てて欲しいとなる。
いや、育てようとなる。
金に糸目はつけない。ならまだしも、
猫も杓子もということになると
(それほど人数がおらないから、
結局すべてをとなるためだが)、
論理的矛盾が現れてくる。がそれには
誰も目を向けない。

複雑になる。
簡単なことも複雑になる。
もとの簡単なことが見えなくなる。
いや、やっぱり複雑になったのか。
(こんなことを、数学的にではなく、
哲学的に結論できるとするのが
弁証法なのか?)

本質、普遍性、・・・などの言葉
の使用をどの程度うるさく論じているのだろうか、
今の世は・・・・・。
「個人の好み」からすべてを出発させて
納得が行くのだろうか?

まだまだ考えないと

2007/01/13 00:38:43 麻田佳明

結論は出ませんが。

強いテニス。結果を求める。途中どんなに苦しんでも
狙った目標をはずさないでなんとか手にする。
自信がなくても、途中の気持ちがどれほど
振れ動き縮み上がっても、泥だらけという
無様さを味わっても、どこまでもしがみついて
目標に迫る。目標に達する。完成させる。

うーーん。このような表現を使うと
精神力を強くして、精神力を持って
戦えばよいのだ。となってしまいそうで困る。
強い気持ちが不合理でないといけない。不合理こそ
強さの現れと考えてしまいそうになるのが困る。

合理と強さを無理なく重ねる上手い表現がない。

強いから合理である。合理だから強い。
このような内容の表現はないものか。

合理的に勝つのであれば、特段の力は要らない。
はず。となる道を塞がずばなるまい。
力がなくて勝てるのが、合理的な勝ち方であろう。
となる道を塞がねばなるまい。

力なくして勝つ。という場合もある。いやあるはずだ。
現実にそのような勝ち方をしてしまうときもある。
といって、すべての勝ちが、合理なら、力は要るまい。
とはならない。そこを、なるはずとするのは、一体
どのような考え方なのか。この道を塞ぐ。

クールサンダーはそのようなことを考えている。
力を持てと要求している。
しかし、力は見せるなとしている。
そして、力は見せるものだとしている。
音を出さなくてもよいとしている。
ぴかっと光るだけでよいとしている。
夜に光るだけでよい。昼間は光らなくても
よいとしている。
必要なプレーだけを静かに行えばよいとしている。
プレーはゆっくり、素早く、目にも止まらぬ速さ、
なんでもよい。ぴしゃりと必要なことだけをやればよい
としている。必要なことを少しでもやり損じないように
求めている。
練習を相当厳しく積んでおかないと
不可能なことは当然のこととしている。
厳しくても激しくても辛くてもよほどスタミナが
用意されなくてはならぬとしても、合理的な
方法ではないかと考えてのことである。

試験が迫って来ている。大学生活の本番とも言える
時期であるだろう。試験もテニスもでは
無理なことになる。当然であろう。
合理はどこにあるとなるかもしれない。
合理をどこに置くか。ここに置こうと自分の
決意があるのではないか。

合理は(あくまで、自分一人の合理の置き場所
だが)あるとして、試験とテニスに真剣に向かう。
雪が降り風がうなり、寒さがすべてを凍らせる
季節である。強さと合理が重なるところに
この道が見えてくる(のではないかなと思っている)。

この道を 比叡おろしも 後押しか

2日の報告

2007/01/09 23:42:44 麻田佳明

柴田さんが参加されました。
柴田佐藤組。強かったです。
柴田さんは、連日トレーニングに励んでおられるよし。
足がよく動きます。腰が安定しています。
そのうえ、目が健在です。
足腰を鍛えても、視力が衰えると
ボールは打てません。ましてゲームは
難しいです。視力を落とさないよう、
できれば向上させることができるとよいのですが。

コートへは、7名です。
山元、佐藤、柴田、二宮夫妻、松本、麻田。

ミュンヘンには、9名です。
河原、岡田の両名が加わりましたから。
電話参加が、沼田夫人。

まずは皆さんお元気ですから、
まだまだ続くことでしょう。
喜ばしいことですね。
ぜひ多くのメンバーでやりたいものです。

コートは、風もなく寒くはなかったです。
焚き火をしたくなるほど寒い年もありましたが。
近年はそれほどのことはありません。
暖冬なんでしょうか。

今年のテニスを考える時間を

2007/01/08 23:30:50 麻田佳明

2日は、お天気が危ぶまれましたが、
なんとかできました。
佐藤(隼)さんが、なんとかプレーして
楽しそうでした。全勝でしたから。
松本さん、二宮さんも元気でした。
よく身体が動いていました。(松本さんは
良く腕が伸びていました)

5時からは、乾杯。
河原さん、岡田部長も参加され
賑やかになりました。大阪、神戸は
雨が降っていましたから、とても
テニスは無理と判断されたようでした。
岡田部長は、コートを間違えたり
早く飲みたくなったりと
個人的事情が優先したようでした。

ゲームをすると、まだまだどこか無駄な力が
入るようで、身体のあちこちが痛くなりました。
今日ぐらいでしょうか、やっと痛みがとれたのは。
特に膝の痛みはなかなかとれませんね。
もっとウエイトを落とさないといけないのでしょう。
医者のいう事が正しいと良く理解出来ます。

そろそろコートへ出て来ているのでしょうか。
ランニングは続けているのでしょうか。
沼田杯マラソン大会はいつでしょう。

クールサンダー は水準が高いから
しっかり身体を作っておかないと
実現はできないだろう。できるならば
挑戦して欲しい。
一歩下がって二歩進む。
本物のテニスをしよう。

まずは一献。おめでとうございます。

2007/01/07 23:38:07 麻田佳明

楽しく新年会を終えてまいりました。
久間氏夫人とも久しぶりで
お酒を飲み交わしました。久間さん
早くこちらへお出まし下さい。

明日は成人の日です。現役諸君の中にも
成人する学生が何人かいます。
昨今の成人の日のごたごたは
報道にあるところだが、しょうむないことに
時間を取られる愚を犯すことのないように
祈っている。

テニスをするというのは
なかなか難しい事なのだ。
ボールを打てば良いとは言っても
そうそう簡単には行かなぬのだ。
斎戒沐浴して挑むつもりでないと
(というのでは、ちょっと行き過ぎだが)
思う通りには打てない。
打てる奴は打てるものだが、
打つだけではない。いや、打つ奴の
思いを見抜くのが対戦というもの。
結局人対人だ。そこを理解せぬようでは
所詮スポーツではない。
人に優れた技術の持ち主と
称えられる事があっても、所詮は
球扱いの上手い奴に終わる。それは
テニスパーソンではない。スポーツパーソンとは
そんなものではない。
何も難しい事を必要とするのではない。
人対人をどのように理解するかである。
人を称えるのも人ならば、人を人と思わないのも
これまた人である。悲しいものだ。

うましくに くにのまほろば

2007/01/07 01:07:33 麻田佳明

ほーらむ ほーらむ

いろいろ わいわい すばらしい

声が掛けられるということは
明るくうれしいこと
明るいことはよいことだ

明るさには 明るさで答えることだ
暗さには 
やっぱり明るさで答えるのが良いだろう

芯の強さ 逞しさ
これも良い 人に不安を与えることは
控えるべきだろう
人を不安にさせることは言うべきでない
ましてや 脅したり 騙したりは 

人の世に 生き血を吸うな
不埒な 悪行三昧などは思ってもみるな
そんな醜い鬼どもは 叩いて懲らしめないと
世の中が暗くてかなわん

明を点けよう
人に頼らず 互いを頼ろう
責任を追わず 責任を負う

「ロスト ゼネレーション」と朝日新聞が定義して
何やら宣伝を始めたが ちょっと私は賛成できない。
ソフトテニス部の歴史を見ると人材の宝庫なんだ。
それに 自分の娘も含まれている。
いや当たってない事もないのだが、やっぱり反対だ。

時代をどう定義するか。定義をし始めると
言葉が一人歩きする。
「学」が根付いていないとしか思えない。
論や説と学の違いがどうもしっかりしていない。
「・・・学」は流行るのだが。「学問」がない。
学問とは何か?・・・・・

新年会かな?

2007/01/07 00:47:43 麻田佳明

夕方山元さんと、新年を寿いで・・・・。
先ほどその内合わせに、浅水荘に。
久間さんに新年の賀詞をお伝えしました。
久間さんの奥様にご挨拶致しました。

初春や たこはね独楽も 目出度くもなく

年末から 年が明けても どうも
ごたごたが途切れません。
ここで 気落ちしているようでは
今年を乗り切ることができないでしょうから
なんとか気持ちを持ちこたえさせて
自分の持ち分を落とさずに進むしかありません。

誰の責任だ?と責任追究をしなくてはなりませんが
できるのであれば やるべきですが
できなければ やるべしやるべしと
煽りたてても どうにもならぬでしょう。

田中角栄さん 明るく 派手で お行儀悪いし
宮沢さん おっとりしてて 何でも良くご存知
でも 説明は一方的 結局中途半端

橋本龍太郎さん 良く勉強していて 細かいことを
良くご存知 文武両道 人にやらせない 出てしまう
村山富市さん お人は良い ちょっとふらつくところも
頼まれれば 仕方がない 裏が無かった 
中曽根さん 大宰相たらんの意欲 評価する人もあり
ちょっと迷惑と思う人もあり 

押す人 押し過ぎる人
担がれる人 間に挟まる人
小淵さん よくわからない とその内に
くらくらと 目がくらんで 森さん
神の国 と飛んだとたんに 改革なくして成長なし
神の国には もっと上位の神の国があるとなった
そして「美しい国」

初春や 多事も多難も 美しい国

今年も よろしく お願い致します

北陵OB佐々田君へ

2007/01/05 06:34:52 おとうさん

おじゃまします。元応援団の「おとうさん」です。
(分かるかな?)

俺は今、日大の大学院行ってます。
ロボットの研究してます。
今年4月からは、学部で言う4年生、
就職活動です。

最近、北陵の先生方と連絡するようにしました。
今年は文化祭の年で、俺は、
今まで北陵に何もしてやれなかったから、
何かサポートしてみようと考えてます。

応援団のソーラン節のサポートなんかやるのを、
計画してます。
団長は山形に行ってるが、最近どうしてるだろう?
他の皆は、どうでしょう?

また逢えるといいですな?

文化祭・・・、時期的に無理っぽいが、
9月、これたら来てほしい。
夏に北陵に帰ってくるのでもいい。
他のみんなに、連絡先知ってたら、是非、
俺の意思を伝えてほしい。

俺は、18年間の学生生活最後の年である。
高校3年の、苦い記憶を、
失われたものを取り戻したい。
これから社会人として、就活等、
頑張ります。

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